カテゴリー「広告の話」の142件の記事

2019年9月11日 (水)

2年前に流れていたテレビCMから「かんぽ生命不正販売」を考える

 かんぽ生命不正販売という不祥事が起こることは、2年前に流れていたあるCMが予言していた――

 そう言われたら、あなたはどう思うだろうか。CMに何かの暗号が仕組まれていたのか。はたまたタレントが話すセリフがアナグラムになっていたのか。それとも、特定の人にしか見えないメッセージが電波とともに送られていたのか。

 期待された方には申し訳ないが、そういうオカルトめいた陰謀論を書きたいわけではない。CMがどのような目的でどのように作られていくのか、そのプロセスを理解していれば誰でもある程度は分かることだからだ。もちろん、かんぽ生命不正販売という具体的な部分まで予言されていたわけではない。しかし、この手の顧客コミュニケーションに絡む問題が起こるかもしれないということくらいはCMを見ればすぐに分かるはずだ。

 ZAITEN2017年10月号の連載で、僕は日本郵政グループのあるCMを取り上げた。少し長くなるが、どのようなCMだったかを確認する意味で一部を引用したい。

 〈日本郵政グループの新しいキャンペーンが始まった。数作品放送されているが、どのバージョンも郵便マークのアップリケ付きの赤いオーバーオールを着た青年が〝僕は郵便局が大好きです〟と 言うシーンからスタートする。青年は郵便局の関係者ではなく郵便局好きの顧客であり、郵便局の女性局員に恋をしている。その女性局員は杏奈という名前で、青年が加入した保険の担当者だ。

 青年が骨折した際、ギブスに〝早く退院して下さいね♡杏奈〟と書き添える。青年が郵便局を訪れた際には〈今年ももうすぐ誕生日ですね〉と声を掛け、青年の誕生会に出席するという。その女性局員の傍らで働く男性局員もまた、彼女に好意を寄せている。青年にギブスの添え書きを自慢された際には対抗意識を燃やし、青年が彼女を誕生会に誘ったときも即座に〝僕も行きます〟と答える。青年は、そのたびに〝出たなライバル〟と決め台詞を吐くのが、このシリーズお決まりだ。

 複雑な演出とファニーなキャラクターで構造が分かりにくくなってはいるが、その世界観の設定はかなり異様だ。恋人のように顧客に接する郵便局の女性局員。そして、その接客に惑わされる顧客。同じく女性局員に好意を寄せていることを隠さない同僚の男性局員。その三者で日々繰り広げられる恋の駆け引き……。

 こんな郵便局、どこにあんねん。あったら逆に大問題やがな。そもそも、こんなことを顧客から 求められたら郵便局も局員も困るやろ。〉

 日本郵政グループは持株会社の日本郵政と5つの子会社で構成されている。その中でも中核となるのは日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社である。

 今回の騒動はかんぽ生命の販売不正ではあるが、かんぽ生命は保険商品の設計や運用のみを行い、実店舗などの販売機能は備えず、販売業務をほぼすべて日本郵便に委託している。ちなみに、ゆうちょ銀行も同様で窓口業務を日本郵便に委託。保険商品、金融商品ともに通販もなく他代理店にも出していない。

 つまり、顧客にとって、かんぽ生命との接点となるのは郵便局の窓口しかないということだ。同時に顧客はウェブサイトやパンフレットでしか商品内容を知り得ず、すべては窓口の局員が保険の勧誘のために顧客に話しかけることから始まる。このことは、今回の不祥事を考える上で重要なポイントである。

 かんぽ生命単独のCMもあるが、このCMには予言的要素は少ない。井ノ原快彦が演じる郵便局員が登場するこのCMは、主に契約後の対面でのアフターフォローを描いている。拡販戦略との関連も当然あるだろうし、〈お会いすることで、確かな安心を〉というコピーは、今思うと皮肉めいて聞こえるが、作品自体は何ということもない。つては井上陽水 や能年玲奈(現・のん)も出演した華やかな〈人生は、夢だらけ。〉キャンペーンも含めて、無難なブランド広告に過ぎない。

 では、なぜ日本郵政はかんぽ生命のCMでは夢や信頼をテーマにした、いたって普通のCMをつくり、日本郵政グループ名義ではあるが郵便局のCMでは、常軌を逸した顧客コミュニケーションを描いたのだろうか。あのCMは、ここ数年のCMと比較しても、特筆してアブノーマルな世界観だったと思う。

 この謎を解くには、出来上がったCMから時間を遡って考える必要がある。

 広告は伊達や酔狂でつくるわけではない。日本郵政ほどの大企業にとっても、何億円もの広告費を「ずばり、今の若い人はこんな感じなんですよね。自分で言うのもなんですけど、これ、刺さると思いますよ」「そうかね。今の人はこんな感じなのかね。我々の世代には理解できないけど、ここはクリエイターさんの感性を信じて。よしっ、これでいきましょう」という軽いノリで浪費するわけにはいかない。

 広告制作のプロセスは、一般的には発注企業からのオリエンテーション、受注広告会社から発注企業への広告案のプレゼンテーション(大型案件では通常は競合コンペとなる)、受注広告会社決定、広告案の修正、広告案の決定、決定案の修正と続き、撮影、制作へと進む。日本郵政の場合、この最初のオリエンテーションはどのようなものだったのだろうか。

 想像に過ぎないが、郵便局の好感度向上という大前提はあるとして、サブ項目として、かんぽ生命の保険商品拡販を見越した「営業力の強化」という課題は示されたのだろうと思う。かんぽ生命を含めた保険商品の拡販に貢献する広告が欲しいというニーズは日本郵政に確実にあったはずだ。

 前述の通り、かんぽ生命は販売店や保険営業部隊を持っていないし通販もない。拡販を考えた場合、かんぽ生命を表に立てたコミュニケーションは商品のブランド力向上や信頼性醸成の役には立つが、拡販には役立たない。窓口で局員がいかに勧誘するかがすべてなのだ。

 とにかく顧客に話しかけること。拡販を考えれば、そこに注力することが広告の使命になる。その広告で高額商品である生命保険を前面に立てることは局員、顧客双方にとって対話のハードルを上げることにつながり、逆効果として働く。

 そこで考えられた広告案が、郵便局を舞台にした局員と顧客のコミュニケーションを描いたファンタジーだった。保険商品の拡販で郵便局で重要な場所は、出入金や公共料金の支払で多くの人が訪れるゆうちょ銀行の窓口であり、この顧客との接点でいかに保険商品の勧誘に持ち込めるかが拡販の決め手となる。だからこそ、そのモデルとなるCMは、窓口周辺を舞台に過剰なまでにフレンドリーな姿を見せる必要があったのだ。

 当然、顧客に「郵便局は身近で気軽な存在である」と思わせたいという目的はあったのだろうが、一方で、郵便局で働く局員に対して「あなた方は、かんぽ生命拡販のために、もっとフレンドリーであるべきだ」と伝える目的もあったはずだ。むしろ、今回の不祥事を考慮に入れると、本音では、後者のインナー・コミュニケーションこそが、日本郵政の経営戦略にとってより重要であったことは容易に想像がつく。

 こうして遡って考えると、この日本郵政の広告戦略は非常に良く出来ている。問題は、CMで描かれた顧客コミュニケーションが著しく異様だったことだ。

 なぜ、あのような異様な表現が選ばれたのだろうか。答えは簡単だ。経営陣がかんぽ生命の拡販のために郵便局員に要求する顧客コミュニケーションの強度が異様なほど強かったからだ。「局員は、もっと気軽に、もっと積極的に顧客に話しかけろ」という経営陣の要求が、あの異様な世界を生んだと言ってもいいだろう。

 職場では過剰なノルマで駆り立て、プライベートでは「もっと顧客とコミュニケーションをしなさい。あなたはこのCMで描かれているフレンドリーなやり取りの何分の一もしていないのではないですか」と追い立てる。

 いかにソフトにコミカルに描かれようとも、職場で男性社員と男性客が女性社員を奪い合う、そんな異常な世界を普通の民間企業の経営者は受け入れることはない。しかし、日本郵政の経営陣はこの異様な世界を自ら選択した。

 それは、彼らが考えていた拡販の手法が常軌を逸していたことを意味する。自由市場での生き残りをかけた競争の厳しさにも晒されず、コンプライアンスの徹底という重圧からも逃れ、拡販の自由だけを手にした巨大な内向き世界である日本郵政の意識が社会と乖離するのは必然である。そして、社会と乖離した意識が支配する環境で働く局員が暴走するのは自明の理だ。

 広告は予言する。予言するものは、企業の将来である。企業の将来は社会の将来の一要素でもある。広告批評は、単なる作品批評ではない。

 作品批評を超え、社会的表現である広告に埋め込まれた予言を読み解き、予言された企業の将来、社会の将来を示し、考えていくことなのだろう。少なくとも僕はそう考えている。

    *     *

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 褒める批評を封印し、あえて問題広告を対象とすることで、現代日本の広告や社会が持つ課題を根源的かつ鋭角的に提起することが出来たと自負しています。

※このエントリは財界展望新社の承諾を得て、発売中のZAITEN 2019年10月号詳細はこちら)ZAITEN REPORTより転載しました。

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2019年9月 6日 (金)

映画と広告と文在寅政権

 日韓関係が揺れて続けている。

 考えたところで僕にはどうすることもできないけれど、それでもやはり考えてしまう。Twitterであれやこれやつぶやいてみるも、長文のブログで書くことはなかなか難しかった。僕の専門分野でもないし、僕の能力を超えてしまっているからだ。韓国のことを知りたいと思う。多くの日本の人たちも同じだろうと思う。だから、テレビやラジオでは韓国について特集されるし、雑誌や書籍は韓国関連本で溢れる。

