カテゴリー「音楽の話」の40件の記事

2012年2月16日 (木)

そうなんですよね。僕らだって意味もわからず英語の歌を聴いてきたんですよね。

 いやはや、すごいもんです。ここ最近のインターネット界隈で、いちばんいいニュースだったのではないでしょうか。PINK MARTINI & SAORI YUKI / 1969の大ヒット。この素敵な出来事は、いろいろな記事になっています。

由紀さおりが米国iTunesジャズチャートで1位獲得のワケ - 日経トレンディネット

由紀さおり、1969年作品を歌う『1969』が世界20ヵ国以上でリリース - BARKS ニュース

由紀さおり、ニューヨークでスタンディングオベーション - BARKS ニュース

由紀さおり「夜明けのスキャット」、なんとギリシャremixが世界50ヵ国以上で配信決定 - BARKS ニュース

 なによりも素敵だなと思うのは、この日本語の歌がアメリカで売れて、そこから世界に広がったこと。聴いてみてわかるのは、PINK MARTINIの演奏が、驚くほど「歌謡曲」なんですよね。アメリカでヒットして世界で売れた、というニュースを期待して聴くと、あっけにとられるくらい「歌謡曲」そのもののアレンジ。歌謡曲を聞き慣れた僕らからしたら、もうちょっとひねってもよかったんじゃない、って思うくらい。

 でも、そう思うのは、僕らが心のどこかで歌謡曲を本家の洋楽に対して引け目を感じているからでしょうね。日本の歌謡曲は、PINK MARTINIのリーダーであるトーマス・M・ローダーデールさんにとっては、まったく別の音楽だったんでしょう。どちらが優れているか、とかではなく。それは日本語に対してもそう。えっ、日本語で歌うの、と僕らは思うけれど、でも、僕らだって意味もわからず英語やフランス語、ブラジル語の歌を聴いてきたわけですから。そして、その歌謡曲を再発見して、スムースジャズというかイージリスニングのコンテキストに乗せたトーマスさんの才能は素晴らしいと思います。

 YouTubeで、2011年12月20日にポートランドで行われたコンサートの映像が公開されています。由紀さおりさんは、PPMのPuff, the magic dragonを日本語で歌っています。この映像は、いろいろなことを教えてくれます。

 
 この歌が、他ならぬPPMのPuff, the magic dragonだから、余計に分かりやすいですね。この曲は、アメリカ人なら、子供から大人まで誰でも口ずさめる国民的な歌なんですね。これまで、この曲はいろんなアレンジで演奏されてきましたが、この演奏のアレンジはやっぱり日本の歌謡曲のそれです。由紀さおりさんの歌も、そこがアメリカのポートランドであることをまったく意識していないかのような歌い方。たぶん、在米日本人を対象にしたコンサートではないと思いますし、ほとんどの人は日本語はわからないでしょう。NHKでもこの映像は流れていましたが、お客さんへのインタビューでも「日本語はわからないけど、とっても素敵だった」みたいなことをおっしゃってましたし、僕らが英語の歌を聴くように聴いているんでしょうね。

 なんとなくこの映像を見ていると、日本の音楽界が、ある憧れと敬意をもって洋楽を吸収してきた生真面目さを感じるんですね。リスペクトの心というか、この演奏を聴いたアメリカの人は、僕たちが愛している曲を日本人はこんな感じに解釈して、こんなふうに歌ってくれているんだ、と感じているような気がするんですね。

Puff, the magic dragon lived by the sea
And frolicked in the autumn mist in a land called honah lee,

 曲の最後で、由紀さおりさんが英語で歌います。そこで拍手が起るんですよね。この部分にすべてがあると思います。

 そして、洋楽を懸命に吸収してつくりあげた「夜明けのスキャット」や「ブルー・ライト・ヨコハマ」なんかの日本の歌謡曲が、まったく新しい音楽として、世界で聴かれている。それは、とても素敵なことだなあ、と思います。ほんと、素敵。

SAORI YUKI OFFICIAL WEB

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2011年4月15日 (金)

shinabonsさん

→ YouTube - shinabonsさんのチャンネル

 

 パソコンの画面の向こう側に、人がいる。

 だから、僕はインターネットが好き。

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2010年6月12日 (土)

東京はあまり雨が降らないですが「雨が降る日に」という歌について書きます。

 
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 東京は雨が降らないですが、あじさいは咲いています。昭和っぽい写真ですが、2010年の写真です。Willcom03で昨日の朝に撮影しました。こんな写真は、きっとiPhoneには撮れないですよね。偉いぞ、Willcom03。

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 オフコースに「雨の降る日に」という3分にも満たない短い歌があります。1975年に発表された「ワインの匂い」というアルバムに収録されています。アルバムA面の最初の曲です。レコード針を落とすと、まず雨の日に自動車が道路を走る音が流れ、そのあとに小さなピアノの前奏。オフコースにしては珍しい素直な和音が四分音符に添ってゆっくりと進行していきます。小田和正さんの作詞・作曲です。

赤いパラソルにはあなたが似合う

 そんな歌詞が出てきます。何気ない描写なんですが、妙に心に引っかかるんですよね。30年以上前の歌なのに、この時期になるといつも思い出します。

 あなたには赤いパラソルが似合う、ではなく、赤いパラソルにはあなたが似合う、なんですよね。ああ、赤いパラソルには、なんだよなあ。そんなふうに思うんです。いつも。要するに、この描写をする人の世界は転倒しているんですよね。普通は、こういう描写はしないはずなんです。

 どうしてこう表現するのかな、と考えると、きっと、この世界は自意識の世界なんでしょうね。私がいて、私の意識の中に世界があって、その中に、世界の一部として赤いパラソルがある。

