カテゴリー「パソコン・インターネット」の31件の記事

2009年11月17日 (火)

今回のココログの改訂はいいですね

 ココログの場合、カテゴリーをクリックすると、そのカテゴリーに含まれるエントリがすべて表示されていたんですね。私の場合だと、「日記・コラム・つぶやき」カテゴリーのエントリが現在349件あります。それが全部表示されると大変なことになっていたんですね。スクロールしても、延々続くエントリ。そないに読めんわっ、という感じだったのです。

 そういえば、このブログでも、ときどき「日記・コラム・つぶやき」をクリックすると大変なことになりますよ、なんて書いたこともありましたね。

 最近は、どこもブロードバンドだし、パソコンの性能もいいから、PCが止まったりすることも少ないけれども、それでもあまりほめられたものではありませんでした。このカテゴリーの表示の仕方に不満を持っていたココログユーザーは多かったのかもしれませんね。私もそのひとりで、カテゴリーやバックナンバーがタイトルのリンクで表示されるタイプのブログサービスはいいよなあ、なんて思っていました。

 今回のカテゴリ毎バックナンバーの仕様変更で、劇的に改善されました。最新の10件が全文表示で、それ以降のエントリがタイトルのリンク表示になり、ある種の目次的な役割も果たしてくれるようになりました。

 これは、ブログの書き手にとってもありがたいことで、外部の目次サービスを試したりもしましたが、それも思った感じとは違うものでした。RSSやはてなブックマークで代用もできるのですが、やはりブログ内でも目次の機能を持ちたいという思いはありました。RSSやはてブは、多くの人にとってはまだまだ敷居は高いと思いますし。そういう意味では、今回の改訂はすごくうれしいですね。何より、目次は、書いた本人にとって便利なんですよね。

 カテゴリーは、いつもは右サイドバーにあります。まだ、新しいシステムに移行していないカテゴリーがあるようですが(というか17日午前1時現在、移行しているのは「日記・コラム・つぶやき」だけかも。広告関連カテゴリーはまだ移行してなくて、エントリも多いのでご注意を。)、時間が経てば完全に移行するとのことです。よかったら、お暇なときにでもクリックしてみてください。ではでは。

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2009年10月17日 (土)

ウェブサービスのせつなさ

 テクノラティが日本でのサービスを終了しました。私は、ブログ開始は2007年6月でブログ後発組だと思うので、正直言えば、テクノラティにはあまり思い入れはありません。一応は登録をしてありますが、Pinがうまく送信されなくて、更新しても最新のエントリが表示されなかったりして、次第に見に行かなくなりました。

 テクノラティは、基本的にはブログ検索サイトとのことですが、私はどちらかというとブログのランキングサイトとして認識していました。というか、ブログ検索としては一度も使ったことがないなあ。

 それでも老舗のサービスでもあるし、一頃はブログ関連の中核的なウェブサービスでもあったので、なくなると思うと、すこしさみしくもあります。まだ閲覧はできる状態ではありますが、いつかはnot foundになるのでしょうね。ウェブの場合は、サーバーに格納されたデータに過ぎないので、サービスが終了されれば跡形もなくなります。なんとなく、ウェブサービスってせつないなあと思います。

 人気のあったテキストサイトなんかも今では閲覧もできないサイトもあります。ブログなんかでも、閉鎖されてしまったものは今はもう読めません。このブログでリンクしたブログエントリの中にも、リンク切れを起こしているものはたくさんありそうです。たいがいは、「ほう、そんな考え方もあるのか。いいなあ。」という感じでリンクをしたものだと思うので、少しさみしくもあります。それに、リンクはしなかったけれど、いつも密かに読んでいたブログも。

 でもまあ、ウェブに書くということはそういうことでもあるし、書く自由と同じように、やめる自由、消す自由も担保されなければいけないのだろうな、とは思います。それがなければ、誰もウェブでものは書かないですよね。どうか、元気で。

 はじまるものがあれば、終わるものもあります。それは、何でも一緒と言えば一緒ではあるのですが、その速度は、人の営みより、もっともっとウェブは速くて、感傷的になる間もなく、あっという間に新しい世界がはじまっていて、いつの間にか、その世界についていくので精一杯になって、いつかはなくなるという世の中の理を考える間もなくなってしまいます。

 このブログをはじめてからでも、私をめぐる状況は少し変わったけれど、だからといって、人間なんてそんなに変わるものではないよな、というのが、このブログの過去ログが示しているようにも思います。ブログが提供した更新しやすさというのは、こうしたログの継続性みたいなものを個人に与えました。その継続性は、自分の可能性を狭めるものとして機能することもあるけれど、それでも、実感としては、これからも続いていく生活にとって、ひとつの勇気というか、自信をくれるものでもありますね。

