カテゴリー「都市」の18件の記事

2015年9月 7日 (月)

「ラジオってどうやって聴くんですか?」

 嘘みたいな話ではあるけれど、人気アイドルがラジオ番組をはじめるというようなニュースが出たときなんかに、ラジオ局や家電量販店で若い人から「ラジオってどうやって聴くんですか?」という質問が寄せられるらしい。また、若い人に「ラジオって聴いてる?」と質問すると「聴いてる、聴いてる」と答えるので「ラジオで?それともradikoで?」と尋ねると「うんん、YouTubeで」。まあ、どちらの話も笑い話ではあるけれど、あながち嘘ではないんだろうなあ、とも思ったりします。

 これは前に書きましたが、現在のラジオの聴取率は関東広域圏で6%前後。曜日や時間帯によって変わりますが、大雑把に言えば、100人いれば6人くらいラジオを聴いている計算になります。ちなみに、ラジオの聴取率調査が始まった2002年の聴取率は関東広域圏で8.3%でした。現状をどう評価するかは、数字の読み方を知る知らないによって違うでしょうし、立場によっても異なるのだろうと思います。

 よくラジオの聴取率はradikoらじる★らじるを含まないよね、という話がでるんですが、それは間違い。受信機に機械を取付けるテレビと違って、ラジオは個人に質問する形式なので、家で聴いても、お店で聴いても、歩きながら小型ラジオで聴いても、radikoで聴いてもラジオを聴いたことになります。なので、radikoやらじる★らじるができてラジオ復活、みたいな話は、まあ、かなり盛った話で実際とは違います。それは、あえて言えば、これからの話。個人的には大いに期待はしていますが、今のメディア環境の中でのラジオメディアの地位低下は、複層的な問題がからみあっていますから、これはいろいろ時間がかかりそうな気がしています。

 現象として言えば、聴取率が3%から4%下がると、冒頭のような「ラジオってどうやって聴くんですか?」というようなことが起きる、ということなんですね。こういうことが起きるということは、かつてラジオを聴いていたのに今は聴かなくなってしまった人の中にも、潜在的にあるインサイトだということで、「ラジオってどうやって聴くんですか?」という質問に答えることは、それなりに意味があることだと思います。

 では、どう答えるか。考えてみると、これはほんといろいろあるんです。多種多様。しかも、どの聴き方も一長一短。それは、ラジオのメディアとしての短所であると同時に、後述しますが、ラジオメディアが放送メディアとして、テレビと比較してもかなり先を行った先進メディアであることの証拠でもあります。そして、メディアとして見た場合に、それこそがラジオメディアの面白さでもあると思ったりします。個人メディアであるブログの特性を活かして、自分のわかる範囲で、かつ、かなり独断と偏見を交えながら、いろんなラジオの聴き方を書いてみたいと思います。

 ●    ●

 ラジオで聴く。

 これは定番中の定番で、今年、日本でラジオ放送がはじまって90年ですが、これまでもずっと行われてきたラジオの聴き方です。

 しかしながら、今、この聴き方が、とりわけ都心部においてかなりきつい聴き方になってきています。いわゆる難聴取問題です。特にAMに顕著で、コンクリートのビル内ではちゃんと聴けないこともかなり多く、その一方で、手頃な値段で買える、いわゆる安いラジオ受信機の電波受信性能は下がってきている傾向にありますので、ラジオを買ったはいいけど、こんなんじゃまともに聴けないじゃないか、ということが十分あり得ます。

 じつは、ラジオ各局は、この電波受信をめぐる環境の悪化に苦しめられてきました。以前ならうまく聴けたラジオが今、うまく聴けなくなってきている。そのことは、経営的な観点からも、防災的な観点からも、かなり問題でした。

 そこで、以前はラジオもテレビと同様に地デジ化しようという動きがありました。デジタル化によって、難聴取はある程度解消はされますが、今度は別の問題が出てきます。テレビと同じで、地デジ化で今までのラジオではラジオが聴けなくなってしまうんですね。それはあまりにもリスクがあり過ぎる、ということで、この動きはなくなりました。その代替として、今、進められているのがAM放送のFM波での同時放送です。FM補完放送と呼ばれ、地デジ化で空いた1chから3chの周波数を使います。AMはこれまで通りです。首都圏、関西圏などは、この秋以降となりますが、鹿児島の南日本放送を皮切りに、続々とスタートしています。

 どんなラジオでラジオを聴くか、ということを考える際には、このFM補完放送を考慮に入れなければ損をしてしまいます。旧テレビ地上波アナログの1chから3chの音声が聴ける古いタイプのラジオなら、このFM補完放送は聴けますが、テレビの地デジ化以降に生産され、かつ、FM補完放送対応のラジオが出るまでの期間に生産された多くのラジオでは残念ながらFM補完放送は聴くことができません。また、このタイプのラジオは今も数多く流通しています。また、海外製の高級機も、まだ未対応のものが多いです。購入の際は、FMの受信周波数が76MHz〜108MHzになっているかどうかの確認をおすすめします。

 そのあたりを考慮しながら、どんなラジオを選べばよいかを考えてみます。僕は、今のラジオ電波受信環境を考えると、ラジオは多少値が張っても基本性能が高いもののほうがよいと考えています。音質にこだわる、インテリア性を求める、など様々なニーズはあるかと思いますが、ここでは個別ニーズは考えないこととします。また、震災でラジオの重要性がクローズアップされ、できればラジオは備えておきたいという防災的観点も、せっかくラジオを買うのですから考えてみたいと思います。いつも聴く用に1台、防災用に1台というのが理想ではありますが、ちょっともったいないですし。

 基本性能が高い。持ち運べる。いざというとき電池で動く。この3点を考えておすすめは、これ。

 少々デザインが古いですが、AM、FMともに受信性能がかなり高く、スピーカーも大きく音質もいい。いわゆる普及帯価格の中ではかなりおすすめ。もっと受信性能が高い高級機はありますが、普通に使う分には、これ以上はないのではないでしょうか。もちろん、ワイドFM(FM補完放送)対応。電池でも動きます。えっ、今どきステレオではないの、と思う方もいるかもしれませんが、屋外FMアンテナを設置しないでラジオのロッドアンテナを立てて聴く場合、より雑音のない音で受信できるモノラルのほうが、日常使いではよい選択かと思います。

 でも、デザインが好きではないとか、もっと大きいもの、あるいは小さいものがいいと思う方は、実売5000円から10000円くらいのソニー、またはパナソニック(どちらもラジオ作りに熱心)のものであれば、あまり問題は出ないように思います。

 防災用には、こちらがおすすめ。

 Amazon.co.jpでもラジオでベストセラー1位になっていますね。これがいいところは、同種の防災ラジオと比較しての受信性能の高さ。ラジオは多少値段が高くても、受信性能。これはラジオ選びの鉄則です。ただし、現在のところ注意が必要なのは、現行機はワイドFM対応ではないということ。つまり、これでFM補完放送は聴けません。ちなみに、この機種は手回し発電でスマートフォンを充電できます。こういう気配りは、さすがソニーだと思います。

 ●    ●

 ケーブルテレビで聴く。

 うちはケーブルテレビではないから、どうでもいいや、と思った方もぜひ読んでみてください。ラジオのデジタル化というかつての動きの中で、実現すれば、かなり面白いことになったのではないか、と個人的に思っているのが、このテレビで聴くというラジオの聴き方です。古い地デジ対応テレビのリモコンに、Dラジオというボタンがあるのは、その頃の名残。Dラジオ、つまりデジタルラジオのことです。このテレビでラジオを聴くという方法、インターフェイス的にはまだまだ課題はあるものの、首都圏、関西圏、福岡圏のJ:COMで実現しています。

 利用方法は、リモコンでJ:COMテレビを選曲し、dボタン(データ放送)を押し、そこからラジオ局を選択。少しめんどくさいですが、テレビに飽きたらラジオ、という選択肢ができることは、今後のラジオメディアを考える際に、とても重要だと僕は考えています。仕組みとしては、FM補完放送やradikoと同様、同時再送信です。

 参加局は、首都圏はTBSラジオ、ニッポン放送、文化放送、関西圏は毎日放送、福岡圏はRKB、KBC。いろいろ課題はあるかと思いますが、こういう流れができたことはラジオメディアにとっては未来に向けての大きな一歩だと思っています。ラジオ、ケーブルテレビともに他局も追随してほしいです。

 また、あまり知られていないのは、FM局に関しては、多くのケーブルテレビ局は同時再送信を行っています。残念ながらSTBからテレビ受信機への出力はできないのですが、アンテナ端子(ケーブルテレビ出力端子)とシステムコンポなどのFMチューナーを同軸ケーブルで接続することで、通常のFMアンテナ端子とつなぐ場合と同じように高音質出力ができます。屋外にFMアンテナがなくてもクリアな音質でFMの音楽放送が聴けるのは、かなりのメリットではないでしょうか。

 ※上記AMラジオの同時再送信に関しては、デジタルテレビの難聴取対象地区の集合住宅でアンテナではなくJ:COMのケーブルテレビ回線でテレビを受信している該当地区の世帯であれば、J:COMと有料チャンネルの契約しなくても利用できます。FM放送に関しても同様で、こちらは周波数変換パススルーという技術だそうで、これまでの屋外FMアンテナと同じように同軸ケーブルで接続するだけでクリアな音声で受信できます。配信されている放送局であれば、これまで距離が遠いなどの理由で雑音が入っていた放送局もクリアな音質で受信できるので、FMアンテナからの移行にもメリットはあります。(2015年9月9日追記)

 ●    ●

 radiko(民放ラジオ)とらじる★らじる(NHKラジオ)で聴く。

 ネットの常時接続環境が安定していれば、IPラジオ同時再送信という方法は、もともと難聴取問題の解消のためにできたものですので、都心部に難聴取環境が多い現在、もっともラジオを安定して聴くことができる方法です。スマートフォンでは、各サービスともアプリをダウンロード。PCではサイトにアクセスすることで簡単に聴取できます。