 この曲はこういう言葉ではじまります。

人はみな誰でも流れる時の中で
いくつもの別れに涙する
だけどあなたはひとり

 私を中心とする自意識の世界の中では、たくさんの赤いパラソルがあり、いくつもの別れがあるけれど、そんな中で、唯一の例外として、たったひとりの交換不可能な「あなた」がいて、それは、安定した自意識の王国に侵犯してくるものであって、その自意識が揺れ、王国が壊れそうになる感覚を、小田さんは「愛」と名付けていたような気がします。

 小田さんの歌には「恋」という言葉はあまり出てこないんですよね。少なくとも、オフコース時代は。鈴木康博さんの歌とは対照的です。小田さんの「愛」は、没交渉的なものが多く、内省的。その自意識を中心に閉じられた世界が、この転倒を生んでいるんだろうな、と思います。

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 1977年に発表された「秋の気配」という歌があります。中期のオフコースを代表する曲ですから、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ガットギター、フォークギター、エレクトリックピアノ、ボリュームペダルを使ったエレキギター、ストリングス、エレキベース、ドラム、パーカッション、そして、コーラスが、それぞれ控えめなのに練り込まれ考え抜かれたフレーズが丁寧に重ねられていきます。ベースラインも美しくて、音楽的にもかなり高度。

 歌詞は、広角の世界から、徐々に焦点が絞られて、心的な世界へ至る情景の転換が、まるで映画を見ているような感覚があります。今で言えば、キリンジの「エイリアンズ」の感覚と似ていますね。最近、なぜか「エイリアンズ」をよく聴くのですが、ほんといい曲ですよねえ。公団、ボーイング、バイパス、僻地。私の世代からすると、ちょっとかっこ良すぎるけどね。

 すみません。少し話が脱線しました。「秋の気配」という歌の中に、こんな言葉がでてきます。

こんなことは今までなかった
僕があなたから離れていく

 つれない恋人に「嘘でもいいから微笑むふりをして」と願うわりには、あなたが離れていくのではなく、「僕があなたから離れていく」と描写するのですね。変ですよね。あなたが離れる、私は追う、ではなくて、さめていくあなたから目をそらして、港に視点を映して、自意識から見える世界を変えているんですね。それを、「僕があなたから離れていく」と表現しているのだと思います。

 この頃、オフコースファンは女性が多かったそうです。女子校の学生さんが、修学旅行のバスの中で「秋の気配」を合唱したという話も聞いたことがあります。きっと、当時の女子高生たちは、そんな男に憧れたのではなく、この歌が描く自意識の王国に自分の自意識を重ねたのだろう、と想像するのですが、どうでしょう。

 確か小田さんの著書にこの歌詞についての言及があったなと思いましたが、ウィキペディアの同曲の項目(参照)にありました。孫引きですが引用します。

“僕があなたから離れていく”って歌うと、まるでとてもやさしい人で、やむを得ず離れていくような…。“別々の生き方を見つけよう”とかって、よく映画の別れの場面であるじゃない? “いつの間にかすれ違った”、とか。でも、本当に好きだったら、別れないもんね。別れるのは“好き度”が低下したからなんだし、もっといい相手が出てきて “こっちのほうがいいなあ”と思ったからかもしれないんで。そういう傲慢な気持ちを横浜の風景の中に隠したのが、あの曲だったんだ。でも、書いたときは必死だったんだよ、言葉さがして。本当はそんなつもりなかったんだけど、あとで考えたらひどい男だな。
「たしかなこと」小田和正

 小田さんらしいですね。どこか建築的なんですよね。つまり、すべてを力学で見ると言うか。傲慢さは自意識の特徴でもあるし、あながち仮説は間違っていないのかもしれません。

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 この転倒した世界の構図は、今でいうところの「セカイ系」と同種のような気もするけれども、違うところは、「私ーあなた」を世界としていないところでしょうね。まあ、「セカイ系」という概念も定義が揺れているから、一概には言えませんが。

 小田さんの転倒した世界の構図は、つねに「私」なんですよね。小田さんは、きっと近代的自我の人なんだろうと思います。だから、「君のために翼になる 君を守り続ける」と宣言した後に「個人主義」や「相対性の彼方へ」というキーワードが出てくることは合点がいきます。

 小田さんは、早大の建築科大学院時代の修士論文に「建築との訣別」と題したそうです。これは教授に却下され「私的建築論」として受理されるのですが、きっと訣別するほどに「社会」という確実な手応えが、小田さんにはあったのでしょう。

 先ほど言及したキリンジの「エイリアンズ」の世界は、そのような確実な社会が感じられない気がします。あえて言えば、社会というものは「私ーあなた」つまり「エイリアンズ」という小さな世界に溶けています。その小さな世界が、目に見えない大きな社会に対峙するという感じです。

 キリンジの「Drifter」という歌から。

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように襲いかかろうとも
祈りをカラスが引き裂いて
流れ弾の雨が降り注ごうとも
この街の空の下 あなたがいるかぎり

僕はきっとシラフな奴でいたいんだ
子供の泣く声が踊り場に響く夜
冷蔵庫のドアを開いて
ボトルの水飲んで 誓いをたてるよ
欲望が渦を巻く海原さえ
ムーン・リヴァーを渡るようなステップで
踏み越えて行こう あなたと

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 「雨の降る日に」という歌について書きます、と書いたわりには、話が広がって、「自意識」についての考察めいたものになってしまいました。書いているうちに、なんとなくわかったことがありました。それを書いて、このエントリをひとまず終えたいと思います。