 調子のいいときも、悪いときも、すべて私。人間は、そんなに変わるものではないんですよね。それでも何か書けと、更新がしやすいブログは私に言っていて、それは、たいしたことは書けなくても、そういう時もあるさ、ということを日々のログが教えてくれたりもするし、あらゆるものは終わるときがあるということを考えるからこその、継続というものが成り立つということでもあるのでしょうね。逆説的だけど、あらゆることは逆説でもあるよな、とも少し思います。

 そう言えば、かつて暇つぶしに遊んでいたShockwave.co.jpはどうなっているかな、と見に行きました。今はないから、新しい人は知らないかもしれませんが、ショックウェーブのテクノロジーを使ったゲームなどのエンタテイメントが無料で楽しめる、広報的なウェブサービスでした。

 今、「Shockwave.co.jpサービス終了のお知らせ」という告知文が置かれています。その下には、人気コンテンツのリンク集があります。ZOOKEEPERはよく遊びました。そのまた下には、「Shockwaveからみなさまへ 〜9年6ヶ月分の感謝を込めて〜」と書かれていて、「詳しくはこちら」というボタンを押すと、Shockwave.co.jpのこれまでの出来事が綴られた映像コンテンツがありました(参照)。なんだか、なつかしくもあり、せつなくもあり、なんともいえない気分になります。あの頃、私は何してたんだっけなあ。

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2009年9月28日 (月)

Googleの素っ気なさ

2  とあるブログで、Googleのトップページのロゴが変わっているのを知りました。11周年とのことですね。

 ま、Googleのロゴは、何かの記念日に度々変わっているので、それほどのニュースでもありませんし、別にどうってことはない話かもですが、それよりも私が、へえなるほどなあ、とあらためて思ったのは、頻繁にGoogleを使っているにもかかわらず、そのブログを読むまで、私が変化に気付かなかったということ。

 私の場合、Googleで検索するときは、Firefoxの検索窓を使っています。また、ホームをiGoogleにしているので、それを使うときもあります。なので、Googleをいつも使っているにも関わらず、ロゴの変化に気付くこともないわけです。

 Googleのホームページは、あいかわらず素っ気ないデザイン。google.co.jpは下の方にYouTubeやらニュースやらのリンクアイコンが付いていますが、google.comには付いていません。きっと、11年間ほとんど変わっていないのではないでしょうか。日本のGoogleは、検索シェアのこともあって、若干のアレンジをしているでしょうから、google.comのデザインがGoogleの考え方を素直に表しているということですね。アメリカが本社だから当たり前ですが。

 そのシンプルなホームには、一切広告がないんですよね。検索キーワードによる関連広告の表示というのがGoogleの提供する広告ソリューションですから、このデザインには筋が通っています。ホームの段階では、検索キーワードが何も送信されていない状況なので、当然、広告は表示されないということ。

 日本でトップシェアのYahoo! JAPANは、ホームでのバナー広告が広告ソリューションのいちばんの売りで、この枠は人気も高いようです。yahoo.comも同じようなバナーがあります。広告の効果で言っても、大勢の人が見るサイトですから、かなりのものがありますし、値段もけっこう高額。

 で、一方のGoogleのホーム。ここも大勢の人が見るサイトには変わりがありません。であるならば、このホームにバナー広告を貼付ければ、かなりの効果が期待できる広告媒体になるはず。でも、Googleはそれを善しとしないわけですよね。調べてみると、iGoogleにも、Googleニュースにも広告がまったくなく、相当な意志が感じられます。

 一企業として、すごいもんだなあ、と思います。Googleの広告ソリューションを例にして、マス広告の終焉が語られますが、当のGoogleはそんなことは微塵にも思っていなくて、それよりも、マス広告を提供するテレビや新聞が、自ら提供する広告媒体に縛られてがんじがらめになってきた歴史をよく見て勉強しているような気がするんですよね。しかも、Googleには、マス広告と相似構造を持つ広告には興味がない、と。それが、Yahoo!との決定的な違いのような気がします。Yahoo!は、さらにホームを充実させて、ネットのマス広告+検索連動型広告というバランス型でこれからもいくのでしょうね。