 物理的な制限がある電波ではなく、ウェブを利用したデータ通信を利用していますので、原理的にはどこにいてもネット環境であれば受信可能ですが、民間放送ラジオ局が参加しているradikoの場合は、放送免許における放送エリアに近づけるために、受信側のIPアドレスで都道府県を判定しエリアを決定しています。大阪にいれば大阪府と判定されます。放送免許による放送エリアにしたがって受信可能ラジオ局をリストアップしているので、大阪府でエリアによっては電波の受信が可能で普通に聴くことができるKBS京都や京都のα—STATION、和歌山放送などはリストには出てきません。地域によっては、地元局1局、放送大学、短波のため放送エリアが全国であるラジオ日経の3局4チャンネル、もしくは地元局がradiko不参加の場合は、地元局がなく放送大学とラジオ日経の2局3チャンネルしか選択できないこともあります。一方、東京の場合は、12局13チャンネル、大阪の場合は、10局11チャンネルの選択肢があります。

 ※後に調べると違っているようです。例えば、放送免許ではラジオ関西は兵庫県県域、アール・エフ・ラジオ日本は神奈川県県域ですが(参照)、大阪府、東京都でリストアップされます。また放送サービスエリアで厳密に区切られているようでもなさそうです。各局の方針や調整などもあるのかもしれません。(2015年9月9日追記)

 上記の理由により、一言でradikoと言っても、地域で温度差があることは否定できません。この情報の地域格差は、広告モデルの限界といっていいだろうと思います。一人あたりの放送局数は、自分の住む地域の広告市場の大きさに比例してしまいます。一方、広告市場に依存しない公共放送であるNHKが聴取できるらじる★らじるは、全国どこにいても仙台、東京、名古屋、大阪の放送局を選ぶことができます。

 また、radikoのIPアドレスを利用した地域判定はWiMAXなどのWiFiを使った移動通信系ウェブ接続サービスではうまく機能しません。接続した際に任意で選ばれる基地局で地域が判定されてしまい、東京都にいても大阪府や山口県で判定されてしまったりすることがよくあります。これは技術的には回避不可能とのことで、希望の地域判定が出るまで根気よく接続し直す以外手がありません。地域判定のあるradikoの大きな弱点のひとつとなっています。

 大きな利便がありつつも弱点もあるradikoですが、昨年4月から画期的なサービスが始まっています。月額税別350円がかかりますが、エリアフリーで全国のラジオ放送局が聴けるradikoプレミアムです。全国どこにいてもプレミアム参加局が聴取可能で、2015年9月現在、75局76チャンネルが選択可能です。このサービスが画期的なところは、地域における情報格差の拡大という広告モデル固有の問題について、有料サービスではあるけれど、ひとつの解決に向かう道を示せたということです。これは、BSやCSなどの多チャンネル化が進んだテレビもまだできていないことです。テレビが進んだ方向は、コンテンツのニッチ化により課金モデルとさらなる広告市場の拡大という道でした。これは、放送メディアにおけるラジオメディアの先進性としてもっと誇ってよい、と僕は思っています。

 個人的な意見として聞いていただきたいのですが、もしあなたがラジオをあまり聴いたことがなく、これからラジオを聴いてみたいと思っているならば、初月無料ということもありますので、一度、radikoプレミアムに加入してみてはどうかと思っています。何でもそうだと思いますが、ラジオが好きになるかどうかは、面白いラジオ番組を聴くかどうかで決まります。キー局、準キー局はもちろん、地方にも人気番組はたくさんあります。地域メディアとして育ち、これからも地域を支えていくラジオには、まだまだ知らない楽しさが詰まっています。

 ●    ●

 コミュティFMのIPラジオ同時再送信で聴く。

 コミュニティFMは、県域放送より狭い市町村を放送対象エリアとするFM放送です。当然、放送エリアでしか電波受信はできませんが、ウェブではradikoやらじる★らじる同様、PC、スマートフォンでIPラジオ同時再送信を聴くことができます。CSRA(コミュニティ・サイマルラジオ・アライアンス)のウェブサイトにあるSTATION LISTから地域を選び、聴きたい放送局のオレンジ色の[放送局を聞く]ボタンをクリックすれば再生がはじまります。

 ただ、この公式のサイトはサイト設計が少し古く複雑で使いにくいかもしれません。その場合はサイマルラジオというウェブサイトの方がシンプルで便利。たぶん、こちらもCSRAが制作しているサイトだと思うのですが詳細はわかりません。各局のウェブサイトからのリンクはこちらになっていることも多いようです。使ってみたところ、これまで不具合はありませんでした。

 Windowsでは問題なく使用できるのですが、MacではWindows Mediaメタファイル(拡張子は.asx)を開くためのソフトウェアをインストールする必要があります。代表的なものはVLC media playerで、無料で使用できます。(2015年9月11日追記)

 ●    ●

 radikoとらじる★らじる、コミュニティFMなどのIPラジオをどう聴くか。

 もちろん、PCやスマーフォンにイヤホンを挿して聴くのは王道です。ここでは、それ以外の方法を書きたいと思います。具体的には、自宅の居間や個室、ベッドルームなどでテレビを観るように、くつろぎながらラジオを聴く方法です。

 最も簡単なのは、アンプ内蔵のスピーカーにPCやスマーフォンを接続して聴く方法です。僕はこの方法でラジオを聴くことが多いです。スピーカーはある程度音質のいいものを選んだほうがいいように思います。群を抜く音質でなくてもいいかと思いますが、長時間ゆったりと聴くとなるとそれなりの音質が求められます。これは、いろんなアンプ内蔵PCスピーカーで聴いてきた経験から、そう思います。

 小さなスピーカーは、低音が弱く、高音がシャリシャリしたものが多いようです。音楽を聴くためなら、くっきりと聴けることもあって、それでよいのですが、ラジオの場合は人のしゃべり声が主ですので、どちらかというと中低音がしっかりしたものを選ぶといいようです。あと、USB接続はノイズを拾いやすく、ブルートゥースはまだ不安定な気がしますので、電源付きの接続はイヤホン端子からのアナログ接続がいいように思います。でもまあ、これは好みの部分もありますね。

 BOSEは、低音が強くて音楽を聴くには好みが分かれそうですが、ラジオには相性はいいのではないかと思っています。僕は、この前モデルのCompanion IIを使用していますが、音量は小さな部屋なら十分過ぎるほどあります。僕は、もうひとつ大阪用に上記右のスピーカーを所有していますが、値段に差があるということもありますが、低音が弱く、高音が強く、はっきり明瞭な音なので、ラジオを長く聴くには聴き疲れするような気がしました。あと、やはりUSB給電はノイズを拾います。手軽に音楽を聴くにはとてもいいスピーカーなんですけどね。

 また、こういうタイプのオーディオシステムであれば生活とラジオが溶け込みそうな気もします。ちなみに、これはラジオチューナー付きでワイドFM(FM補完放送)対応です。ラジオとカセットテープがメインだった頃と違って、今はスマートフォンありきなので、こういうタイプのパーソナルオーディオに力を入れているみたいです。せっかく買うのであれば、音楽データだけでなく、radikoやらじる★らじるでラジオを聴くとより生活に活かせるようになるのではないでしょうか。

 ●    ●

 最後に電波でラジオを聴くか、IPでラジオを聴くか、という問題について。

 僕個人の意見としては、それはどっちでもいいと思っています。どっちで聴いたからといって、コンテンツの内容が変わるわけではありませんし。リスナーから見れば、ラジオはどう聴こうがラジオです。この話は、ラジオ界隈とウェブ界隈で起こった大きな出来事があって、これまで放送と通信の文脈で色がついて話されることが多かったけれど、時代がそういう文脈を追い越していったような気がしています。

 ただ、こういう時代になっても変わらないことは、電波、IP双方の特性です。電波は距離や地理的な影響は受けるけれど、受信に関しては無限。一方のIPは距離や地理的な影響は受けないけれど、受信に関しては有限。IPで震災などで一度に大勢の人がアクセスするとサーバがパンクする可能性が高いのです。つまり、防災には電波受信の従来のラジオが今も有効なんですね。実際に、radikoが開始されたとき、TBSラジオの人気深夜番組「伊集院光JUNK」が始まったと同時に、一時的にradikoがつながりにくくなってしまいました。

 これはラジオに興味がなくても、同じように言えることです。電源が使えない。電話やネットがつながらない。そういうときに、電池で長時間使えるラジオは貴重な情報源になります。もしものために電池で動くラジオは持っていたほうがいいし、radikoでラジオを聴いている人も持っていたほうがいいです。

 震災後、ラジオ界隈では、これでラジオの重要性が再認識された、これでラジオは上向きになる、と言われていました。実際、聴取率は一時上がったけれど、すぐに下りました。当たり前ですよね。人々の意識が変わって、ラジオが重要と思ってくれたわけでもなく、そのとき、単純にラジオには聴くものがあった、聴く必要があった、ということなんです。僕はそう思っています。

 防災にラジオが有効。万が一のとき、ラジオメディアは大きな役割を担う。これは本当。電池付きのラジオを持っていたほうがいい。これも本当。でも、だからこそ、ラジオを日頃からたくさんの人が聴いていて、万が一のときにたくさんの役割が果たせるためにも、豊かでないといけないと思っています。だから、電池付きのラジオは持ったほうがいいとは言うけれど、防災に必要で社会にラジオが必要だからラジオを聴け、とは言いません。

