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2014年9月の3件の記事

2014年9月14日 (日)

「読者のみなさま」と内向化するメディア

 テレビ朝日の報道ステーションで朝日新聞の謝罪会見を見ていたとき、あるフレーズに違和感を持ちました。それは、吉田調書スクープ報道についての謝罪の後、従軍慰安婦問題での吉田証言についての謝罪の言葉の中の結びの部分です。

「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」

 語られた言葉の一部分を切り取ってあれこれ語るのはあまりよくないとは思いますので、該当部分を正確に書き起こすと以下のようになります。

「記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことでご批判をいただきました。裏付け取材が不十分だった点は反省しますとしましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとしてより謙虚であるべきであったと痛感しております。そして吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」

 私が違和感を持ったのは、「訂正が遅きに失したこと」を「読者のみなさま」に謝罪、という部分だったのですが、全体を読むと謝った記事を掲載したこと、つまり、誤報を謝罪するとも読めるので、とりあえず「訂正が遅きに失したこと」という部分についての違和感は私自身のうがった見方も多少は影響しているのかな、とも思いました。で、朝日新聞DIGITALの当該記事を見てみると、

一方、朝日新聞社が過去の慰安婦報道で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連の記事を取り消したことについて、木村社長は「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします」と語りました。
吉田調書「命令違反で撤退」記事取り消します 朝日新聞DIGITAL(2014年9月12日03時02分配信)

 となっていて、やはり「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします」となっていて、あえてこのフレーズが印象に残るような工夫はされているようです。朝日新聞としては、あくまで「訂正が遅きに失したこと」を「読者のみなさま」に謝罪したという印象が残るようにしたいと多少は思っているとは言えそうです。

 この記事がウェブで配信された5分後に配信された朝日新聞社長名義の記事の見出しには「みなさまに深くおわびします」とあります。この記事は、本紙の1面にも掲載されたものなので、本紙を読んでいる時点で読者ということは自明なので省略したのではないかと思いますが、その一方で、大きなサイズのフォントで組まれる見出しに謝罪を限定する「読者」という言葉を使うことへのためらいも感じられます。同記事の英語版には「I apologize to our readers and other people concerned By TADAKAZU KIMURA/ President of The Asahi Shimbun」とあります。「to our readers and other people concerned」つまり「私たちの読者のみなさまと関係するみなさま」となっています。日英双方の記事を通して言えることは、少なくとも日本国内においては、大きな見出し多少のためらいは持ちつつも、朝日新聞にとって「読者のみなさま」という言葉は、かなり重みのあるものだったのだと言えそうです。

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 なぜ朝日新聞は、テレビをはじめ様々なメディアで報道される謝罪会見の場で、あえて「読者のみなさま」という言葉にこだわったのか。その謎解きは、ある程度はできます。

「訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわび申し上げます」

 この文章から「読者のみなさまに」という部分を削除するとこうなります。

「訂正が遅きに失したことについておわび申し上げます」

 となると、公の謝罪会見における謝罪の言葉としてはより自然になりますが、不特定多数への謝罪と比較して、今度は「訂正が遅きに失したことについて」が軽く見えてしまいます。つまり、文章に自然さがなくなるのです。これでは、この部分だけではフレーズとして独立させることはできません。「読者のみなさまに」という言葉を抜いて引っかかることのない、より日本語として自然な文章にするためには、

「記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことでご批判をいただきました。裏付け取材が不十分だった点は反省しますとしましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとしてより謙虚であるべきであったと痛感しております。そして吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについておわび申し上げます」

 と、ここまでしっかりと引用しなければ文章として自然にはなりません。すると、「吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと」つまり誤報を謝罪という印象が強くなります。朝日新聞としては、一度、公式に本紙で記事を取り消している以上、あらためて誤報を謝罪するという、誤報の強調は避けたかったのではないか。少し考え過ぎではないかと思われるかもしれませんが、まあ自社の存亡にかかわる事態です。たぶん考えているでしょう。

 それは、ある程度は成功しているようにも思えます。この観点で言及し批判しているのは、私の見た範囲では、自民党の石破地方創世相がBS日テレの「深層NEWS」だけでした。読売新聞の記事を引用すると、