 前に、Googleっていうのは「純広」で食っていこうとしている会社という趣旨のエントリ(参照1参照2)を書きましたが、より正確に言えば、自らが提供する「検索連動型広告」の新しい価値を信じて、それだけで食っていこう、ということなんでしょう。それは、逆に言えば、Googleで検索される側のサイトにおける「純広」と我々は競合しないという意志のようにも見えます。ちょっと、考えすぎのような気もしないでもないですが。

 それにしても、この素っ気なさは、筋金入りだなあ。なかなかできることではないですよね。これだけネットがワサワサしてきて、競合もたくさん出て来たにもかかわらず、11年変わらないのは、ほんとすごいです。

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2009年9月 5日 (土)

なう

 Twitterが第二次ブームみたいな感じになってきて、第一次ブームのときになかった(ような気がする)言葉のひとつに、「なう」という言葉があります。「帰宅なう」とか、先の衆院選で話題になったものでは「初めて下野なう」とか「当選確実なう」とか。すごいよなあ、ここまで微分化しますか、と感心します。

 コメントが賑わうタイプのブログやソーシャルブックマークのコメント欄なんかで最近目につく言葉は「噴いた」という言葉。これも、きっと、今この瞬間、みたいな気分を表現するためのものですよね。

 ウェブのコミュニケーションツールは、出版という行為を簡便にしたり、時間を短縮したり、分散された情報を集積したり、ウェブの得意とする分野において高度化する一方で、リアルに優位性のある分野に対しては、テクノロジーでどこまで近づけるかという課題を持ちながら進化を重ねているような気がします。私はギークではないので、そのあたりの技術革新のモチベーションの本当のところはわかりませんが、端から見ているとそんな感じに思えます。

 後者のリアルに絶対的な優位性がある分野、例えば、人間の表情とか、発言のリアルタイム性だとか、そういった原理的には絶対にリアルには勝てない分野においては、これはもう漸近線的な進化しかないのだろうな、とも思います。それをバーチャルリアリティと呼んでもいいのですが、技術革新の動機としてはやはり「リアルに近づく」でしょうし、昔、パイオニアのコンポーネントステレオ(懐かしい用語ですね)の広告コピーで「スイッチを切るな。現実がやってくる。」というのがありましたが、ま、そういうものであろう、と。

 漸近線的進化であるから、そのリアルとのすきまの部分は、当然、Twitterなどのコミュニケーションツールのテクノロジー以外の部分で埋め合わせていくことになって、それは、コミュニケーションツールの制作者ではなく、ユーザーが埋め合わせていくということになるのでしょうね。

 例えば、それはユーザーの意識だったり。Web2.0という言葉に表現される人間の行動規範や倫理といったものは、コミュニケーションツールがリアルに近づけない、その不完全性の補完として理解できるのかもしれません。その意味では、最近目にすることが多い「なう」とか「噴いた」とかの言葉は、ある種のテクノロジーというものなのかもしれません。

 もう少し掘り下げて言えば、「なう」も「噴いた」も、今この瞬間、という臨場感を伝えてくれるものの、わりあいその人の感情の起伏や個別性なんかは伝えてはくれません。吉本隆明さんの用語で言うならば、指示表出的な言葉なのでしょう。状態を指示する指示表出。そういう意味では、プログラム的でもありますね。

 例の新聞社のTwitterでは、私は「思うとおりにはさせないぜ。」という言葉の方が、Twitterといえどもテキストで記録されるメディアでの発言としてはいささか刹那の感情の表出に過ぎるような気がしますが、とても自己表出的で、Twitterならではだなあ、と面白く思いました。

 私は、というと、その手の自己表出は苦手。やってもうまくは立ち回れないと思うし、たいがいリアルでも引っ込み思案で、あのときああ言えばよかったとか、言わなきゃよかったとかの連続なのに、ウェブでまでそんな思いはしたくないよなあ、という感じです。ま、わりと頻繁にブログを書く方なので、何を言っているんだろ、この人、というのはあるかもしれませんが、やはり私は何かを書くためには、ある程度の沈黙もいるし、そんな私にはブログで十分と思っております。

 でも、Twitterは嫌いではないですよ。これからはもっとこなれていくと思うし、ああいう軽やかな感じはうらやましすなあ、と目を細めて眺めておりますです。では、よい休日をお過ごしくださいませ。

 関連エントリ:Twitterかあ

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2009年8月30日 (日)

「民意にマジレス〜ネット論客が民意にもの申す!〜」が面白いですよ。

 

livedoorねとらじ特別番組「民意にマジレス〜ネット論客が民意にもの申す!〜」

 

