カテゴリー「吉本隆明」の24件の記事

2010年6月10日 (木)

「大衆の原像」をどこに置くか

 そもそも「大衆の原像」なんてものはないんだよ、幻想なんだよ、今の時代ではすでに失われたものにすぎないのだよ、という言い方もできるし、その立場に立てば「どこに置くか」という問いは無効になります。でも、私にとっては、この問題は結構切実だったりもします。

 「大衆の原像」というのは吉本隆明さんの概念で、戦後知識人の転向というコンテクストで使われた言葉です。知識人がその知識なり思想なりに「大衆の原像」を繰り込んでいかないと、その知識は大衆から乖離していくよ、ある政治集団なり、知識集団なりに閉じられてしまうよ、そうした思想はいかに高度であっても欺瞞でしかないんだよ、みたいなことです。大雑把な理解ですが。

 吉本さんにとっての「大衆の原像」のイメージ。自分や家族が今日を生きることができ、明日もまた同じように生きることを望む存在で、それ以外の政治経済や思想などについては無関心である、というもので、それは戦後間もなくの、たくましく生きる庶民の姿だったのだろうと思います。

 こういう「大衆の原像」があるのかと言えば、もしかするとないのかもしれません。大衆から分衆へ、ウェブを通してそれぞれの個がつながる時代へ、ということなのだろうし、メディアの多様化で、「大衆の原像」の一言で言い切ってしまえるような「大衆」が見えにくくなったのは、ある程度事実だろうと思います。

 例えば私。

 こうしてブログを書いていて、アクセス数はともかくとして、とりあえずはウェブを通して世界に発信できているという現実があり、夜中にこんな文章を書いている私は、「大衆」と言えるのか。言えないとすれば、吉本さんの言うように、私は広い意味で「知識人」なのか。人によっては「ブログのようなものを書いている時点で、おまえはもうすでに大衆なんかじゃねえよ。」だろうし、人によっては「いつも読んでるけど、知識人なんて笑わせんなよ。調子乗るんじゃねえ。おまえなんか、大衆そのものじゃねえか。」でしょう。つまり、私は「大衆」であり「大衆」でなく、「知識人」でもあり「知識人」ではない、そんな存在。

 もちろんこれは概念の遊びに過ぎないことは、私のブログを読んでいただいている方なら、わかることだと思います。私はまったくもって知識なんかないし、概念ではない「知識人」という人は、学者さんとか、それに類する人のコトに決まっているし、私にあるのは専門分野においてのそれなりの経験くらいのもので、自己規定としては大衆そのものだと思とし、メンタリティも大衆としか言えないんだろうなと思います。

 だけど、「私のようなやつが大衆なんだよ」と言えるかと言えば、躊躇はしてしまいます。

 程度の差こそあれ、ブログとかTwitterとかやってる時点で、同じようなものでしょうね。で、もはや吉本さんが言う「大衆」なんて、どこにもいないんだよ、と言いたくなるけど、それは事実ではないのでしょう。ネットにあらわれている個は、わずか一部であって、大多数は、いまだに、少なくともメディア上ではもの言わぬ人で、それを専門用語で言えばサイレントマジョリティーということになるのでしょう。

 ではサイレントマジョリティーこそが「大衆」か。吉本さんの言う「大衆の原像」か。それはもはや成り立たないのかもしれません。それはだだ単にネットでものを言わないだけだろうし、その中にも、様々なクラスタがあって、だからこその、マスメディアの衰退があり、そんな「大衆」はどこにもいないということが、とりあえずの今の前提であるように思います。

 けれども、その前提は、かならずしも前提にはなっていない、ということは巷の言説を見ればわかります。

 これからの消費者は発言する消費者で、情報を自ら発信し、摂取し、つながりを求める、という今風な言い方は、「これからの消費者」と言い切ってしまう時点で、じつは無意識に「消費者」イコール「大衆」としていて、やはり頭の中で「大衆」を設定してしまっているのです。で、そういう消費者を設定した時点で、そのコミュニケーションは、決定的にサイレントマジョリティーを取りこぼしていてます。で、その消費者の設定の狭さ、精度の低さゆえに、うまくいかないことがよくあるのも事実。

 つまり、多くの人に受け入れられるということを指向する限り、多かれ少なかれ「大衆の原像」というものを現実に乖離しないかたちで思い描く必要がやっぱり出てくるのですね。それがあるとしても、ないとしても、自分なりの確固たる「大衆の原像」をイメージする必要が出てきます。そのイメージを核にしながら、あらゆることを遂行していくことが求められるのです。必ず。あらゆる人は、意識するかしないかは別に、それをやっているはずです。まあ、それを「大衆の原像」なんて古い言葉で言わなくてもいいけれど、思い描いているの同じようなことのはずです。

 そして、その「大衆の原像」あるいは「大衆の原像」と同じようなイメージの精度の差が、結果の差を生み出すと言ってもいいんだろうなと思います。ブログだから、ネットについて言いますが、例えば、ウェブサービスが当たるかどうかは、じつはこのイメージの精度の差が大きく影響しているはずです。わかりやすく言えば、「ユーザー像を見誤ったな」というやつですね。

 よく言われる「キャズムを超える」なんてものは、この「大衆の原像」イメージの精度の問題でもあるのだろうと思うし、「大衆の原像」があるにしてもないにしても、私たちはそのイメージを持たざるを得ないのです。一周回って、吉本さんが提示した「大衆の原像」をどこに置くか、という課題は同じように、今を生きる私たちにも突きつけられているように思います。ほんの些細なことでも、常に突きつけられます。