 言いたいのは、ラジオは面白いよ、ということ。聴く機会が減ってきたけど、聴いてみると、ラジオはまだまだ面白い。テレビではあまり面白くないなあと思っていたタレントさんがラジオだと味があるなあと思うこともあるし、テレビではかわいいだけのアイドルが、ラジオでは考え方が真面目だったり、少し影が感じられたりすることもあるし。映像がなくて、スタジオにマイクがあればできてしまうラジオでは、今もやっぱり、ものが自由に話せるように思うし。それになによりも、文書にするというフィルターを通さない生な言葉が聴けるメディアだし。

 ●    ●

 僕は単なるラジオリスナーですが、ひとつだけラジオと関わりがあることがあります。それは、NPO法人の放送批評懇談会のラジオ委員として活動していることです。月1回の合評とギャラクシー賞の審査で、相当な数のラジオ番組を聴いています。そういう意味では、比較的、全国くまなくさまざまなラジオ番組を聴いているので、radikoプレミアムもできたことですし、面白い番組はこれからも紹介していきたいと思っています。また、昔は当たり前だった番組の録音についても書きたいと思います。今は、相当敷居が高くなりました。

 放送批評懇談会から告知です。ひとつは、セミナー「ラジオの可能性を考える すべてを語る120分」が9月11(金)に東京の明治記念館であります。ラジオメディアであり、地域メディアでありながら好調なCBC南海放送の両代表が語る攻めの戦略。有料セミナーです。メディア関係者なら応用できることはたくさんあるのではないでしょうか。すでに申し込みの締切日は過ぎていますし、定員を超えているかどうかはわかりませんが、念のために告知します。興味のある方は問い合わせてみてください。定員を超えていたら、ごめんなさい。詳しくはこちらを。

http://www.houkon.jp/symposium/seminar2015.html

 もうひとつは、恒例のラジオ番組を聴く会<ギャラクシー賞入賞作品を聴いて、語り合う会Vol.20>です。今回は大阪でやります。要申込、参加無料です。日時は9月27日(日)で、梅田茶屋町のMBS毎日放送本社です。聴取作品はMBS「ネットワーク1・17」と琉球放送「いちゃりば結スペシャル」となります。こちらは、たぶんまだ席に余裕があると思います。この2つの番組は、この記事の後半に書いたことと関係する番組です。関西の方はぜひ参加してくださいませ。

http://www.houkon.jp/galaxy/news.html

 というわけで、良いラジオライフを。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月23日 (木)

感覚的に言えば、ラジオの人気番組の影響力は地上波テレビの不人気番組の影響力とほぼ同じである

 興味深い記事がネットに出ていた。当該記事はフジテレビの不調を揶揄するゴシップ記事ではあるけれど、別の見方をすれば今のラジオのメディアパワーを感覚的に把握する上で、非常に示唆的な記事として読むことができる。

 打開策が見えないまま夏休みシーズンに突入するフジテレビだが、苦戦の影響に『ミヤネ屋』だけでなく、ある番組の名前が上がっているという。

「それが、大竹まことさんの『ゴールデンラジオ!』(文化放送)です。毎週、平日の13時から15時半まで放送しています。放送時間がほとんど同じこの番組は、同時間帯の関東のラジオ局で一番聴取率がいいんです。テレビとラジオで簡単に比較はできませんが、少なからず影響があると上層部は判断しているようです」(番組スタッフ)

視聴率1.1%の『グッディ!』ライバルは『ミヤネ屋』ではなく『ゴールデンラジオ!』だった!? -  日刊サイゾー(2015.07.21)

 本文には「テレビとラジオで簡単に比較はできませんが」とあるが、じつはテレビの視聴率の母数はテレビを見ている世帯ではなく調査対象世帯全体であり、ラジオの聴取率の母数は調査エリアに在住の男女12~69才の個人総数であり、その誤差を捨象して考えれば、テレビの視聴率とラジオの聴取率は比較可能。むしろ、ラジオの母数が個人総数であることから、母数がより大きい分、同じ1%でも人数は多いとも考えられる。ただ、ラジオの場合は、年6回の聴取率調査の時期と合わせて各局がスペシャルウィークと称して特別企画を実施するので、ラジオの数字は実際は少し盛られているとは言える。また、テレビは世帯なので、1カウントでも複数人が観ている可能性も高い。なので、いろいろ総合的に判断して、ざっくりと考えれば、テレビの1%とラジオの1%はほぼ同じと考えていいと思う。

 日刊サイゾーの記事にあるフジテレビ『グッデイ!』の1.1%は、関東広域圏で聴取率首位のTBSラジオの聴取率とほぼ同じ。関東広域圏のラジオ全体が約6%で、その中でラジオの第2のプライムタイム(第1のプライムタイムは朝時間帯)である昼時間帯で最も聴取率がいい番組である文化放送『ゴールデンラジオ』は、軽くフジテレビ『グッデイ!』を超えていると考えられる。これは、別に時代の変化ではなく、一般的に朝や昼時間はテレビよりラジオの方が強い傾向にあって、この記事が煽るようなことでもない。

 ここから見えてくるのは、今、ラジオのメディアパワーは、感覚的に言えば、時間帯を含めてあまり見られていない地上波テレビの低視聴率番組くらいはあるということだ。もっとわかりやすく言えば、ラジオの聴取率1%は、関東広域圏で言えば単純計算でおおよそ36万人であり、ラジオの人気番組は、この1%、つまり36万人をベースに前後した数字と考えるのが妥当。この数字から、ながら聴取や飲食店やタクシーでの聴き流しを考慮して、熱心に聴取しているリスナーを3分の1とかなり低く見積もっても10万人であり、しかも放送メディアであるラジオは、この数字は瞬間の数字ではあるので、ウェブメディアを含めたあらゆるメディアの中で、ラジオ離れが叫ばれる現状においてもなお、このくらいの影響力を持つメディアである、ということは実感できると思う。

 メディアは、自分が接しているメディアが世界のすべてだと考えてしまいがちであり、その中での好き嫌いや希望的観測で未来を語りがちになる。メディアに限らず、現実は現実として理解しておくことは大切。ラジオにかぎらず、メディアを考える際には、こういう実際の力を感覚的に知っておくことは大切だと思う。

 ちなみに、このエントリでは関東広域圏のローカル番組をベースにしていて、全国ネット番組では影響力はさらに上がる。また、地域によってラジオの影響力は若干違う。例えば、聴取率調査を実施している関西圏や北海道圏では、関東広域圏より少しラジオの聴取率は高い。つまり、少しだけラジオ人気が高い。

 さらにラジオメディアを考える際に重要なのは、地域によって市場がまったく異なるという点だ。地上波テレビも同様ではあるが、その地域格差はテレビ以上であり、例を挙げると、東京都がAM、FMの民放ラジオ局が約10局に対して、広島県は2局と、聴取できる放送局の数にはかなりの開きがある。また、地理的条件による違いもある、関東近辺の地方だと東京キー局が聴こえるので地元局はかなり厳しい競争を強いられていたりするが、先に挙げた広島県のように地理的条件により巨大都市圏の影響を受けない地方では、民放がAM、FMそれぞれ1局しかリスナーに選択肢がないケースもあり、そういう地域では独占に近い市場の中で日々の放送が行われている。

 ここでは触れなかったコミュニティFMでも、J-WAVEなどの在京局番組の再送信の割合が多い局は、地域の選択可能なラジオ局の中でもそれなりの存在感を示していて、各地域の市場はもっと複雑になる。メディアとしてのラジオを語るとき、このような地域差があり、一言で「ラジオとは」と語れない難しさがあると思う。

 そういう地域差がある一方で、ラジオメディア全体を見ると、IPストリーミング技術を使ったradikoの有料版であるradikoプレミアムの登場で、月々350円で全国のほぼすべての地上波ラジオが全国どこでもリアルタイムで聴ける環境ができている。これは、テレビ放送がこういうメディア環境になっても実現できないことをラジオが一足先に実現してしまっているということであり、ここにじつは放送メディアとしてのラジオの先進性があったりもする。このあたりのことは、また別の機会に。

 ●    ●

 告知です。私も所属している放送批評懇談会のラジオ委員からイベントのお知らせがあります。ラジオ部門<ギャラクシー賞入賞作品を聴いて、語り合う会Vol.19>が、2015年7月26日(日)午後1時~午後5時、赤坂TBSセミナー室で行われます。今回は「花は咲けども~ある農村フォークグループの40年~」山形放送(大賞)と「風の男 BUZAEMON」南海放送(優秀賞)の2作品です。下記リンクのページにある申し込みの締め切りは過ぎていますが、事務局によると、申し込み多数で席数を増やしたのでまだ若干の余裕があるので申し込みは大丈夫とのことです。有料イベントですが、興味のある方はどうぞ。

 http://www.houkon.jp/galaxy/news.html

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年5月30日 (土)

大大阪と大阪都

 即時性が求められるブログ記事としては出遅れた感もあるし、あまり政治に詳しいわけでもないのでたいしたことは書けないだろうと思っていたのでtwitterでつぶやくだけにしていたけれど、時間が経つにつれ、こういう切り口でならまとまった考察としてブログに書いてもいいかなと思ったし、まわりを見渡すと、こういう切り口で論じているものはあまりないような気もしたので、遅まきながら書くことにした。

 率直に言うと、タイミングは逸したけれど、こういう考えがあるということをネットの片隅に記録しておくこともいいかもしれない、何かしらの意義があるのではないか、と思った。明快な意見では決してない。けれども、これまで大阪都構想について言及してきたことや考えてきたことの断片をつなげながら、順を追って、余談を含めて丁寧に記録することで、ひとつの考え方の輪郭を示せるのではないかと考えている。

 ●    ●

 僕が大阪都構想を考えるときの切り口はこう。まずはじめに「大阪都」という言葉はレトリックではないか。そのレトリックは、政令指定都市である大阪市が持つ特殊性に大きく関係しているのではないか、ということ。大阪市の特殊性とは何か。それは、関東大震災後の「大大阪時代」を原点とし、その後、大阪市民の中に残り続ける大大阪幻想を要因とする関係の特殊性のこと。つまり、大阪市の特殊性は、他の政令指定都市にもあてはまるとは言えず、このことが大阪都構想と先の住民投票の結果について語ることの困難さの、ひとつ原因となっていると思う。