 先頃、小学館の週刊ポストが〈韓国なんか要らない〉という見出しを付けて韓国特集を行った。全国紙にもその見出しが大きくレイアウトされた広告が掲載された。多くの人たちが反発し、拒絶反応を示した。多くの人が問題にし論議された問題だから、ここでは多くは語らない。検索すればいくらでも参照できるだろう。ただ、僕が唯一と言っていい専門分野である広告的な観点で言えば、需要があるから供給があり、それが複雑で解決が難しい問題であるが故に出てしまった過剰な感情的反応から生まれた出来事の一つだったのだろうと思う。つまり「韓国と関係を絶ってしまえれば、どれだけ楽だろうか」という逃避的な感情反応だ。もちろん、その感情を、特に小学館のような大手メディアが公共性の高い空間に放り出してしまえば責任は問われることは言うまでもない。

 興味深いやり取りがあった。リベラル、保守派から見たら左派の恵泉女学園大学の李泳采教授が「日韓関係が最悪だといっても、中国や韓国の出版社には、日本との関係を断絶するとか、日本を批判するような本は1冊もないし、そういう本は売れない。読む人もいない」と語っていた。日本の言論空間の保守化と人権の軽視についての指摘だろう。

 中国や韓国の書店を見たわけではないから真偽は分からないが、一つだけ言えることは、それは中国や韓国の出版社にとって、それは単純に需要がないと見做されているだけではないか、ということだ。韓国を例にとれば、批判はともかく「日本と関係を絶ちたい」というニーズはないはずだ。日本に対する韓国の主張は、我々の最高裁が日韓併合を違法であると認定し、日本企業に対し戦時労働者が求める慰安金の支払いを決定したのだから応じてほしい、であり、道義的責任の前で国家間の約束は取るに足らないものであることを認識すべきである、であり、その報復である韓国に対しての輸出管理強化を撤回してほしい、である。そのための対話の扉はいつも開かれていると言っている。そこに韓国のメディアで語られる言葉を用いれば〈嫌日〉〈反日〉〈侮日〉〈要日〉はあっても〈断日〉につながる契機はあるはずはない。むしろ〈断日〉は困る。この発言は、論理のすり替えによる広告的な誘導があると思った。社会の良識に訴える受け入れやすい論調であるが、そこに自身の党派への広告的誘導が潜んでいることは指摘しておきたい。精密さを書く論拠に基づく広告的誘導は重要な問題についての冷静で精密な論議を大きく阻害する。

 僕は韓国は広告国家だと思っている。韓国は国際的な広告・広報戦略に長けているとう意味だ。さらに言えば、軍事力と同じように広告・広報という手段を使いこなしているということだ。その成功体験も数多くある。直近ではWTOでの福島県産海産物の輸入規制についての日本からの訴えによる審議の勝訴だろう。その点では日本は遅れをとっている。それはやはり敗戦国としての自制が働いているのだろうとも思う。自著でも第三章「倫理なき広告とプロパガンダ」で論じたが(参照)、国家から見れば広告は軍事力の一部でもある。その行使に自制的になるのは仕方がなかったことなのかもしれないが、今後はそうも言ってはいられないだろう。

 軍事力としての広告という視点で見た場合、その特徴は、それが「弱者の武力」であるということだ。だから広告大国である韓国は、日本でも同様ではあるが、主に左派政権で有効に用いられてきたように思う。1980年に起きた光州事件のちなみに、これは前提ではあるが、あえてもう一度その前提を書いておくと、韓国の政治環境は右派、左派、無党派の各層がほぼ1対1対1であり、日本とは大きく異る。

 この韓国左派の広告戦略の根幹に流れるストーリー、あるいはシナリオはどのようなものなのか。その手がかりとなる書籍がある。文在寅自伝「運命」である。この本が韓国で出版されたのは2012年だ。当時の韓国最大野党であった民主統合党の文在寅の大統領選挙出馬にあわせて出版された。結果は与党であるセリヌ党の朴槿恵の勝利。文在寅は48.0%の得票率で敗北した。日本から見れば僅差と言えるが、常に左右が拮抗している韓国にとっては108万票差は完敗という評価もあり得ると思う。2017年、朴槿恵元大統領の弾劾により文在寅が大統領に第19代韓国大統領に就任したことにあわせて、日本で岩波書店から日本語翻訳版が出版された。

 つまり、この本の出版自体が大統領選に向けた広告の一環であると見ることもできるだろう。ここにある記述は、盧武鉉政権を支え、弁護士時代に合同事務所を営んだ韓国で著名な人権派弁護士が有権者に伝えたい物語であるとも言える。

 僕はこの本を発売直後に購入して読んだ。日韓関係が悪化し、書評をブログに掲載しようと考えることもあったが、なかなかうまく書けなかった。それは、この本があまり面白くなかったからだ。むしろ、僕はこの自伝を文在寅という人間像を知るためではなく、僕自身があまり知らなかった現代韓国史の教科書として読んだ。ただ、現代韓国史の教科書としても日本人にとってはあまり親切ではなく(もちろん韓国人向けに書かれているので望むべくもないのだが)、描かれているのは自身の大学受験の失敗や、その後の市民運動への傾倒と逮捕、そのことが原因となり検察官になりたいという夢の挫折、盧武鉉との出会い、合同事務所の設立、大統領になった彼とともにする青瓦台での日々が淡々と綴られる。韓国であれだけ加熱した米国産牛肉輸入阻止運動でも、なし崩し的に収まっていく運動に対して悔しかったと述懐するのみだ。

 そこには、清貧で誠実で正義感のあるが、温厚でやや押し出しの弱く口下手な一人の人権派弁護士がただいるだけだ。これから読まれる方には大変申し訳ないと思うが、最後の文章を引用したい。

 彼に会わなかったら、そこそこ安泰に、適当に人助けをしながら生きていたかもしれない。彼の苛烈さが私を目覚めさせた。
 彼は死ぬときでさえ苛烈だった。そして私を再び彼の道へと引きずり込んだ。盧武鉉は遺書に「運命だ」と書いた。心の中で思った。「私のほうこそ、運命だ」。
 あなたはすでに運命から解放されたが、私はあなたが残した宿題に縛られている。

 そんな文在寅がテレビのニュースでは度々、激情をむき出しにした姿を見せる。韓国でフッ化水素工場の大爆発事故が起きた時、当時、野党の議員だった文在寅は現場視察で作業服を着てヘルメットを被った姿で、テレビカメラに向かって「こんなことが許されていいのか!」と大声で叫ぶ。朴槿恵元大統領の弾劾につながったセウォル号沈没事故では、政府の対応の不味さに抗議しハンガーストライキを決行し生命の危険が迫った市民に代わって、自らがハンガーストライキを行う。白髪が長く伸び、ヒゲも伸び放題の、体力も衰え、痩せ細った文在寅の姿がテレビや新聞で何度も報道された。穏やかな笑顔を絶やさない温厚な人物が時折見せる激しい怒り。広告として見た場合、あの自伝はその落差として機能しているのだろう。

 テレビニュースで時折見せる、まるで映画のような怒りは、どのように受容されるのか。日本記者クラブ主催の「朝鮮半島の今を知る」(23)文在寅大統領をどう見るか-文在寅政権の歴史的課題と日韓関係」というクォン・ヨンソク(権容奭)一橋大学准教授の講演によれば、韓国では報道ニュース番組を楽しみにする国民が多いとのことだ。最終的に正義が勝つ物語として事件報道を楽しむ傾向が高いという。この動画は1時間40分あるが、興味のある方は視聴してみてほしい。韓国の3分の1を占める、韓国のリベラル派がどのように文在寅政権を考え、評価しているかが非常によく理解できる。共感、批判は別にして韓国問題を考える人は必聴の資料だろうと思う。

 映画と言えば、世界的に大ヒットした韓国映画「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」に言及しなければいけないだろう。この映画は、1980年に起きた光州事件で実際にあった実話を元にしている。悲惨極まりない光州事件も映像化されながらも、庶民的なソウルのタクシードライバーを演じるソン・ガンホの人間味溢れる演技や終盤の手に汗握るカーチェイスなど娯楽映画として楽しめる作品になっている。

 この映画は2017年に公開された。文在寅の大統領就任後だ。青瓦台は、実際の事件でドイツ人記者である故ユルゲン・ヒンツペーターの妻を韓国に招き、文在寅大統領夫婦とともに鑑賞している。文在寅大統領は〈光州事件の真相は完全には解明されていない。これは我々が解決すべき課題であり、私はこの映画がその助けになると信じている〉とコメントしている。

 2019年3月1日の三・一運動記念式文大統領演説を覚えているだろうか。この演説では、先に紹介したクォン・ヨンソク(権容奭)一橋大学准教授の講演でもテーマになっていた〈親日残滓清算〉という言葉が何度も登場するが、それ以上に驚かされたのは〈アカ〉という現代ではほぼ忘れられかけている言葉が何度も登場することだった。

日帝は独立軍を「匪賊」、独立運動家を「思想犯」と見なして弾圧しました。このときに「アカ」という言葉もできました。思想犯とアカは本当の共産主義者だけに使われたのではありません。民族主義者からアナーキストまで、全ての独立運動家にレッテルを張る言葉でした。左右の敵対、理念の烙印は日帝が民族を引き裂くために用いた手段でした。解放後も親日清算を阻む道具になりました。良民虐殺、スパイでっち上げ、学生たちの民主化運動にも、国民を敵と追い込む烙印として使用されました。解放された祖国で日帝警察の出身者が独立運動家をアカとして追及し、拷問することもありました。多くの人々が「アカ」と規定されて犠牲になり、家族と遺族は社会的烙印の中で不幸な人生を送らねばなりませんでした。今もわれわれの社会で政治的な競争勢力をそしり、攻撃する道具としてアカという言葉が使われており、変形した「イデオロギー論」が猛威をふるっています。われわれが一日も早く清算すべき代表的な親日残滓です。

 いくらリベラル派と言えども、「アカ」という言葉は韓国社会で今どき日常的には使われないだろう。これは、たぶん映画「タクシー運転手 ~約束は海を越えて~」のヒットと関連させた発言だろうと思う。映画の中で韓国軍が「このアカ野郎が!」と言って市民を殴り殺すシーンが幾度も出てくる。これは実際にもあったことではあるが、光州事件は1980年の出来事である。