 弾さん池田さんが出演。こういうの、民放ラジオでもやればいいのに、と少し思いました。ラジオの番組表を見ると、選挙関連番組は少ないようですね。テレビとの棲み分けなんでしょうが、こんな時だから、テレビじゃできないことをラジオがやる、みたいなことがあってもいいのにな、と少し思います。やっぱり、民放ラジオは元気がないですね。

 ねとらじでは、ただいま、生放送で旧メディア(=ブロードキャスティング)対ネット(=コミュニケーション)をテーマに、熱いトークが繰り広げられてます。ネットらしいテーマで、なかなか面白いです。テレビにくらべると、ちょっと極論が多くて、脱線も多いけど、それが逆に自由な感じで、こういう感じがラジオの良さなんだよなあ、と思いました。それがねとらじで、というのが今という時代なんでしょうね。

 23時頃(頃というのがいいですね)までやっているそうです。

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2009年8月15日 (土)

NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト

Nhkarchives

 少しずつ「NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト」に収められた映像を見ています。これだけまとめてたくさんの戦争証言映像を続けて見るのははじめてです。このサイトには、8月13日から10月15日までの限定公開で、約100人の証言、太平洋戦争をテーマに取り上げた2つのシリーズ番組、国策番組である「日本ニュース」、玉音放送を含めた戦時録音資料などが集められています。より充実したサイトにするためのベータ版的なものだそうです。

 私は42歳ですが、私の親にしても戦時中は子供でした。父が72歳で母が69歳。社会では高齢者。にもかかわらず、その世代でさえ、もう生々しい戦争の記憶を持っていない世代なんですよね。私の母は、こんな話をしていました。

 「空襲警報が鳴って、外に出ると街の遠くのほうが真っ赤になってて、おかあちゃん、きれいやなあって言ったらすごいおこられてん。子供やったからな、花火をやってると思ってしまたんやねえ。」

 私の母は大阪市の南で育って、その地域は空襲を免れています。悲惨な戦争でも、少し場所が違うとそんな日常があったということです。

 父は広島の尾道からフェリーで10分ほどの小さな島出身です。広島に落ちた原子爆弾のことを報道で知ったと言っていました。けれども、当時は「とんでもない空襲があったそうだ」という感じだったそうです。その惨状が明らかになるのは、終戦後です。同じ広島県内でもそんな感じだったんだそうです。

 なんとなく思うのは、どんなに悲惨な戦争にも日常はある、ということです。場所が少し違ったり、世代が少し違うだけで、その日常はずいぶん違います。もしまた戦争が起こったら、きっとその日常に慣れます。慣れてしまいます。

 この「NHK 戦争証言アーカイブス トライアルサイト」の「ご覧になる前に」にある文章を引用します。

日中戦争・太平洋戦争の終結から64年、戦争の時代を生きた方の多くが80歳を越えるようになりました。NHKの「戦争証言プロジェクト」ではこうした戦争体験者の証言を取材し「証言記録 兵士たちの戦争」「市民たちの戦争」などの番組を制作してきました。今回、このプロジェクトの新しい取り組みとして「戦争証言アーカイブス」を開設します。これは、収集した証言を、未放送の部分も含めて、インターネットを通じて誰もがいつでも視聴できるようにするものです。その第1段階として今年の8月から2か月間、約100人の証言を収めた「トライアルサイト」をオープンしました。このサイトをできるだけ多くの方にご利用いただき、さまざまなご意見、ご要望を生かしながら、より使いやすく充実したアーカイブスに進化させていきたいと思っています。そして太平洋戦争開戦70年にあたる2011年には、空襲や疎開など銃後の体験も含め、1000人の証言を集めたサイトを完成させる予定です。

戦争体験についての証言は、これまでもテレビのドキュメンタリーなどで部分的に紹介されてきましたが、日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理し公開するのは初めてのことです。また、証言してくださった方の中には、戦後長く封じ込めてきた記憶や思いを、次世代のためにと、今回初めて語ってくださった方もいらっしゃいます。この「戦争証言アーカイブス」を通じて、戦争体験が「社会の共有財産」となることを願っています。未来に伝えるために。

 このNHKのプロジェクト、応援したいと思います。

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2009年6月 4日 (木)

梅田さんのインタビューのもやもやした部分

 例のITmediaのインタビュー。インタビュアーの岡田有花さんが、梅田望夫さんの『僕自身がはてなの取締役でいる限り、「(ネットユーザーに対して)お前たち、こうしろよ」とか「こういうこと言ってるやつはよくない」と言うことは許されないんだなと思ったんです。』という発言に対して、『言えないんでしょうか。どう批判されても、言えばいいのでは。』と問いかけたことに対して。