 「自意識」とは、キリンジの歌にあるように、きっと「シラフ」のことです。そのシラフの世界は、多くの人の「自意識」が重なって、つねに「酔った」状態として表れる、今ここで動いている社会というものに対しては転倒として表れるのだろうな、と思います。それを、かつて、思想家の吉本隆明さんは「自己幻想は共同幻想と逆立する」と呼んだりしました。

 だからどうなんだ、と言われれば、何もないけれど、私としては何かをつかんだような気もしています。前回のエントリ「「大衆の原像」をどこに置くか」とも関連しますが、もし、そのイメージの根拠を求めるならば、酔った状態である、アクティブな社会現象に求めるのではなく、「シラフ」の状態である「自意識」に求めたほうがいいのだろうな、ということ。

 そのためには、こちら側もさめていることが必要で、そこでは自身の「自意識」を見つめることにもつながっているのでしょう。そのことは個人的には大きな収穫ではありました。なんとなくまとまりのない文章になってしまいましたが、それを生で提示できるのもブログという個人がどうにでもできる自由なメディアのよさなんでしょうね。

 では、よい休日を。今日は、東京は一日晴れのようです。

 
  

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2010年5月17日 (月)

それでも私はジャズが好き

 ジャズピアニストのハンク・ジョーンズさんが亡くなりました。91歳でした。私は学生時代からエバンス、エバンス言っていたので、オールドスタイルの安定感があるプレイスタイルはもの足りなく思っていて、それほど聴き込んだわけでもありませんが、なんか最近、すごくよく思えてきたんですよね。いいんですよね。ジャズジャイアントですから。落ち着けるし、安心できるし。最近は、食わず嫌いがなくなってきたようです。

 好みにかかわらず、いいものはいい。そう思えるようになってきました。歳のせいかな。

 アドリブに続き、スイングジャーナルも休刊とのことです。なんか残念です。とは言え、最近は、どちらの雑誌も購入してなかったので、偉そうなことは言えませんが。ジャズとフュージョンみたいな区分けも無意味になってきたし、アドリブの扱っていた領域はスイングジャーナルで扱うのかな、と思っていたら、このニュース。63年の歴史に幕、とのこと。

 スイングジャーナルで検索してみると、Wikipediaに項目がないんですよね。それが、今のジャズが置かれている状況なんでしょうね。さみしいですけど。

 でもね、駅前で若い人がジャズを演奏しているのを見ることが多くなって来ているような気もするんですよね。私は、大学時代はモダンジャズ研究会で、ベースを弾いていたんですが、あんなに上手に弾けなかったものなあ。最近の若い人は上手いです。レパートリーも、Oleoをやると思ったら、Spainをやったり、いいものはなんでも吸収というところが今どきな感じ。ルパン三世のテーマなんかもやったりして、お客さんも結構楽しそうに聴いていたり。それに、お客さんも幅広いのがいいなあ、と思います。

 ジャズという音楽は、ほんとは聴く人を選ばないんですよね。ま、ボーカルものもあるけど、多くはインストルメンタルだから言語に縛られないし、やる曲は世界の誰もが一度は聴いたことがあるスタンダードナンバーだしね。

 そう言えば、私の大学時代の友人に、ジャズをやってる男がいて、今日、ライブがあったんですよね。私は、残念ながら行けなかったんですが、行きたかったなあ。フュージョンバンドでピアノを弾いてます。

 彼とは一緒にCMをつくったりもしました。いろいろ作ったけど、中でも、アウディのラジオCMは面白かったなあ。

 ピアノトリオのインプロビゼーション。ピアノ、ドラム、ベースを別々のチャンネルで録音して、それぞれの音を順に流すんですね。ピアノだけ、ドラムだけ、ベースだけ、そんな単体楽器の奏でる音は、わけのわからない音なんですが、それを合わせて流すと、ほら、見事な音楽に、というような企画です。様々な分野の最先端テクノロジーの融合で高次元の世界へ、みたいなメッセージ。結構長い間使ってもらえたんですよね。新作がつくれないのは商売的には残念でしたけど、制作者としてはちょっとうれしかったりもしました。

 あのときのプロデューサーは、もういないんですよね。ほんと、言葉ではいい表せないくらいお世話になりました。あっちで元気でやってるかなあ。

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2010年5月10日 (月)

「春一番コンサート」と音楽の未来

 

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 毎年、ゴールデンウィーク中の1日は「春一番コンサート」に出かけています。今年は、5月2日に出かけました。もとともは、コピーライターの先輩(参照)に誘われたことがきっかけでした。「春一番コンサート」は、今年で25回目。コンサートの概要は、Wikipediaがわかりやすかったので、冒頭の部分を引用します。通称「春一(はるいち)」は、こんなコンサートです。

春一番 (コンサート)(はるいちばん)は、1971年から、福岡風太阿部登らが中心になって、関西を中心としたミュージシャンを集めて、大阪の天王寺公園野外音楽堂で5月のゴールデンウィークに開催した大規模な野外コンサート。フォークソング、ロック、ジャズなど、ジャンルにこだわらないコンサートとして親しまれている。

1979 年まで続き、裏方スタッフが業界人となり、一時中断となったが、阪神淡路大震災の起きた1995年から再開し、現在に至っている。コンサートを続ける理由を福岡風太は「死んだからや、渡が。それだけや」と語っている。

春一番(コンサート) - Wikipedia

 ここに書かれている「渡」というのは、高田渡さんのこと。高田渡さんの演奏を生ではじめて見たのもこのコンサートでした。それまで、福岡風太さんは毎年「今年で春一やめる。」とおっしゃっていて、毎年、ゴールデンウィークが近づくたびに今年はあるのかな、と思っていたことを思い出します。