 つまり、この演説は、約40年前の光州事件という悲惨な出来事を描いた現代の映画の中のショッキングなイメージを「アカ」という言葉を契機に現代と結びつけた、自身の党派的思想への誘導なのだろう。〈今もわれわれの社会で政治的な競争勢力をそしり、攻撃する道具としてアカという言葉が使われており、変形した「イデオロギー論」が猛威をふるっています〉と結ぶことで、光州事件を現在の対立的党派と接続してしまった。極めて広告的な戦略を持った演説だと思う。2017年5月20日の大統領就任時〈今日から私は国民みんなの大統領になります。私を支持しなかった国民一人ひとりも、私の国民であり、私たちの国民として仕えていきます〉という言葉は嘘だったのだろうか。

 この演説で、朴槿恵元大統領の弾劾を求める大規模デモを表す単なる修辞だった「キャンドル革命」が本当の革命へと転化する。国内でも革命政権さながらの粛清的人事で組織改革を行い、国際社会においても革命政権さながらの独善的な振る舞いを続けている。しかし、文在寅政権は民主的な選挙で選ばれた政権であり、たとえ弾劾によるものであっても、単なる政権交代に過ぎない。広告的につくられた独善的な理想世界は現実の世界とは違う。この広告的な革命を支持する、支持しないに関わらず、今起きている問題は、空想世界と現実世界との齟齬なのだろう。

 この広告的につくられた革命を、このまま韓国国民は支持し続けるのだろうか。軍、行政、司法と続く、まるで革命のような粛清的組織改革の残された最後の一つ、検察改革は、スキャンダルで揺れている。経済は、その広告的な革命を支えきれるだろうか。日韓GSOMIAが失効する11月23日午前0時を一つの区切りとして、今後も注視していくしかない。

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2019年8月21日 (水)

本を書きました。『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈(財界展望新社刊・9月1日発売)

 私ごとで恐縮ですが、本を書きました。かつて書籍の編集に関わったことがあったり、他の方の書籍に自分の文章が載ることは何度かありましたが、自分が著者の書籍を作るのは初めてだったので、ほんの少し緊張しています。出版社は財界展望新社です。

 発売日は9月1日で、今は印刷所で製本されているところですのでまだ現物は手にしていないので実感はありませんが、書籍名は『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』で表紙はこんな感じです。

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  カバーの文字部分や帯は特色の銀(DIC621)とのことです。

 (追記)実物はこんな感じです。

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 と、側のことばかり書きましたが、内容はざっくり言うと、2016年9月から財界展望社の月刊経済情報誌『ZAITEN』で連載している広告批評のコラム、寄稿したレポートを収録し、新たな論考を大幅に加えた、といったところでしょうか。連載を収録したと言っても月刊誌3年分ですので、大部分が書き起こしの原稿で、自分が書いてきた3年間の現代広告の記録を素材に、今、広告にとって何が問題で何が課題なのかを再構成したという表現があっているのかな、と著者としては思ったりしています。同じく9月1日に発売される『ZAITEN』10月号に掲載されるレポートの最後に短い書籍の紹介をしましたので、その文章も引用します。

 過去の小誌での連載に、新たな論考を大幅に加えた書籍『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』(財界展望新社刊)が発売されました。

 これまで常態化していた〝褒める批評〟を封印し、あえて問題広告を対象とすることで、現代日本の広告や社会が持つ課題を根 源的かつ鋭角的に提起することが出来たと自負しています。

 連載している広告批評は所謂〝褒める批評〟ではありません。広告業界のサロン的な馴れ合いとは距離を置いて広告を論じています。書籍にも理由は書きましたが、ざっくり言えば「そんなことは誰でもやりたがるし、僕がやる意味はないかな」といったところです。帯の広告文に〈現役クリエイティブ・ディレクターが〝身内褒め〟が横行する広告業界に一石を投じる〉という刺激的な一文がありますが、さらに言えば、僕にとっては、業界を含めた社会が広告のことをもっとよく知るために、広告が作られるプロセスを熟知するこの職能でなければ書けないことを書きたい、という意味合いもあります。そして、今、そのことが必要であると考えています。それは「僕くらいしかやらないこと」であり、「僕くらいにしかできないこと」だと思っています。こういうふうに書き進めていくと、すべてを語ってしまいたくなる衝動に駆られてしまいますので、目次を引用することにします。こんな本です。

序章 僕が問題広告を批評する理由
広告とは何か/広告的に働く広告ではない何か/問題広告を批評するということ/平成の広告史を記録しておきたい
◉批判精神がなく〝身内褒め〟が横行する広告業界の現状

第一章 バブル崩壊と下部構造としてのインターネット
広告とバブル/インターネットの衝撃 /インターネットは下部構造である ウェブ動画広告が炎上する理由/SNSの功罪とセルフブランディング
◉小林製薬の〝許されざる〟脱法ウェブ広告 ◉東京都「結婚しようCM」は税金の無駄◉ZOZO 前澤友作社長「多弁マーケ」の副作用 ◉味の素 視聴者のクレームで修正された「いただきます省略」CM◉ドワンゴ「幼稚なゲーム業界」の象徴 高須院長〝お蔵入り〟CM

第二章 あの頃に戻りたい症候群
オレに指示をするな/東京の自意識/破壊衝動を見せられても困る/ユニクロのクリエイティブ
◉日清食品「カップヌードルCM」サムい〝あの頃に戻りたい感〟◉東京都〈&TOKYO〉過剰すぎる東京礼賛感覚が〝時代遅れ〟◉日清とソフトバンクの破壊CMが〝イタすぎる〟◉ユニクロ 若い女性ナレーションの本質は胸糞悪い説教だ ◉日産 虚しく響く「NISSAN PRIDE」CM

第三章 倫理なき広告とプロパガンダ
震災、広告、消費/消費は万能なのか/プロパガンダと広告/その後のトライ/アイフルのチワワCMの教訓/サブリミナルの危険/コンプライアンスの意味
◉TBSの握手拒否映像は「訂正」では済まない◉トライ おもろければOK? いや、ダメなもんはやっぱりダメやろ ◉「ZOZO TOWN」〝ツケ払い〟CMは明らかにアウトやろ ◉P&G「ボールド」広告の信用を毀損しかねない〝言い間違い〟CM ◉小林製薬〝悪目立ち広告〟 超えてはいけない一線を超えた ◉「かぼちゃの馬車」CM スルガ銀行の倫理なきマーケティング手法

特別講義 「広告表現理論」その歴史と現在
広告の基礎は不変/Promise、Benefit、RTB/分かりにくいInsight/インサイトにも質が問われる /インサイトと広告規制/古典的な広告表現手法/ロートレックから始まった欧米の広告/商品としての欧米広告理論 /平賀源内をルーツにしたがる日本の広告界/電通=Google説/フェアネスが足りない /Concept
◉日本郵政のテレビCMが気持ち悪い ◉PCデポ 高齢者の恐怖心を煽る「フィア・アピール」の功罪 ◉電通株主総会が映す「世界の非常識」 ◉外国人は理解不能「広告電通賞」はやめてしまえば? ◉日清食品の広告がダメになった理由

第四章 タレント広告という文化的病理
タレント広告はなぜなくならないのか/広告に出るということ/芸能界と広告/タレント広告のリスク/広末涼子とSMAP
◉ハズキルーペ ハリウッド俳優・渡辺謙が示す日本広告の特殊性◉宝島社「ベッキー広告」広告の姿を借りた残酷な芸能界そのもの◉各社横並び〝玉石混交〟「ピコ太郎CM」が示す広告業界の変わり目◉創味食品 明石家さんまを毀損するテレビCM◉ソフトバンク「 年間ありがとうCM」は作り手側の都合◉コインチェック タレント広告の危険性が改めて剥き出しになった◉西武・そごう 芸能界に飲み込まれた決意不在の「キムタク広告」

第五章 戦略PRとネイティブアドの欺瞞
混迷する広告と戦争の影/PRの役割とは/広告とコンテンツの分離/ネイティブアドの限界
◉モスバーガー「貧すれば鈍す」痛々しい期間限定バーガー広告◉「企業ブランド」の再考で広報は何をすべきか◉〝誰も喜ばない〟企画でフジテレビの犯した広告の大原則◉日本大学アメフト部 広告化した学生スポーツが引き起こした悲劇◉神社本庁ポスター「クレジットなし」は広告のルール違反

第六章 広告炎上のメカニズムと責任
炎上という社会現象/CGMという拡散装置/ソーシャルの代償 /防げた炎上/炎上は使いこなせない/物語ブランディングと脱広告 /炎上は悪か 炎上に対して何ができるか
◉日清食品 とても残念な「大坂なおみ炎上広告」の本質◉西武・そごう 企業理念が感じられない「新春炎上広告」 ◉世界一のクリスマスツリー 反社会的物語を拡散する側の責任◉銀座ソニーパーク「買える公園?」バカも休み休みに言え

終章 これからも広告が生き延びるために
広告は終焉しない/広告のこれから/広告を理解するということ/普通ということの意味とは

1年1行で振り返る平成広告31年史

 現在の広告が抱える課題や問題はわりとカバーしきれたのではないかと思っています。僕としては、広告実務を担当されている方だけでなく、広く一般の方々にも読んでいただきたいという思いもあり、広告の専門的知識がなくても専門的領域の概要を理解できるような記述をするように心がけました。まだどういう評価があるのかは分りませんが、専門書であり一般書でもある、という難しい課題にチャレンジしたつもりです。広告の問題は、広告業界関係者だけの問題ではなく、広く社会に関わるものです。今ではメディアが細分化されて手法も多種多様になってきたので分かりにくくなってはいますが、その幾重にも重なったベールを取れば、国際関係から身近な出来事に至るまで、あらゆることが「広告」という大きな構造と関わっています。

 広告批評集であるだけでなく、これからの時代、広告をどう考えていったらいいのかを手引する広告入門書、また、表層的には一変してしまったように見える広告をもう一度再構成し、新たに大きな「広告」という概念として扱い直すための現代広告論としても役立ってくれればと思います。