 きっと、「大衆の原像」はファンタジーです。もしかすると、吉本さん本人にとっても「大衆の原像」とは、そういうのだったのもかもしれないという気もします。今も昔も、そんなものは実体としてはどこにもない。けれども、「大衆の原像」をイメージしなければ、前には進めないし、そのイメージの精度が低ければ、現実と乖離してしまう。つまり、失敗する。

 少し前に、「キャズムの超え方 」というエントリでこんなことをを書きました。少し長いですが引用します。

 広告の分野でよく言われることがあります。時代の半歩後を行け、と。半歩先ではなく、半歩後。私はわりとその言い方が好きで、いつも心に留めてきま した。まあ、私自身が高感度アンテナを張り巡らせた最先端人間でもなく、いたって地味な人間なので性に合っているのもありますけど。なんとなく逆説的な言 い方ではあるから、いやいや先を行ってなくちゃ駄目でしょ、と言われそうだけど、半歩後を行くという言い方に一理あるとすれば、キャズムを超える、つま り、世の中に新しいコンテクストを提示するための方法論としてなんだろうと思います。

 それは、あえて言うと未来を見るための方法論なのかも、とも思います。先を行く者には、未来は遮るものが何一つなく見渡せるけれど、現在が見えに くいのだろうなと思ったりします。でも、未来と言うのは、過去と、現在が軸になって、はじめて未来ですよね。ほんとは、過去があって、現在がある。その続 きにしか未来はないはずなんです。そんな未来を見るための場が、半歩後という場なのかもしれません。

 ジョブスのプレゼンテーションの中に、ネットブックについての言及もありましたね。「何もちゃんとできない」と言っていました。そのあたりに、半歩後から現在を見ている証拠がありそうです。ネットブックが流行っている理由をきちんと把握したうえで、その時代のニーズだけをきちんと汲み取り、そのう えで「何もちゃんとできない」と言っているように思えます。

 つまり、iPadは、ネットブックが象徴する現在と紐付けられた製品であるということなんですね。その現在を見るための場所は、やはり半歩後にし かないでしょう。きっと、ネットブックの流行を嫉妬まじりで見ていたんだろうなあ。どうして、こんな中途半端なものに人は惹き付けられるのか、なんて思い ながら。そこを突き詰めると、たまたまタブレットPCのようなカタチになった、ということに過ぎないのでしょうね。

 あのとき書いた「時代の半歩後」というのは、もしかすると、未来に向けての新しいコンテクストを提示するための核となる「大衆の原像」イメージの精度を高めるための方法なのかもしれません。少し時間がたって、そんなふうに思えてきました。

 そのイメージを考えるとき、私の頭の中には、ネットなんか見たことがなく、多様化された消費社会をしなやかに楽しむスキルを持ち合わせていない父や母がどうしても浮かぶんですね。私は「大衆の原像」を考えるとき、そのような人たちをどうしても切り捨てては考えられません。けれども、それこそが「大衆の原像」であるというのは違うとは思います。

 ならば、私のようなネットを使って自ら発信し、情報を享受する個人こそがこれからの「大衆の原像」であるとイメージすることは、いくら時代の先を行っているように見えても、私の中にある父や母と同じ感覚を否定することにもなります。どれだけ時代が進んでも、きっとこれから先も私はその感覚を持ち続けるだろうし、その過去からつながる感覚を否定して、新しい大衆像を提示することは、イメージによって現実を変えることであり、そういうことはあり得るとしても、それはイデオロギーであり、革命の仕事なのでしょうね。

 そのどちらでもなく、そのどちらも包括するイメージでなければ、やはり「大衆の原像」とは言えないのでしょう。イデオロギーではない未来を描くためにも、このあたりはしっかりと考える必要があるのでしょうね。それは、かなり難しいことでもあるし、きっと自分自身の内なるファンタジーに過ぎないのだけれど。たぶん、語れない、語りにくいから想定しないという選択は、これからも不可能だは思います。

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2009年10月23日 (金)

過去は地続きで現在でもある

 ひとりの著者の過去のいくつかの作品をつらつらと読みながら、そんなことを思いました。

 SFではないけれど、一時的に人体を凍結でもしない限り、過去は必ず現在に続いています。たとえば、私たちは、3時間前を現在と認識することもありますよね。いや、それは過去だと言う人もいるかもしれません。では、3秒前はどうか。いや、それでも過去だとするなら、人は現在を認識することができないということにもなります。厳密に言えば、知覚はリアルタイムではないはずだから。

 現在という概念がどこまでを現在とするかということだとすれば、現代の範囲を拡張していけば、過去は現在と言ってしまってもよいことになります。ということは、過去もまた現在なのだ、という言い方もできるはずです。

 かつて、ランドサットの衛生写真のような、無限上方からの映像視線を、かつて吉本隆明さんは「ハイ・イメージ論」で「世界視線」と言ったけれど、現在を起点に、無限の過去を現在と地続きに見る視線もまた「世界視線」と言えるのかもしれません。というか、後者の視線は、ずいぶん前から人類が獲得していたものだと思うので、前者の視線は、後者の視線から着想を得た概念だろうとも思うのですが。

 人類の精神の営みの歴史から現在の精神を語る方法は、Google mapの衛生地図から都市を語ることに似ているのかもしれません。その方法が必然的に都市に住まう人々の感情のリアリズムを取りこぼしてしまうことを含めて。

 そこが、いわゆる知識というものの持つ弱点なのかもしれません。「ハイ・イメージ論」から20年ほど経って、名実ともにウェブというテクノロジーで「世界視線」を獲得してしまった普通の人である私たちもまた、知識人が持つ弱点と同じような弱点を持ち合わせてしまっているのかもしれません。いい悪いを含めて、そうした視線を手にしまった以上、表現というものの何かが変容したのは、ある程度は事実なのだろうと思います。