いわゆる従軍慰安婦問題の一部記事についての謝罪には、「国際社会に与えた影響を考えると、読者の皆様におわびするという表現は、私はどうも引っかかる」と述べた。報道が外交に悪影響を与えたことを批判したものだ。
なぜ間違い起こるのか…石破氏、厳正な検証要求 YOMIURI ONLINE(2014年09月11日 23時53分)

 と、問題の大きさに比して謝罪の範囲が「読者」に限定されていることについての批判となっています。朝日新聞が英語版の記事をウェブで配信しているくらいですから影響が世界に及んでいると自らが自覚しているわけですし、吉田調書の問題も吉田証言の問題も朝日新聞が主張する誤読という文脈は、総合的に考えれば無理筋な主張だと思うので、この石破氏の批判は十分に理解できます。

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 ただ、もうひとつ思うのは、朝日新聞は、危機管理の観点から「読者のみなさま」への謝罪というかたちをとったという以上に、かなり本気の部分で、謝罪の対象、つまりこの問題の当事者は、「読者のみなさま」であると思っているのではないか、ということです。吉田調書の問題では、謝罪会見で朝日新聞社長はこう話しています。

東電および読者のみなさまに深くおわび申し上げます

 この吉田調書の問題では、記事の内容から当然のこととして第一の当事者が東電、およびという言葉で結ばれているのでほぼ同列ではありますが第二が読者のみなさまということが読み取れます。この部分は先に挙げた朝日新聞の記事で「読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。」と修正されています。ここでは新聞紙面であることから第一と第二は逆転していますが、最終的には「みなさま」で結ばれています。ここでも朝日新聞のためらいが感じられます。そこから見えてくるのは、ライブで出てしまった謝罪会見の言葉が、じつは朝日新聞の本音である可能性が高いということでないかということです。

 この問題が表面化するきっかけの一つとなった週刊文春の記事でも、この「読者」という言葉は何度も出てきます。私は、週刊文春を購読しているので、もしかすると、その記事の中で幾度となく目にした「読者」という言葉とのつながりのなかで違和感を持ったのかもしれません。

長年にわたる朝日新聞ファンの読者や企業、官僚、メディア各社のトップ、ASA幹部の皆さんなど多くの方から「今回の記事は朝日新聞への信頼をさらに高めた」「理不尽な圧力に絶対に負けるな。とことん応援します」といった激励をいただいています 
スクープ報道 朝日新聞 木村伊量社長のメール公開 週刊文春WEB(2014.09.03 18:00)

 ジャーナリズムの精神に則った良心的な記事を送り続ける記者もたくさんいますし、すべてがそうだと言うことはできませんが、朝日新聞にとっての世界は、朝日新聞を信頼し、朝日新聞こそが日本を良き方向へ導くと考える、所謂朝日シンパだけで構成された世界だったのではないでしょうか。とりわけ、全国紙で言えば、朝日、毎日と読売、産経というように二分化され、各紙のロイヤルユーザーにとって新聞選択の重要な論点になり得る従軍慰安婦問題および原発問題においては。そこには、サイレントマジョリティー、沈黙する大多数の人たちさえ存在しなかったのかもしれません。

 現社長が広告局出身であるということも多少は影響しているのでしょう。全国各地に隈無く販売店網を持つ日本の新聞は、そのリーチの広さと高さから広告媒体という意味合いが強く、広告媒体としての力が低下している現状で、ロイヤルユーザーを過剰に重視する空気が形成してしまったのかもしれません。であれば、その流れの中で、ロイヤルユーザーが最も重視する従軍慰安婦問題および原発問題の分野において、インパクトの追求、事実性の軽視が起こってもおかしくないだろうと思います。

 それは、つまり、報道記事の広告化です。ジャーナリズムの精神に基づき事実を最重要視すべき報道記事が、「広告媒体としての朝日新聞」を広告する広告コンテンツに転化するという意味では、対象や目的は違えど、構造としては戦時中のプロパガンダと同じです。広く社会に向かうはずの報道が、内に閉じてしまっています。