 発売日は2019年9月1日ですが、Amazonを始めとするウェブ通販サイトでは予約の受付が始まっています。興味のある方はぜひ手にとってください。

(追記)無事発売されました。大手書店にはあるようです。広告・販売促進のコーナーにあると思います。広告会社が多い地区の書店さんは平積みされていたようですが、ほとんどの書店は棚に1冊ほどのようです。写真は前職、広告代理店時代の先輩が撮影したものです。

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 こちらは、9月3日の日経新聞に掲載された広告(画像クリックで拡大します)です。

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 よろしくお願いします。

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2018年1月 4日 (木)

『世界一のクリスマスツリーPROJECT』について僕が考えていたこと

 僕がこのイベントを知ったのは少し遅くて、Twitterのリツイートで流れてきた例の「冷笑」ツイートを見て、なんか嫌な感じのことをつぶやいているなあ、何があった、と少し不可解かつ不愉快な気持ちになって、それから2、3日後のことでした。リツイートでおぼろげながら例のツイートの理由みたいなものが分かってきて、少し時を遡って調べてみると、通常のしくじりや、Twitterで起こりがちな派手で面白そうなものごとに対する異論反論、嫌儲をベースとした批判等とは違う問題の複雑さが次第に浮かび上がってくるように僕には感じられました。

 僕が調べ始めた時には既に所謂「炎上」になっていて、大勢の方々がそれぞれの思いで批判の言葉を投げかけていました。マスコミ等で今も引用され、イベント運営側が批判に対する反論として使われる「木がかわいそう」という言葉は、この初期のツイートを指しているのだと思います。この言葉は「生活のために木の命を消費しながら木がかわいそうと思うのは」という文脈で動物や植物の命を消費することで成り立つ生活者の欺瞞を指摘するキーワードとして使われているようです。しかし、その指摘は間違っていると思います。「木がかわいそう」という感情は、このイベントのシナリオから考えると人の初期反応としては当然であり、そう思うように仕組まれた物語に対する正常な反応に過ぎず、何ら責められるものではありません。

 このイベントの主催者と共感する人たちの心の中には「木がかわいそう」という感情を憎む気持ちがあるように思います。そういう感情を抱く多くの大衆の心を変えたいという意図を強く抱いていると同時に、大衆をそういう誤った感情を抱く劣った存在として設定していて、その大衆を目覚めさせること、つまり主催者の言葉を借りれば「世界を変える」ことがこのイベントの主題の一つでもありました。

 なぜ憎むのか。いくつかの理由は考えられるでしょう。希少植物を植物の生い立ちを含む物語を付随させた高付加価値商材として成り立たせるためには、ともに生きていくという前提を長い時間をかけて獲得してきた愛玩動物と違い、どうしても商材として生まれ変わるための必然として起きる植物の死を欺瞞として退ける必要があったのかもしれません。既存の盆栽や生花は、生命を消費するという原罪を引き受けた、あるいは前提とした文化ですが、生い立ちを含めた物語を付随させることでその前提は崩れてしまいます。よって「木がかわいそう」という感情を欺瞞とし、木は商材となっても消費者の心のなかで生き続けるものとしなければなりません。

 その彼らの動機が象徴的であったのは、批判により中止となったアクセサリー『継ぐ実(つぐみ)』でしょう。このイベントにまつわる広告コピーワークは概ね稚拙なものでしたが、この『継ぐ実』というネーミングだけは秀逸でした。このイベントの真のコンセプトを正確かつ印象的に表現しています。いくら批判者側が本質は「木がかわいそう」ではないと否定しようとも、反論はそこに引き戻され決してその枠から出ることはないのだろうと思います。

  僕はTwitterではこの件に触れませんでした。その理由は、多くの本質的な批判の言葉がTwitterに溢れていて僕がオンタイムで語る必然はないだろうと思ったこと、そして、既に槇原敬之さんのコンサートが始まっていて、神戸の大きなクリスマスツリーを素朴な気持ちで楽しみにしている人たちがいるということがあります。比較的ウェブに親和性がある僕でさえ、この物語ブランディングのシナリオの欺瞞を数日間知り得なかったわけで、多くの人たちが単なる賑やかなイベントとして消費するのは当たり前のことです。一般論として発信者側が知らせないことの罪はありますが、受け手である消費者が深く知ろうとしないことに罪はありません。

 同時に、多くの批判によって主催者側の狙いを達成することはできない状態になっていました。つまり、契機は完全に失われていて、あくまで僕の判断ですが、批判をするならばイベント終了後に、あの時点においては、マスコミを巻き込んだ集客力の高いこのイベントをツメの甘い素人イベントとして事故なく終了させることが課題であると考えました。

 それは多分に東京糸井重里事務所(現ほぼ日)の元社員でもある僕の個人的な事情も含まれていたと思います。多く人たちが沈黙し静観していたのと同じように、僕もまた沈黙、静観していました。強い批判を展開している田中康夫さんの元に主催者側の弁護士から警告文が届けられたとのことですが、あまり面倒なことに巻き込まれたくないなあという思いも正直ありました。その態度が卑怯であるという批判は受け入れます。

 今回のイベントに対する批判では、被災地神戸という場所で行われたことに焦点が当てられています。当然のことです。これを鎮魂と言われると、被災された方がその傷を逆なでされる気持ちになる。それが人と言うものでしょう。このイベントに対して鎮魂という軸で不快感を表明することは正当であり、そこに疑問の余地はありません。ただ、遅れてきた批判者として、そこにこだわると批判の論点がブレてしまうのではないか、というのがこの原稿を書いている僕の考え方でもあります。

  今回のイベントが被災地神戸ではない場所で行われていなければ問題がなかったのか。そうではないと僕は思います。富山県氷見の山火事を逃れたとする奇跡の木を“いのちの樹”と名付け、遠方への輸送を“生命の大輸送”と呼び、期間中に木を持たせるための植木を“植樹”と言い換えただけで、エンディングで用意されている死の物語に向けて準備されるセットアップとしては物語構成上、必要十分であるからです。つまり、今回の物語ブランディングにとっては震災の鎮魂は補強としてしか機能していません。また、“落ちこぼれのアスナロが神戸で輝く樹になる”という意味付けも物語の補強であり、その本質ではありません。

 その悪趣味な補強こそ、批判者の感情の起点であるというのは間違いではないのですが、その批判に対しては「そんなに深い意味はないですよ」や「うまく感情移入してもらってうれしい」「震災の鎮魂は自分にもやる権利がある」といった反論で堂々巡りに追い込まれてしまいがちです。昨年の12月半ばに僕が書いた批判(月刊経済情報誌『ZAITEN』2月号に掲載)においても、そこは意識していますが、イベントが終了した今、その思いは強くなっています。遅れてきた批判者としては、その策に乗せられることでこの問題を矮小化もしくは風化させるわけにはいかないと思います。

 第一には、このイベントの問題点は「物語ブランディング」と呼ばれる広告手法によってつくられた広告にあると僕は考えています。個人が資金を持ち出し、神戸市という地方公共団体や様々な企業が支援するという有志のボランディアっぽい雰囲気を装っていますが、純粋にその衣を剥ぎ取り、ひとつの広告として見た場合、もはや虚偽広告と言っていいくらい嘘ばかり、嘘という表現が強すぎるならば、真偽が確かではない情報を元に広告がつくられています。批判が大きく、かつ広範囲に広がり過ぎたためこのことを些細なこととして見られていますが、社会に対する広告の信用を考えるとき、決して小さな問題であるとは言えないでしょう。これを大目に見ることは広告の破壊行為であると僕は思っています。

 この物語ブランディングは、構成として、まず初めに崇高な生の物語を示し、木の生命に過剰な意味付けを与え、十分に感情移入させた後、その筋書きを反転させるようにして死の物語が示されます。つまり、死の物語に相当なカタルシスを持たせたドラマタイズがされています。その物語に対して「アスナロを殺さないで」という感情反応がウェブで示されたわけですが、その反応に対しては「そう思った人は、その植物を思う気持ちを大切に生きていってほしい」という答えが用意されています。

 この悪趣味な物語構成に対しては、様々な角度からいくらでも批評できそうな気がしますが、記述が難解になればなるほど現実的には為の論議になりがちですので、ここは例え話で論をすすめます。

 この物語の類型としては、小学校や中学校などでも稀に行われている「いのちの授業」に当てはまります。生徒に後に食用とすると伝えずに鶏を育てさせて、育った後にシメて食べさせるというような教育です。これは現状では教育者が生徒の心を注意深くケアすることでかろうじて許容される教育法ではあるでしょう。このイベントを全面的に応援するとして特集を組んでいた『ほぼ日刊イトイ新聞』は“みなさんがこのツリーを見て、なにを考え、なにを思うか、それこそが清順さんの本当のねらい”と表現し、ウェブで起きた中止運動から神戸市に出された質問に対してイベント終了後に提出された回答でも、主催者の言葉を引用するように“学校では教えてくれないような植物のことを感じてもらう”と示されていました。

 ここで「いのちの授業」が許容されるのであれば、このイベントの物語ブランディングも許されるのではないか、批判者は過剰反応なのではないかという疑問が生まれるでしょう。僕は許されないと考えています。「いのちの授業」が成り立つ条件は、その場が教育の場であることです。教育の場とは、先生と生徒、教える側と教わる側という非対称な関係が成り立つ場です。被災地神戸のクリスマスという高度に公共的な祝祭空間に、その関係が成り立つでしょうか。答えは否です。やるなら、教祖と信者という非対称関係が明確な宗教行事に類するものとして閉じる形でやればよい、そして、公共空間にその関係を成り立たせようとする試みに僕は市民として抵抗を示したいと考えています。

 たぶん、これだけ批判が高まった今なお、主催者とその支援者は、そういう非対称な関係が公共で成り立つと考えているのだろうと思います。今回はしくじったけれども次はうまくいくはずだとも考えているような気さえします。その動機を支えるものは、我々前衛、つまりより深く物事を考え、知り、未来を見据えている者が、愚かなる大衆を導くべきであるという信念であるのでしょう。この信念に対する批判は、かつて吉本隆明が前衛党派、前衛知識人批判の文脈で行った大衆の原像についての論考を振り返れば足りるでしょう。あなた方は大衆の原像を見誤っている。大衆の原像を見誤った思想は、大衆によって唾棄される。僕が言いたいことは、それ以上はありません。