 あの頃、よくわからなかった「ハイ・イメージ論」は、今読むと少しわかるような気がします。それは、現在から、過去を現在として見られる読者の特権なのでしょうけど。まあ、それでも、私には難解なのには、今も昔も変わりはないけれど。

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2009年9月 5日 (土)

なう

 Twitterが第二次ブームみたいな感じになってきて、第一次ブームのときになかった(ような気がする)言葉のひとつに、「なう」という言葉があります。「帰宅なう」とか、先の衆院選で話題になったものでは「初めて下野なう」とか「当選確実なう」とか。すごいよなあ、ここまで微分化しますか、と感心します。

 コメントが賑わうタイプのブログやソーシャルブックマークのコメント欄なんかで最近目につく言葉は「噴いた」という言葉。これも、きっと、今この瞬間、みたいな気分を表現するためのものですよね。

 ウェブのコミュニケーションツールは、出版という行為を簡便にしたり、時間を短縮したり、分散された情報を集積したり、ウェブの得意とする分野において高度化する一方で、リアルに優位性のある分野に対しては、テクノロジーでどこまで近づけるかという課題を持ちながら進化を重ねているような気がします。私はギークではないので、そのあたりの技術革新のモチベーションの本当のところはわかりませんが、端から見ているとそんな感じに思えます。

 後者のリアルに絶対的な優位性がある分野、例えば、人間の表情とか、発言のリアルタイム性だとか、そういった原理的には絶対にリアルには勝てない分野においては、これはもう漸近線的な進化しかないのだろうな、とも思います。それをバーチャルリアリティと呼んでもいいのですが、技術革新の動機としてはやはり「リアルに近づく」でしょうし、昔、パイオニアのコンポーネントステレオ(懐かしい用語ですね)の広告コピーで「スイッチを切るな。現実がやってくる。」というのがありましたが、ま、そういうものであろう、と。

 漸近線的進化であるから、そのリアルとのすきまの部分は、当然、Twitterなどのコミュニケーションツールのテクノロジー以外の部分で埋め合わせていくことになって、それは、コミュニケーションツールの制作者ではなく、ユーザーが埋め合わせていくということになるのでしょうね。

 例えば、それはユーザーの意識だったり。Web2.0という言葉に表現される人間の行動規範や倫理といったものは、コミュニケーションツールがリアルに近づけない、その不完全性の補完として理解できるのかもしれません。その意味では、最近目にすることが多い「なう」とか「噴いた」とかの言葉は、ある種のテクノロジーというものなのかもしれません。

 もう少し掘り下げて言えば、「なう」も「噴いた」も、今この瞬間、という臨場感を伝えてくれるものの、わりあいその人の感情の起伏や個別性なんかは伝えてはくれません。吉本隆明さんの用語で言うならば、指示表出的な言葉なのでしょう。状態を指示する指示表出。そういう意味では、プログラム的でもありますね。

 例の新聞社のTwitterでは、私は「思うとおりにはさせないぜ。」という言葉の方が、Twitterといえどもテキストで記録されるメディアでの発言としてはいささか刹那の感情の表出に過ぎるような気がしますが、とても自己表出的で、Twitterならではだなあ、と面白く思いました。

 私は、というと、その手の自己表出は苦手。やってもうまくは立ち回れないと思うし、たいがいリアルでも引っ込み思案で、あのときああ言えばよかったとか、言わなきゃよかったとかの連続なのに、ウェブでまでそんな思いはしたくないよなあ、という感じです。ま、わりと頻繁にブログを書く方なので、何を言っているんだろ、この人、というのはあるかもしれませんが、やはり私は何かを書くためには、ある程度の沈黙もいるし、そんな私にはブログで十分と思っております。

 でも、Twitterは嫌いではないですよ。これからはもっとこなれていくと思うし、ああいう軽やかな感じはうらやましすなあ、と目を細めて眺めておりますです。では、よい休日をお過ごしくださいませ。

 関連エントリ:Twitterかあ

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2009年9月 3日 (木)

アイデンティティって、何?

 アイデンティティという言葉を初めて知ったのは、確か中学校の頃。倫理の教科書で、心理学の項目で出て来たような気がします。エリクソンですよね。モラトリアムなんて言葉も紹介されていました。

 なんとなく、「人間の成長にはアイデンティティ(自我の同一性)の確立が不可欠で、その確立までのモラトリアム(猶予期間)が、あなた方が今いる学生時代なんだから、偉人たちが残した知識をしっかりと学んでアイデンティティを身につけて、立派な大人になりましょう。」みたいな感じが嫌でした。その文脈で語られるアイデンティティという言葉が、とっても軽く感じられたんですね。

 でも後に、エリクソンという人の人生がとってもややこしかったことや、その感受性も何か愁いのようなものがあることを知り、この言葉の印象が少し違ってきました。エリクソンの発達心理学はアメリカの心理学と紹介されるけれど、彼自身はドイツ生まれのユダヤ系デンマーク人なんですよね。

 アイデンティティという言葉は、あくまで境界例の患者さんの臨床から生まれた概念ではあるけれど、エリクソンという人は、自分の問題としてアイデンティティという概念をひねり出した、というか、ある種の必然から出て来た切実な言葉なんだろうと思います。

 ずいぶん昔に読んだから記憶があいまいではありますが、エリクソンはアイデンティティという概念を相当複雑なものとして扱っていましたし、アイデンティティという概念が社会科学やマーケティングなどに応用され多用されることに戸惑いがあったと聞きます。