 大大阪時代における大阪とは、実質的には大阪市のことだった。大大阪の礎を築いた偉人は二人挙げられる。池上四郎、そして、シティプランニングという英語を都市計画と翻訳し、日本ではじめてその語を使用したことで知られる關一。どちらも当時の大阪市長だ。府知事ではない。当時、大阪市は東京都東京市を上回る日本で最も人口の多い都市であり、世界でも6番目の大都市でもあった。当時の内務大臣から「都市計画の範を大阪に求める」と言わしめ、二人の大阪市長は、大阪城天守閣の再建。御堂筋、地下鉄御堂筋線の建設など、大大阪の発展に力を尽くした。その隆盛の名残りは、今も市内に多く残る美しい近代建築に見ることができる。

 大大阪を主導したのは大阪府庁ではなく大阪市役所だった。つまり、大大阪とは実質的には大阪市のことであり、大阪府のことではなかったという事実、そして、その事実から生まれるメンタリティが、大阪市の特殊性の起点となった。

 ●    ●

 僕は大阪市で生まれ育った。だから、大阪市以外の街、とりわけ大阪府下の他の市町村の人にとってみれば鼻持ちならない大大阪幻想、つまり、大阪とは大阪市のことであるという幻想が市民の体の中に染み付いてしまっていることが痛いほどわかる。余談として一例を示すと、大阪市民、とりわけ古くからの大阪市民にとって、大阪市立大学は他大学と比較できない特別な存在だった。国立の大阪大学に受かっても「あの子は京大には行かれへんかったんやね」と皮肉を言われてしまうけれど、大阪市立大学は素直に「あの子、偉いねえ」と言われる。そんな空気があった。

 それは、古くからの名古屋市民が、東大より名大のほうが値打ちがあるというのと似ているが、大阪市の場合、どちらも大阪という名を冠する大学で単に国立か市立かの差だけである。古くからの大阪市民は、大阪府立大学には強いイメージは持っていない。もちろん、言うまでもないが、この特別意識は、大阪市民以外では通用しない。

 それは、大阪市民の大阪市は特別という根深い意識を示すものだと思う。と同時に、大阪市大に対する特別な意識は、商業、都市開発、行政、法曹、医療などで、大阪市大卒業生たちが活躍しているという事実が担保していることも影響していると思う。例えば、町医者の先生には市大出身の方が多い。他の地方都市、例えば広島大学を出て広島県で活躍するというような構造が、大阪の場合は、市大を出て大阪市で活躍するという構造として、教育機関と社会人としての活躍の場の双方が市を単位にして成り立ってしまっている。

 ●    ●

 数年前、大阪に久しぶりに帰ってきたとき、大阪市に住む仕事の先輩と会ったときのこと。

 「東京はどうや。こっちはさっぱりやなあ。大阪はもうおまえが考えているような街とちゃうで。単なる地方都市や。」

 つまり、とりあえず今までは、大阪は単なる地方都市ではなかったという認識があったということであり、 僕自身もこの奇妙な自負心を共有している。と同時に、こういう自負心を持つ世代は私の世代が最後のような気もしている。原風景としては、東京制作、大阪制作を各日交互に放送していた全国放送のナイトショー、11PM。大阪よみうりテレビ制作の司会を務めていた藤本義一は、大阪都構想とも関わりが深い堺屋太一と並ぶ、大大阪の象徴的存在だった。

 ●   ●

 大阪市民には、大阪は単なる日本の地方都市でないという意識、つまり大大阪幻想がある。そして、大大阪における大阪とは大阪市のことである。これが、大阪市民が持つメンタリティの特殊性だ。名古屋市、神戸市、仙台市などの政令指定都市にも、先の住民投票における重要なテーマである二重行政の弊害はあるとは思うが、その強度においては、事実としても、その心情的な側面においても、大阪とは比較にならないだろうと思う。

 その意味では、大阪都構想が投げかけてきたものは、今後の日本の地方行政について応用しにくいものだとも言えて、そのことが大阪都構想や住民投票について語ることの難しさをつくっていると僕は考えているし、大阪市の住民投票やその結果についての意味を日本の地方行政の話しとして一般化したときに、大大阪幻想という地域独特の特殊性を捨象してしまうことになるだろうと思う。程度の差はあれ、あらゆる地方の話は構造的に同じだと思うが、大阪の住民投票は、まず第一には、大阪という地域の問題であり、その特殊性を考慮に入れて考えたときに、はじめて日本の地方行政の問題としての普遍的な意味を持つ。

 続いて、大阪におけるもうひとつの大きな自治体、大阪府についてはどうなのだろうかということを見ていきたいと思う。ここにも大阪独特の特殊性がある。経済、都市開発といった都市力に力を発揮してきた大阪市。その一方で、大阪府はどういう役割を果たしてきたのか。その視点で大阪で過ごしていた頃の記憶を交えながら考察してみたい。

 ●    ●

 大阪市役所と大阪府庁は、昔から「府市合わせ」と揶揄されてきたような二重行政を続けてきたのか。その答えは、たぶん否だろう。その理由は、大阪府市ともに革新系が首長だった時代に求めることができると思う。大阪府知事が黒田了一、大阪市長が大島靖の時代だ。

 大阪市長である大島靖は、なんば地下街や大阪駅前再開発、大阪市役所新庁舎を推し進めた。大阪市の伝統である都市開発路線。その時、大阪府知事である黒田了一は福祉と文化に力を入れた。つまり、大阪市は産業振興と都市開発、大阪府は福祉と文化という住み分けがあった。ここにも大阪の特殊性が見られる。地方行政を考えるとき、普通は逆だろうと思う。しかし、大阪はそこが逆転していた。大阪府の福祉、文化路線は、当時の記憶を辿っても、大阪市の都市開発同様に、かなり強度の高いものだったように思える。桂米朝、藤本義一、木津川計といった大阪を代表する文化人たちは、大阪市よりも大阪府に縁が深かった。

 余談になるが、大阪府の文化路線で個人的に記憶に残っているのは、大阪府立情報文化センターという存在だ。今はもうないが、小さいながらも、当時としては生涯学習の拠点という役割を超えた存在だった。伝統文化からサブカルチャーまで見据えるやわらかい発想と、大阪を拠点とする文化人たちとのつながり。文化は府の役割、というイメージは、こうした活動からも醸成されていったと思う。その業績の一部は、大阪のブレーンセンターが発行する「新なにわ塾叢書」で見ることができる。

 都市開発の大阪市、文化の大阪府。より広域の自治体が都市開発を担い、住民に寄り添った福祉、文化は小さな行政区が担うという普通の考え方からは逆転した大阪独特の地方行政の住み分けは、豊かな財源がある限りにおいては、独自の文化として上手く機能するし、事実として機能してきた。

 しかし、革新系自治体固有の問題点として、その活発な地方自治体の活動によって、大阪府、大阪市ともに大きな負債を次の世代に残すことになった。それは美濃部亮吉という革新知事を擁した東京都も同じではあったが、大阪の場合は、財政が悪化していったとき、これまで上手く機能していた特殊性が、負の特殊性として表に現れるようになったということが東京都の大きな違いだ。

 ●    ●

 大きな負債を抱え、少ない財源をやり繰りすることが行政の課題のひとつとして加わった。にもかかわらず、東京都のように、その負の遺産を払拭できなかったのか。大阪府と大阪市は、ひとつの大阪として効率的な自治体運営ができなかったのか。外的要因としては、東京一極集中と大阪の地位低下が原因だろうとは思う。でも、もうひとつの原因のとして確実に言えることは、やはり大阪の特殊性が生み出した二重行政であっただろうと思う。大阪共産党は、テレビの討論会で大阪に二重行政は存在しないと主張していたが、ひいき目に見てもやはり無理筋だろう。

 契機は、象徴的にはたぶん大阪府の泉佐野市沖に建設されることになった関西国際空港だと僕は考える。革新政権が終わりを迎え、新しい大阪の行政が動き出したときに生まれた国家レベルの大型開発とそれを契機とした周辺開発の機運。あの頃、僕は大阪の広告会社でなんばシティという大規模商業施設の広告をつくっていた。「関空効果。」というバーゲンの広告をつくって、ニュースに取り上げられたりした。なんばは大阪市のミナミに位置し、大阪市と和歌山市を結び、大阪府の南を縦断する南海電鉄の始発駅だ。その熱気は、大阪府の堺市以南の広域な地域の発展に直結するものだった。それは、大阪府主導の都市計画の重要性を象徴する出来事だったとも言える。

 財政悪化によって文化への支援を縮小せざるを得ない状況の一方で、将来の利益への投資として、大阪府と大阪市が大型開発を競い合うようになっていった。大阪の特殊性としての、府は文化、市は都市計画という住み分けは完全に壊れ、都市計画を担う大きな行政府が大阪に二つ存在することになった。記憶違いもあるかもしれないが、大阪府民、市民から「府市合わせ」と揶揄され始めたのはこの頃からだったと思う。

 ●    ●

 大大阪幻想と、その幻想が生み出した「府市合わせ」という二重行政の弊害。本来であれば、大きな行政区が主に都市計画を担い、より小さな行政区が福祉や文化を担うという地方行政における通常の役割分担を、大阪府、大阪市が担うようになれば、財政の問題はともかくとして二重行政の財政的無駄は解消されるはずだ。話し合えばいいじゃないか。簡単なことじゃないか。それで解決するじゃないか。少なくとも理屈では正しい。