 ここまで論考をすすめてもなお残ることがあります。それは、批判者の心に残り拭い去ることができない、グロテスクなものを見てしまったという忌避感です。この核心に迫るには、日本の社会思想史をたどる必要が出てくるだろうと僕は思っています。少なくとも僕には、この象徴化された死をモチーフとした物語に、死による魂の救済という思想の片鱗が見えます。それは宮沢賢治の『よだかの星』等にも見られるものですが、読むための自発性が求められる小説として書かれた物語に対して、実際のモノや人が動くコト消費として公共空間で示したことに、現代性を見ることができます。主催者の「嫌なら見るな」は反論としては成り立ちません。

 ここ十数年の思想的な流れを見ると、「新しい公共」論が隆盛し、その後、東日本大震災が起きました。表面的には政府が機能不全になり、ある種の人々に無政府状態のような高揚感が生まれました。本来は公共が担うはずのことも個人が担う、担えるという空気が生まれました。それは、あの危機に対して一定の貢献はあったとは思います。しかし、それは危機で生まれた欠乏を緊急避難的に埋め合わせるものであって、あのときに際立った個人の力はある時点で公共に還元されなければなりません。あの頃の空気が永続的なもの、つまり、未来のあるべき形ではないと僕は考えています。

 熊本の震災では、東日本大震災の経験を生かしてボランティアの仕組みが徐々に整備され、所謂「野良ボラ」が減り、スピリチュアリズムや自己啓発、自分探しをベースとした個人の信条が暴力的に公共に持ち込まれることが少なくなりました。危機に瀕した人が公共あるいは社会の使命として、その助けを受けるのに、あなたが信じるのは俺かあいつか、と属人的に問いただされ、地域社会が分断される状況をいつまでも続けるわけにはいきません。経験を生かして次の時代へとつなげていく。歩みは遅くとも、一歩ずつ前に進んでいく。それが未来というものの実相だと思います。今回のイベントに批判が集まり、その物語ブランディングが無化されたのも、その経験を経た社会の成熟であるだろうと僕は考えています。

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2012年1月26日 (木)

東京糸井重里事務所を退職しました

 思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。

 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手本でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。

 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重さ」だろうと思いますが、そのエントリを今読み返してみて、あれから3年以上経った今でも、やはり重いです。

 東京糸井重里事務所、つまり「ほぼ日刊イトイ新聞」では、主にほぼ日手帳を担当してきました。自社メディアが中心で、かつ、ほぼすべてのコミュニケーションがネットを起点とし、逆のベクトルでマスメディアやリアルに広がっていくという、これまでに経験したことのない仕事に関われたことは、私にとって大きな財産であり誇りです。そこには、コミュニケーションデザインのすべてがありました。また、これからの新しい広告コミュニケーションの大半は、こうした自社メディアを起点とし逆ベクトルで広がるコミュニケーションになっていくはずです。

 また、東京糸井重里事務所では、糸井さんという私にとって、とてつもなく大きく「重い」人に誘っていただかなければ、たぶん私の人生では味わうことの出来ない楽しい経験をさせていただきました。普段は、あまりこういう姿をブログでさらしたりはしないのですが、今回は特別です。こんなこととか、あんなこととか。そうそう、期間限定ですが、横風太郎の壁紙もゲットできるんですよ。ワニが泳いできますので、そのワニをクリックです。

 自分のこれからの人生を考えたとき、やはり、広告人として、様々な会社が持つコミュニケーションの課題に対してソリューションを提供していく仕事をしていきたい。自分ができることは、やはりこれしかないと思う。

 そんな私のわがままを、社長の糸井さんやほぼ日の乗組員のみなさんは、大きな心で受け入れてくれました。また、最終出社日には、糸井さんからは「応援してる」との言葉をいただきました。泣きそうになるくらいうれしかったです。

 また、いろいろと思い悩むことろがあって前職の退職時にブログでのご挨拶が果たせませんでしたが、応援の言葉とともに東京糸井重里事務所へと送り出していただいた、姉帯社長、元クリエイティブ局長の鎮目さんをはじめとする電通ヤング・アンド・ルビカムのみなさん、送別会まで開いていただいた田中貴金属のみなさん、仕事でご一緒したみなさんにも、あらためて御礼を申し上げます。糸井重里事務所でこんなに楽しく有意義な日々を過ごすことができたのも、みなさんのおかげです。

 じつは、退社日は1月31日なので、まだ東京糸井重里事務所の社員なのですが、もう、たぶん最終日まで犯罪などを起こすことなくなんとか過ごせそうですので、正式な退職前ではありますがご報告をさせていただきました。しばらく充電して、また新たに頑張っていこうと思っています。せっかくのフリーエージェントでノマドな身分(これ、一度使ってみたかったんですよね)、これまでお話を聞きたいと思っていた方ともお会いしたいなあと思っています。突然お声がけするかもしれませんので、その折は、どうぞよろしくお願いします。また、お気軽にお声がけください。

 少し書けなくなった時期もありましたが、こうしてまた書き始めてみて、私にとってこのブログはかけがえのないものだとあらためて気付きました。お読みいただいているみなさんにも、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。

 twitter:http://twitter.com/mb101bold
 facebook:http://facebook.com/kouji.ikemoto

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2011年3月18日 (金)

がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。

 そもそもの問いが愚問だけど、今、この状況で、広告人として何ができるか、と問われれば、NHK_PRさんみたいなことかな、と答えます。それくらい、NHK_PRさんの中の人の仕事は見事だなあ、と思います。あっ、中の人などいない、でしたよね。失礼しました。

 twitterをやっていない人はわからないかもしれませんが、NHK_PRは、NHK広報局の公式twitterアカウントのこと。NHKの番組の広報ツイートをtwitterで日々届けておられます。twitterのアカウントページの自己紹介は、こんな感じ。

名称 NHK広報局(番宣・広報/ユルいです)

自己紹介 このたびの大きな震災では、皆さん長い緊張状態が続いているようで、様々なところに、イライラと批判と強い口調の言葉が流れています。だからこそ、このアカウントでは出来るだけ日常的なユルいツイートを心がけております。ご批判もあるとは思いますが、ご理解ください。PRはパブリック・リレーションズの略、アイコンはおやつの時間です。

http://twitter.com/NHK_PR

 自己紹介でも書かれているように、今、「批判と強い口調」がtwitterにあふれています。そんな中で、震災発生時から、番組の番宣・広報の枠を超えて、常に有用な情報をツイートしてこられたNHK_PRさんにも「批判と強い口調」が向けられているようです。でも、NHK_PRさんくらいの強者なら、心配は無用。役者が何枚も上。安心して見ていられます。

 震災の発生直後、TLにたくさんのリツイートが飛び込んできました。その中で、私が、ああ、このリツイートは私にとっても役立つし、被災されている方にも役立つだろうな、と思ったのが、たくさんの人にリツイートされたNHK_PRさんのツイートでした。その時は、今よりもちょっとだけユルさひかえめで、最近、少しずついつものユルい感じに戻されているようです。見ていた人はきっと、そうそう、と思っていただけると思いますが、そのモードの見極めとタイミングも見事でした。

 パブリック・リレーションを含めた広告って何かっていうと、つまるところ、コミュニケーションの最適化だと思うんですよね。最適化なんていい感じの言葉を使いましたが、別の言葉で言えば、身も蓋もないけれど、コミュニケーションのコントロール。

 一頃、ホリスティック・コミュニケーションやコミュニケーション・デザインという用語が流行しましたが、なぜ、立体的、全体的にコミュニケーションをデザインしないといけないかというと、それは、これだけ複雑になって、個々人も発信する時代になってきてたら、全体を考えて立体的に情報発信を考えないとコミュニケーションがコントロールできないからでしょ。マスだけ考えても、無理。とりわけコントロールできにくいソーシャルメディアがからむからこそ、今の時代、広告は、コミュニケーション全体をデザインすることが必須なわけです。

 この震災に、広告人として何ができるか。これは、あらかじめ言っておくと愚問です。うちの親父は水道工事をやっていましたが、水道人として何ができるか、という問いに関しては、依頼された仕事を淡々とこなすことしかないわけです。それは、広告人でも同じです。

 それでも、あえてその問いに答えるなら、自分の仕事の範囲で、自分の職業のノウハウを活かす、ということ。

 広告人としてのノウハウ。それは、究極的に言えば、コミュニケーションの最適化、コントロール。コピーやビジュアルは、その手段に過ぎません。広告にコピーやビジュアルが使われるのは、その時に、コミュニケーションの最適化の目的を達成するために有効な手段であるからでしかありません。それだけのことです。

 NHK_PRさんは、会社の求める仕事を超えて、また、所属する日本放送協会も震災時にそれを許して、さらには、支援して、震災時に必要な情報を提供しつづけました。

 その語り口は無駄がなく、気の利いたレトリックもなく、過剰に心を動かすアジテーションでもなく、正しい事実だけを淡々と伝える普通の言葉でした。あの、いつもはユルユルのNHK_PRさんがあえてそうしたのは、きっと、NHK_PRさん自身が、この震災時に、職業人として持つ広告的なノウハウを使って貢献しようと思っていたからでしょう。ここで言う、広告的というのは、NHKの広告になるという意味ではなく、広告的なノウハウを使って、今の状況を最適化し、復興の道筋をつくるということ。だから、どんな見事な広告コピーより、NHK_PRさんの言葉は、力がある言葉でした。NHK広報局は、多くの人がフォローするアカウントです。不特定多数に受動的に伝える、という狭義の広告(アドバタイジング)の要件が揃った中で、そのツイートは、twitterを利用する人たちに、どんな広告よりも「広告的」に届きました。