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 彼のつくったアイデンティティという概念をマーケティングに応用したものが、CI(コーポレイト・アイデンティティ)で、このCIの分野で私のキャリアが始まりました。私は、昔はCIプランナーだったんですね。日本のCIの世界では、中西元男さんが率いるPAOSという会社が君臨していて、そのPAOSが自社の提案事例を紹介したDECOMASという百科事典のような本があって、それを熟読したりしていました。小岩井農場やMATSUYAなんかの事例は、それはそれは見事でした。ちょっと鳥肌が立ちます。

 でも実務ではどんな感じなのかというと、社名変更ありきで、なんでもかんでも規定していって明文化し、それを詳細なマニュアルにしていく作業だったりします。作業の本丸はロゴデザインとその後についてくるシステムデザインで、ブームの頃、多くのCI会社はその業務を根拠にして、高額のフィーを勝ち得ていて、そういうバブルな構造だったので、ブームが去ると、ロゴデザインだけ売ってくれないかな、みたいなことが増えて、CIと言えばVI(ビジュアル・アイデンティティ)のような風潮がこのとろこずっと続いています。

 CIブームの頃は、きっと企業は、自分の宿命とか使命みたいなもの、つまり、どうしようもなく形作られた企業人格なんかを軽く見て、自分がなりたい自分になれると安易に考えて、どんどんなりたい自分になっていったという感じでした。

 そこで語られるアイデンティティという言葉は、とても軽く、とても薄く、教科書で紹介されていたアイデンティティという言葉によく似ていました。

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 コミュニケーション戦略の構築だけでなく、コーポレイト・アイデンティティやブランド・アイデンティティの構築にも、よくSWOT分析の手法が使われて、SWOTのW、つまり弱みをどう克服するか、というふうにアイデンティティがつくられていくことが多いです。弱点を克服して、強い自分になる、みたいなことですね。

 この弱みの克服というのが、どうにも軽く思えてしまうのです。だから、Wは無視する、ということではなく、逆にWこそが重要なのではないか、と私は考えています。人もそうだけど、企業だって、ひとつの企業が世界のあらゆる価値を提供できる、なんてことは絶対にないわけです。ということは、世界のあらゆる価値という軸で見れば、その企業が提供できないことというのは絶対にあります。

 提供できない、という言葉を、提供しない、という言葉に変えてもいいのかもしれません。けれども、その提供しない、ということ、つまり、全能の神の視点から見て弱点に映るものにこそ、その企業のアイデンティティがあるように私には思えるのです。また、同時に弱点の裏返しは、そのままS、つまり強みです。

 提供します、という文脈だけで考えると、その「提供します」が美しければ美しいほど、今後の新しく生まれた「提供します」との矛盾が起きてきます。そのとき、せっかくのアイデンティティが無力化してしまうんですね。逆に、規定された「提供します」に忠実になればなるほど、アイデンティティが成長を阻害してしまいます。柔軟性がなくなるんです。

 アイデンティティの構築って、ほんとは「提供しない」モノやコトは何か、ということを追いつめて考えるプロセスなのではないかな、と思うんですね。「他の人はうまくそれをやるけれど、それだけは、私には絶対にできない。」という弱点にこそ、アイデンティティがあるのではないか、と思うのですがどうでしょう。むしろ、弱点を認める痛みの伴う作業がCI。だから、多くのCI作業は、今だにトップレベルの経営案件だし、必然として外部的視点を必要とするんですよね。精神分析と同じように。

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 エリクソンという人は、その概念の中でしきりに成功ということを言ってきた人ですが、その明るいアイデンティティという概念の裏側にある暗さみたいなものが気になるし、アイデンティティという概念に意味があるとすると、その暗さに中にしかないのかもな、という気もします。

 関係の絶対性という吉本隆明さんの概念は、相対主義として語られがちだけど、その相対にまみれて、あれもできない、これもできない、というときに生まれる反逆の倫理みたいなものは、もしかすると、アイデンティティのことなんじゃないかな、と思いました。これは確信ではないけど。

 余談ですが、文章っていうか、書き言葉って面白いなと思うのは、頭の中の思考は、この文章を逆から読む流れなんですよね。つまり、なんとなく、関係の絶対性ってアイデンティティのことなんじゃないか、と思って、そこからCIについて考えたのです。そんなところも、ちょっと気になるところです。

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2009年6月 8日 (月)

人生は案外無口だ。

 テレビドラマや漫画では、主人公がひとりでなんだかんだ話しています。でも、日常生活でひとりでいるときに、声に出して思っていることを話すことはないですよね。テレビドラマや漫画はフィクションですから、ストーリー展開に必要な台詞は、主人公がひとりでいるときにも声に出してお客さんに知らせてくれるけど、日常生活では誰も見ていないわけですから、その必要はないですからね。

 小説では、「彼はそう思った。」と表現されることが多いですが、日常では、小説のようにストーリーの伏線になるようなことを明快に思うことは稀。たいがいは、その瞬間では、言葉にすると「むむう」とか「ううむ」とか、そんな感じの思い方をしている気がします。はっきりとした思いとして断定するのを先送りするというか。

 小説のように、「そう思った」と断定するのは、少し時間が経って、出来事の背後にある事柄や、会話の意味なんかが理解できはじめてからの気がします。私の場合は、「そう思った」というのは「ああ、あのとき、そう思ってたんだな」みたいに、「むむう」とか「ううむ」という感情を後付けで言語化することに近い感じです。

 そういうとこ、私の駄目なところだな、とは思うんですが、これはしょうがないよな、と自分を自分で許しているところはあるかもですね。もうちょっと感情を素直に言葉に出せればいいのですが、いろいろ考えてしまうんですよね。なので、その瞬間は表情だけが少し変わって沈黙ということが多いです。そのぶん、あとからいろいろ言葉があふれてきて、それはそれで豊かなことでもあるな、と思うんですが、その分、言葉のライブ感みたいなものは少ないんじゃないか、とも思います。

