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2012年3月 8日 (木)

俳句は短歌の後にできた

 より短い形式である俳句のほうが短歌より後にできた。これ、ちょっと不思議な感じがしませんか。普通、シンプルな形式がより複雑化するのが道理な感じがしますよね。でも、日本の定型詩の歴史で言えば、俳句が後というのは、概ねこれは事実であるようです。あまり私は詳しくはありませんし、この分野はいろいろ説があるようにも思いますが、少なくとも、きちんとした定型詩の形式として成立という意味では、短歌が先で俳句はかなり後になってから、ということは言えると思います。

 でも、これはジャズの歴史でも同じなんですよね。これも大雑把な捉え方になってしまいますが、ジャズの発祥と言われるデキシーランドジャズなんかは複数のホーンと、ベース、ドラム、ギターかバンジョーというような中編成のバンドが多かったですし、その後、商業音楽として成功したジャズはビッグバンド形式でした。

 大きなホールや酒場でビッグバンドで演奏されていたジャズですが、小さな酒場でもジャズを取り入れたいというニーズができきたんですね。で、トリオやカルテットという小編成のジャズバンドが誕生するわけです。小編成でも、ビッグバンドのスィングやグルーブを再現するために、音の厚みをカバーするかのように、より複雑でダイナミックなソロが取り入れられました。これが、ビバップです。

 このビバップにより、ソリストは自由を獲得していきます。これまでのバンドマスターから、ソリストがスターになる時代がやってきます。ビバップの時代にチャーリーパーカーやバドパウエルのような天才ソリストがたくさん輩出されました。その天才がビバップをつくったということと同時に、より編成が小さくなったビバップという音楽形式が天才をつくった、とも言えると思います。

 短歌、俳句は、基本的にはひとりの人がつくる芸術ですが、もしかすると同じようなことが言えるのかもしれません。短歌は上の句と下の句に分かれ、基本、状況とその状況についての私の思い、という構成になりますよね。しかし、その上の句だけを切り取った俳句は、状況を描くことだけで思いまで伝えるということになります。それは、思いを言葉にするということを禁じてしまう分だけ、厳しく私の資質が問われることになります。つまり、俳句という最短の定型詩の成立には、これまでの短歌や連歌をはじめとする和歌という定型詩ジャンルの成熟があったと思うのです。

 俳句は短歌の後にできた。あるいは、ビバップはビッグバンドジャズの後にできた。

 これは、不思議でもなんでもなく、きっと必然なんだろうと思います。定型詩にしても、ジャズにしても、そのジャンルが成熟する段階で必ずsubtraction(引き算)が起ります。それは、つまり、subtractionが可能になると言い換えてもいいのかもしれません。subtractionには勇気がいります。subtractionによって残されたものは、そのものだけで世に問えるだけの価値のあるものなのか。ある。そう言える自信がなければsubtractionなんてできやしないのだから。

 また、そう言えてはじめてsubtractionが必然になります。なぜなら、そう言えてはじめて、他の価値とのaddition(足し算)が自らの価値の相殺として機能してしまうと思えるようになるのですから。他の価値とまざってしまうのは、もうごめんだ、かんべんしてよ、と。

 たぶん、この必然は、定型詩やジャズという芸術分野だけでなく、テレビやスマートフォンをはじめとする工業製品をはじめとするあらゆる消費材、居酒屋やファーストフードをはじめとするあらゆるサービスにも当てはまるような気がします。

 今の消費社会を、バブル期を基準として不景気による後退と見るか、それとも、ある種の成熟と見るか。そのことが、あらゆることを考えるうえで鍵になってくるように思います。それによって、結論も、今後の行動も、すべてが変わってきますから。で、私はどう考えているかって?もちろん。私は成熟である考えています。

 きついけど、自分も含めて、みんな成熟してしまったんだし、たぶん、もう戻れないんだから、やるしかないんだろう。そんなふうに考えています。

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2012年1月 2日 (月)

普通の爪楊枝

 年末年始はずっと大阪。しばらくは、親父と男二人のむさ苦しい暮らしが続きます。飯は家で食うので、近くのショッピングセンターまで買い物に。食料品を買うついでに、そういえば爪楊枝がなくなってたなあ、なんてことで、紙にメモして出かけました。

 ショッピングセンターにあるスーパーマーケット。それにしても、たくさんのお客さんがいるもんだなあ。元旦なのに買い物かあ。世の中も変わったなあ。なんて思う私も時代の子。晩飯のおさしみとか野菜とか豆腐とかを買っているんだもの。人のことは言えんわなあ。

 半額になったお節の誘惑も振り切って、必要な分だけの食料品を買い込んで、さてと、爪楊枝はどこだ、と探すも見つからず。どうしたもんかと店員さんに聞くと、ああ、ここには置いてないんですよ、薬局か100円ショップなら置いてますよ、と。一瞬、薬局って、心の中で突っ込みを入れたものの、そういえば、最近の薬局は何でも売ってるものなあと、とりあえず笑顔で納得する素振りを。

 エスカレーターに乗って2階に。微妙な感覚だけど、生鮮食品を入れた袋を持って別の店に行くのは、ちょっとだけ抵抗感があるんですよね。衣料品や雑貨を先に買って、最後に食料品。そんな掟が私の中にはあるようです。

 薬局。最近の薬局はお菓子や飲み物もあるんだなあ、と関心しながら、店内をうろうろ。爪楊枝って、キッチン用品でもないし、糸ようじっていうのがあるけどデンタル関連商品でもないし、と少し迷ってしまいました。ようやく爪楊枝を発見。日用雑貨の棚に、割り箸と一緒に並んでいました。