 たぶん、このメディアの内向化こそが、私の違和感の正体だったのだと思います。朝日新聞は、謝罪記事の結びにこう書いています。

読者のみなさまの信頼回復のために何が必要かを検討し、将来の紙面づくりにいかしていきます。
吉田調書「命令違反で撤退」記事取り消します 朝日新聞DIGITAL(2014年9月12日03時02分配信)

 これはこれである程度評価はできるのでしょうが、やはり違和感は残ります。きっと「読者のみなさまの信頼回復のため」ではなく、実も蓋もないけれど、本来、社会に必要な報道機関のひとつである新聞社であるために何が必要かを検討し、将来の紙面づくりにいかせることができて、はじめて結果として読者がついて、読者に信頼されるわけではないですか。やはり、そこに倒錯がある気がします。と同時に、この内向化は、見えにくいけれども、かなり根が深いとも思っています。

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 ここからは余談です。

 これを読んでいる方は、きっと日頃からウェブに親しんでいる人でしょうから、影響の大きさや個別の事象を捨象してしまえば、同種のことはよく見かけるありふれた光景なのではないでしょうか。吉田調書や吉田証言の話ではなく朝日新聞でなければ、twitterで「またかよ」と書けばすむ話かもしれません。また、今回は朝日新聞の認識で言うところの「誤報」の影響が大きかったから見えにくかったけれど、「読者のみなさまへ」というフレーズだけとれば「ファンサイトかよ」と揶揄すればいいだけ話です。今、ウェブを眺めれば、商業メディアから個人メディアまで、「内向化するメディア」の姿はいくらでも見つけられます。

 なぜ、メディアが内向化してしまったのか。理由はいくつもあるでしょう。また、その理由はこれまでに言い尽くされてしまっています。ファンの言及が可視化されたこと。ウェブにおけるコミュニケーションインフラによって、ファンとのつながりがより簡単にできるようになったこと。ずっと広告を生業としてきましたが、口コミがこれだけ可視化されるなんて、ちょっと夢のような出来事なのですね。観測範囲に自身にシンパシーを持つ人だけを集めることさえ可能になりました。ファンの囲い込みもこんなに簡単にできるとは、あの頃のマーケターは思いもしなかったでしょう。

 それでいいこともたくさんありましたが、その一方で、ちょっと困ったこともたくさん起きました。今のウェブは、もっと正確に言えばコミュニケーションインフラ環境は、ウェブを使わない人にも影響を与えてしまうくらいの力は持っています。時代の空気をつくるくらいはできてしまいます。

 その流れの中で、鋭角的に時代の空気を象徴してしまったのが、今回の朝日新聞の問題だと考えています。ここ最近、マスコミをにぎわせる大きな事案が立て続けに起きました。交響曲第1番〈HIROSHIMA〉、STAP細胞、号泣会見。それぞれ事案は異なりますが、構造的には同じだと思います。また、ウェブを日々にぎわせる「内向化したメディア」による炎上事案もその構造は同じです。

 共通するのは、徹底的な自己肯定です。朝日新聞で言えば、この二つの「誤報」は、陰謀論的な文脈ではきっと説明できません。リスクがあまりにも大きすぎます。

 それはきっと、外部を排除した自己と自己にシンパシーを持つ者、構造的には自己の分身との二者関係が無限円環する中で自己目的の遂行が肥大化し、多少の不正は取るに足らないものとして意識されないからこそ起こったことなのでしょう。もしくは、事実確認が軽視されるほどに、自己目的が肥大化してしまっていたか、どちらか。無我夢中という言葉がありますが、自己目的が肥大化するあまり、社会的な存在である私がなくなるような、まるで夢の中で行なってしまった、というのが、記事を書き、その記事を承認していった人たちの実感なのではないでしょうか。きっと、今後の朝日新聞の第三者による検証でも、世間が期待しているような明快な悪意は出ないだろうと思います。

 時代の空気。それは、ある新しい状況がつくられたときにできたブームです。そして、ここ最近起きた大きな事案は、そのブームがピークに達し、ようやく終焉を迎えつつあることを示しているとも言えます。