 人生って、ドラマと違って、案外無口な感じがします。日曜日はずっとひとりで過ごしていて、お昼頃に有楽町で資料探しをしたり、そのついでにいろいろ買い物をしたり、普段の休日は寝てばかりいる私にしてはわりと充実した1日だったのですが、店員に「WILLCOME 03のスタイラスあります?」というような相手がいる言葉を除くと、言葉を声に出したのはほんの数回でした。

 缶コーヒーを飲もうと、自動販売機に1000円札と20円を入れたら、おつりが100円9枚出て来て、思わず「うわっ。」というのと、何か考えごとをしていて、「そういうことかな、いやちゃうな。」という言葉くらいです。何を考えていたかは忘れてしまいましたが。

 あと、6月4日のエントリ「梅田さんのインタビューのもやもやした部分」の文中に「私はこの部分に、やもやしたものを感じました。」とあって、「もやもや」と書くところを「やもや」と書いているのはどうして、というご指摘をいただいて、「あっ、ほんまや。」と声に出したかな。ちなみに、単なる打ち間違いです。無意識かどうかは私にはわかりませんが、確かに「やもやしたもの」というのは、ちょっと意味ありげで面白いですね。なので、そのままにしておきますね。きっと、そのときは「やもや」な気分だったのでしょう、ということにしておきます。

 人間だけが言葉を持っている、ということだとすると、言葉というのは、やっぱり現実からの疎外としてあるものなのでしょうね。言葉が現実からの疎外から生まれたものだとする、疎外論の文脈だと、なんとなく吉本隆明さんが言っている「言葉の根幹は沈黙である」というのは、少し理解できるかも。もちろん、私は職業で言葉を扱うので、ツールとしての言葉を使いこなす必要もあるのですが、でも、ツールとしての使いこなしの延長線には新しい言語表現というものはないだろうな、という感覚の根拠は、「言葉の根幹は沈黙」だから、ということなのでしょうか。

 このへん、いろいろ難しいですが、なんとなくぼんやりと、これからも自分なりに考えていこうかな、だなんて思っています。さて、月曜日。いろいろはりきっていかなきゃなあ。ではでは。

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2009年6月 1日 (月)

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2)

 吉本隆明という思想家は、独特の問題意識を持っているように思います。私の思い込みかもしれませんが、思想家というものは、原理を追求し、倫理を問うてくるものだと思います。もちろん、ここでいう思想家とは、著作が多くの人に読まれ、語りつくされるような思想家ですが、例えば、僕のような一般の人が書くブログにしても同じです。

 僕は広告屋で、広告の過去、現在、未来を僕なりに語っています。それはひとつの党派性であり、「僕」という独立した個の中での原理でもあります。そして、その言説は、当然のように倫理を問うてくるものです。問うてくると言っても、その影響力の問題がフィルターとしてあるのですが、そのフィルターを捨象したうえで純化して言えば、僕のブログを読んだ人は、共感か拒絶か、という態度表明を少なからず強いてくるものです。

 そうした人間の思考が持つ「世界共通性」つまり原理の希求は、この現実の生活や実際のビジネスのリアルからどんどん離れていくベクトルを持っています。つまり、それ正論だけど、理想論だよね、と言った具合に。純粋に、個が「世界共通性」を希求するとき、それは必然のような気がします。

 そうして獲得された「世界共通性」、しかし、それはあくまで個が希求した「世界共通性」のひとつに過ぎないのですが、その原理は、やがて現実との不具合を、日々平々凡々と「現実」を暮らしている人々の意識、倫理、行動を変えることで整合をつけようとします。ときたま僕がこのブログで批判的に書いている、「素晴らしい広告を理解しない日本の国民は民度が低い」と語る広告屋みたいなことですね。

 しかし、そうして、ネットの言葉で言えば「上から目線」で語る本人も、そういう「現実」に生きる人間です。その「世界共通性」は、やがて生み出した本人さえも否定していくようになります。そのようなプロセスに対しての問題意識が、初期著作のみならず、とってもいい感じのお爺さんになられた今においても、凄まじく激しいのが、思想家吉本隆明のような気がします。

 アマゾンのレビューに、こんな文章がありました。

吉本は個人的な密かな楽しみや、独り善がりな自分勝手にも寛容である。「社畜」などとサラリーマンの哀しさを捨て置き、罵倒することは決してない。彼自身特許事務所にいたときの経験から、仕事が終わった後に同僚と一杯飲みに行くことの「たまらない」楽しさを知っている。そして、思想の営為とは、そうしたたまらない楽しさと決して無縁ではないということを語ったのが吉本だった。

Amazon.co.jp : 吉本隆明1968 (平凡社新書 459)

 この吉本さんの視線は、単に、「私は民衆とともにある」という使命から来るものではないのは言うまでもありません。そうした身勝手な使命こそ、吉本さんの批判対象であり、その「たまらない楽しさ」は、吉本さんにとっての市民としての自然から来る実感だと思います。

 ではなぜ吉本さんは、彼の用語で言えば「大衆の原像」にこだわるのか。それは、きっと、思想家として希求する「世界共通性」のためなのでしょう。「大衆の原像」を折り込まない「世界認識」は無効であることを強く意識してのことだろうと思います。そこには、知識人として原理を突き進める本能との激しい葛藤が見えます。こういう問題意識を持つ思想家は、私は、吉本隆明という人がはじめてでした。

