2年前に流れていたテレビCMから「かんぽ生命不正販売」を考える
かんぽ生命不正販売という不祥事が起こることは、2年前に流れていたあるCMが予言していた――
そう言われたら、あなたはどう思うだろうか。CMに何かの暗号が仕組まれていたのか。はたまたタレントが話すセリフがアナグラムになっていたのか。それとも、特定の人にしか見えないメッセージが電波とともに送られていたのか。
期待された方には申し訳ないが、そういうオカルトめいた陰謀論を書きたいわけではない。CMがどのような目的でどのように作られていくのか、そのプロセスを理解していれば誰でもある程度は分かることだからだ。もちろん、かんぽ生命不正販売という具体的な部分まで予言されていたわけではない。しかし、この手の顧客コミュニケーションに絡む問題が起こるかもしれないということくらいはCMを見ればすぐに分かるはずだ。
ZAITEN2017年10月号の連載で、僕は日本郵政グループのあるCMを取り上げた。少し長くなるが、どのようなCMだったかを確認する意味で一部を引用したい。
〈日本郵政グループの新しいキャンペーンが始まった。数作品放送されているが、どのバージョンも郵便マークのアップリケ付きの赤いオーバーオールを着た青年が〝僕は郵便局が大好きです〟と 言うシーンからスタートする。青年は郵便局の関係者ではなく郵便局好きの顧客であり、郵便局の女性局員に恋をしている。その女性局員は杏奈という名前で、青年が加入した保険の担当者だ。
青年が骨折した際、ギブスに〝早く退院して下さいね♡杏奈〟と書き添える。青年が郵便局を訪れた際には〈今年ももうすぐ誕生日ですね〉と声を掛け、青年の誕生会に出席するという。その女性局員の傍らで働く男性局員もまた、彼女に好意を寄せている。青年にギブスの添え書きを自慢された際には対抗意識を燃やし、青年が彼女を誕生会に誘ったときも即座に〝僕も行きます〟と答える。青年は、そのたびに〝出たなライバル〟と決め台詞を吐くのが、このシリーズお決まりだ。
複雑な演出とファニーなキャラクターで構造が分かりにくくなってはいるが、その世界観の設定はかなり異様だ。恋人のように顧客に接する郵便局の女性局員。そして、その接客に惑わされる顧客。同じく女性局員に好意を寄せていることを隠さない同僚の男性局員。その三者で日々繰り広げられる恋の駆け引き……。
こんな郵便局、どこにあんねん。あったら逆に大問題やがな。そもそも、こんなことを顧客から 求められたら郵便局も局員も困るやろ。〉
日本郵政グループは持株会社の日本郵政と5つの子会社で構成されている。その中でも中核となるのは日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社である。
今回の騒動はかんぽ生命の販売不正ではあるが、かんぽ生命は保険商品の設計や運用のみを行い、実店舗などの販売機能は備えず、販売業務をほぼすべて日本郵便に委託している。ちなみに、ゆうちょ銀行も同様で窓口業務を日本郵便に委託。保険商品、金融商品ともに通販もなく他代理店にも出していない。
つまり、顧客にとって、かんぽ生命との接点となるのは郵便局の窓口しかないということだ。同時に顧客はウェブサイトやパンフレットでしか商品内容を知り得ず、すべては窓口の局員が保険の勧誘のために顧客に話しかけることから始まる。このことは、今回の不祥事を考える上で重要なポイントである。
かんぽ生命単独のCMもあるが、このCMには予言的要素は少ない。井ノ原快彦が演じる郵便局員が登場するこのCMは、主に契約後の対面でのアフターフォローを描いている。拡販戦略との関連も当然あるだろうし、〈お会いすることで、確かな安心を〉というコピーは、今思うと皮肉めいて聞こえるが、作品自体は何ということもない。つては井上陽水 や能年玲奈(現・のん)も出演した華やかな〈人生は、夢だらけ。〉キャンペーンも含めて、無難なブランド広告に過ぎない。
では、なぜ日本郵政はかんぽ生命のCMでは夢や信頼をテーマにした、いたって普通のCMをつくり、日本郵政グループ名義ではあるが郵便局のCMでは、常軌を逸した顧客コミュニケーションを描いたのだろうか。あのCMは、ここ数年のCMと比較しても、特筆してアブノーマルな世界観だったと思う。