 それは、この件に関して言えば、社会のこれからにとって、唯一といっていいくらいの希望です。

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2014年9月 2日 (火)

父の死

 思想家の吉本隆明さんが生前よく言っていた言葉に「死は自分に属さない」というものがあります。確か、湘南で海水浴中に溺れた後、目や体を悪くして、その際に読書や文筆に支障を来し、これからの人生をどうしようかと思い悩んだ末、辿り着いた結論だったと思います。簡潔に言えば、生きている意味がない思っていたけれど、やっぱり生きようと思ったということです。死は自分に属さないのだから、生きているうちは生きるにまかせるしかない、それが生きることだ、ということですね。
 吉本さんは文芸批評家でもあるわけだから、自死を積極的に否定するようなある種のヒューマニズムや、生きることこそ素晴らしいといった狭義の思想から導き出された言葉ではなく、生と死を突き詰めた、吉本さんなりの原理的思考から導き出された言葉であると私は理解しています。
 七月の末、私は父を亡くしました。その死は、想像以上にあっけないものでした。
 父は糖尿病を患い、随分前からインスリンを打っていましたし、糖尿病の合併症から片目と片耳が機能しなくなっていて、そのうえ、初期の肝硬変も患っていました。こうして言葉にすると満身創痍ですが、日常生活はそれほどでもなく、毎日健康に気をつけながら、認知症、摂食障害、腎不全で寝たきりになって、数年前から入院している母のお見舞いが毎日の日課という感じの生活を続けていました。母が病に倒れ、父も弱ってきてからは、私も週に一度は父に電話で連絡を取り、一ヶ月に一度は大阪に帰っていて、この年になって親と会い、一緒に飯を食い、テレビを見ながらおしゃべりをするようになって、まあ、体が悪くなったのは不幸ではあるけど、こういう状況にならなきゃめったなことでは大阪に帰るなんてしなかっただろうし、ものは考えようだなあ、なんて思っていました。
 一ヶ月に一度、大阪に帰るようになった理由として父に伝えていたことは、病床の母のお見舞いでした。本音では父に会いにいく、という理由もあったけれど、本人には一度も言ったがないし、東京大阪間は新幹線で三万円くらいかかるので、それを言えば、「もったいない。そんなためにわざわざ帰ってくるな。そんなんやからおまえはいつまでたってもお金がたまれへんねん」と言われるのがおちでしたから。どこの親も、男親はこんな感じなんでしょうね。
 数年前、父は一度だけ泣いたことがあるそうです。私にではなく、私の妹に電話口で泣いたそうです。母がおかしくなったとき妹にめったにかけない電話をして、「もうどうしていいのかわからへんねん」と泣きじゃくっていたそうです。私もその後、大阪に帰り、そのときにはじめて母の病状を知りました。躁うつ病を患っていたこと、数日前からうつ状態から躁転していたこと。東京で仕事をする私に心配をさせたくなかったから言わなかったということでした。
 その後、母は入院するのですが、その後は、母の転院や特養への入居などの件で、結構な苦労を父とともにしてきて(ほんと、いろいろ苦労するんですよね。国や公共団体の制度としてそのあたりはハードルを上げなきゃ制度が破綻するからしょうがないのでしょうけど、いろいろあります。そのあたりのことは、ほんの少しですがこのブログにも書いてきましたので、よかったらそちらをご参考にしてください)、父とは共闘する仲間のような気分にもなっていました。これは、父の死を基準にして見られる今となっては、私の親子関係にとっては、本当に幸運だったなあと思います。
 父の死があっけなかったと冒頭に書きましたが、その一方で父の死が近い将来やってくることも意識はしていました。ちょうど去年の今頃だったと思います。低血糖で昏倒し救急車で運ばれたのですね。それまでも、低血糖で倒れることは何度もあって、その度ごとに救急車で運ばれたりしたのですが、そのときは、ちょっと程度が違いました。