 しかし、これだけの歴史的、文化的バックボーンを持ち、その強固な幻想に従って組織編成し、人材を育成してきた組織が、そう簡単に変われるものだろうか。普通に考えれば、なかなか難しいだろうというのが正直なところだと思う。こういう問題が、僕は大阪の根が深い特殊性だと考える。この特殊性を考えに入れない限り、なかなか先の住民投票の意味を捉えられないのではないかという気がする。シルバーデモクラシー、新自由主義という普遍的な文脈では語りきれないのが、大阪都構想であり、今回の大阪市民を対象に行われた法的拘束力を持つ住民投票だと思ってきた。素朴な理想論では語りきれない根の深さゆえに、歴代の大阪府知事や大阪市長が手をつけようとしなかった問題。それが、大阪の二つの大きな行政府の二重行政だと思う。

 先の住民投票で賛否を問われたのは、大阪市の解体と大阪府下特別区への再編成だった。これは当然ながら大阪維新の会が主導してきた「大阪都構想」の一環でもあった。だから、報道でも「これまで大阪維新の会が推し進めてきた大阪都構想の賛否を問う住民投票」とアナウンスされてきた。大阪都構想とは何なのか。その政治的な意味は、これまで賛成派、反対派ともに多く語ってきたし、僕がこれ以上語ってもあまり意味がないだろう。意味があるとすれば、当時の大阪府知事、現大阪市長である橋下徹が、作家の堺屋太一との共著で発表した『体制維新ーー大阪都』の頃にまで遡った時点では、相当な違和感を持って響く言葉だった「大阪都」という言葉を中心にて見たときに現れる大阪都構想の意味だろうと思う。

 ●    ●

 大阪都構想は、簡単に言ってしまえば、大阪府を東京都のような行政システムに変えるということだ。これまで僕が語ってきた文脈で言えば、意味合い的には大阪市と大阪府という二つの大規模自治体を統合し、大阪を再編成することだろう。それは先の住民投票で反対派から盛んに主張されていたように、この大阪都構想と「大阪都」は関係がない。今回の住民投票が象徴しているように、賛成多数で大阪市が解体され特別区に再編成されても、当面は大阪府下の特別区になるだけのことだ。少なくとも二重行政の弊害の解消という点で言えば「大阪都」はまったく関係しない。

 では、一体、この「大阪都」という言葉は何なのだろうか。

 大阪都構想において「大阪都」という言葉は、その構想の本質に関係しない、もしくは、法的な担保を持たないイメージの言葉だ。しかし、大阪の未来の姿を喚起させる。つまり「大阪都」という言葉は、まさしくレトリックだったのだと思う。そのレトリックは、大阪人が、とりわけ大阪市民が持ち続けてきた大大阪幻想と大きく関係している。一頃の熱狂は、そのレトリックがその機能として発生させてしまう高揚感だったのだろうとも思う。そこに、大大阪時代の復活を夢見る市民も多かったのだろうと思う。

 大阪都構想は、大大阪幻想がもたらした二重行政を払拭するものであることと同時に、低迷に苦しんでいた大阪人に大大阪幻想の夢を与えるものでもあるという二重性を持ち合わせていた。

 一方で、大阪都構想の本来的な意味である二重行政の解消と、健全な地方自治体の運営という点では後退を余儀なくされてきた。特別区運営には東京都の特別区に近い規模が本来必要なはずではあるが、当初の大阪市周辺の市を巻き込んだスケール感のある特別区再編は、堺市長選の敗北によって挫折した。ここで論じる文脈に沿って言えば、大大阪幻想を根深く持つ大阪市民にとって強く喚起させる「大阪都」というレトリックは、大阪市以外の堺市の人たちには、その訴求力は弱くなるのは当然で、結果的に、堺市民は大阪都構想に乗らないことを選択した。

 また、言葉の力を中心に見たとき、レトリックはそれがレトリックである限りにおいて、宿命的に賞味期限を持つ。時間経過に従ってレトリックの力が弱まっていくのは当然の帰結で、それは、民意を問うとして市議会を解散し行われた2014年の大阪市長選の投票率にも現れていた(2011年は60.92%、2014年は23.59%)。

 また、住民投票は、大阪市議会における大阪維新の会と公明党の政治的な駆け引きによって生まれた、言ってしまえば大阪維新の会にとっては、棚からぼた餅のように巡ってきた最後のチャンスでもあった。こうした住民投票へと至る経緯は、先の住民投票の結果についての意味を考えるときに重要な意味を持ってくるだろうと思う。

 ●    ●

 大阪市の住民投票が告示された時期、僕は大阪市に滞在していた。かつて橋下市長からよく聞かれた「この大阪をひとつにして、東京に負けない、豊かで活気あふれる大阪をつくっていこうじゃありませんか」という力強い言葉は影を潜め、大阪都構想の本来の趣旨に忠実に「より広域な行政区を担う大阪都が都市計画を担い、これまでの大阪市みたいな大きな行政区ではなく、みなさんの意見を聞ける小さな行政区である特別区が、みなさんやみなさんの子どもたちのための福祉とか教育とかを担うんです。大阪都構想はこういうことなんです」という煽りのない言葉に変わっていた。反対派は逆に、どちらか言えば大大阪幻想に寄り添った「この歴史と伝統のある大阪市をなくしていいんですか」という煽り気味の主張が目立っていた。

 特に印象的だったのは、大阪維新の会のCMが「大阪都構想で大阪の問題を解決して、子どもたちや孫たちにすばらしい大阪を引き渡していきたい」という、どちらかというと煽りが控えめで理に訴えるものだったのに対して、大阪自民のCMは「知ってましたか。みなさんの税金が、みなさんのためだけに使われなくなってしまうというひとつの事実」というCM考査のぎりぎりを狙った、徹底した庶民目線の表現だったということ。橋下徹大阪市長が直接登壇に上ったタウンミーティングでも、世間で言われるほどの橋下節は聞かれなかった。僕は、逆にそのことで好感を持ったけれど、かつてのような熱狂はなかった。ここには、もはや「大阪都」というレトリックがもたらす高揚感や、かつてあったあの熱気はどこにもなかった。

 ただ、そこには、もうひとつの光景があった。炎天下の中、集まった人たちは、その主張をじっくりと聞きいっていた。その当時は、大阪市立の都島屋内プールをなくすなという署名運動が行われる時期だった。そのことについての質疑応答もあったが、そのやり取りも冷静だった。橋下徹大阪市長は、それがデマであると否定しつつも、絶対になくなりませんとも言わなかった。それは、新しい特別区である北区のみなさんが議会を通して決めることです、と答えていた。

 大阪市で生まれ育ち、今は東京から前より客観的に大阪を見てきた者として、大阪都構想については比較的熱心に考えてきた。大阪の二重行政については、ここに書いているようにかなり根深い特殊性と、その特殊性から来る地方自治行政の弊害を大阪は持っていると考えている。しかし、周辺市を巻き込むことができなかったことで、現状、後退を余儀なくされた大阪都構想、そして、広告稼業を長くやっていた者として、あの「大阪都」というレトリックが賞味期限を迎えた今、たぶん大差で否決だろうと考えていた。大大阪幻想を抱きながら後退していく大阪は変わらない。そう思っていた。しかし、私のこの認識は、私が大阪市民を甘く考えていたことを証明するものとなった。

 ●    ●

 投票率は66.83%。結果は否決、総得票率中で0.8%という僅差だった。

 この意味は、これからの大阪を考える上で、とても大きい出来事だと思う。これは、他ならぬ大阪市民がこれまで持ち続けてきた大大阪幻想を喚起させる「大阪都」というレトリックがほぼ排除された状況で、これからの大阪という都市の行政をどうするかを大阪市民に問うた結果だからだ。大阪都構想は終焉した。けれど、少なくとも、ここからは、今までのままでいいはずはない、というくらいの市民の意志を読み取ることはできると思う。もっと言えば、大阪都構想は否定するにしても、これ以上ダメになるのはもう御免だ、という大阪市民の意志なのだろう。

 YESかNO かの二者択一を迫ることについてのデメリットもあった。その集大成が、この住民投票でもあった。今回の大阪都構想の場合、行政の機構を抜本的に変革することを含んでいたから、最終的に住民投票という手段に頼らざるを得なかったけれども、やはりこういう二項対立の問題設定は分断を煽る。住民投票という手段は安易に使わないほうがいいと思った。それに、あらためて思ったのは、本質的言えば、多数決がそのままイコール民主主義ではないということ。多数決は、民主主義的な意思決定の最終的な手段だ。であるならば、やはりこの結果の意味は、出来る限り正しく把握して、次代に引き継ぐことが必要だろうと思う。

 橋下大阪市長は、任期終了を持って政治家からの引退を示した。反対派の中には、いつもの虚言だと見る向きもある。しかし、橋下市長とほぼ同世代の者として、あの時点では本当の気持ちだったのだろうと僕は考えている。先の住民投票の結果は、大大阪幻想を持つ最後の世代かもしれない僕らの世代にとっては、世代交代を意味するだろうと思う。これからは、大大阪時代を知らない世代が大阪を動かしていくだろう。と同時に、僕の問題意識の中心領域で言えば、レトリックの時代の終焉を意味しているかもしれない。それは、僕自身、相当な痛みを伴う認識ではあるけれど、あの住民投票を経て、これから大阪は必ず変わるはずだと同じ意味合いにおいて、それは希望だろうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月24日 (火)

システムを変えるということ

 私は大阪市民ではありませんが、生まれも育ちも大阪市ですし、大阪市がこれからどうなるのかは気になります。昨年の大阪府知事・大阪市長同時選挙は東京にいながら私なりに注視してきました。とはいってももっぱら、テレビや新聞、ネットでのニュースが情報源でした。

 このブログを読んでいただいている方はおわかりのことでしょうが、私は政治についてはあまり造詣が深くありません。ということもあり、メディアでの報道を追っても、橋下市長が主張していた「大阪都構想」は私にはよくわかりませんでした。というか、東京に住む私にとってはピンと来ないというのが正直なところでした。