 それは僕の構え方の問題だね。やっぱり僕は、はてなが大好きだし、近藤には相変わらず期待しているし、みんなの批判を受けたように、「おまえたちが制度設計し、日本語圏のネット空間が良くなるようにすればいいんだろう」と言われればその通りだし。そういうことを思ったよ。

 今、近藤もブログ書いてないじゃない。彼だってアメリカから帰ってきてブログ書かなくなっちゃったじゃない。近藤に聞かないと真意は分からないけど。

 はてなって特異なポジションにあるじゃない。最初のうちは無邪気にみんなやっていた。僕も含めて、ウェブ進化論にはてなのことを書いたし。そういうことをやってきた。

 そのサービスというのは非常にニュートラルなものだから。確かに制度設計といわれても、できる限りオープンにしたいというのがあるからね。

 強権的に何かを削除するとしても、ほかのブログなら何も考えずに消すけれども、うちはむしろ、もうちょっと違うところを目指したりするじゃない。そこが原点になって何か問題が起きたときに、直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。

 そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)  (2/3) – ITmedia

 私はこの部分に、やもやしたものを感じました。と同時に、この「もやもや」に、これからのネット、もっと広げて言うとこれからの社会のあり方についてヒントがあるのだろうな、とは思いました。

 この部分にはたくさんの考えるヒントが含まれています。

  • 梅田さんがはてなの取締役である限り、はてなユーザに対する言及はしないという構え
  • 「はてな」の近藤さんが現在ブログをあまり熱心に書いていないことについての梅田さんが推測する真意
  • ニュートラルかつオープンを目指す制度設計とそこが原点になって起こる問題
  • はてなのことを一生懸命考える梅田さんに対して、安易に「辞めてくださいよ」と言ってしまえる新聞記者のメンタリティ

 はてなの近藤さんの件は、近頃は「はてなハイク」でつぶやくことが多いみたいだし、梅田さんのあの発言もTwitterでのつぶやきだったし、このところのウェブのコミュニケーションについてのトレンドと同期しているという部分はあるのでしょうが、ある種のまとまった考えをじっくり書くということが少なくなってきているのは、確かにあるんでしょうね。ログがどんどん微分化されていく傾向にあるように思います。

 ニュートラル、オープンであるシステムは、梅田さんが「ウェブ進化論」などで語られる理想の言論環境の裏側では、究極、件の新聞記者の「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」という発言も許容するということだし、その発言に対して「ふざけるな」と反応することで対抗するというシステムだと思います。あと、スルーもあるけど、言われたほうとしちゃ、やっぱり感情はあるからなあ。

 そういうはてな的な、ニュートラルでオープンなウェブの価値観を体現している、IT戦士の岡田さんが「言えないんでしょうか。どう批判されても、言えばいいのでは。」と質問したのは、ある意味で象徴的でした。

 ここから考えてみると、システムがオープンでニュートラルであることを指向する限り、はてなの取締役という立場でも言うというオープンさとニュートラルさが原理的には求められることになるし、「取締役という立場を離れて言う」というスタンス表明がレトリックとみなされる空間(それは、梅田さん的あるいははてな的オープン・フラットの否定だったんでしょう)において、それが現実的に可能なことかどうかということを考えるとき、やはり、原理的には梅田さんの「構え」というのが導き出されると思うし、それは梅田さんが言うように「今、近藤もブログ書いてないじゃない。」という逆説的な動きをシステムがしてしまうということなんだろうと思います。

 きっと今、梅田さんが考えるオープンでニュートラルかつ上昇志向な言論空間は、ウェブではなくSNSという閉じられた言論空間で可能だと考えているのだと思うけれど、そういうSNSが日本ではまだ実現していないの苛立ちが梅田さんにはあるのでしょうね。

 今、はてなで言えば、「はてなブックマーク」は、ウェブのタイムリーなトレンドを知る上では、少なくとも私にとっては他にはないサイトになっているし、この1点だけとっても相当なものだな、という気がしています。それは、梅田さんが想定するものではない可能性だろうけど。

 一方で、ブログでものを書いていて、ブログによって人生が少し変わろうとしつつある、その渦中にある私としては、梅田さん的な課題は、自分の中にもあるし、私の中では、この「もやもや」は結構、後々まで引きずる「もやもや」のような気がしています。ネットのこれからというのは、社会のこれからのアナロジーとして考えられると思います。これから、このブログで書くことや、仕事などを含めた、ひとつひとつの行動で少しずつ示していく、ということなんだろうな、と思っています。

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2009年3月20日 (金)