 私のTLには、必要なときに必要な情報がNHK_PRさんから届いていました。そして、twitterというコミュニケーションの場が、有用な情報を求める場から、この不安で厳しい状況化で毎日をともに生きる人が考え、対話する場になろうとしたとき、淡々とした口調で語られる有用な情報を織り交ぜながらも、いつものユルい語り口に戻りました。その変化が、どれほどの人の心を和ませているか。

 私には、NHK_PRさんが懸命に、コミュニケーションの場を、これからの復興に向けて最適化しているように見えました。それは、自然のままにまかせるのではなく、明らかにコントロールの強い意志が見えます。その意志は、正真正銘、広告人のものです。業務のために、業務を超えて、依頼主である日本のために、広告のノウハウを活かしています。

 NHK_PRさんは、TLに表現されない返信ツイートという手法で、NHK_PRさんを不謹慎だと批判する人に直接きちんと答えています。そのきめの細かさにも、驚かされます。(追記:あらかじめ言っておきますが、逐一答えることが正しいというわけでは決してありません。むしろ、ある一定の割合で起ることとしてスルーするのも正しいやり方のひとつです。また、NHK_PRさんもそのようにお考えでしたが、スルーすると電話で苦情という流れになるので、この時期は特に応答しているとのことです。個人的には、応答により第三者が群になって批判する人を批判し、小さな個人をつぶしてしまうことになりがちなので、現状のtwitterのシステムではできる限りスルーがいいんじゃないかと思っています。また、第三者が叩くのは当事者の望むことではないと思います。)

 広告は、本来的に企業コミュニケーションです。パーソナルなコミュニケーションではありません。なぜなら、企業、つまり公共性を持ったコミュニケーションだからです。あらかじめ属人性は排除された、企業という、法律用語が示すように「法人」が行うコミュニケーションです。NHK_PRさんが「中の人などいない」とおどけながら言うのは、そのいないことになっている中の人が、まさに広告(狭義ではパブリック・リレーション)を行っている自覚からでしょう。

 今、よく言われる話す人が見える企業コミュニケーションの意味は、担当者の顔が見える人ということではなく、その主体たる企業、つまり「法人」に人が見える、感じられるということだと思います。NHK_PRさんのユルさのバランスは、ひとつの理想のように思えます。

 応援しています。同じ広告人として。誰が何を言おうと、NHK_PRさんの行っている仕事は、新しい、明日の「広告」だと思います。同業者として、嫉妬すると同時に、励みになっています。最後に、ひとつだけNHK_PRさんの言葉を引用してこのエントリを終わります。

不謹慎ならあやまります。でも不寛容とは戦います。それでは、あらためてciao!!

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2010年11月 3日 (水)

もし日本で戦争が起きてしまったら、僕は戦争のコピーを書くのだろうか

 馬場マコトさんの『戦争と広告』という本を読みました。重い本。もしかすると、今、懸命に広告の仕事をがんばっている人にはおすすめできない本なのかもしれません。広告人なら、読んだ後、自分自身にこういう問いかけをするのだろうと思います。

 「もし日本で戦争が起きてしまったら、戦争のコピーを書くのだろうか。」

 著者の馬場マコトさんは、馬場コラボレーション主宰のクリエイティブディレクター。私の世代だと、東急エージェンシーの馬場さんといういい方になじみがあるかと思います。1999年に、東急エージェンシーを退社され、「広告を得意先のものにするためには、ひとりのキャンペーンディレクターが、マーケティングからメディアまでをトータルに責任をもってプランニングする必要がある」との考えから、「一人広告代理店」を標榜し、クリエイティブエージェンシーを設立。

 私は、外資系広告代理店出身なので、たぶん馬場さんとは同じ文化にいます。馬場さんは、東急エージェンシーの前は、マッキャンエリクソン博報堂に在籍されていました。私がいた外資系広告代理店文化の中に、ドメスティック代理店の方ではありましたが、東急の馬場さんは確かにいましたし、その文化の中心人物のひとりでした。

 広告は得意先のもの。
 広告はソリューションである。
 報酬モデルはフィーであるべき。

 広告は、目的を持ったマーケティングソリューションであり、よって、それは得意先のものであり、そのソリューションを提供するのが、我々広告人のミッションである。広告表現は、目的を達成するためのひとつの手段であり、アートでもポエムでもなく、ましてや広告クリエーターの自己表現ではない。売り物は、ソリューションそのものであるべきで、報酬モデルはコミッションではなく、フィーであるべき。

 要するに、そんな文化です。そこには、広告を、自己表現のひとつのフィールドとして考えることを嫌悪する心情があります。でも、これは、広告表現の仕事を、仕事として割り切るということを意味するのではありません。むしろ、こういう心情を持つ人の方が、広告表現に自己を入れない分、表現として高度化、緻密化する傾向にあります。この傾向は、ある程度、外資系に限らず、広告表現を真剣に考えているクリエイターであれば思い当たることなんじゃないかと思います。

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 『戦争と広告』は、戦中、戦後を駆け抜けた、広告クリエイターたちのドキュメンタリー。本書の帯を引用します。

広告依頼主は内閣情報局。仕事は戦意高揚を図るポスター制作など。山名文夫、新井静一郎ら「報道技術研究会」の精鋭たちが取り組んだ、最前線の成果から考える、戦争の悲しい宿命。

 この本は、告発、批判の書ではありません。広告人の宿命を描いた本です。化粧品会社で、自らの表現技術を磨いてきた一人のクリエイターが、戦争によって、その表現の場を奪われ、そのとき、内閣情報局から、その才能を国家情宣に生かしてほしいと依頼があった。時代は、戦争一色。だから、断る理由はない。新しい広告、新しい広告表現を懸命に追い求める日々。

 戦争が終わったとき、48歳になった山名文夫さんは「さよなら、みんな終わりだ。」という言葉とともに、戦後の広告界で、新しい広告、新しい広告表現を、リセットするかのように、再び追い求めはじめます。いや、もしかすると、リセットさえしていないのだろうと思います。新しい広告、新しい広告表現という意味では、戦前と戦後は地続きであったのでしょう。

 大政翼賛会で「おねがいです。隊長殿、あの旗を撃たせて下さいッ!」というコピーを書いた新井静一郎さんは、戦後の広告代理店システム構築の中心人物として活躍し、その壁新聞のコピーを「射たせて下さいッ!」と修正したほうが強くなるとディレクション、デザインした花森安治さんは、戦後、「男たちの勝手な戦争が国をむちゃくちゃにしたのだから、今度は自分は女性のために償いたい」として、広告のない雑誌『暮らしの手帖』を創刊。その後、花森さんは、大政翼賛会時代については生涯沈黙しつづけました。

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 戦後、多くの芸術家、文学者、学者がその戦争責任を問われました。しかし、広告人はその責を問われることは、ほとんどありませんでした。それは、広告が、依頼主があり、その基本的な性格を、課題解決のためのソリューションであるとしているからなのかもしれません。いかに広告クリエイターが業界で名が知れていたとしても、広告が世に解き放たれたとき、その表現の裏にいる表現者、つまり、広告クリエイターは、基本的には匿名存在、広告は匿名表現です。

 けれども、そのソリューションの手段である広告表現は、才能や感性など、個人の資質に多くを依存する、芸術的創作によって立つ手段です。元電通関西の堀井さんは、こう言っています。

 「広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや。」

 同じ広告人として、至極真っ当な言葉だと思います。広告という命題のもと、芸術だけでなく、生活者としてのクリエイターの思いさえ溶けてしまう。それが、広告。そこに、表現としての広告の捻れがあり、広告の危険があるように思います。

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 『戦争と広告』は告発、批判の書ではないけれども、この本の中には、戦後、吉本隆明さんが行った転向論と同じようなラディカルな投げかけが含まれているように思いました。個人な興味としては、戦後における個人のメンタリティの分断と連続性、そのベースになる広告に対する考え方そのものに興味あります。

 それは、本書の中では、山名さんと花森さんの両氏は、対照的な態度で戦後を生きた人として描かれています。山名さんが書かれた戦前と戦後のポエムを示すとこで暗示的に描かれ、花森さんに対しては、「戦争犯罪から逃げてしまった。」「そこが」「弱さになった」と書かれています。

 また、馬場さんは「戦争責任を追求する人々の視点からは、戦争に傾斜し、加担せざるを得ない表現者の資質と、またそうしなければ暮らせなかった生活者としての視点に欠けると思う」と述べられています。

 吉本隆明さんの転向論の文脈で言えば、戦前は大政翼賛会で広告立案を担当し、その才能を発揮し、戦後は一転して、「男たちの勝手な戦争が国をめちゃくちゃにした」として、戦後の消費者運動を牽引した花森さんの、戦前、戦後を通してのラディカルな活動の中には、アドバタイジングとは何か、プロパガンダとは何か、アドバタイジングがプロパガンダと違うものだとすれば、そこにはどのような違いがあるのか、ということを示唆するものが含まれているように思います。

 本書では触れられていないけれど、表層は真逆な戦前と戦後の活動の中の、見えない同一性にこそ、よりラディカルな問題が含まれているように思います。それは、表層は真逆でありながら、どちらも庶民という下からの視線を偽装した啓蒙、つまり、プロパガンダである、という同一性があり、だからこそ、『暮らしの手帖』という雑誌は、広告と同居できなかったのでしょう。

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 「もし日本で戦争が起きてしまったら、戦争のコピーを書くのだろうか。」

 著者の馬場さんは、率直に「書くだろう」と述べています。そして、だからこそ、「そんな時代を迎えないためには、戦争をおこさないことしかない。」と言います。

 私は、どうだろうか。

 一生活者としては、できればやりたくはない。けれども、職業人としてはどうなのだろう。「書かない」と言いたいし、葛藤もするのじゃないか、とも思います。でも、生活者として、勤め人として、断れるかどうかは、わかりません。もしかすると、これは正義である、もしくは、こういう考え方もあり得ると簡単に納得し、職業人として新しい広告を追い求めるのかもしれません。けれども、少し違う考え方も、あり得るんじゃないか、と思っています。

 2007年9月に、私は「消費者金融のマス広告は是か非か。」というエントリを書きました。あれから、少し時間が経ちました。馬場さんと20年下の世代の広告人である私は、少し違う結論が導きだせる気もしています。この問題は、なんとなく大げさかもしれませんが、世代が乗り越える課題だと思っています。