 高田渡さんと言えば、いつも春一では出番が早かったです。大御所なのに、すごく早いんです。春一は午前11時開場で、午後7時前に終わるのですが、いつも出番が12時前後でした。なぜかというと、出番が遅いと酔いつぶれてしまうから。演奏が終わると、高田渡さんはビールが入った紙コップを片手に、客席や芝生席をふらふら歩いておられました。すごく機嫌が良さそうな顔で、いろんな人に声をかけられながら、楽しく飲んでおられました。

 高田渡さんが亡くなってから、もう5年になるんですね。時が経つのは早いです。若い時から長老のような風貌でしたが、56歳だったんですよね。若いです。若すぎます。

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 「春一番コンサート」には、スポンサーはまったくついていないんですね。普通、野外ロックフェスとかは冠がつきますが、この春一には、そんな冠がありません。ゴールデンウィークと言えど日中は暑いです。ビールが売れるし、清涼飲料水も売れますよね。だから、飲料メーカーの協賛とかありそうですよね。でも、協賛も一切なし。地元のテレビ局、ラジオ局も協賛してません。

 あえて協賛なしでやっているのか。詳しいことはわかりませんが、見たことろでは、あえて、という肩肘張った雰囲気はないようです。風太さんに聞いたわけではありませんが、きっと「協賛に頼っていたら、協賛がなくなったら終わってしまうやん。それに、いろいろじゃまくさいこともあるしなあ。」みたいなことなんじゃないでしょうか。

 そのかわり、この春一には、関西のライブハウスのマスターたちが大集合します。東京や名古屋のライブハウスのマスターも芝生席にちらほら。

 「おお、久しぶりやね。元気にしてた?」

 そんな言葉を掛け合って、芝生席でお手製のおつまみをつまみながらビールや焼酎、バーボン、日本酒などを飲んでおられます。まわりには、ライブハウスの常連さんたち。

 だったら、きっと排他的な雰囲気なんじゃないの?

 そう思った人も多いでしょう。でも、そんなことはまったくなくて、家族連れの人、恋人同士、友達、ご夫婦も方もたくさんいますし、ひとりの人もたくさんいます。ここ数年は、関西ではゴールデンウィークの恒例イベントになってきましたので、あっさりと音楽を楽しんでいる普通のお客さんも増えたように思いますし、ある意味、メジャー系の野外ロックフェスやフォークフェスよりも自由な感じがあるかもしれません。

 それは、登場するアーチストによるものもあるかもしれません。天王寺野音時代からの、これぞ春一という方々はもちろん、若手ミュージシャンもたくさん出ますし、ブルースあり、フォークあり、カントリーあり、ロックあり、ジャズあり、お笑いあり、民謡あり、なんでもありのコンサートです。だから、特定のコアなファンだけが盛り上がるなんてこともありません。

 それに、ベテランが早めに出てきたり、演奏の順番も、わりと順不同。これがまたいいんですよね。

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 今回、よかったなあと思ったのは、「桜川唯丸一座」という河内音頭のグループ。ドラム、ベース、ギター、ブラス&ホーンという、ソウル風の編成での演奏で盛り上がりました。バックの「スターダスト河内」という若いダンスグループもパワフルでとってもよかったです。河内音頭は、こういう機会でもないとなかなか生で聴けないですよね。お祭りなんかでは聴けるかもしれませんが、そういう場ではなく、ブルースやフォーク、ロックと一緒のステージで演奏することはとても意味があることだと思います。

 若い人が、踊りながら盛り上がっていました。ほんと、それは素晴らしい光景でした。

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 写真を見ていただいたらわかると思うんですが(クリックで拡大)、ステージがとても簡素なんですね。写真は、遠藤ミチロウさん演奏の時のものですが、アンプも置きっぱなしで、ステージがある、遠藤さんが歌う、お客さんが聴く、ただそれだけ。でも、こういうコンサートを見たからこそ思うんですが、それ以外に何がいるんだとも思うんですよね。それでいいじゃないか、と。

 こういう簡素なステージだから、ステージチェンジがとても早いんです。多くのアーチストはギター1本、ピアノ1台の弾き語りですし、バンドであっても、アンプにつないで音出して、すぐに演奏。ドラムは2台あって、それをみんなで使います。日本を代表するスーパードラマーも、若手のドラマーも、同じドラムを使います。こういうところも、素敵だなあと思うんですね。多くのアーチストが演奏できるということは、若手にチャンスが回ってくるということでもあります。こういうことは、ほんと大事だと思うんです。

 お客さんも自由にうろうろ歩き回っています。私もうろうろ歩きました。お気に入りのアーチストが登場すると、客席を立って、前に繰り出す人も。だからといって、騒いでわやくちゃになるわけでもなく、大人の分別もきちんとあって、会場全体が音楽に対するリスペクトにあふれているというか。

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 そうでした。音楽の未来です。

 ここ最近、CDが売れなかったりするそうです。これは日本だけでなく世界的な傾向みたいで、相当な大物アーチストでも苦戦しているようです。これは、構造的な要因もありますし、ここ最近の不況のせいでもあります。

 レコードが生まれ、歌謡曲の時代からニューミュージックへ。そして、ジャンルがどんどん細分化されていって、ついにCDが売れない時代になってしまいました。これは、あらゆる消費についての傾向と同じ構造です。

 でも、今回、「春一番コンサート」を見て、そこに未来を見たような気がしたんですね。これまでは、どちらかというと、天王寺野音時代の「春一」や伝説のウッドストック的なノスタルジーだったのが正直なところだったんですが、今回は未来が見えました。きっと、時代が春一に追いついたのでしょう。