 テレビ画面の左端に、8:35というテロップが焼き付いてしまったいるので、低血糖で倒れて暴れまくったのがたぶん朝8時すぎで、父が血だらけで倒れているのが発見されたのが午後三時過ぎ。救急車が来たときにはその部屋の惨状に殺人事件かと思ったそうです。集中治療室に入ったときには、医師から「奇跡的に命は助かりましたが、脳に障害が残ることを覚悟してください」と言われ、もしかするともう駄目なのかもしれないと思いました。東京から大阪に戻り、血だらけでものが散乱した部屋の掃除を、血生臭さで吐きそうになりながらなんとか済ませ、病室に行ったときには、全身に包帯に巻かれた姿で「なんや、帰ってきたんか。大げさな。」と言っていました。意識を失っているわけだから、暴れたことや苦しんだことは記憶に残っていないんですね。幸い脳に障害もなく、一ヶ月ほどで退院しました。
 そんなことがあったものだから、死は意識していたし、本人もそれからは「もしかすると、もう駄目かもしれんなあ。わしも長ないから覚悟しとけよ」と言ったりしていました。七月の末、九十八歳になる父の母、私から見ると祖母が亡くなりました。父が喪主を務め、私は父の補佐をしました。そのときも「おばあさんは看取れたけど、おかあさんはもしかしたら看取れんかもしれんなあ」と言う父に「そんな縁起でもないことを言うなや。ほんまに」と返したり、弱気にはなっていたとは思いますが、次にやってくる満中陰法要に向けて、まあそれなりに元気にやっていたんですよね。
 もうすぐ祖母の法要だからと東京から父に電話をしました。「来週の木曜に帰るから」「なんでそんなに早いねん」「まあ、いろいろやることあるやろから、早いにこしたことないやろ」みたいな会話をしました。日曜の夜でした。それが、父との最後の会話でした。
 翌朝、ゴミ出しをしたあと、マンション一階のエレベーターホールでちょっとふらつき、管理人さんに大丈夫ですか、と声をかけられ、いや大丈夫、大丈夫とエレベーターに乗り、十一階に着いてエレベーターを出たとたんに倒れたとのことです。救急車がやってきたときには、すでに心肺停止状態で、状態から言って、倒れてすぐ意識を失っていとのことでした。医師によると、今回は、低血糖ではなかったそうです。インスリンの単位を下げていたので、むしろ高血糖状態でしたし、結局、司法解剖はやらずに済んだので死因は正確にはわかりませんでしたが、たぶん心不全による急死なんでしょう。
 私が大阪に着いたときにはすでに父は死んでいました。病院で運ばれ、妹が見守る中、心臓マッサージを続け、心臓は再び動き続けていたのですが、脳はすでに膨張し、強いマッサージで肋骨が折れ、内臓が破裂する状態だったので、私の到着を待たずにマッサージを中止したとのことでした。妹は「ごめんな、お兄ちゃん。でも、これ以上やるのは、お父さんがかわいそうやってん。かわいそ過ぎるねん」と泣いていました。病院で父に対面し、その遺体を見ると、ヒゲはきちんと剃られていましたし、身なりもきれいでした。そして、何よりも、顔がすごく穏やかだったんですね。
 そのとき、私の思ったことを正確に言えば「ああ、生きる気満々やったんやなあ」というものでした。生きる気満々、という表現は故人に対してちょっと不謹慎かとは思うけど、そのとき、浮かんだ思いは、まさにこの言葉でした。父は生きる気満々だった。少なくとも、しばらくは生きていく気満々だった。だから、息子としては、もう少し生きてほしかったし、親孝行ももう少ししたかった。
 でも、そんな私の気持ちに関係なく、そして、生きる気満々だった父の意向にも関係なく、ただただ冷たくなった穏やかな顔がそこにあって、ああ、これが死というものなんだな、と思うしかありませんでした。
 当たり前の話ではあるけれど、生きている人間は、自分の死を実感することはできないんですよね。もうちょっと言えば、生きている人間は、自らの死を所有することはできない、という言い方になるのかもしれません。死にたい、という言葉は、原理的には、これ以上生きていくのはつらい、ということになるだろうし、死をもって償う、という言葉や、自らの死を課す、という言葉は、むしろ、生きている私の誠意や尊厳に関わる言葉であるのでしょう。そこで語られる死という言葉は、生の究極表現としての死です。こう書くと、決して自らが所有したり、味わったりできない自らの死の魅惑的な部分を誘発してしまいそうな気がしますので、もっともっと正確に書けば、自らが語る自らの死は、生の究極表現としての死に過ぎない、と言うべきなのでしょう。