 その鍵は、前述のアドバタイジング、プロパガンダの違い、そして、アドバタイジングの社会性、言い換えれば、社会的表現としてのアドバタイジングの限界。簡単に言えば、社会的なコンセンサスを根拠にしながら、邪悪なインサイトは描いてはならない、という社会の一部である企業表現としての広告の範囲を、広告制作者自身が、自ら問い直すことなんだろうと思います。

 要するに、広告の再定義の問題のような気がします。その意味では、今言われているような、PPPなどの小さな問題も、じつは地続きなんだろうと思うのです。

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 私たちの世代は、戦争を知りません。馬場さんの世代も戦争を知らない世代であるけれど、より戦争が感覚的につかめない世代であることは間違いはないでしょう。戦争とは、社会のコンセンサスが戦争イコール正義である状態なのだから、上記の考えは、もしかするとまったく無効になってしまうのかもしれません。その意味では、馬場さんが言う「戦争をおこさないことしかない」という結論は、正しいのでしょう。

 でも、そうであるからこそ、私たち下の世代は、そうなる前に考えていかなといけないのではないかと思います。馬場さんと違う結論を導きださなければいけないのではないか。遠くを見通して、小さなこと、些細なことにも注意深く耳を傾けながら、新しい広告の倫理をつくっていくしかないのだろうと思います。世の中に必要とされなければ、広告で飯を食うことさえできないのだから。それが、一生活者としての広告人の視点のように思います。少し、青臭いけれど。

 だからこそ、この『戦争と広告』のあとがきに書かれている馬場さんの言葉を、結論としては受け止めませんでした。それが、広告人の先輩が届けてくれたこのという誠実な仕事に対しての、後輩広告人がとるべき正しい態度なのだろうと思っています。

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2010年10月17日 (日)

「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、本当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」

 長いことブログをやっていると、私に向けてではない言葉で私について言及されていることもたまにあって、まあ、それなりに俗な人間でもあるので、それなりに見つけては読んだりしているんですが、ずいぶん前にですが、その中で少し気になる言葉があったんですね。

 その言葉は、特に批判や反論というわけじゃなく、私のブログを読んでの感想みたいな言葉でした。確か、はてなブックマークか、ブログかで語られた言葉ですが、探してみたけど見つかりませんでしたので、だいたいこんな感じ、と思っていただければと思います。

 「このブログ、広告がすごく好きだということが伝わってくるんだけど、ときどき、本当は、広告がすごく嫌いなんじゃないか、と思うことがあるなあ。」

 確かになあ、そうなんかもなあ、みたいなことは少し思います。広告がすごく好き、というよりも、実際は、広告は職業だし、唯一、私の専門分野だとも思うし、一応それなりに長く真剣にやってきて、有名とか無名とか関係なしに、それなりに、やっぱりあるわけですよ。言いたいことが。それに、この領域では、誰よりも考えているし、わかっている、みたいなことが。実際に、ひとつのジョブ単位では、誰よりもいいソリューションを出す自信がある、ということを前提に仕事をしているわけで、ずいぶんと思い上がった言い分ではあるけれど、それくらいのずぶとさがないとやってられないわけで、ね。

 だから、好き、というのとは、ちょっと違う気もしますが、まあでも、それを好きと言うんだよ、と言われれば、そうですね、としか言いようがない気もしますので、まあ、広告がとても好きなんだろうと思います。

 広告がすごく嫌いなんじゃないか、ということについては、正直、あっ、痛いとこついてくるなあ、と思いました。嫌い、ではないけれど、そう見える部分は確かにある、と自分でも思います。

 この言及は、確か、PPP(Pay Per Post=お金払って提灯ブログを書いてもらうこと)関連のことを書いたときの指摘だったと記憶しているんですが、私はPPPについては、rel=nofollowで、エントリに明示していたとしても、あまりいいことではないと思っていますし、そんな流れが新しい広告だとすれば、私はその新しい広告に否定的。というか、そんな新しい広告はいらないと思うし、最終的には絶対にうまくいかないと思っています。このあたりについては、『「純広」という言葉が持つ意味』というエントリなんかで書きましたので、お暇なときにお読みいただければと思います。

 もうひとつ。

 かの人に、このブログ主、もしかすると広告が嫌いなんじゃないか、と思わせた要因は、きっとこれかな、と思いあたることがあります。最近では『「あえて狙わないほうがいい」という時代』というエントリにも書きましたが、2000年に入ってから、なんとなく、あっ、もうこれまでの広告の言葉は信じてもらえなくなっているんじゃないか、みたいなことに気付いたからなんですよね。

 2000年と言えば、Web2.0とか言われるずっと前。その頃に、なんとなく、そんな気分が少しありました。消費者は、もう、所謂コピーライターの言葉を企業の言葉として信じてはくれないんじゃないか、みたいな気持ちがあったんですね。イコールで結べない、みたいな感覚。

 これまで、興味をもたれて、それなりに信じてもらえた広告の言葉は、いつのまにか信じてもらえなくなってしまった、という意識が私にはあります。それは、私の場合、すこしばかり過剰に、という気がするけれど、まあ、その領域に執着している限り、ちょっとバランスが悪いなあ、とは思うけれど、しょうがないことではあるんでしょうけどね。

 今、広告に書いてある言葉のとおりにメッセージを受け取る人は、どれくらいいるのでしょうか。メッセージは、書いてある言葉、その言葉を裏切らない企業行動、品質、サービス、言動、経済活動、そのほか諸々のことが統合的にあわさって、はじめてメッセージ足りうるものだと思います。それは、昔も今も変わらないけれど、時代の空気は、そのことを厳密に評価するようになっている気がします。言ってることと、やってることが、まったく違うやんか、とか、会ってみると、ちょっと嫌なやつだったよ、みたいな、ね。

 単純に言えば、もう、レトリックだけでは駄目かもね、ということですね。

 でもね、だから、反コピー、反言葉というわけではなくて、だからこそ、その統合されたイメージの核になる言葉を選ぶ、というか、つくっていかなきゃならないんじゃいか、という思いが、私には過剰にあるんです。その、あれも違う、これも違う、っていう中で、残った言葉をつむいで提示することが、広告コピーなんじゃないか、といった。

 その核があって、そこからぶれなければ、逆に、どれだけ長くてもくどくても、信じてもらえるし、読んでもらえる。特に、ウェブがあったり、メディアが多様化している、つまり、モードが複数ある状況下では、この、様々なものの中心となるべき、広告コピーは大切になってくるんじゃないかな、と思います。そして、この核の部分がしっかりしていて、しかも包容力がありさえすれば、もう一度、広告は、その核の部分をベースに、表現として、もっと自由に飛び立てるんじゃないか、みたいなことは、希望として思ったりもしています。

 加えて言えば、その核をつくるのは、今も、本当は、専門職たる広告人固有の領域ではないか、という自負はあります。でも、実際は、そういうふうな世の中の流れはないですけどね。今、広告人はみんな弱ってるから。

 広告は信じているけど、それは、今までの広告じゃない。でも、その、これからの広告っていうのは、世間で言われている「新しい広告」でもない。

 まあ、こういう私のややこしい部分が、広告嫌いに見せているんだろうな、と思います。というか、私にも、その先の深層心理はわかりませんので何とも言えませんが、自己言及の限界というものがあるにしても、とりあえずは、広告って信じてもらっていない、だから、信じてもらえる広告はどのようにあればいいのか、みたいな捻れが、私にはあるんでしょうね。つまりは、これまでの広告の文脈からは、少し距離は置いています。

 でも、距離は置いているものの、そういえば、手法としての広告については、今まで一度も懐疑的になったことはないですね。それは、あらためて考えると、ほんとそうだったなあ、と思います。広告はもうだめ、これからは口コミとPRだ、プロモーションだ、ブランデッドエンターテイメントだ、みたいなことは、一度も思ったことがありません。それは、単にモードの問題。モードがたくさんあるだけの話で、根元は同じ。実務で言えば、ここで根元がバラバラになってしまうのは、かなり問題だと思っています。

 そういう意味では、やっぱり、根っからの広告好きなんでしょうね。では、よい日曜日を。

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2010年9月 9日 (木)

「広告」というのはひとつのテクノロジーなのだと思う

 それは、よきにつけ、悪しきにつけ。

 当たり前のように広告の仕事をしてきて、それなりに広告の方法論を身につけて、広告という文化圏の中で息をして、広告というものの考え方にどっぷり浸かってきたけれど、その「広告」というやつは、「広告」というやつの外部から見れば、かなり異質なものの考え方のような気がします。

 所詮はビジネスではあるから、いろんな組織のごたごたに従うしかないこともありますし、それが現場のリアリズムかもしれませんが、本来的には、広告とは、そんなごたごたさえ排除するものの考え方のような気がします。だからといって、つくり手がいちばん尊重されるかというと、組織のごたごたさえ原理的には排除されるのと同様に、つくり手のプライドや自我さえ排除される、そんなものの考え方。ある意味で、きわめて悪魔的な考え方なのかもしれません。

 つまり、なによりも尊重されるべきは、広告。そして、広告によってかたちづくられるブランド。

 デザインより、コピーより、広告、そしてブランド。広告やブランドという命題の前では、デザインやコピーは、ブランドをつくる、あるいはブランドのメッセージを伝える手段である広告の、単なる一要素に過ぎません。

 元電通関西のCR局長である堀井博次さんは、こう言っています。

 「広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや。」

 芸術に、自己表現とか、デザインとか、コピーとか、いろんな言葉を入れるとわかりやすいかもしれません。そして、また、広告は、広告クリエイターのキャリア形成の過程で、デザイナーやコピーライターの自意識を存分に利用しながら、と同時に、その自意識を、その都度、広告の名のもとに叩き潰しながら、広告至上主義者たちを創り出していきます。

 その過程で、ある者は、広告という冠を自ら外し、広告という呪縛から逃れ、冠なしのクリエイターとして生きるでしょう。しかし、それができなかった、あるいは、あえてしなかったものは、同じクリエイターでも、冠なしのクリエイターとは、まったく逆の倫理観をもって生きることになります。ほとんど宿命的に。