 春一に出ているアーチストたちの多くは、メジャーレーベルからCDは出していないけれど、小さなライブハウスでコアなファンに支えられています。そのひとつひとつの集合は、音楽の細分化そのものです。それは、コアであるけれど、コアであるがゆえにマスにはならない。あえてマスという言葉を使いましたが、音楽にもよりますが、ひとつの音楽が前提とするマスのサイズは、ライブという条件で縛れば、本当は5000人前後なのだろうと思います。

 細分化して、コアなファンに支えられること。きっとそれは、それぞれのアーチストの音楽活動におけるベースなのだろうと思います。でも、それだけでは閉じてしまうし、開くためには、やはり5000人規模のマスが必要になります。

 「春一番コンサート」は、そんな、それぞれのコアな音楽シーンを結びつけるマスになっているのだと思うんですね。しかも、もっともプリミティブな「ライブ」というかたちで、マスに提示している。ノンジャンルで5日間ぶっ通しで聴かせるシステムは、今、最も未来に近い音楽流通の姿を見せてくれている気がします。ブルースもロックもフォークもソウルもジャズも、垣根なくフラットにつなげてしまうノンジャンルであれば、マスになるんです。できるんです。

 このかたちは、福岡風太さんは嫌がるかもしれないけれど、ある意味でウェブ的なんですよね。音楽が広がる、という一点において、古典的であるけれど未来的な音楽流通の姿。点としてのブログやTwitterがあり、それをつなぐ、はてなブックマークのようなCGMサイトがある。そんなイメージ。

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 そう言えば、第一期の「春一番コンサート」が終わったのが1979年。あの80年代の消費の狂乱に春一はなかった。そして、1995年、春一復活。それは、これからの音楽流通が進む道を暗示しているようにさえ思えます。

 空白の15年に福岡風太さんは、様々なノウハウやアーチストとのつながりをたくさん蓄えて、今、「春一番コンサート」として、音楽を愛する人たちに示してくれている。それは、本当にありがたいことだと思います。このノウハウが若い人に引き継がれ、広がって、大阪だけでなく全国で「春一番コンサート」のようなノンジャンル音楽イベントができてくれればいいと思うんですよね。そういう動きは、今、確かにあるし、そこは本当に希望なんだと思います。

 それは、あえて言えば、既存のマーケティングからの決別でもあると思うんですね。既存のマーケティングが得意としていた、精密なターゲティングと囲い込みの否定とも言えます。

 閉じるのではなく、つなげる、開く。そこが、ほんと未来だと、そんなふうに思うんです。そして、これは音楽だけの話ではないような気も、私はしています。

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2010年4月28日 (水)

DAVIS-EVANS

 1958年、エバンスはマイルスのバンドに参加して、エバンスのドラッグ癖とかなんだかんだあってバンドを離れ、翌59年に『Kind of Blue』というアルバムをつくるためにマイルスに呼び戻される。そのアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されていて、そのクレジットは「DAVIS-EVANS」となっている。

 共作であるけれど、一般的にはエバンスが作ったと言われている。エバンス本人はライブでマイルスの曲と紹介したりしていて、真偽はわからない。ジャズもショービズの世界ではあるので、いろいろあるのだろうとは思う。もうエバンスもマイルスもこの世にいなくて、「Blue in Green」という、美しい曲はまだこの世にある。事実は、それだけ。

 なぜマイルスがエバンスを呼んだのか。それは、ハードバップ的な古典的なコード進行に基づくジャズから、モード的な旋法中心のジャズをやりたかったから。当時としては革新的だった、新しい音楽を奏でられるピアニストはエバンスしかいなかった。少なくとも、マイルスはそう思った。

 けれども、「Blue in Green」は典型的なモードジャズではない。DドリアンとE♭ドリアンを繰り返す「So What」のような楽曲ではなく、複雑なコード進行がある曲だ。所謂、モード的解釈というやつ。マイルスは、きっとこれがほしかったのだろうと思う。モードだけだと、いつかきっと飽きる。飽きずにいるためには、宗教になるしかない。事実、モードのもとになったものは、宗教音楽。そういう先見性がマイルスにはあったのだろうと思う。

 その後、エバンスとマイルスは二度と共演しなかった。

 マイルスは変わり続けた。民族音楽を取り入れ、エレクトリックに走り、ポピュラーミュージックに近づいた。エレクトリックになってからは、クール時代のアコースティックはやらなかった。それを望むファンはいただろうけれど、かつての自分の再演は、マイルスの美学に反した。生涯、変わり続けることを選んだ。

 一方のエバンスは、変わらなかった。例外は多いものの、ほぼ生涯を通してアコースティックのピアノトリオという形式にこだわり続けた、と言ってもいいと思う。演奏は、スタンダード曲中心で、既存のコード進行の上に、モード的な解釈を取り入れ、三者対等のインタープレイを、死の直前まで追求した。

 どちらの生き方が正しいわけでも賢いわけでもないし、それを必然という言葉で済ませようとも僕は思わない。そこには、変わり続けなければならない、あるいは、変わらなくていい、という意志があるはずだから。

 あらゆるその後の関係を拒絶する意志。それは、「DAVIS-EVANS」という関係によって作られた。その絶対的な関係には、意志が介在する余地がないように見えてしまうのは、なぜだろう。僕にはまだわからない。

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2010年2月 7日 (日)

Kind of Blue

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 マイルスのアルバムでは、「Kind of Blue」がいちばん好き。私の場合、つまり、素直にエバンスが好きということになるのかな。

 エバンスは、1958年にマイルスバンドに参加している。まだラファロ、モチアンとのトリオ結成の前だから、若いエバンスにとっては、はじめてつかんだ大舞台だった。ドラッグ問題でマイルスバンドを退団したレッド・ガーランドに代わるピアニストを探していたときに、ジョージ・ラッセルがエバンスを紹介したそうだ。