 たぶん「都」にバイアスがかかっていたんですね。今はそれほどではないかもしれませんが、大阪人は東京への対抗意識があります。「都」という言葉が大阪人の誇りを刺激する部分があるのかな。そんなふうに考えていました。でも、なぜ大阪市を大阪府と統合させて、つまりは、大阪市を解消して大阪府を大阪都に変える必要があるのかはいまいちわからなかったのです。まず思ったことは、大阪市立大学はどうなるの?大阪市立総合医療センターってなくなのる?みたいなことで、政治に詳しい人からはレベルの低い話をしているなと思われるかもしれませんが、実際はそういう感じだったのですね。

 そんな私にとっては、橋下徹さんと堺屋太一さんの共著である『体制維新ー大阪都』(文春新書)はとてもわかりやすかったです。大雑把に言えば、大阪市は市としては大きすぎるということ。大きすぎるがゆえに、大阪府と似たような機能にならざるを得ない。また、大阪市は大阪府の経済の中心地であり、事実上、大阪府よりも大阪市の権限が強くなるということが起きてしまっている。逆に、大阪市内の区は東京都の特別区のような選挙で選ばれる区長がいるわけでもなく、区の人口が多い割には、区民のニーズにあわせたたきめ細かい行政がやりにくい。だから、大阪市を解体し、大阪市の区を特別区にして、きちんと「基礎自治体」として機能させなければならない。そういう趣旨がわかりやすく書かれていました。

 府庁と市役所を一つにする、と言うと、反対派の議員や学者が一斉に、「知事の独裁になるので危険だ」と批判しました。大阪府と大阪市を一つにして一人の指揮官にすればいい、と僕が言ったことが、市町村長などを全部なくすかのようにとられたようです。しかし、それは誤解です。
 大阪のすべての権限と財源を大阪都知事が把握するのではありません。そんなことは不可能です。住民とのフェイス・トゥ・フェイスの仕事は、市町村長や新設する特別自治区の区長に委ねられる。これが「やさしい基礎自治体」の役割。経済の成長戦略や雇用対策など大阪全体に関わる課題については、「強い広域自治体」の長として都知事が指揮する。効率的な役割分担をしようという話です。(P166)

 このところ話題になっている学者さんや評論家さんたちとの論戦ですが、正直に言えば、橋下市長を批判する側が的を外しているような気がしています。橋下さんがディベートが強いとか、そういう問題ではない気がするんですね。橋下さんがやろうとしていることは、「強い広域自治体」という意味では独裁という批判はかろうじて当たっている気はするけれど、むしろ、「やさしい基礎自治体」を増やすということなので、現在の行政システムは変える必要があるという立場に自らを置くならば、市町村が合併し一つになる時代に自治体を増やす方向性での改革には問題があるのではないか、という批判が本来はまっとうなのではないかと思います。

 もちろん、今の行政システムは変える必要がないという立場もあります。たぶん、橋下市長を批判するにあたっては、この立場を取るのが一番わかりやすいし説得力もあります。ただ、あまり支持を得られそうもなさそうですし、実際に誰もその立場を表明していないですよね。その立場を表明してくれれば、私にも理解できそうなのですが、そうじゃないですし、なんか、今は学者フルボッコと言われてますが、単純にかみ合っていないなあと思うんです。で、かみ合ってない中で、こういうわかりやすい本をきちんと出している時点で、橋下市長の言っていることの方が筋が通っていると思います。

 僕は、社会のシステムが根幹にあり、文明はそのシステムがアウトプットするものだと考えています。先ほどのパソコンの例で言えば、OSはシステムでソフトは文明です。
 使えるソフトはOSによって規定されてくるわけですよね。ですからソフトが大きく変わるためにはOSが変わらないといけないのですが、今の日本においてOSの変化は単なるバージョンアップでは駄目。DOSからウィンドウズになったような大転換が必要だと思うんです。
 DOSからウィンドウズに転換した途端に、素人でも扱えるようなソフトがどんどん出てきました。そしてコンピュータ社会、ネット社会といわれるようになりました。アウトプットされるものは常にシステムによって規定を受けます。だからアウトプットをいまの時代、いまの状況に合わせるためには、根幹のシステムを変えなければならないと思っているのです。(P40)

 このくだりは、私にはたいへん理解しやすかったです。OSのバージョンアップではなく、根本的に作り直そうとするわけですから、橋下市長がよく言う「権力闘争」もわからなくもないし、比較的マルクスに親しみのありそうな反橋下市長派の方々も、つまりは「上部構造は下部構造が規定する」ということなので、理解しやすいと思うんですけどね。でも、橋下市長(この本の時点では橋下知事でしたが)は、こうも言っています。

 僕はよくゲームにたとえるんです。子どもたちは、ゲームのいろんなソフトについて友達同士でしゃべります。 おもしろい隠れキャラクターがあるとか、攻略法などを朝から晩まで喋っている。
 だけど、そのゲームを動かすニンテンドーDSや、PSPなどのハードの仕組みについて、じつはこれがアメリカ軍の機密にもなるようなチップが入っているとか、集積回路はどういう配置になっているとか、日本のこんな最先端技術が使われているとかという話はしませんよね。おもしろくもなんともないですから。(P36)

 なので、専門家を除いては一般ユーザーには伝わりにくい、と。確かに、この話はあまりニュースではでてきません。だらかなのかどうかは知りませんが、あまりこのシステムの変え方についての批判や反論がでてきません。でも、私がいちばん聞きたいのは、そこなんですが。

 私は、仕事柄、Mac OSを使ってきたからMacの話をします。2001年に、OS 9からOS Xに変わりました。BSD UNIXをベースにまったく新しく作り直されています。互換性はありません。OS 9はそれなりに高性能なOSでしたので、かなり大胆な試みだったと思います。OS 9で動いていたイラストレーターやフォトショップ、MS Officeなんかもまったく動きません。これは、ユーザーにかなりの負担を強いることだったのだと思います。これによってMacユーザーを辞めた人もいるかもしれません。

 けれども、今考えると、OS Xがなければ、きっとiPhoneもiPadもなかったんだろうと思います。今の状況を考えれば、それはやらなければならないイノベーションだったのだろうと思うんですね。しかも、方向性も間違っていなかった。

 もうひとつ、思い出すことがあります。私は広告制作を生業としていますが、OS Xができても、デザイナーはもとより業界全体がOS 9を数年にわたって使い続けました。クオークエクスプレスをはじめとするソフトが対応していない、もしくは高価で変える余裕がない。現状でもクオリティはそれほど変わらない。印刷が対応していない。OS Xではソフトが不安定。そんな理由だったと思います。一頃、OS 9が入っている中古Macの需要がかなりあったと聞きます。

 システムを変えること。それは、かなりのリスクを伴うことです。方向性を間違えれば取り返しがつきません。Mac OSであれば、市場から淘汰されるだけですが、行政の場合はとんでもないことになります。慎重になりすぎても悪いことはひとつもないと思います。また、行政の場合、一度変わったら、かつての広告制作界隈のように、それでもOS 9を使い続けるという選択はもはやできないわけですし。

 今月の27日、テレビ朝日の朝まで生テレビは「激論!“独裁者”橋下市長が日本を救う?!(仮)」というテーマだそうです。大阪市民、大阪府民は、選挙で変える方を選んだわけだから、どうシステムを変えるべきなのか、その具体的な方法と是非についてきちんと話してもらえないかなと思います。私は、そのことが聞きたいです。学者さんの批判も代案も聞きたいし、おもしろくともなんともないにしても、システムが変わればどうなるのかを、メリットやリスクも含めて橋下市長もきちんと語ってほしいです。できれば、考えられるリスクを最小化する方策も。もちろん、システムを変えるべきではない、という意見も聞きたいです。あまり一般受けはしなさそうですが、そういう考え方もありだと思っています。

 こういうテーマなら、言葉の正しい意味で、ちゃんとしたディベートになると思うんですけどねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月13日 (火)

グラデーション

 いちばんはじめに入った会社は、ベーシックデザインが得意な会社でした。その会社の8割がグラフィックデザイナーで、彼ら彼女らがデザインというとき、それはロゴだったり、ピクトグラムだったり、展覧会のポスターだったりしました。広告デザインは低くみられていて、どちらかと言えばベタで泥臭く見られていました。

 大学や専門学校を出たばかりの若いデザイナーは、しきりにグラデーションをやりたがっていました。今みたいに、グラフィックソフトで簡単にグラデーションを表現できる時代ではありませんでした。白い紙にロットリングという極細の線が精巧に書けるペンを器用に使ってスミ(黒色のことです)1色で書いて、そこにトレーシングペーパーをかけて、色チップを貼ったり赤ペンで書いたりして、色やグラデーションの指示をするんですね。それが版下と言われるもので、それを印刷会社の人に渡します。で、2、3日待つと、色校正が上がってきます。そこで、デザイナーははじめて色のついたデザインを目にできるのですね。

 デザイナーにとっては、当時、色をつけるということが大変なことだったんですよね。なにせ、印刷会社に頼まないとできないわけだから。これは、もう少し前の世代なら、いろんな色のポスターカラーを練って好みの色を出したりしていました。その時代から比べると、色チップや特色の指示で簡単にできるようになってお前らの時代はいいよなあ、なんて話なんですが、そんな少し前の世代の人でもなかなか出せなかったのがグラデーションだったのです。つまり、グラデーションという表現は、ビバ!印刷技術な新時代の表現だったんですね。

 だからこそ、若いデザイナーは、グラデーションを試したがったのです。で、世の中にグラデを多用したポスターがあふれ、それは少し陳腐な感じもしました。私はグラフィックデザイナーではなく、当時はプランナーだったので、ちぇっ、またグラデかよ、という感じで見ていました。

