オムレツの謎
ウェブで『「今残さないと、調理文化が消える」 食研究家たちが支持するレシピ本、危機感から制作』という記事を読み、その関連で、なんとなく食べ物のことを考えていて、ふと、昔、母がつくってくれたオムレツのことを思い出し、
僕の母は甘く煮た牛肉そぼろが中に入ったオムレツをよく作ってくれて、20歳くらいまではオムレツは中に肉そぼろが入ったものと思い込んでいたけど、それは国が進めていた栄養運動の中の推奨レシピだったということを最近知った。
と、Twitterでつぶやいた。すると、珍しくいいねやリツイートが付き始めて、ああ、みんなもこの牛肉そぼろオムレツを食べていたんだよなあ、思い出でつながるTwitterっていいよなあ、なんて思っていたけど、徐々に、さて、どこで知ったんだろうと気になりだして、検索したりしてみるも手がかりが見つからず、まあええか、寝るか、と布団に入った瞬間に「あっ、朝の料理番組で土井善晴先生が言うてはったわ」と記憶のカケラが見つかって、さっそくググってみたら、あった。
土井先生は「昭和オムレツ」と名付けておられた。テレビ朝日『おかずのクッキング』2018年3月第5週放送回で、土井先生が「昔ね、みんなに栄養のあるもんを食べさそうと、フライパン運動というのがあったんですわ。洋食とか中華とかイタリアンとか。そういうもんを子供のためにつくりなさいよというわけです。その中のレシピにこれがあってね、流行ったんでしょうね。僕らにとっては懐かしい味やね」的なことを語っておられたと思う。動画は見つからなかったけど、記憶ではそんな感じ。
で、その運動はいかなるものなのか、とさらに調べてみると、
1956年に厚生省の指導のもと日本食生活協会は「栄養指導車」8台を導入。10月10日日比谷公園で盛大な出発式を挙げる。世の言うフライパン運動の始まりである
1954年7月にアメリカで成立したPL480法に関連した運動だったとのこと。この法律は正式名称は農業貿易促進援助法ではあるけれど、余剰農産物処理法とも呼ばれ、最も有望な市場と見られた日本がその標的にされた。つまり、半ば押し付けられた米国産の余剰農産物の解決と米国農産物輸出拡大のためのマーケティング戦略の一環でもあったということだった。
ま、それだけでなく、当時の厚生省にも、このPL480法を契機にして、和食中心から洋食の普及により栄養に偏りのある食生活を変えたいということもあったのだろうし、そのおかげで今の多様で豊かな食生活もあるわけだから、マーケティング戦略は大成功と言えるだろうけど、でもまあ引用のブログにあるように「米主食では栄養不良になる」という根拠の薄いネガティブキャンペーンもあったらしく、関連書を見ると日本固有の食文化の破壊という観点からの批判が多いようだ。
僕の母が、このフライパン運動のキッチンカーで学んだのか、それともこの運動によって普及したレシピを見てつくったのかは、もう知るすべはないけれど、土井先生が「昭和オムレツ」と名付けた牛そぼろ入オムレツは、僕らの世代の多くの人にとって懐かしい味になった。
2014年に父が亡くなり、続いて2015年に入院していた母も亡くなった。そう言えばと、大阪滞在中に見様見真似で作ってみたら美味しかった。大阪に住む妹は「いっしょの味やん。おいしいわ。なんで作れるの?お母さんに教えてもうたん?」と言っていたけど、誰でも作ることができる簡単なレシピだから、まあ、誰が作ってもこんな味にはなるのではないかな。米主食の習慣を変えようというキャンペーンから生まれたメニューだけど、このオムレツはごはんによく合う。
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