 広告というのは、それ、そのもの自体が、ひとつのテクノロジーなのだと思います。そのテクノロジーは、これまで、功罪あれど、経済や産業、文化の発展を支えてた、近現代の主要なテクノロジーのひとつのように思いますし、なんの因果か、私は、そのテクノロジーに取り付かれてしまっているのだろう、とは思います。

 それは、でも、やはりテクノロジーであるがゆえに、普遍的な考え方ではないことは事実なのでしょう。その内部では、その倫理は当たり前であっても、その外部では、異質なものの考え方ではあるのでしょうね。で、広告がテクノロジーであるがゆえに、そのシステムを貫く倫理に忠実な者にしか、広告がもたらす果実を手にできないだろうけれど、その外部にあるものが、その倫理に従えないことは、なんとなく分かるような気がします。

 今、自分が何をやりたいのか。何よりも、それがいちばん尊重されるべき。そういう文化圏に、私はたぶんいないんだろうと思います。今、広告のために、ブランドのために、何をやるべきなのか。そういう倫理の中にいます。そのことは、当たり前のように思っていたけれど、きっと、異質な考え方なのでしょう。

 と同時に、異質であるからこそ、テクノロジーをつかさどるテクノロジストとしての価値を持ち得るのだし、とも思います。そしてまた、きっと、そういう視点を持たない限り、広告クリエイターなんて職種は、これからは、中途半端なクリエイターとしての価値しか持ち得ないだろうとも思うし、たぶん、時代は、そんな中途半端さは必要としないでしょう。

 それにしても、厳しい時代に生きているものだなあ、と思います。たかが広告クリエイターが、夜中にブログでこんなことを書く時代。ほんとは、そんなことは体でわかっていて、夢とか希望とかを書くほうがいいんでしょうけど、やっぱり、時代が書かせるんでしょうね。

 まあ、なんとかなるさ、みたいな根拠のない自信みたいなものも、なくはないですけどね。どっちにしても、この5年でしょうね。根拠ないけど、たぶん、5年。広告をとりまくまわりの風景は、きっとガラッと変わる。そんな気がします。

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2010年7月28日 (水)

「あえて狙わないほうがいい」という時代

 消費者が広告を見る目があきらかに変わって来たなあ。

 そんなふうに思ったのは、思い返してみると、2000年を少し過ぎてからのような気がします。これまでも、メインストリームではなく、どちらかというと異端的な考え方を好んでしてきたので、それ以前から、なんか新しいやり方は探してはいたけれど、それは、例えば、Saatch & Saatchが提唱していたSMP(Single-minded Propsition)だったり、どちらかというとメッセージ開発の手法的な話が中心だったような気がします。私にとっての90年代は、そんな感じです。

 SMP理論は、簡単に言えば、あるブランドがある市場環境に置かれるとき、そのブランドが持つ課題を達成するために必要なのは、つきつめると、たったひとつの短く強いメッセージになるはずだ、という理論で、その成功例としては英国の労働党から保守党へ政権交代を実現した"LABOUR ISN'T WORKING."という広告キャンペーンがあります。日本語に訳すと「労働者は働いていない。」あるいは「労働党は働いていない。」ということになります。つまり、労働党が政権を担っているのに失業者ばかりじゃないか、労働者は働いてないし、労働党も働いていないでしょ、ということ。

 これは、Saatch & Saatchの躍進をつくった、もはや古典と言われる広告キャンペーンですが、その広告キャンペーンを見て大きな衝撃を受けました。この考え方に基づいて、日本橋三越で「あす10時スタート。」という単純極まりないコピーの広告をつくったりして、それなりの成果もありました。で、この後、Saatch & Saatchの日本法人に入ることになって、こんな広告をつくったりもしました。

 この一連の広告は、1990年後半から2000年まで。その頃の実感としては、私の場合は、よりプリミティブな表現を目指してはいたものの、まだ広告の技法やレトリックは通用していたような気がします。それに、広告業界も、「外資系らしい」という形容のもと、それなりの評価をしていたような感じもありました。

 それが明らかに変わって来たのが、私の感覚では、今思えば2000年に入ってからなんですよね。もう、広告業界で、とりわけ広告クリエーター界隈で評価されているような表現の大部分は、広告としてはもはやきちんと見てはくれないよ、みたいな肌感覚がありました。そして、広告としてみてくれないよ、というこの感覚は、広告よりもっと広い概念である表現としても批評の対象にさえならない、ということとほぼ同じような感覚で、脱広告というポストモダニズムさえ、陳腐な戯れ言に聞こえてしまうような感覚です。

 これは、広告が否定されてきたのではなくて、言ってしまえば、これまでよしとされてきた広告表現のあり方が飽きられて来た、底が見えて来た、裏が知られてしまった、という感覚です。

 ちょうどその時期に、私は広告代理店でクリエイティブ・ディレクターとして働くようになりました。因果なものだな、と思うけれど、気付いてしまったものは、もうしょうがないですよね。他の同業者がこれまでの手法の究極を目指しているときに、私はなんとなく、その方向はもう先がないかもと思ってしまったんですよね。逃げたわけではなく、もうその方向では、広告は広告になれないかもな、という感覚でした。で、こんな広告をつくったり。それが、2003年頃。

 ●    ●

 今週号のSPA!の「エッジな人々」というインタビューで、作曲家で音楽プロデューサーの小室哲哉さんがこんなことを語っていました。

小室 あえて狙わないほうがいいと思いますよ。以前は、プロの作曲家なら、“狙い過ぎ”の曲ってすぐわかったんです。「サビはCMのタイアップ用で、絶対あとからAメロとBメロつけたな」とか。それが今は“一億総ジャーナリスト状態”で、一般の人もそういうことに気づいている。何かに似ているとか、何にインスパイアされたとか、「そんな細かいところまでわかるの!?」って驚かされます。だからごまかせない。当然ですけどね。'90年代までは一般の人が“通”になっているとは感じなかった。みんなが驚いてくれる、喜んでくれるカードを'80年代に僕はいっぱいためてたんです。

ーーーー今、そういうストックは?

小室 ない‥‥っていうと、何もないのかよ!ってなっちゃいますけど(笑)、今は一度ゼロに戻って作ってるっていうことです。僕はもう自分らしさについて考えているだけ。聴いてくれる人がジャーナリスティックに総評してくれればいいなと。ブログやツイッターでも‥‥‥

SPA! 2010年 8月3日号「エッジな人々」より引用

 音楽と広告という分野の違いはあるけれど、時代認識としては、まったく同じような感覚なんですよね。それは、どちらも社会の変容が作用しているわけだから、同じ感覚であることは当然と言えば当然ではあるのですが。

 引用では、これからの小室さんの抱負としてブログ、ツイッターが言及されています。だからといって、読み手が、この社会の変容が、個人メディアとソーシャルメディアによるものだ、と考えるのは間違っています。2000年には、個人メディアやソーシャルメディアは普及していませんでした。つまり、主客が逆なんです。

 2000年くらいから、個人メディア、ソーシャルメディアを受け入れる素地が社会にできた、ということなんですよね。そういう、個人が発信するメディアを受け入れるだけの素地が、いつのまにかできていたということなんです。ただ、それにインフラやテクノロジーが追いつかなかっただけで。

 これは、きっと成熟と呼んでもいいものだと思いますが、その社会の成熟に、音楽や広告が対応できなかったということなのかもしれません。音楽や広告は、人がつくるわけですから、原理的には、人々の変化より少し遅れます。表現には制作というタイムラグがありますし、表現はかなり強い文化の拘束がありますから、変化には相当の痛みが伴います。

 ●    ●

 小室さんは、こう言っています。

今は一度ゼロに戻って作ってるって言うことです。

 それは、音楽に戻るということだろうと思います。であるならば、広告の話にあてはめると、広告に戻るということなんだろうと思うんですね。脱広告ではないはずなんです。なぜなら、脱広告は、メディアの変容にあわせた“狙い過ぎ”の広告に過ぎないとも言えるからです。

 すごく逆説を含む、ややこしい話ではありますが、メディアが多様化し、広告の受容が複雑で細切れになってきたのは、メディアがそうなってきたから、ではなく、社会に、そのきめ細かなメディアを受け入れる素地ができたということです。であるならば、広告が、まさしく広告として機能するためには、“狙い過ぎ”を排除したプリミティブな力を持った広告である必要があるということなのだろうと思います。

 その社会の変容は、例えば、ブログやツイッターはおろか、ネットさえ一切見ない、私の親父でさえ含む変容です。

 なぜこんなことを書いたのかというと、このブログをずっと読んでいただいている方ならわかると思いますが、私がブログにこういうことを書いている、ほんとうのきっかけは、2000年にあって、そのときにはブログやツイッターはなかったということをもう一度、私自身が確認するべきだろうと思ったから。

 メディアの変容の前に、社会の変容があったということ。それは、すでに2000年を契機にしてはじまっていた。そこをおさえておかなければ、その先のすべてを間違えてしまうような気が私はしています。自戒の意味を込めて、もう一度確認しておきたいと思います。つまり、今のメディアの様相は、その変容した社会が求めたものとしての時代に表れたものにすぎないということ。

 「あえて狙わないほうがいい」という時代、という認識が正しいとすれば、その前提は、必然的に2000年を契機とした変化になるはずです。もし、そうではなく、個人メディアやソーシャルメディアの台頭が時代を変化させたとすれば、その帰結としては「細かく狙っていく時代」になるはずで、それは今の複雑化、細分化された広告手法として表れています。

 今の広告を考えるとき、このふたつの論点の対立は、じつはあるのだろうなと、私は思っています。それは、以前のようなメッセージ開発手法のような派手さはないけれど、より本質的でプリミティブな問いかけのような気がしていて、この先、私が考えていく際に、このエントリは、一見地味ではあるけれど、後から振り返ったときに、結構重要なエントリだったんだな、と読み返すエントリになるんじゃないかなと思っています。

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