トラックバックについての私の考え方

 前回の「コメントについての私の考え方」に引き続き、トラックバックについて書きます。2007年6月にこのブログを開始し、もうすぐ2年になるので、とりあえず中間報告的な意味合いで、私にとってのトラックバックと、トラックバックを受ける側の気持ちなどを、なるだけ率直にまとめてみます。

 トラックバックの受信は、コメントと違って、現在90件。こちらは、かなり大胆に非公開、削除をしています。というのは、大半はスパムトラバだから。それはもうひどいもんですね。ブログを運営している人なら、そうそうと同意していただけると思いますが、削除するのは結構大変です。ただ、最近はココログのフィルタがよくなってきたのか少なくなってきたような気がします。

 まあ、コメントに比べると、トラックバックはかなり経験値が高い人が使うものでもあるから、このエントリの意味合いは少し低めかもしれません。経験値が高い人は、トラックバック歓迎と書いてあってもしないものはしないし、するものはする。また、スパムトラバは、機械に対してものを言っているようなものだから、そもそも無意味。

 なので、私が心がけているトラックバックの使い方を書きます。私の中の原則論ですね。

  1)送信先のエントリの中心課題について書いている記事であること
  2)その際に言及している記事のリンクをかならず入れること
  3)共感であれ批判であれ送信先の記事の内容が発展すると思えること

 この3つに該当しなければ、トラックバックは送信しません。3つめについては、私独特のものかもしれません。私は個人メディアでは「発展」という契機を大事にしたいのですね。これは異論もあるでしょうし、その考え方もありだとは思いますが、私はトラバは「発展」に使いたいと思っています。仕事では、わりと、力を持ちそうな浅い考え方や間違った考え方、凡庸な考え方を潰しにかかることも多いのですが、それは仕事だけでいいや、みたな気分ですかね。まあ、甘ちゃんです。受けるほうは、潰しにかかるトラバも歓迎ですけどね。

 私は、Movable Typeをはじめとするパーソナル・パブリッシング・ツールであるブログという発明は、印刷に匹敵するものだと思っています。言い過ぎではなくて、ちょっぴり本気で。その中で、トラックバック機能はブログ特有のものです。送信、受信の両方がなければ成り立たない機能だし、相互の合意で成り立つその新しいコミュニケーションは素晴らしいものだと思います。

 だからこそ、よってたかって悪用されました。昔だと、「相互リンクお願いします」みたいな人力でやっていたことを、双方の合意なしに、簡単に自動化しますし、相手先にだけ自分のリンクを貼ることも簡単にできてしまいます。使い方が定められていないから、どう使おうと勝手でもありますが、一方的に自分に利することのためにトラックバックを使うのは、なんとなく品がないように思うし、ただでもぐだぐだ気味のトラックバック機能をこれ以上駄目にしたくないな、という思いもあります。

 こういう考え方を、言及リンク派というのでしょうが、そうではない人も多くおられると思います。内容が似通っていたら、トラックバックを送るのはありだと考えている人も多いと思いますし、わりとネットリテラシーが高く、ネット広告やSEOにかかわっておられる方にも、そういう人は多いと思います。これはトラバに関する考え方の違いに過ぎませんが、私は、そういうのは苦手。

 この言及リンクがなく、当該記事に言及をしていないけれど、似通った話題について書いている記事をトラックバックで送信する行為には、相手のことを考えていないように思うんですね。考えているとすれば、「私が書いた関連記事も押さえておけ、それにこのブログの読者もね」みたいな感じがします。それが嫌。また、その考えの延長線にはスパムトラックバックがあるような気もするし、私はスパム大嫌いだから、そのもとになるのは認めない、という感じです。

 まあ、この手の方針は、ブログ運営者の勝手にすればいいとこではあるので、このあたりについてはわりと原則論でバッサバッサやっています。で、こういう考え方を表明すると、リンクを入れてくる広告だらけのブログがトラックバックを送信してこられます。でも、それも内容で判断して、バッサバッサ。

 ただ明らかに文化圏が違う方や、ブログの経験値が低い方で、こちらのリンクがないけれど、内容的にはきちんこちらの主題に言及しているし、誠実なコミュニケーションが成り立っているブログのトラックバックは公開することもありますし、一概に原則論とは言えない部分もあるんですけどね。

 トラバは死んだとか言われますが、いただいたトラックバックはほとんどが、これぞトラックバックでしか成り立たないコミュニケーションだと思えるものばかりですし、集合的な場所ではなく、個と個をつなぐトラバという仕組みは大好きです。トラバを殺すのはもったいないと思うんですね。だから、少し逆説的ですが、私はトラバについてはわりと厳し目の運用をさせていただいています。