 たぶん、宗教思想、宗教哲学という言い方を除く意味での思想、哲学の領域では、つまるところ「死は自分に属さない」という定義が終点なんだろうという気がしています。そして、その終点を境として、思想、哲学と、宗教が別れていくのでしょう。自分に属するものとして死を扱う限り、そこに生を超えた絶対的なものを置かなければ成り立たないと思うんですね。死につつ、その死を所有し生きる、という絶対的な場所がなければ、そうした考えは成り立ちません。それは、神の国だったり、浄土だったりするのだと思います。
 そういう場所さえ設定できれば、生きながら、人は死について考えを及ぼせる、今まで限界だった死という思考の終点を超えることができる。その人の死について考える、今、生きている人たちの思いに答える考え方を提示できる。さらに、今、世界で起こっている困った事象として、他人の死についてまで、その絶対的な場所から半ば所有しているかのようにコントロールできる。世の中の、宗教的な思考や行為の体系には、その始まりに、この、生を超えた絶対的なものを無理やり設定する、という、今の言葉で言えば、ブレイクスルーやジャンプがかならずあったのでしょう。
 通夜、告別式の中で、葬儀会社の葬儀司会者の方が「仏教では、死は二つあると考えます。一つは、肉体の死。もう一つは、魂の死です。故人のことを思い続ける方がいる限り、魂は生き続けます。思う人がこの世にいなくなったとき。それが本当の死です。ですから、本日はお父様のことを思う存分話してあげてください」とおっしゃっていて、それは素敵な言い方だと思いました。仏教がそういう考え方を本当にするのかどうかは私にはわからないけれど、その考え方は、祖母の葬儀からすぐに父の葬儀の喪主を務めることになり、少し気が動転しているあの状況の私にとっては救いにはなりました。
 きっと、宗教思想が希薄な日本の社会の中で、日常から人の死を扱う葬儀会社が、その折り合いをはかるために見つけた言い方なのでしょう。狭義の思想、哲学は、あらゆる宗教思想から独立した、言わば究極の世間知であると私は考えているのですが、その「死は自分に属さない」という考え方にも馴染む考え方のように思いました。そして、もうひとつ思ったことは、「死は自分に属さない」という言い方をひっくり返すと「死はその人に関わる人に属する」となりますが、その「死はその人に関わる人に属する」という原理の中で、魂といった宗教的なニュアンスを少しでも自分の考えに入れなければ、生きている人はちょっとやってられないものなのだなということでした。
 病床の母のこともあり、父の死によって、私が生きていく環境は大幅に変わっていくだろうし、その変化に、今、ほんとこれからどうなるんだろうなあ、うまくいくかなあ、とか思ったりするし、その変化に向けて、うんざりするほどやることがあるのだけれど、なんとなく「死は自分に属さない」あるいは「死はその人に関わる人に属する」という言葉は、でもまあ、なんとかなるっしょ、だって、それが生きていくことなんだもん、というような気にもさせてくれます。
 今は自分に向けて、ま、これからいろいろあるだろうし、うまくいかないこともあるだろうけど、がんばれや、という言葉をかけてあげたいなあと思います。ほんと、自分に向けた言葉ばかりの文章ですが、読んでくれた方は、どうもありがとうございました。この文章が、ほんのちょっとでも誰かの助けになりますように。

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2014年9月 1日 (月)

[告知・参加者募集] 放送批評懇談会ラジオ推奨委員会主催「ギャラクシー賞入賞作品を聴いて、語り合う会」

 

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 いい音でラジオをみんなで聴くという変わったイベントですが、思いのほか楽しいです。ぜひご参加くださいませ。お待ちしています。席数があまり多くないので、お申し込みはお早めにどうぞ。 上の画像はクリックで拡大できます。ファックスで申し込みをしたい方やPDFでプリントアウトされる方は、下記リンクよりダウンロードできます。ラジオ関連エントリはこちらこちらからどうぞ。

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