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2015年3月28日 (土)

[書評]『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』松本麗華(講談社)

 オウム事件から20年が経ちました。あの頃、私は六本木にある広告制作会社に勤めていました。1995年3月20日の朝、いつものようにJR恵比寿駅を降りて地下鉄日比谷線の恵比寿駅へ向かおうとしたところ、駅の入り口に人だかりができていました。時間は記憶が定かではないけれど、確か朝の8時半だったように思います。どうやら地下鉄が運休していることのようでした。

 「どうしたんですか」
 「何やら食中毒があって地下鉄が止まっているようなんですよね」

 なぜ食中毒で地下鉄が止まるのだろう。そんなことを考えながら、六本木に向かうために都バスに乗ったことを覚えています。会社に着いてデスクワークをこなしていると、大阪に住む母から電話がありました。その頃、携帯電話は一般的ではありませんでしたので、正確には、会社に電話がかかってきたということです。会社に入って間もなくだったこともあり、正直、恥ずかしいなあという思いがありました。

 「もしもし、何か用か」
 「何か用って、どうやった?無事やった?」
 「無事って、だから何があ」
 「あんた、何も知らんの?テレビ、見てみ?」

 あの頃はインターネットも一般的ではありませんでした。テレビをつけてもらいました。死者13人、負傷者数6000人以上。あの日比谷線の光景は、後に地下鉄サリン事件と呼ばれる、神経ガスサリンを使った同時多発テロでした。実行犯は、仏教系新興宗教団体であるオウム真理教。単独犯ではなく組織的犯罪でした。教祖は、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚。その三女が、この手記の著者である松本麗華さんです。

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 この本の副題にもあるアーチャリーとは、松本麗華さんのオウム真理教内でのホーリーネーム(出家信者の祝福名)です。教団内の地位は正大師。1995年3月頃からオウム真理教は省庁制度が導入され、擬似国家的な組織構成になり階級が細分化していくのですが、それまでの階級で言えば、正大師は教祖麻原彰晃の称号である尊師の次に来る称号でした。大乗ヨーガの成就者のみに与えられる称号です。地下鉄サリン事件の発生当時、松本麗華さんは11歳でした。

 事件後、教祖麻原彰晃をはじめ主要信者が次々と逮捕される中、松本麗華さんは教団唯一の正大師となります。オウム真理教は解散し、アレフとなり、その後、上祐史浩教団代表が脱会しひかりの輪を設立。二派に分かれることになります。アレフを引き継いだ教団の大多数は反主流派、反上祐派、あるいはA派と呼ばれました。このAはアーチャリーの頭文字です。公安調査庁は、現在も松本麗華さんをアレフの幹部と連絡を取り、重要な意思決定に関与している役員だと認定しています。

 私自身も、概ね上記のような理解をしていました。上祐史浩教団代表と対立し決別したアレフの幹部であり、この手記にも詳細に書かれている大学入学拒否についての裁判も、信教の自由が争点である、というように。しかし、この手記を読んでみてわかるのは、それが誤解を多分に含むステレオタイプな解釈であることでした。あるいは、そういう構図で理解したいという願望が社会にあった、と言えるのかもしれません。

 松本麗華さんが「止まった時計」と表現するその人生は、もっと複雑で、宿命的ともいえる様々な、著者が言うところの括弧付きの「関係」に絡め取られる、壮絶なものでした。この手記を読み通してあらためて思うことですが、事件当時は、素直な、言い方を変えればまだ考えの浅い11歳の子供であり、オウム真理教は自分が育ってきた街のようなものであり、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚はそれでもやはり父であり、幼少からの暖かい思い出もあり、事件が発生してからは、別の場所で生活するにも行く場所がなかった。手記を読むと、幼少期には自分の環境を当然のように受け入れていたことがわかります。松本麗華さんはアレフに入会はしていないと書いています。一方で、アレフや母、そして、教団代表であり後に決別しひかりの輪をつくる上祐史浩代表と自身の関わりについても率直に語っています。元信者で後に保護者となる香山さんとともに生活をし、彼女の支援のもと学校に行き、大学を卒業します。出版を前後して行われたインタビューでも、現在は宗教に興味はないと答えています。