 で、私自身が送信するトラバもそうありたいと思っています。トラックバックを送っていただいたみなさま、これからトラバで出会うであろうみなさま、今後ともよろしくお願いします。

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2009年3月18日 (水)

コメント欄についての私の考え方

 ブログ運営ポリシーってほどでもないけど、あらためてコメント欄についてのあれこれを書いてみようかなと思いました。まあ、私のブログの場合、それほどコメント欄での応酬があるわけでもなく、のんびりとやれているとは思うんですが、承認制(コメントをいただいてから、運営者である私が承認して公開するやり方です。承認制にした理由はこちらをご覧ください。)にしています。どちらかというと、ネットにまだ慣れていなくてコメントをとまどっている人に気軽に書き込んでいただくためにも、承認制にしている部分もあって、この機会にコメント欄についてきちんとした考えを記しておこうかなというわけです。

 承認性にしてから公開しなかったコメントは2件です。ひとつは、あからさまな差別観が見えかくれしていて、しかも差別用語が書かれていたもの。もうひとつは、エントリの趣旨とは関係なく、ある特定の企業についての根拠の薄い誹謗中傷が書かれていたもの。あと、過去には公開していて後に削除したコメントが2件あります。エントリに関連なく精神疾患を揶揄するコメントと、ある特定のコメント記入者を誹謗中傷するものでした。

 現在、コメントは自分のコメントを含めて全1232件で、そのうち4件削除したことになります。具体的には、このようなコメント承認制の運営になっています。このブログでは、いわゆる「黒木ルール」のような厳しい運用はしていません。お名前、URL、メールアドレスも必須にはしていません。ただ、継続してコメントを書き込んでもいいかなと思う方は、同じ名前で書いていただけると、非常に助かります。

 基本的には、すべてのコメントにお返事を書いています。それがうざいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まあ、運営者の性格だと思っていただけるとありがたいです。但し、例外もあって、コメントをされている方の間での論議になった際や、別のコメントされている方への言及には、運営者である私はコメントを差し控えるときがあります。このへんは、当人同士のコミュニケーションに私がかかわるのは野暮だよなあ、という感覚です。でも、すべてのコメントに返事を書くタイプのブログでは、コメントでの論議は起きにくい傾向はありますね。あと、何回かやり取りがあって、相手のコメントが締めっぽい空気のときも。(コメントやメールの締め方というか終え方って、悩みますよね。)

 コメントについて、運営者である私が思っていることなど。基本的には、どんなコメントでもいいと思っています。感想でも、日々の暮らしの中で思ったことでも、単なるごあいさつでも、エントリに関係ないことでも、運営者的にはまったくかまいません。エントリに関連する話題を書き込むべきであるとも思っていません。

 その一方で、個別エントリで言及した領域に近いけれど、エントリの論旨とは関係のない領域における持論の展開と、明らかな誤読に基づく意見などについては、その旨を私がコメントで伝えることがあります。基本的には、エントリに関係のない持論の展開は、責任問題や、ブログメディアの発展のためにも、各人のブログで展開されるのが望ましいと個人的には思っていて、その個人的な信条をコメントにも反映しているので、気を悪くされた方はすみません。

 また、誤読については、それをすぐに指摘しなければ、さらなる誤読を生み出し、書き手が意図しない方向に動き出してしまうトリガーになると思っていますので、いつもより厳しい口調になることがあり、基本的にこの指摘は、どのコメントに対しても差別なく等しく行ってしまっているので(これも性格ですね)、過去に気を悪くされた方もいらっしゃるのではないかと思っています。悪意はありませんし、コメントを頂いた方の人格の否定でもありません。

 また、ブログを書いている人はだれもがそうだと思いますが、書き手には、内容を正しく伝えたいという思いが先走る傾向があり、特に冷たい口調になってしまっているようです。特に、私には、基本的に不特定多数に公開しているブログであるという思いから、いつもコメントを書き込んでいただいている方や、個人的にやりとりのある方にも、態度を変えないようにしたいと考えていることから、どうしても拒絶感が大きく出てしまうようです。私にも、好意をもってくださる方から嫌われたくないという思いがあるのですが、誤読に関してはそういう態度を取りがちになります。書いたあと、私もけっこうしばらく悩むんですよね。

