私は広告会社のクリエイティブ局に勤めています。いわゆる制作職ですね。テレビCMとか、ラジオCMとか、新聞広告とか、雑誌広告とか、ウェブ広告とか、ポスターとか、パンフとか、チラシとか、いろいろ作っています。広告コンテンツっていうやつです。
クリエイティブとは言いますが、実際には、制作職というのは、地道な作業の連続だったりします。とはいいつつも、広告会社にとってクリエイティブは表向きのわかりやすい看板だったりするので、組織の中では、けっこうやり玉にあげられやすい職種だったりもするんですよね。
「業績がふるわないのはクリエイティブが駄目だから。」
そんな話になりがちです。でもって、全社あげてのクリエイティブ強化運動がはじまります。元気があるのは、クリエイティブ以外の人たち。自分のことを棚に置いて、どうクリエイティブを強化していくのか、様々な意見が出てきます。
かの海外有名クリエイティブエージェンシーでは、広告制作に入る前に得意先の経営者と納得いくまで話す、とか、これからは当社としての水準に達していない広告は出さないでおこう、みたいな意見がたくさん。熱病ですね。みんなうれしそう。顔が上気しています。
で、クリエイティブ以外の人たちがうれしそうに話す海外の事例。社長と納得するまで話す、とか、自社の水準を超えるものしか出さない、とか、みんな、そんなクリエイティブ以外の人たちのクリエイティブ床屋談義に嫌気がさして大きな広告会社から出て行ったクリエイティブの人たちの話。そんなクリエイティブ談義には、前提からして自己矛盾があるんですよ。
なんだろ、このねじれ現象。この不愉快なクリエイティブ床屋談義。
熱病だから、1ヶ月くらいで終わります。なかったことになります。そんな不真面目な論議だから、真面目に受け取ると不愉快になるだけ。そんなもんだから、そういうクリエイティブ談義をしている人の話を上の空で聞いていたら、そんな顔するなよぉ、なんて言われてしまいました。こんな顔しているだけましだと思ってくれないと。しまいにゃ怒るよ。
何でも持続と継続なんですよ。10年でも20年でも、同じテーマで、1日も休まず考え続けることが、真剣に考えるということなんです。すぐに飽きてしまう熱病のような論議を、私は考えるとは思いたくありません。真剣に考えれば、状況の厳しさも正確に見えてくるし、甘ちょろい夢語っている暇があったら、やるべきことがたくさんあることも見えてくるはず。
社内の政治抗争に巻き込まれ、ほされているときに、自分を大切に思ってくれているお得意先のちいさな仕事でとれるだけ広告賞をとった時期がありました。それはもう、小さな賞から大きな賞まで貪欲に。でも、社内の評価はほとんど何もなかったです。で、わかったことがありました。要するに、熱病のようなクリエイティブ床屋談義は、社内政治的な意図が隠されているんですよね。動機が不純なんですね。でも、話している本人は、そんな政治的意図は自覚しないから、これまたたちが悪いんですが。
あと、こういう政治的なクリエイティブ談義に巻き込まれないようにするテクニックはあるにはあります。長髪にしたり、髪を染めたり、髭をはやしたり、服装を派手にしたり、そんなことをすればいいんです。私も、けっこう追いつめられて、髪をのばして、後ろでしばったり、そんなことをしました。それで雑音はかなり減ります。でも、あほらしいんです。それも、ねじれた保身だったりするので。政治抗争が終わったとき、ばっさりとやめてしまいました。
世の中には、今の状況を、ぜったいに自分のせいだとは思わない人がいて、もし、これを読んでくれている若いあなたが、なんでも自分の中に原因を見いだしてしまう人ならば、先輩として、そんな、ぜったいに自分のせいだとは思わない人たちの言うことは聞かなくていいとだけ言っておきます。そのぶん、あなたと同じように、今の状況を自分のせいだと思って、知らず知らずに自分を追いつめてしまう他の分野の人の言うことを、耳をすまして聞くようにすればいい。腹を割って話すようにすればいい。
そういう人たちがいる限り、まだまだ、あなたはその会社にいる意味があると思うし、その人たちの、自分に向けた、愚痴や嘆きの中にこそ、今の状況を突破するための答えがあるのだから。