 ジャズピアニストの山下洋輔さんが、どこかで「プロになるということは、今までアンサンブルを楽しんでいたアマチュアの仲間たちと決別することでもある」ということをおっしゃっていたように記憶しています。思想家としての吉本さんにとって、この決別の痛みは当然あるのだろうと思います。なんとなくこの『吉本隆明1968』という本を読みながら、吉本さんの言う「大衆の原像」というものは、その決別の痛みのことなのだろうと思いました。そして、その痛みを忘れて希求された「世界共通性」は破綻し堕落すると吉本さんは言っているような気がします。思想とは、その痛みも取り込むものなのだ、と言っているような気がするのです。

 鹿島茂さんが「個人的に一番好きな文章である」という「別れ」という吉本さんのエッセイを、孫引きになってしまいますが、引用します。小学5年生の吉本少年が私塾に通い始める頃のお話です。

 わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを体験した。別れの儀式があるわけでも、明日からてめえたちと遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひとりひっそりと仲間を抜けてゆくのだ。(中略)わたしが良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさの感じをはじめて味わったのはこの時だった。これは原体験の原感情となって現在もわたしを規定している。

『背景の記憶』(平凡社ライブラリー)

 僕は思想家でも知識人でもないけれど、なんとなくこの感覚がわかるような気がしますし、生きるとことは、多かれ少なかれ、こうした「名状し難い寂しさや切なさ」の繰り返しだったりすることも、ぼんやりと分かりだしてきました。そして、そこには二度と戻れないのでしょう。その痛みの感覚を「成長」という名のもとになかったとこにして、やりすごすこともできるだろうし、実際、そうしてきたときもあるような気もしますが、それは違うだろう、ということなんでしょうね、きっと。

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1)

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2009年5月31日 (日)

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(1)

 大学教授でフランス文学者の鹿島茂さん(本好き御用達の本棚「カシマカスタム」の発案者でもあられます!)が書き下ろした『吉本隆明1968(平凡社新書459)』を読みました。ですます調のやわらかい口調で書かれていますが、中身はけっこう重めで、423ページと新書にしてはけっこう長めです。

 この本は、たぶん私と同じか、それより下の世代の編集者の鹿島さんへの質問がきっかけで書かれたとのことです。

「吉本隆明さんって、そんなに偉いんですか?」

 もちろん、その質問に対する鹿島さんの答えは「偉いよ、ものすごく偉い」なんですが、その吉本さんの「偉さ」を、自身の吉本体験をひもとくかたちで解き明かしていこうという見立てで書き綴られていきます。鹿島さんはこう書かれています。

吉本隆明を再読するという体験を介して、戦後のターニング・ポイントである一九六八年の「情況」に吉本隆明をもう一度置き直すことで見えてきた「四十年後の吉本隆明体験の総括」です。

 ちょっと補足しておきますと、なぜ「情況」と括弧付きなのかというと、吉本隆明さんは同人雑誌『試行』(発刊してすぐに吉本さんの単独編集になったので、ほぼ吉本さんの個人雑誌と言っていいと思います。今で言えば、きっとブログ。)で、「情況への発言」という連載を続けてこられたから。鹿島さんの世代の吉本さんを読み込んでいる人は、『試行』に掲載される「情況への発言」を食い入るように読んできたとのことです。私はその下の世代なので、リアルタイムではないですが。

 1968年という時代は、70年安保と呼ばれる1968年頃から1970年まで続いた2回目の安保闘争があった時代です。安保闘争は、日米安保条約に反対する労働者・学生・市民の反戦・平和運動で、60年安保と比較して、70年安保は、60年安保、67年の羽田闘争を経て、分裂した新左翼諸派による一時的かつ同時多発的な共闘運動という意味合いが強いようです。また、70年安保は戦後最大の学生運動と呼ばれています。70年以降は、新左翼は各セクトの武力衝突(内ゲバ)が激化し、連合赤軍事件やあさま山荘事件などが起き、やがて学生運動自体が衰退していきます。ちなみに、私が大学に入った87年には、ほとんど表立っては、学生生活の中で学生運動は意識される感じではありませんでした。

 そして、鹿島さんが引用されている吉本隆明さんの著書である『芸術的抵抗と挫折』は1959年、『擬制の終焉』は1962年で、どちらも60年安保前後に書かれたものです。『高村光太郎』は1966年。本書でも触れられていて、私がはじめて読んだ吉本さんの著作(講演集)である『自立の思想的拠点』は1970年。この本を読んでみようと思っている若い人、もしくは私と同じ世代の人は、そのあたりの時代背景を頭に入れてから読み進めていかれるといいかもしれません。

 転向論(知識人の戦後の転向についての考察)に一定の成果を上げた吉本さんは、1969年の時点では、1965年に『言語にとって美とは何か』と1968年に『共同幻想論』を出版されていて(『心的現象論序説』は1971年)、すでに当時の学生さんにとって知的ヒーローとして見られていたのはあるかもしれません。ご本人は、「知的ヒーローなんて、よせやぃ。」とおっしゃるかもしれませんが、まあ当時の学生時代を語る人は、読んでいない『共同幻想論』を小脇にかかえて歩くのがかっこ良かったと言いますし。僕らの世代だと、浅田彰さんの『逃走論』とか『構造と力』みたいな感じですね。

 でも、この本は、そういうたぐいの「吉本は僕らのヒーローだった」みたいな吉本ファン本とは一線も二線も画する部分があって、吉本さんの考え方についてのけっこう切実な思いが語られています。遅れて来た吉本隆明さんの読者である私でさえ、ことあるごとに、こういうことを吉本さんならどう考えるのだろうか、と思うし、ましてや1968年に青春を過ごした鹿島さん世代の方ならなおさらだろうと思うんですね。