 例があったほうがわかりやすいですよね。グラデーションというのは、こんな表現のことです。

1

 これは、マイクロソフトのパワーポイントでつくりました。世の中便利になったものですねえ。そんな世の中だから、最近はめっきり単純なグラデーションというのは見かけなくなりました。ウェブでは、基本ディスプレーが発光で色を見せているので、グラデーションによって立体的に見せるのが印刷よりも生きることから、まだまださりげない部分では多用されていますし、このブログだって、グラデが使われていますが、それでも、上の図のような単純なグラデはあまり見かけなくなっているようです。

 今や、グラデーションって、ありがたいものではなくなってきているようです。それは、ある部分で世の中の流れに同期しているような部分もあるのかな、なんて思いました。

 なんか、両極端しかないんですよね。白か黒か。赤か黄色か。そんな感じ。中間の部分が世の中からどんどんなくなってきているように思います。前回のエントリーで、郊外型SCの話を書きました。地方都市で、駅前からどんどん商店が消えて、郊外型SCにお客さんが流れている、という話。コメントをいただいたりして、ああ、そうだよなあ、グラデーションがなくなってきてるんだよなあ、なんて。

 地方都市の場合、中核都市と言えども、東京や大阪ほどのにぎわいは期待できません。まあ、そこそこなわけです。人々は、どんどん郊外に住むようになって、車では行きにくい駅前には行かなくなってきています。駐車場も少ないですし。そんなニーズをうまくすくいとったのが、アメリカ的な郊外型SC。

 要するに、大都市か郊外か、それしかない、みたいな状況が生まれつつあるということなんですよね。大都市と郊外の中間にある、中堅都市の価値がどんどんなくなってきている、ということ。中堅都市に住む人も、車で郊外型SCに行くみたいな流れもあるようです。そりゃそうですよね。人とお店が集まっているところのほうが楽しいもの。

 いま、時代を表す言葉に「中抜き」っていうのがありますよね。意味合いは少し違うけど、ああなるほどなあ、中がごっそりと抜かれているんだよなあ、と思いました。ほんとは、中のどこかに、いろんな人が、私はここが居心地がいいのよ、という場所があるはずなんだけど、なんかお前はどっちなの、って迫られているような。いえいえ、私は中がいいんです、なんてこと言えない迫力ですごまれている、みたいな。

 過渡期なんだろうと思うんです。月並みだけど。

 現実を見ると、人がどう思おうと、中がどんどん抜かれていくのが今の流れ。世の中は、中をどんどん抜きたがっているし、中を抜くことで生まれるものは、たぶん、今までになかった価値でもあるし、その価値っていうのは、これから先、とっても大切になってくる価値だとも思うし。行くとこまで行かないと、やっぱり中もほしいです、みたいなことにはならないんだと思います。

 構造が変わると、中も変わる。新しいグラデーションが生まれる。今、中がどんどん抜かれている状況に希望を見いだすとすれば、そこしかない。私のようなバランス、バランス言っている人は、なんとも居心地悪い感じではあるけれど、まあそれはそれで希望を見いだしていこうじゃないか、なんて思いました。沈黙はしないでおこうと。

 ところで、やらない、やらないと言っていたTwitter。アカウントを作りました。まだ、何をつぶやいていいのかわからない状態ではありますし、見ているほうがわかりやすかったなあ、とも思いますし、やっぱり私ってブログ向き?なんてことも思いますが、でもまあ、いいかな、と。というわけで、みなさま、よろしくです。というか、何がよろしくなんだか、という感じかもですが、まあ、ほんとにね、ブログともども、よろしくお願いしますです。ではでは。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年4月11日 (日)

新幹線の車窓から見る日本

 東京と新大阪間を往復することが多く、定期的に新幹線の車窓から東海道の街並を眺めています。ここ2、3年の変化で、少し気付いたことを書いてみたいと思います。

 ●    ●

 浜松あたりが特に顕著なのですが、夜、駅前が少し暗くなって、そのかわりに、駅から少し離れた場所に巨大な建物があり、そこだけが煌々と輝いていて、以前はこんな感じではなかったなあ、これは、今までなかった光景だなあ、と思いました。なんというか、これは今までに見たことがない日本だなあ、と。

 建物だけが輝いて、そのまわりが暗いという光景は、建物のまわりに街がないことを想像させます。これは、車窓からはそう見えるだけ、ということではなく、実際にそうなのだろうと思います。そしてまた、この光景は、私が気付くずっと前から進行していた光景でもあるのでしょう。

 知識としては、所謂「ファスト風土化」とか、浜松で言えば松菱百貨店の倒産だとか、駅前繁華街の空洞化だとか、ある程度はわかっていたはずなのですが、こうして俯瞰して見ると、その現実が確かなビジュアルとして生々しく立ち上がって来て、唖然として、そのあと、少しため息が出るような、そんな気持ちになりました。

 ●    ●

 私は大阪の市街地で育って、今、東京で働いています。その視点からは、こういう部分はとても見えにくいのだろうな、と思います。私の住む中野なんかでは、駅前はいつも人で賑わっているし、新しいお店が次々とあらわれて、ニュースでよく見るシャッター商店街も、知識としてはわかっているつもりでも、実感としてはまったくわかっていなかったことなのかもしれません。

 昔、地方都市のショッピングセンターの仕事をしていたことがあります。そのショッピングセンターは、JRの駅ビルでしたが、その都市の中心的な繁華街はJRの駅から少し離れた私鉄の駅周辺にありました。城下町の場合、そういうことはよくあります。新市街地陣営として、イベントや何やらを仕掛けて、積極的なお客さんの誘致をしてきましたが、なかなかうまく行かなかったことを覚えています。この新市街地は、文字通り、新興の市街地であり、だからこその苦戦で、つまりそれは、消費の場所が人の生活と紐づいていることを意味していました。

 かわりやすかったのです。このあたりはまだまだ人も商店も少ないからねえ、という理由がありましたし、いずれはこのあたりも栄えてくるだろうし、先行投資だよ、という野心もありました。それらは、すごく人間の感覚として納得できるものでしたし、商業施設が進出することは、将来的に、そこに街をつくっていくことと同義でもありました。

 ●    ●

 しかし、この車窓の光景から見えるショッピングセンターは、そんな少し昔の感覚とはまったく違うものに私には見えました。感覚的に、なんとも言えない違和感があったのです。

 その違和感は、消費の概念が違うことから来ているように思います。これまでの消費は、生活と紐づいていました。生活の場所が、そのまま消費の場所だったわけです。消費の場所が先行した場合でも、後々、その場所を生活の場所にしていこうという意図がありました。多くの鉄道会社が百貨店をつくってきたのも、生活と消費が不可分だったからです。

 しかし、このショッピングセンターが想定する消費は、場所としての生活とは切り離された消費のような気がするのです。

 わかりやすく言えば、生活から疎外された、記号としての消費。この新しい消費の概念は、これまでの消費とは違うものになるはずです。今、浜松や、その他の地方都市で起きていることは、従来の生活に紐づいた消費が、生活から疎外された、新しい消費に移り変わる姿なのだろうと思います。それを消費の祝祭化と呼ぶこともできるとは思うけれど、同時にそれは、お金というものを、物やサービスを買うという意味での消費から疎外して、お金という記号の交換を突き進めてきた金融資本主義と、ある部分で重なるような気がします。郊外型SCのスタイルが、アメリカで発展していることにも、疎外という補助線で理解できるのかもしれません。

 話が少し横道に逸れますが、この地方都市に起きている消費の現象と同じことは、東京や大阪などの大都市ではアウトレットモールとしてあらわれているのでしょうね。アウトレットというものが、旬を過ぎたり不備があったりで、日常の生活に出せなくなった商品である、つまり、非日常の商品であるという意味では、これもまた消費の祝祭化のひとつの現れでしょう。

 ●    ●

 あの煌々と輝く巨大な建物は、営業時間が終わると、電気が消えて車窓から見えなくなるはずです。なぜなら、その場所は、生活から疎外された消費の場であるがゆえに、消費の時間が終われば、見えなくなるのがものごとの道理だから。

 ただ、私の推論は間違っているのかもしれません。間違っているとすれば、やがて、あの車窓から見える建物のまわりに、明かりが灯るはず。そして、時間をかけて復興した市街地と共存していくはずです。けれども、残念ながら、その可能性は低いのでしょうね。そういう見立てが成り立つためには、永遠の成長が前提。けれども、もうあらゆるものが過剰な時代、その見立ては考えにくいと思います。

 5年後、新幹線の車窓から見える光景がどうなるかが、これからの社会や消費がどうなったのかを象徴するはずです。アメリカ型でいくのか、それともコンパクトシティを標榜するヨーロッパ型でいくのか、それとも、そのどちらでもない日本独自の道を模索するのか。

 なるだけ客観的に今の状況を自分なりに分析しようと思って書きすすめましたが、最後に私の考えを。これは、この問題に詳しいわけではないので、ほんと感覚的になってしまいますが、もうそろそろ、なんでもアメリカの真似、というのは無理なんじゃないかな、と思います。今、あらゆる分野でその曲がり角に来ているような気がしています。土地や文化、その他、いろいろなことが違う日本で、その国に住む人間の身体性からあまりにかけ離れている気がするんですよね。

 シャッターを下ろした商店が並ぶ商店街を、競争力がないからしょうがないよね、という切り捨てることは、資本主義社会に生きるものとして理屈では納得できても、やはり身体がついていかない気がするんです。もうすこし共生的なあり方があっていいと思うし、そのためには、地方においては、税制、法律、道路や駐車場の問題、あるいは、代替交通機関の模索など、いろいろ困難はあるでしょうが、時代を動かすのは、最後は身体性。そんなふうに思っています。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2010年1月17日 (日)

阪神・淡路大震災から15年

 今日の5時46分で、阪神・淡路大震災から15年が経ちます。ここ数日、テレビや新聞でも積極的に報道されていますし、中にはかなりの取材を行って深く掘り下げた番組もありました。昨日は『神戸新聞の7日間』というドラマも放送されましたし、今日の夜は『その街のこども』というドラマも放送されます。やはり、こういう時、マスメディアの社会的役割ということを考えさせられます。