 なんか、どうしてもネットって、生身の人間が見えにくくなっています。私としては、批判されるのは仕方がないけど、誤読されるのは結構つらくて、つい誤読だよって、誰彼となく言ってしまいます。それに、原則的には誤読は指摘するというのが、健全な論議のルールでもあるし。でも、言われた方も、せっかく書き込んだのに気分が悪いよなあ、なんて思うんだろうなとは思います。日常の会話では、そんな誤解は流れていったり、話を変えたりできるんですが、文字でできているブログでは、そんなしなやかな感じにはなりにくいですね。このへんの線引きは、ブログを運営している方なら、誰もが思っているのでしょうね。

 ブログのコメント欄は、他の掲示板的なコミュサービスのように、さあどんどん自由にコミュニケーションしてください的なものでもないと思いますし、コメント欄を公開しているのだから、どんなふうに使ってもユーザーの自由だろというふうにも思わないのですが、まあ、それは原則論ではなく倫理の話でもあったりして、技術的には自由に使って構わないように存在しているわけだし、だったらコメント欄を公開するなよというのもひとつの倫理でもあります。私のブログではそんなに問題はありませんが、人気のあるブログの運営をされている方は、結構悩ましいのだろうなとは思います。あと、このブログの程度でも、トラックバックはスパムやサイトの宣伝トラバが多いですしね。

 最後になりましたが、エントリのタイポミスや事実誤認をコメントで指摘してくださった、たくさんの方々、ありがとうございます。助かりました。

 そんなわけで、みなさま、当ブログを今後ともよろしくお願いします。

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2009年3月14日 (土)

慣れ

 前に買った「Apple Mighty Mouse」がネットの評判通りぶっ壊れ、しばらくELECOM製の古いマウスを使っていました。でも、この古いマウスはどうもMacではうまく動作しないことが多く、ちょっとした動作の不備でも日常使うものはイライラするもので、ついついノートパソコンのトラックパッドを使うことが多くなっていました。

 私のパソコンはMacBookの黒ですが、トラックパッドが素晴らしくよく出来ていて、二本指でなぞるとスクロールできるし、その動き具合も絶妙な感じになっていて、以前使っていたノートパソコンと比較すると、マウスレスの操作性が格段によくなっています。このへんの微妙な進化具合は、Appleはやはりすごいもんだなと思います。

Vxrevolution_3  そんなこんなでトラックパッド使いで何の不自由もなかったのですが、Mighty Mouseが調子良かった頃は、マウスはマウスで便利だったし、いくらマックのトラックパッドが使いやすいとは言ってもされどマウスでもあるだろうし、ということで、新しいマウスを買いました。せっかくだから、いいやつを買っちゃえと思い、マイクロソフトのマウスと迷いながら、グッドデザイン賞受賞というのが決め手になり「Logicool VX Revolution」を購入。

 で、使ってみました。いい。確かに、いい。高い分だけある。クリック感も心地いいし、ホイールの回り具合も申し分なく、それによく手になじみ、こりゃヘビーユーザーが良いって言うのもわかるよなあ、なんて思いながら使っていたのですが、ひとつだけ困ったことが。

 なんか慣れで、いまだにトラックパッドに手がいってしまうんですよね。で、二本指でスクロールやらをしてしまうんですが、そのとき、ふと思うんです。

 もしかすると、トラックパッドの方が使いやすいのではないか?

 キーボードを打ちながらスクロールとかクリックとかする時の手の移動は、トラックパッドのほうが少ないし、以前は、トラックパッドとか、ThinkPadとかのトラックポイントとかは、スクロールが不便さの最大の原因だったわけで、二本指スクロールができるようになった今、もしかするとマウスって意味あるのか、という疑問がふつふつと。

 VXのスクロールはほんとよくできていて、何の問題もないのですが、Appleのトラックパッド二本指スクロールも、スクロール調整がそれはそれはよくできていて(特に高速スクロール)、実際、操作感でいえば甲乙つけがたい感じがどうしてもするのです。

 わりと高かったし、マウスの便利さを堪能したかったのですが、逆にAppleのトラックパッドの優秀さを証明する結果になり、ちょっとがっかりな感じ。ヘビーユーザの人は、そのへんどうなんでしょうね。もしかすると、マウスの優位性は、今やショートカットボタンの多さだったりしているのでしょうか。キーボードを多用するプログラミング作業なんかだと、明らかにトラックパッドのほうがやりやすかったりするような気がしますし、そのへんの業界の実体はどうなんでしょう。

 まあ、使い慣れてくると違ってくるかもですが、なんか買い物の醍醐味が少し味わえなくて、ちょっと残念な結果に。VXはいいマウスだと思いますし、いまのところさしたる不満もなく、おすすめなんですけどね。

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