 「紹介したいピアニストがいるんだけど。」
 「そいつは白人か。」
 「そうだ。」
 「そいつは眼鏡をかけているか。」
 「そうだ。」

 そんなやりとりがあったらしい。つまり、マイルスはエバンスのピアノを聴いて、あらかじめ目をつけていたということ。当時、マイルスが白人のプレイヤーを加入させることはタブーだった。マイルスは黒人の誇りだったし、何よりもジャズは黒人の音楽だった。ライブでも野次られ、エバンスにとっては相当きつい状況だったようだ。

 当時のエバンスは、白人であることに音楽的なコンプレックスもあった。白人にはSwingできない。それがジャズを取り巻く空気だった。

 マイルスは、このとき「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」 という言葉を吐いている。マイルスが期待した、いいプレイ。それは、エバンス独特のハーモニのセンスだった。マイルスにとっては、黒人とか白人とかに関係なく、ラッセルが追求していた、コードからの開放という方向性にある音を出せる奴ということ。マイルスも、ラッセルと同じ方向を向いていた。

 けれども、すぐにマイルスはエバンスを解雇してしまう。理由は、エバンスには知らされなかった。コルトレーンに宛てた手紙によると、エバンスは自分が白人だからだ、と思っていたようだ。エバンスという人は、そんなところがある人。どうしようもなく空気を読めない人だった。音楽では、あれだけ繊細に空気を感じることができるのに、実生活では、生涯を通して破滅的だった。

 原因はドラッグ。極度のヘロイン中毒だった。

 当時、マイルスも、コルトレーンも、ドラッグに関してはシロではなかった。それでもエバンスを解雇せざるを得ないということは、エバンスの依存が相当なものであったことを物語っている。

 解雇から1年後の1959年、マイルスは「Kind of Blue」というアルバムの録音のために、エバンスを呼び戻す。どうしても従来のコードワークから開放された、エバンスのハーモ二センスが必要だったからだ。けれども、マイルスはエバンスをレギュラーメンバーにするつもりは、はじめからなかった。このアルバムの、モードジャズ的なコンセプトからはかなり異質な、ハードバップ的なブルース曲を1曲、レギュラーメンバーであるウィントン・ケリーに弾かせている。

 このアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されている。マイルスの作曲であるとクレジットされているが、批評家の間ではエバンス作だと言われている。聴いてみると、確かにエバンスらしい感覚がある。けれども、これは私見ではあるけれど、旋律がエバンスにしては完成されすぎているのではないかとも思う。エバンスがつくるメロディは、どれもどこかに破綻があるように思えるし、あの美しいメロディは、マイルスの感覚だと思う。作者が誰だとかに関係なく、50年以上、ジャズファンに愛され続けている今となっては、そんなことはどっちでもいいとも言えるけれど。

 マイルスにとって、エバンスはじめからレギュラーを想定していなかった。録音のためのメンバーだった。その後のライブ活動を考えると、それはかなりイレギュラーなこと。マイルスは、このアルバムで、エバンスと決別するつもりだったのではないか。それは、才能あふれる若きピアニストのためのことだったのか、それとも自身の芸術のためのことであったのかはわからないけれど。

 アルバム「Kind of Blue」には、同名の収録曲がない。日本語にすると、「なんとなく憂鬱」という感じになるらしい。アルバムの中には、かなり軽快な曲も含まれていて、かならずしもアルバム全体の雰囲気を示すものではない。それは、もしかすると、マイルス自身の気分を示しているのかもしれない。

 もしも、マイルスにそんな気分がなく、またエバンスをレギュラーメンバーとして迎えようと思ったとしたら、その後のエバンスのピアノトリオにおけるインタープレーもなかったのかもしれない。いや、それはない、とかつての私なら言ったかもしれないけれど、ドラッグのお金がほしくてたまらなかったエバンスにとって、大スターであるマイルスバンドのピアニストという地位は、2010年の極東の一ジャズファンが考えるよりも大きかったに違いない。

 その後、51歳で幕を閉じるまで、エバンスの人生すべてを賭けることになるピアノトリオという形式も、案外、彼自身が望みもしなかったマイルスとの決別、つまり、本人が意図することのない偶然というか、運命の気まぐれが選ばせたものかもしれないな、と「Blue in Green」を聴きながら思った。

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2010年1月 2日 (土)

マ、マ、マ、マカロニ

 元旦の政治関係のシンポジウム番組で建築家の安藤忠雄さんが「最近の若者は元気がない」と熱く語っていました。でも、安藤さんは「でも社会に元気がないのに、若者に元気だせと言ってもそれは無理な話。社会に元気がないのに若者だけ元気なのは、それはそれでおかしい。まずは社会が元気を取り戻さなければ。」とも語っていました。

 まあ、その通りでもあるとは思います。でも、若者とも言えず、かといって熟年でもない中途半端な年齢の私には、そんな若者たちが持っている新しい価値観というものは、元気とか、希望とか、そういったスーパーポジティブな価値観ではない新しいものが、若い人との会話の中に見え隠れしていて、もしかするとこれからの世の中はこういうフラットな感覚の中で進んでいくのかな、と思ったりします。そこは、ちょっと期待している部分もあるし、中途半端な世代としては、少しばかりの共感もあります。

 私は、いわゆるJ-POPを追っているわけではないけれど、私の世代だとニューミュージック世代で、私の好きなアーチストで言えばオフコースとか、そういう感じ。松田聖子さんもそうです。その世代の人たちは、恋愛の関係性の機微を歌っていたような気がします。

