高円寺にあった大きな病院のこと 2
ある日、いつもどおり夕方に当直に入ると、会議室で、医師や、看護士さん、医療スタッフ、医療事務のスタッフが集まって長い会議をやっていました。終わったのは、夜の9時頃。会議室から出て来た女性の看護士が目を真っ赤にして出てきました。若い男性スタッフは、憤っているようでした。
「患者さんに、どう説明するんだよ。だいたい、勝手すぎるんだよ。」
その出来事からしばらくして、年配の医療事務長さんが、この病院が閉鎖されることを教えてくれました。不動産投資の失敗が原因だったそうです。そして、入院患者さんや来院の方にはまだ言っては駄目だからね、と言われました。実際、近所の人たちが、入院患者さんが、噂を聞きつけて、いちばん口が軽そうな当直のバイトに尋ねてくるケースも多く、いいえ、そんな話は聞いてないですね、と話さなければならないことが辛かったことを覚えています。
転院できる患者さんは、次から次へと転院していきました。看護士さんや、医療スタッフさんも、次の就職先ができた人から順番に辞めていきました。医療事務も、基本的には決まった人から次の病院に移りなさい、という医療事務長さんの方針があったので、極端な人手不足に陥りました。事務長さんは、九州出身の女性で、非常に強い正義感を持っている人でした。自分のことはほったらかしで、若い人から順番に再就職先を探しまわっておられるようでした。
そんな中、ある若い女性事務員さんが涙を流しながら、事務長さんに言いました。
「私、最後までこの病院で働きたいです。最後までついていきたいんです。」
事務長さんは、「甘ったれたこと言ってるんじゃない、そんなのただの感傷でしょ。それともあなた、この状態をあなたが全部解決できるって言うの?」とその若い事務員さんをしかり飛ばしました。言い方がきつかったので、その人は下を向いたまま黙ってしまいました。不器用な人だったんですよね。自ら悪役を買っておられるようでした。
あの事務長さん、偉かったなあと思います。若い人から順番に再就職をさせて、残った人たちは年配の人ばかりでした。責任の大きい順番に責任をとっていく、という考え方なんでしょうね。簡単なようで、なかなかできることではないと思います。社会に出て、いろいろ現実を見ると、逆なケースばかり目につきますものね。
事務長さんと残った人たちは、連日連夜残業でした。外来患者さんにはまだ病院の閉鎖が告知されていなかったし、その後、入院施設のない医院として再出発することが決まっていたので、外来の患者さんは減らなかったんですね。近所の人たちには、病院を建て替えるらしいと伝わっていたようでした。
「高円寺にあった大きな病院のこと 3」に続きます。
※土曜日・日曜日を中心に更新していきます。
高円寺にあった大きな病院のこと 1
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