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 この手記は、そういう意味では、数奇な運命にある一人の若者の自分探しの書と言えるかもしれませんが、本書ではこう書かれています。

今まで隠してきた顔をさらせば、マスコミ各社が大々的に報道し、父が病気だという事実を、少しでも社会に伝えてくれるのではないかと考えたからです。(中略)その後わたしは、父の本を出したいと考えるようになりました。本を書けば、自分の言葉で事実をそのまま伝えることができるからです。

 本を出す作業は、出版社巡りから始まりました。ある出版社には門前払いされ、別の出版社では「対談形式なら」と提案されました。断られた際の対応から、わたしは「アレフの幹部」でしかないのだと思い知らされました。そんな中、講談社の方だけは、当事者であるわたしの話を真摯に受け止めてくださり「お父さんの本を書けばいいという甘い気持ちではなく、松本さん自身の人生を書くならば」とわたしが本を書くことを許して下さいました。

 この手記のもともとの動機は、死刑判決を受けた父、松本智津夫死刑囚の本当のことを書きたいということでした。この本が他のオウム真理教関連本と一線を画するのは、まさにこの動機であり、この本が批判されるとすれば、まさにこの一点だと思います。言葉の一部が切り取られることのないように、慎重に長めの引用をします。

 事件も裁判も、わたしには耐えがたい、胸をえぐられる出来事でした。
 わたしは父について多くの批判があることは、身にしみています。
 それでもわたしは、父が事件に関与したのかについて、今でも自分の中で保留し続けています。父が事件には関わっていないと、信じているわけでもありません。父は事件に関与したのかもしれないし、してないのかもしれない。
 父は弟子たちと主張が食い違ったまま病気になり、何も語ることができなくなりました。一方の当事者である父がきちんと裁判を受けられず、いまだに何も語ることができない以上、わたしは今後も判断を保留し続けるでしょう。
 父が仮に指示をしていなかったとしたら――そう考えると、わたしには無責任なことが言えません。
 もし母が、妻として母親として、病気の父の裁判を責任をもって支えてくれていたら、わたしはまた別の考えを持っていたかもしれません。でも母は何もしませんでした。父を守れる者が子どもしかいないなら、わたしだけでも父を信じよう。父の言葉を聞くことなく、父を断罪することは絶対にしない。世界中が敵になっても、わたしだけは父の味方でいたい。
 ――これから書くことは、これらの前提を踏まえて読んでいただければと思います。

 松本智津夫死刑囚の四女は、フジテレビのインタビューで、でたらめという強い言葉で批判をしていました。また、加害者への謝罪の言葉がないことに疑問を呈していました。松本麗華さんが出版を前後して受けたインタビューでも、度々、この保留という態度について批判的に言及されていました。辛坊治郎さんも、ニッポン放送のラジオ番組「ズーム!そこまで言うか」で、他の精読した人の言葉を借りながら、松本麗華さんの主張はこれまでのアレフの主張と同じで鵜呑みにするわけにはいかないという趣旨のことを話されていました。また、この手記の重要な論点と関連することでもありますが、このラジオ番組で、この放送回の前に上祐史浩代表が出演した際に、最終的には家族は決裂したが、麻原の妻と三女は裏でアレフを操っていたのは事実であると話しています。

 これは、この本を読まれた方がそれぞれに判断することだろうと思います。司法的原則の順守よりも社会的影響の大きさから来る贖罪を優先させているように見える現実を差し引いても、父への愛情というバイアスがかかっているのは紛れもない事実だと思います。また年齢相応の思考の幼さも感じられます。しかしそれは、その思考の幼さも含めて、現在の松本麗華さんだけに許されたバイアスではないかとも思うのです。これが愛なのでしょう。これを愛と呼ばなければ、たぶん愛というものはこの世界にはない、ということになるだろうとも思います。