 私は、当時は大阪に住んでいました。だから、それほどの被害は受けずに済みました。神戸から電車でわずか40分程度しか離れていないのに、大阪ではさしたる被害はありませんでした。あれだけの被害を出した震災が、少しの距離の違いでこうも違うものなのかという思いが、今も鮮明にあります。

 大阪でも強烈な揺れを感じました。ドンドンドン、と突き上げるような、今まで体験したことのない揺れ。重い家具が動き、食器が割れました。就寝中だったのですが、飛び起きて、まずテレビを付けました。

 NHKのニュースでは、落ち着いた様子で震災のニュースを伝えていました。鳥取や岡山、滋賀や三重まで含めて、かなり広範囲の震度が表示されていてましたが、でも、直後では神戸・淡路の震度が表示されていませんでした。その時点では震源が神戸・淡路であることがわかっていなかったような記憶があります。今から考えると、神戸・淡路の表示がないことから、その地方が大変なことになっている可能性を考えるべきだったと思うのですが、大阪のテレビスタジオを含めて、その時点ではあまり危機感はなかったように思います。

 大阪の放送局近くの建物が中継されていて、窓ガラスが割れている様子を映していました。アナウンサーは余震に注意するように、と伝えていました。

 当時、糖尿で市民病院に入院していた父から電話があり、近くに住む祖母に電話し、安否を確かめ、神戸や米子に住む知人と連絡を取りました。30分くらい過ぎると、電話が使えなくなりました。

 神戸の被害が報道されるのは、それから1時間ほど経ってからでした。ヘリコプターの映像が映し出され「神戸が燃えています」と記者が叫んでいました。それからしばらくして、空にたくさんのヘリコプターが飛んでくるようになりました。

 後に父に聞くと、市民病院は大変だったそうです。その市民病院は、大阪市の基幹病院で、ヘリポートに次々と負傷者が運び込まれてきたそうです。糖尿や骨折など、命の危険がない軽度の入院患者は退院措置がとられました。また、その病院では対処できない患者は、またヘリコプターや救急車で違う病院に運ばれていきました。

 高速道路は閉鎖され、電光掲示版にオレンジの文字で「震災発生通行止」と掲示され、道には車がなくなりました。時折、「救援物資輸送中」と書かれた大型のトラックが走り、空にはひっきりなしにヘリコプターが飛んでいました。テレビでは「車には乗らないでください」とアナウンスしていました。しばらくして親戚や知人が亡くなったとの知らせを受けました。大阪にいた私は、本当の惨状はメディアでしか知りません。

 あれから15年経とうとしていて、私の記憶も薄れつつあります。けれども、震災の被害を直接受けた方には、消せない記憶として今も残り続けていることを、テレビの番組が映し出していました。インターネットには多くの証言や記録が刻まれています。

 

■阪神・淡路大震災関連リンク集

阪神・淡路大震災 - Wikipedia
大震災の被害についての詳細なデータが記述されています。

兵庫県南部地震 - Wikipedia
気象庁命名の正式名称です。こちらは概要について記述。

阪神・淡路大震災 - 神戸新聞Web News
研究者や各界の人々へのインタビュー記事や、神戸新聞に掲載された報道記事や特集記事が網羅されています。

阪神・淡路大震災(記録写真) : 1995.1.17〜1996.7
市民の方による詳細な記録です。

神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ【震災文庫】
震災にかかわるあらゆる資料を可能なかぎり収集したデジタルアーカイブ。

あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集 - GIGAZINE
昨年の記事です。テレビがどのように報道したかが、震災発生から時系列で分かります。

西宮から 〜 阪神淡路大震災・私的記録 〜
兵庫県西宮市在住の方の震災の記録です。

阪神・淡路大震災教訓集
「国連防災世界会議(兵庫会議)」にあわせてまとめられた教訓集。日本語、英語、スペイン語、ロシア語のPDFがダウンロードできます。

阪神大震災を記録しつづける会
震災体験を記録する活動を続けられています。10年10巻の手記集を出版されたそうです。サイトでは全文が公開されています。

Gデザイナー震災体験記
神戸市灘区在住のDTPデザイナーさんの目から見た震災の詳細な記録。

阪神淡路大震災 当日の写真記録 by AsianVox
神戸市二宮町に住んでいた方が撮影した、自宅、二宮、三ノ宮の被害。

西宮市デジタルライブラリー 阪神・淡路大震災
兵庫県西宮市が所蔵する各種の記録、資料等をウェブサイト上で公開。写真資料、映像資料が多数。

リエゾン被災人(Liaison hisaito)- NHK
NHKの震災関連総合サイトです。リエゾンとはフランス語で「つなぐ」の意味。阪神・淡路大震災、中越地震をはじめとする災害に関する映像アーカイブも。

ハイチ地震救援金 - NHK
NHK、NHK厚生文化事業団、日本赤十字社では、1月13日(現地12日)にハイチで発生した地震による災害の救援金を受け付けています。期間は平成22年1月15日(金)~2月12日(金)。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 6日 (金)

銀橋の何がいいって

R0010294_2

R0010316

R0010302

 やっぱり、古いものがしっかりと新しいものと対峙しているところかな。

 新しい銀橋よりも小さいけれど、古い銀橋には時の蓄積があります。みんなに親しまれてきたという歴史があります。この古くて小さな銀橋の、新しい銀橋に負けない力強さは、きっと、人々の記憶の強さです。

 京都とか奈良では、こうはいかないと思うんですよ。古い寺院は、昔そのままでいつまでも残ってほしいと思うし。こういう景色は、なんか商都大阪らしくっていいなあと思うんです。古いものが甘やかされてないというか。

 古き良きものに対するこういう敬意の示し方って、とっても大阪らしいなあと思うし、新しい都市の成長の姿のような気が私はするんですよね。

 関連エントリ:銀橋2009

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夕日

 豊島(てしま)という島が香川にあって、そこに産業廃棄物が運ばれて、不法に廃棄され、島がゴミまみれになっていました。この出来事は、戦後最大の不法廃棄事件と呼ばれ、新聞やテレビでもたくさん報道されたので知っている人も多いと思います。

 その廃棄物問題を解決するために、20年以上、その島を見守り続けている島民のおじさんがいて、あるカメラマンは、その人にどうしても会いたくて、ひとり、豊島に出かけていったそうです。そのおじさんは、カメラマンを産廃が山積みになった現場に案内したそうです。

 腐臭のする現場で、カメラマンは、おじさんに聞いたそうです。

 「なぜ、20年間もがんばれるんですか。」

 おじさんは下を向きながら、こう答えました。

 「子供の頃、ここによく遊びに来てたんです。ここから見える夕日がすごく美しいんですよね。」

 今も、その島では、産廃の掘り出しと移送の作業が続いています。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009年9月23日 (水)

銀橋2009

R0010328

R0010312

 
 大阪に「銀橋」と呼ばれる大きな橋があります。

 国道1号線、大川(旧淀川)に架かる橋で、大阪市北区と都島区の境に位置しています。「銀橋」という名前は通称で、正式名称は桜宮橋。決して繁華街でも有名な観光地でもありませんが、下を流れる大川の河川敷には桜宮公園が広がり、近くには、春に桜の通り抜けが行われることで有名な造幣局や、大阪に現存する最古の洋風建築である泉布館や旧桜宮公会堂があり、地域の憩いの場として賑わっています。

 この「銀橋」は、関西建築界の父と呼ばれる建築家、武田五一設計で昭和5年(1930年)に完成しました。当時は戦後最大のアーチ橋だったとのことです。

 この「銀橋」の北側には、少し大きめのアーチ橋(正式にはローゼ橋という形式の橋だそうです)が架かっています。正式名称を新桜宮橋と言います。国道1号線の拡張工事により設置され、2006年12月18日に開通しました。設計監修は、建築家の安藤忠雄さん。

 この橋が興味深いと思うのは、過去と現在が寄り添っているところです。

 私は、この近くで生まれ育ってきましたので、この「銀橋」のある風景は、子供の頃から慣れ親しんだ風景でもありました。泉布院に隣接する旧桜宮公会堂は、私が子供の頃は桜宮図書館として使われていて、よく自転車で遊びに行きました。

 思い出はそれぞれでしょうが、きっと、「銀橋」のある風景は、大阪に暮らす多くの人にとっても大切な思い出の風景になってきたのだろうと思います。多くの街の風景は、時間の経過とともにカタチをまったく変えてしまいます。それが進化というものなのかもしれません。けれども、この「銀橋」のような、新旧ふたつのものを対峙させながら未来に向かうというカタチも、選択肢のひとつとしてあるのかもしれない。そう思わせてくれるのが、この新しい「銀橋」の風景です。

 国道1号線のこのあたりは、道が狭くなっていたこともあり、慢性的な渋滞が発生していました。道路を拡張するにあたって、この「銀橋」をどうするかという問題が起こりました。そのとき、委員会は市民の意見をまず聞くという選択をしました。つまり、この新しい「銀橋」は、みんなの意見がつくった橋とも言えます。

 この新しい「銀橋」がつくられた経緯は、大阪国道事務所が制作した「銀橋サイト」に詳しく記録されています。興味のある方は、ぜひご覧ください。また、こちらに掲載されている写真はクリックで拡大します。そちらもあわせてどうぞ。

 関連エントリ:「二項対立ではなく
 

R0010245_2 R0010252_2 R0010256 R0010258



R0010262 R0010269R0010257_3 R0010274



R0010269_2R0010296 R0010301 R0010283



R0010281_2 R0010285_2 R0010272_2

R0010275 R0010265 R0010289 R0010292 R0010293

| | コメント (0) | トラックバック (0)