 次の世代では、君を守る僕の気持ちみたいな感じのものが増えてきます。関係性から個の意識へ、みたいな感じです。ミスチル以降は、特にそう。自我の世界を歌い上げる感じのものが増えてきました。私は、そんな傾向を個人的には新実存主義なんて呼んでいました。浜崎あゆみさんの歌が支持されるのは、若い人の実存の部分をとらえるからだと思います。

 そんな新実存主義の時代がずっと続いて、あっ、これは違うなと思ったのは、代表的なアーチストで言えば、Perfumeでした。つまり、作家で言えば中田ヤスタカさんの感性です。時代を覆う気分になっているかと言えばそうではないと思うし、現在でも、超ヒット曲は新実存主義的なものですが、でも、Perfumeの歌の歌詞には、そこから少しだけずれた新しい感覚があったんですよね。

 ここ最近で、好きだなあと思う曲のひとつに、Perfumeの「マカロニ」があります。シングルで言えば、「Baby cruising Love」のカップリングですが、このシングルは地味だけど、どちらの曲もとても素敵ですよね。ほんと、いい曲。

 「マカロニ」の中に、こんな歌詞が出てきます。

これくらいのかんじで いつまでもいたいよね
どれくらいの時間を 寄り添って過ごせるの?
これくらいのかんじで たぶんちょうどいいよね
わからないことだらけ でも安心できるの

 この「これくらいのかんじでたぶんちょうどいい」という感覚が新しいと思うんです。それは、今まであまりなかったし、今の若い人たちの気分にあっている感覚だなあ、と思う気もします。大切なのは、「君を抱いていいの?」とか「君のために今何ができるだろう」じゃなくて「ぐつぐつ溶けるスープ」の中の「マカロニ」だったりするところが、新しいなあと思うんですね。

 上昇志向でもなく、だからといって下降におびえるのでもなく、フラットに「ちょうどいい」をキープしていく感じが、もしかしたらこれからの価値観なんじゃないかな、と思います。Perfumeの3人の、あのいつまでたっても自然体な感じとあわさって、私は今の曲の中ではすごくお気に入りです。

 まあ、この感覚はまだまだ少数派のような気もしないではないですが、このあたりの感覚を大事にしながらいろんなことを考えていきたいなあと、年始に少し思ったりしています。ではでは。

 追記:

 この「マカロニ」のエンディングに、こんな歌詞があるんですね。

最後のときが いつかくるならば
それまでずっと キミを守りたい

 この「最後のとき」というのが恋の最後なのか、命の最後なのかはわかりませんが、少なくともこの「マカロニ」の「たぶんちょうどいいよね」という世界観は、この「最後のとき」を見据えているんですね。つまり、この曲は、私の世代からみると「老成した青春」の歌なんです。このあたりの感性を見逃すと、今の新しい感覚は、その上の世代からは否定しか導き出されないはずなんです。

 でも、その否定は浅いと思います。それをもしかするとニヒリズムと切り捨てられるかもしれませんが、私は、この「老成」の感覚はけっしてニヒリズムではないと思います。というか、ここから生まれる明るさこそが可能性なんだと私は思っています。

 シングルCDのカップリング曲(というか「マカロニ」がカップリング曲かもですが)の「Baby cruising Love」も、同じ感性があります。等身大の感性というか、その世代なりのちいさいけれどどうしようもない挫折が自然体で描かれていています。

簡単な事って 勘違いをしていたら
判断誤って 後ろを振り返るんだ
何だって いつも近道を探してきた
結局大切な宝物までなくした

 この後、歌詞はこう続きます。

ハッとして気が付いたら
引き返せないほどの距離が 
ただ前を見ることは 
怖くてしょうがないね

 こういう感覚は私にもありますが、こういうかたちで素直に表現することは、きっとできないんだろうと思うのです。そのあたりの感覚は、きわめて今なんだろうと思うんです。こういう感覚をこういうてらいのない言葉で表現できる感性は、正直を言えばすごく嫉妬するというか、うらやましいです。決して時代を動かすような派手な言葉ではないけれど、今を生きる個の深い部分に届く言葉ではあると思います。

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2009年11月24日 (火)

ルールとモード

 1950年代の音源を順を追って聴いていくと、ジャズの音楽理論が複雑化、高度化していく様が手に取るようにわかります。アドリブがより高度になり、スピードも上がっていきます。ハードバップの後期では、それこそ神業みたいな演奏を聴くことができます。

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 ジャズのアドリブは、感性におもむくままに自由に演奏しているように思えてしまいますが、そこにはきちんとしたルールがあります。そのルールの元になったのは、コード進行です。あるコードに対して、使える音はこれこれこうで、その音は、これこれこう展開できる、というような理論があり、その理論に基づいて、自分なりのアドリブをつくっていきます。

 ルールがあるから、ジャズは広がり発展していきました。ルールがあるということは、模倣できるということです。模倣できるからこそ、ジャズという音楽は広まり、より高度なルールの応用によって、ジャズは、これまで以上に多様で豊かな音楽になっていきました。

 ルール、つまり、音楽理論に基づいて演奏されるということは、基本的には、そのルールを深く詳しく知り、応用できることが重要になっていきます。高度で複雑なアドリブを演奏するためには、その元になっているコード進行を複雑にすることが必要になります。コード進行は分解され、より複雑で緻密なものになっていきます。

 ジャズを発展させたのはルールでした。

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 でも、高度化し複雑化するジャズという音楽は、未来永劫発展しつづけるのかというと、そうではありませんでした。これは、歴史を俯瞰する立場にいるから言えることなのかもしれませんが、何事にも限度というものがあるように思います。これ以上複雑にしても意味がないという領域があり、その領域にたどり着いたとき、アドリブはマンネリ化していきます。