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 私はオウム真理教関連本と一線を画すると書きました。それは、まさにその特異な視点でオウム真理教のことを、さらにオウム事件から20年を見続けてきた者だけが語ることのできるオウム的なるものの仕組みが描かれていると思うからです。松本麗華さんは、母や上祐史浩代表など、様々な教団関係者が「アーチャリー正大師」という言葉を、自分が思うようにことを運ぶために利用してきたと書きます。この手記の後半に、小さな出来事が記されていました。教団が250万円もする車を信者が購入しようとした際に、松本麗華さんの母は松本麗華さんに「以前はこんなことはなかった。もっと質素だった。100万以上の車は買わなかった」と愚痴を言います。松本麗華さんはそれをどうでもいいことと思ったそうですが、結局、母は「アーチャリー正大師」がやめろと言っていると言ってやめさせたそうです。些細な出来事だからこそ、残酷なほどあからさまに本質が剥き出しになっているように私には思えました。

 村上春樹さんがオウム事件で被害を受けた人たちのインタビューを集めた「アンダーグラウンド」でこう書いています。

 あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?もしそうだとしたら、その制度はいつかあなたに向かって何らかの「狂気」を要求しないだろうか?あなたの「自律的パワープロセス」は正しい内的合意点に達しているだろうか?あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?

 ここにはカリスマに帰依することの危険が述べられています。この視点は、カリスマとカリスマに帰依する個人という対立構造です。いつか、その帰依は「悪夢」となってあなたを襲う。そう村上春樹さんは語ります。カリスマでもありただの父でもあった松本智津夫死刑囚の娘である松本麗華さんが書いた手記では、カリスマを利用する組織あるいは個人という、対立構造ではなくカリスマを内包する入れ子構造として語られます。

 わたしは今になって思います。帰依や神格化は、「尊師ならすべてわかってくれる」「何をしても尊師はご存知だ」「尊師がとめないから、尊師に許されている」という、自分の行動の責任を父に押しつけるための、免罪符ではないかと。神に人権はなく、どんなことをしても、それを許容することのみを求められます。
 わたしも同じ経験をしました。言葉では称賛されているのに、期待を裏切れば「アーチャリー正大師が指示した」ということで、自分のしたいことを他の人にやらせる口実にされることもありました。

 繰り返しになりますが、ここには愛ゆえのバイアスが見え隠れします。松本智津夫死刑囚自身も、そのことをわかった上で利用した部分もきっとあるのだと思いますし、松本麗華さん自身も書かれていますが弟子の暴走説のような単純なものではなかったと思います。それに、逆に松本智津夫死刑囚がすべてを指示した可能性も当然闇の中なわけで、他の死刑囚と同様、教団の教祖としての責任は免れるわけではありません。それでも、そのバイアスを差し引いて見た時、このカリスマと組織や個人の入れ子構造の仕組みを説得力を持って語ることができるのは、この手記だけだと思いが私にはあります。この手記が書かれてよかったと本当に思います。

 冒頭で書きましたが、公安調査庁は松本麗華さんをアレフの幹部と連絡を取り、重要な意思決定に関与している役員だと認定しています。次弟を教団と関わらせないようにお願いするために姉と共同で出した手紙が決め手になったと言います。現在、言うことをきかなくなり利用できなくなってしまった松本麗華さんのことを、アレフの幹部たちは「悪魔」と呼んでいるとのことです。一方、麻原回帰の動きがあるアレフで脱麻原をすすめていた現ひかりの輪の上祐代表は、父の接見に行く松本麗華さんを、なぜ接見に行くのだと詰ったそうです。

わたしはアレフの人間ではないのに、どうしてアレフの決まりを守らないといけないのか理解できませんでした。そもそも、上祐さん自身が逮捕されているときは、わたしに何度も「接見に来るように」と言っていたのです。このときは、大切な人をないがしろにされた気分になり、わたしは上祐さんに泣きながら電話で抗議し、最後には、わたしは「勝手にします」と言い、上祐さんも「勝手にしろ」と言って電話を切ってしまいました。

 カリスマの子として、様々な「関係」に絡め取られていく中で、もしかすると父も同じだったのではないかと考えたのかもしれません。それは、子である者にだけ許された決して一般化できない思考だと思います。けれども、そういう松本麗華さんの思考から見えてきたものは、どのようなジャーナリスト的考察や宗教的、思想的考察以上に、オウム的なるものの本質をつかまえているのではないかと私には思えます。

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