 その切実さをもってしても、何を吉本隆明という個人に依存しているんだよ、という揶揄も成り立ちそうですが、どうしようもなく僕らの思考の核として吉本隆明さんが存在してしまうのは、戦後の知識人としては吉本隆明さんだけが持ち得た「独特の問題意識」によるところが大きいのではないか、と思います。

1967年生まれの僕が、1949年生まれの鹿島茂さんが書いた『吉本隆明1968』を読んでみて思ったこと(2)に続きます

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2009年3月 2日 (月)

冗談じゃねえよ(あるいは吉本隆明さんの道理)

 吉本隆明さんの対談やインタビューを読むと、「冗談じゃねえよ、って思うんですね。」という台詞をよく見かけます。この「冗談じゃねえよ、って思うんですよね。」という一言は、わりと吉本さんの考え方の根幹を示しているように思います。そこから気づいたことなどをメモがてらに。

 吉本さんは「道理」で考える人で、道理を超える「正義」みたいなものを徹底的に嫌います。文学者がアメリカの核政策に反対する署名活動を展開したときにも、反核を唱えるなら、その実効性においては、アメリカ・ソ連の両方を名指しで批判するしかあり得ない、冗談じゃねえよ、と。一文学者が単に反核を表明することが、ソ連主導の政治運動に吸収されてしまう活動の構造自体がおかしいじゃねえか、冗談じゃねえよ、と。

 吉本さんは、上記の運動のような、一部の指導者が大衆を指導する、つまり、その大衆は、その運動がソ連主導の運動に収斂されてしまうかもしれないというようなことを思考停止にさせるような運動のあり方を、スターリニズムと呼び、徹底的に批判します。普段は買い物カゴを下げて市場に出かける吉本さんが、このスターリニズム批判のときだけは、口汚く罵倒します。それを福田和也さんなんかは、あれは左翼独特の口汚さだと言いますが、ちょっと違うかもなあ、と思ったりもしますし、そうかもなとも思います。

 吉本さんは物事の「道理」を問うているような気が私にはしていて、その「道理」というのは、現実と密接にリンクしています。それを、吉本さん独特の用語では「世界認識」という言葉になるのでしょうが、その現実というのは、吉本さんの場合、世界経済とか国際政治における現実ではなくて、その諸々の上にありながら、そんなこととは関係なしに存在する「市民社会」の現実です。そのコアの部分を「大衆の原像」と吉本さんは呼んでいるような気がします。

 そんな現実は、社会に生きる様々な立場の人が持つ様々な思いや利害が錯綜していて、当然そこには理想論や極論だけでは捉えられない多様性があります。それが実社会のリアリズム。吉本さんは、そういう現実のどうしようもない多様性をデオドラントすることで成り立つ、理想主義的な「正義」というものに対しての批判なのだろうと思います。なぜ批判するのか。それは、その「正義」が対象とする市民というものは、その「正義」が規定する存在になるからです。それ以外の市民というものを疎外していくからです。

 その「正義」の枠からはみ出した市民は、「正義」が規定する論理的帰結から、当然、非市民になります。吉本さんが「国家はいずれ解体に向かう」と言います。それは、市民社会の疎外によるひとつの集合体としての国家の解体を意味していて、その解体の根拠として「共同幻想」と言っているような気がします。そういう意味では、吉本さんはきわめてマルクスに忠実。けれどもそれは、マルクス主義ではないのでしょうね。

 ひとつ断っておくと、私は学者でもないし、マルクスなんかも読み込んだわけではないので、細部においては間違っているかもですが、それなりに吉本さんの著作を読み込んできて、彼の言ってきたことはこういうことかな、みたいなことですね。ああ、なんとなくこういうことかも、という気づきがあり、それを整理してみた感じです。もしお気づきのことがありましたら、コメントいただければ幸いです。

 吉本さんは、80年代、カウンターカルチャーを評価しました。その中に、糸井重里さんや川崎徹さんのつくる広告なんかも含まれていました。あの頃、私はまだ学生でしたが、その言葉を今読むと、きわめて冷静なんですね。ポストモダンとかいった現代思想がブームだったので、その流れのような気もじつはしていたのですが、今読むと、かなり冷静。浮ついたところがまるでない。前にそのことは1年ほど前に「1980年代後半の広告事情」というエントリに書きました。

 映像としてのテレビと、テレビCMは、瞬間の高次映像と瞬間の現在と高速度を本質とする。それはただの映像とはちがうし、また映画の映像ともちがう。
状況としての画像 高度資本主義化の[テレビ](河出文庫)

 つまりは、「大衆の原像」を根拠にして、そのリアリズムを疎外する一切のものを「冗談じゃねえ」と切り捨てる吉本さんにとって、映画に憧れる広告映像、あるいは詩に憧れる広告コピーは、ある種の映像や言葉の理想、つまりそれが持つ美意識という「正義」を強いるものとして「冗談じゃねえ」ということになるんでしょうね。そのことを吉本さんは「おしまいのよさ」と呼んでいますが。

 広告という商行為の「道理」にとって、重要なのが「高速度」と言っていること。それが気になります。これは、あれから20年経って、メディアが多様化して、ますます実感させられることです。でもまあ、これについてはことさら現代を語るまでもなく、広告というものは昔から「速度」だったような気も。「本日土用丑の日」なんて、速度がめちゃ速だもの。

 よく吉本さんについては「大衆の原像」という概念が、大衆の解体によって廃棄されたと言われるようですが、まあそうでもないかもですね。むしろ、吉本さんの現在的な課題は、管理社会、情報社会による「大衆の原像」の抑圧のほうなんでしょう。それは、最近の著作を読むと感じることです。だからこその「沈黙」みたいなことかも。