 ルールをよく知り、そのルールを応用する技術を持つ者であれば、誰でもある程度のアドリブができてしまうという状況が生まれました。それでもアドリブにも個性はあるだろうし、その圧倒的な個性、つまり、属人的な感性を楽しむものとして古典芸能化していく道もあったのでしょうが、それでも、あるルールができて、それをみんながこぞって発展させていった、あの渦中の熱はもうそこにはなくなってしまいました。

 どれだけ新しい試みをしても、ルールに基づく限りは、すべてがクリシェになってしまう。その状況は、演奏家たちにとって地獄のような状況だっただろうと思います。

 ジャズの発展を止めたのもルールでした。

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 このどん詰まりの状況を打開したいと思う人たちがいました。マイルス・デイビスやビル・エバンス、ジョン・コルトレーンなどです。ギル・エバンス、ジョージ・ラッセルなどが先行して構築しつつあった音楽理論を手がかりに、新しいジャズをつくっていきます。モードジャズの誕生です。

 モードジャズを簡単に言うと、コード進行からの開放です。つまり、コード進行に基づいたルールに縛られて不自由になるのなら、コードをなくせばいいじゃないか、という考え方。コード進行をどうしようもなく想起させてしまうドレミファソラシという旋律(モード)ではなく、あえて不安定なレミファソラシドというモードを選び、そのモードの中でアドリブを展開するというものです。不安定であるがゆえに、コード進行に依存しないで済むんですね。

 ハードバップの後期、もうこれ以上はないと思えたアドリブは、モードジャズの誕生によって蘇りました。それどころか、ハードバップの流れにあるジャズマンたちのアドリブにも変化があったのです。所謂モード的解釈というやつです。ビル・エバンスは、モードジャズがもたらした自由に突き進んでいったコルトレーンとは違って、西洋音楽をベースとした和声理論のモード的解釈に生涯を費やしたと言ってもいいのではないかと思います。

 ルールによってジャズは発展しました。そして、そのルールの高度化により、ジャズは行き詰まりそうになりました。その行き詰まりを打開したのは、新しいルールではなく、モードという新しい発想でした。つまり、ルールが依拠しているモードから、まったく違うモードに軸足を移すというやり方だったのですね。

 ジャズの行き詰まりを打開したのは、新しいルールでもなく、ルールの書き換えでもなく、モードという考え方の転換でした。

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 私は、なんとなく、1960年代のモードジャズへの転換というのは、あらゆる分野において、結構重要なものを示唆しているのではないかな、と思うんですね。ルールがあるからこそ、ものごとは発展します。けれども、そのルールが、やがてそのものごとをがんじがらめにしてしまいます。

 そのとき、新しいルールをつくるのではなく、ルールを書き換えるのでもなく、そのルールが成り立っている場所そのものに考えを巡らせる。そんな、モードジャズのような発想が、今、いろんな行き詰まりに必要なことのように思います。

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 ちょっと蛇足ですが、私がビル・エバンスという音楽家が好きなのは、モードジャズの中心的な存在にもかかわらず、モードジャズという形式にさえこだわりがなかったところなんですね。コード進行主体のオーソドックスなジャズを、モード解釈によって新しくするというエバンスの仕事が私は好きです。

 エバンスは、あえて言えば、モードにさえこだわりがなく、複数のモードを生きていた音楽家のような気がします。彼は、マイルスやコルトレーンと違って、しなやかでもないし、不器用そのもののような人物ではありますが、その音楽は、新しいムーブメントをあえてつくらなかったという意味において、自由にあふれているような気がするのです。死ぬ間際に、酒とバラの日々をうれしそうに弾いていたエバンスが、私は好き。

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 ジャズをあまり聴いたことがない人には、わかりにくい文章になってしまったかもしれませんが、ルールの高度化がもたらしたハードバップの代表曲は、こんな感じです。これはこれでいいものですよね。昔は苦手でしたが、今聴くと、すごくいいです。

 モードジャズの代表曲は、あえてマイルスではなく、コルトレーンで。モードという発想がもたらした自由をこれほど表現しているミュージシャンは他にいないと思うから。

 最後に、ビル・エバンスの酒バラ。私は、後期のエバンスは、インタープレイという意味では、本当は後退していると思うところがあるのですが、そんな批評とは関係なしにいいです。題名どおり、この演奏は、エバンスの人生そのものだと思います。

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2009年11月19日 (木)

むちゃくちゃな音

 自分で楽器をやっている人なら、JOJOさんのこの言葉が痛いほどわかると思うんですよね。私も楽器をやっていたことがあるから、ほんといやになるくらいわかります。ああ、ぼくには無理です、みたいなわかり方なのが、しょんぼりなんですけどね。

もう一度言うが、チューニングしないと、むちゃくちゃな音は出ないのだ。
音楽から遠ざかろうとすると音楽的になってしまうので、むしろ音楽のコアに近づくことによって非音楽的になろうとするのである。
JOJO広重 BLOG:ノイズギターのこと

 ジャズなんかでも、形式から自由になりたいと頭で思っていても、それだけではなかなか自由にはなれなくて、自由に弾けなんて言われると、どうしようもなくある種の凡庸なパターンの繰り返しに陥ってしまって、メソッドにがんじがらめになって弾いているときよりもつまらない演奏になってしまうんですよね。フリージャズとかはまさに非音楽の運動だと思うし、その無意識のパターンとのたたかいだと思うし。

 この言葉、音楽という言葉を様々な言葉に置き換えるとさらによくわかると思います。広告とか、デザインとか。この続きを書こうと思ったけれど、なんとなく凡庸になりそうなので、とりあえずもう少しいろいろ考えてみることにします。

 では、今日も一日がんばりましょう。東京はちょっと曇りがちです。

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