 でも、残念ながら、その爪楊枝は買いたい爪楊枝ではありませんでした。1本1本がビニールの袋に包まれているやつなんですよね。お弁当とかに添えられているタイプの爪楊枝。そのビニールの袋、今はいらないんです。ほしいのは、筒状のパッケージに裸の爪楊枝がぎっしりつまってるやつ。実家には、どこかの土産物だったと思うんですが、きれいな石に筒状の穴が掘ってある、ちょっと上等な爪楊枝立てがあって、そこにきっちり入れるには、あの袋は、申し訳ないけど邪魔なんです。それに、家ではゴミになるだけだし。その清潔を考えたひと手間の気持ちはわかるんですけどね。

 というか、ビニール製の安もんの筒型パッケージと、そこにぎっしり詰め込まれた爪楊枝の隙間に、柳楊枝って墨文字で書いてあるペラペラの紙が入ってるのが、普通の爪楊枝だと思うんですけどねえ。どうして普通の爪楊枝を置いてくれないんだろう。

 でもまあ、しょうがない、これでいいや、と思ったりしましたが、すぐに、いやいや、年始早々、妥協はいかん、と考え直して何も買わずに薬局を出ました。で、エスカレーターで3階に。100円ショップには絶対あるでしょ。日用雑貨と言えば、今や100円ショップなんだし。しかしまあ、いろいろあるもんですね。えっ、これが100円なんてものもたくさん。必要がなくても、思わず買ってしまいそう。それに、デザインもかなりがんばってます。10年ほど前は、いかにも100円でござい、っていうものばかりでした。中の人、いろいろがんばっているんだなあ。負けないようにがんばらないとなあと、年始っぽいことを思ったり。

 こちらはさすが100円ショップ。爪楊枝は簡単に見つかりました。棚のかなりの面を使って商品が積まれていました。ここでは人気商品なんですね。でも、でもねえ、やっぱりないんですよ、あの爪楊枝。棚には2種類あったのですが、ひとつは薬局に置いてあったのと同じ、1本1本がビニール袋に入れられた200本入りのもの。もうひとつは、紙の袋に入れられた300本入りのもの。ここで心が折れて、結局、紙袋に入った300本入りをひとつ購入。消費税込みで105円。

 ぼんやりとした敗北感を抱えながら家路に。なぜ袋入りしかないのかなあ、なんてことをぼんやりと考えていました。

 もしかすると、最近の衛生指向で裸の爪楊枝は絶滅してるのかもなあ。まさかそんなことはないだろう。いやいや、でも案外そんなこともあり得るかも。なにせ、ここ数年、爪楊枝には見向きもしなかったしなあ。えっ、これってもうどこにもないのか、いつのまに、っていうものもたくさんあるしなあ。

 で、ブロガーの悪いくせですが、ネットでいろいろ見てみたんですね。すると、あの裸の爪楊枝はたくさんありました。あの見慣れた裸の爪楊枝は300本入りなんですね。価格は60円前後。少し大きめの容器に入った500本入りのものもありますが、こちらも60円から80円。お徳用と称したものは、同価格で2個セットとか、それ以上のセットもりました。

 さらに調べてみると、環境対応を謳った国産のものが、やっと100円。竹製やセルロース製、ミントやキシリトール付き、和菓子に使う工芸ものなど、高額の差別化商品はたくさんありますが、概ね、爪楊枝は通常価格60円前後の商品のようです。セールものでは、切りがないほど安いものもあります。

 家庭で使うことを考えれば2個セットとかはちょっと多いと感じるし、かといって、いくら小さな商品といえども、60円の商品を棚に置いておくのはもったいないし、その値段では安さも演出できない。そんなこんなで、悩んだ末の、ちょっと付加価値、袋入り、ということなんでしょうね。まあ、今回のケースはたまたまだと思うんですよね。街のお店ではしっかり定価で売ってると思うんですが、大型ショッピングセンターの大型店というシステムでは、今や普通の爪楊枝はどうしていいのかわからない商品になってしまっているのかもしれないですね。

 普通の爪楊枝を求める声がこれから高まるとも思えないですし、たぶん、普通の爪楊枝は、こうしたシステムの中では、ずっと、どうしていいのかわからない商品のままなんでしょうね。まあ、普通のスーパーとか、街のお店で買えばいいことなんですが。

 ネットというシステムは、そこらを軽くすくいとることができているんでしょうけど、その一方で、やっぱりどこまで行ってもネットはリアルの、思ったときにすぐ手に入れられるっていう部分は超えられないとも思うし。この普通の爪楊枝から、いろんなことが見えてきますね。お買い物に限らず、おおよそ、今の世の中はシステムで動いていると思うし、そんなシステムはいろんなことを便利にはするけど、システムであるが故に取りこぼしてしまうものもたくさんあるんだろうなと、2012年のはじめに考えました。

 ちょっとばかり年始の誓い的なことを書くと、こうした、新しい時代の新しいシステムの中で取りこぼしてしまった「どうしていいのかわからない問題」を、今年は考えていきたいと思っています。これから、きっといろんなシステムが変わります。また、ちょっと前に変わったシステムが動きだし、新しい問題が出てくるだろうとも思います。そんなとき、昔はよかった、昔に戻ればいいじゃん、っていう倫理を持ち出してくるんじゃなくて、今のシステムの中で「こうすればいいじゃん」という答えを出していければと思っています。

 小さな答えでも、積み重ねれば、世の中、少しはよくなるでしょ。そんな思いを込めて。2012年もどうぞよろしくお願いします。 

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