 吉本さん批判としては、きっと「大衆の原像」にその根拠を置く、という前提自体の批判が核になるのでしょうね。私は、その根拠は正しいとは思っていますし、仕事の根拠もそこに置いている部分はありますが。吉本さんの違和感については、ぼんやりと思うのは「言葉の根幹は沈黙である」とか「共同幻想は対幻想と逆立する」といった、妙に詩的で物語的なところ。それは原理ではなく倫理なのでは、と思います。このへんの疑問は、書籍やブログを含めて表明している人がほとんどいないので、個人的な資質の問題なのかもしれませんが。

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2009年1月 5日 (月)

ETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」見たよ。親父と一緒に。

 昨日まで大阪でした。で、NHK教育で放送されたETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」は、親父と一緒に見ることになってしまいました。

 「そう言えば、吉本隆明って知ってる?」
 「知らん。」
 「吉本さんっていうのは、戦後最大の思想家と言われる……」
 「知らんもんは知らん。」
 「娘さんは、吉本ばななっていう……」
 「ああ、それは知ってる。で、偉い人なんか?」
 「まあ、偉いっちゃあ、偉いけど……」

 てな感じのことを喋くりながら見ていたわけなんですが、想像以上にお元気そうでしたね。やっぱり、書き言葉や音声だけでなく、実際に話しているところを映像で見ると違いますね。戦中、吉本さんは、自分の遺言として詩を勉強してきて、敗戦によって、そのバックボーンをすべて失ったとき、詩などの言語芸術と世界認識をつなげることができたらとの思いで、世界認識の方法としての古典経済学を勉強しはじめた、というくだりなんかは、青年吉本さんの心情がすごくわかりやすく、ああ、そういうことか、とあらためて思いました。

 吉本さんの著作や講演を読むと、ああ、この人は、思想家としては、無防備すぎるくらい率直で、普通、思想家とか哲学者って、もうすこし自分をガードするもんなのになあ、なんていつも思うのですが、そのへんが吉本さんの魅力なんでしょうね。

 今回は、たまたま親父と一緒に見ていて、それが非常に面白かったです。人見記念ホールでの講演は「言語芸術論」というもので、吉本3部作で言えば「言語にとって美とは何か」あたりの問題を掘り下げた内容だったのですが、テレビに「指示表出」と出たとき、

 「指示表出?こんなもん、この人が勝手に言うてるだけやろ。」

 と言ったり、

 「この人は、何を言うてるんや。さっきから、言うてることがまったくわからん。」
 「客もわかったような顔して聞いてるけど、ほんまはわかってないんちゃうか。」
 「森鴎外はワシも読んだけど、どう読もうとこの人に言われることあれへんがな。」

 と吉本さん、言われ放題でした。まあ、吉本さんがいちばんわかってらっしゃると思うけれど、世の中、そんなもんです。あまりに横からごちゃごちゃ言うから、最後のほうは、「ちょっと聞こえへんから、黙っててえな。」と言ってしまいました。

 いちばん面白かった、親父の発言は、これ。

 「誰か、早よ止めたらな。ほったらかしてたら、この人、倒れてしまうがな。」

 あの虚空を見つめながら夢中で話す仕草は、よく話では聞いていましたが、ほんとそうなんですね。うちの親父的には、吉本さんが糖尿病で死にかけているというところに親近感を持ったらしく、番組が終わった後に「ワシもがんばらんとなあ」と妙な感想を言っておりました。ま、何ごとも、人それぞれですからね。

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2008年8月23日 (土)

筋とか仁義とか

 仁義なき戦いじゃないけれど、すべては、筋とか仁義とかなんじゃないか。そんなことを考えた。合っているか間違っているかはわからないけれど。

 気になったので、吉本隆明さんのかつての論争を読み直してみると、みごとに吉本さん、筋が通らないことを怒っている。大切な人に対して仁義を通そうと、必死になっている。それを下品だという人もいるみたいだけど。福田和也さんが、左翼のあの下品さが嫌なんだと言っていた。左翼、右翼というのはわからないけど、あの吉本さんの下品さからは、そんな筋とか仁義を守ろうとする凄みは感じる。

 確かに罵倒はあるけど、そこには嘲笑はない。私は、吉本さんのそんな風情を、まるで高倉健さんのようだ、なんてことは言わない。そんなに美しいものでもないし。だけど、なぜあそこまで反論し、論駁しようとするのかは、なんとなく分かる気がする。

 吉本さんの概念では、対幻想がいまいち分からなかった。国家を代表とする共同幻想と、性的な対人関係を代表とする対幻想は逆立する、と。そういうことなら、国家は十分すぎるほど対幻想的ではないか。性的な陶酔や恋着は、国家と個人の間にもあり得るし、それは時として恋愛に似ている。それに、時代状況に違いはあるにしても、国家という共同幻想は、対幻想という領域にいつも逆立し、牙を剥いているわけではない。

 あえて言うなら、吉本さんが言いたかった対幻想とは、筋や仁義が支配する幻想領域のことなのかもしれない。たとえば、家族や恋人が侮辱されたとき、私は、その人を、法に背いても殴り倒すだろう。それは法が裁いたとしても、関係がない気がする。

 であるならば、共同幻想は、対幻想の領域が共同化することで、逆立して成立したものと言えるかもしれない。つまり、国家という共同幻想は、逆立した対幻想という幻想領域を基盤とした、自己矛盾的な存在なのかもしれない。法が、暴力に理由を問うていることに、もしかするとその証があるのかもしれない。

 世の中をうまく渡ろうと、薄ら笑い私の中で、もうひとりの私が奥歯を噛み締めながら、声にならない声で叫んでいる。優劣を問う前に、筋を問え、仁義を問え。

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