この謎を解くには、出来上がったCMから時間を遡って考える必要がある。
広告は伊達や酔狂でつくるわけではない。日本郵政ほどの大企業にとっても、何億円もの広告費を「ずばり、今の若い人はこんな感じなんですよね。自分で言うのもなんですけど、これ、刺さると思いますよ」「そうかね。今の人はこんな感じなのかね。我々の世代には理解できないけど、ここはクリエイターさんの感性を信じて。よしっ、これでいきましょう」という軽いノリで浪費するわけにはいかない。
広告制作のプロセスは、一般的には発注企業からのオリエンテーション、受注広告会社から発注企業への広告案のプレゼンテーション(大型案件では通常は競合コンペとなる)、受注広告会社決定、広告案の修正、広告案の決定、決定案の修正と続き、撮影、制作へと進む。日本郵政の場合、この最初のオリエンテーションはどのようなものだったのだろうか。
想像に過ぎないが、郵便局の好感度向上という大前提はあるとして、サブ項目として、かんぽ生命の保険商品拡販を見越した「営業力の強化」という課題は示されたのだろうと思う。かんぽ生命を含めた保険商品の拡販に貢献する広告が欲しいというニーズは日本郵政に確実にあったはずだ。
前述の通り、かんぽ生命は販売店や保険営業部隊を持っていないし通販もない。拡販を考えた場合、かんぽ生命を表に立てたコミュニケーションは商品のブランド力向上や信頼性醸成の役には立つが、拡販には役立たない。窓口で局員がいかに勧誘するかがすべてなのだ。
とにかく顧客に話しかけること。拡販を考えれば、そこに注力することが広告の使命になる。その広告で高額商品である生命保険を前面に立てることは局員、顧客双方にとって対話のハードルを上げることにつながり、逆効果として働く。
そこで考えられた広告案が、郵便局を舞台にした局員と顧客のコミュニケーションを描いたファンタジーだった。保険商品の拡販で郵便局で重要な場所は、出入金や公共料金の支払で多くの人が訪れるゆうちょ銀行の窓口であり、この顧客との接点でいかに保険商品の勧誘に持ち込めるかが拡販の決め手となる。だからこそ、そのモデルとなるCMは、窓口周辺を舞台に過剰なまでにフレンドリーな姿を見せる必要があったのだ。
当然、顧客に「郵便局は身近で気軽な存在である」と思わせたいという目的はあったのだろうが、一方で、郵便局で働く局員に対して「あなた方は、かんぽ生命拡販のために、もっとフレンドリーであるべきだ」と伝える目的もあったはずだ。むしろ、今回の不祥事を考慮に入れると、本音では、後者のインナー・コミュニケーションこそが、日本郵政の経営戦略にとってより重要であったことは容易に想像がつく。
こうして遡って考えると、この日本郵政の広告戦略は非常に良く出来ている。問題は、CMで描かれた顧客コミュニケーションが著しく異様だったことだ。
なぜ、あのような異様な表現が選ばれたのだろうか。答えは簡単だ。経営陣がかんぽ生命の拡販のために郵便局員に要求する顧客コミュニケーションの強度が異様なほど強かったからだ。「局員は、もっと気軽に、もっと積極的に顧客に話しかけろ」という経営陣の要求が、あの異様な世界を生んだと言ってもいいだろう。
職場では過剰なノルマで駆り立て、プライベートでは「もっと顧客とコミュニケーションをしなさい。あなたはこのCMで描かれているフレンドリーなやり取りの何分の一もしていないのではないですか」と追い立てる。
いかにソフトにコミカルに描かれようとも、職場で男性社員と男性客が女性社員を奪い合う、そんな異常な世界を普通の民間企業の経営者は受け入れることはない。しかし、日本郵政の経営陣はこの異様な世界を自ら選択した。
それは、彼らが考えていた拡販の手法が常軌を逸していたことを意味する。自由市場での生き残りをかけた競争の厳しさにも晒されず、コンプライアンスの徹底という重圧からも逃れ、拡販の自由だけを手にした巨大な内向き世界である日本郵政の意識が社会と乖離するのは必然である。そして、社会と乖離した意識が支配する環境で働く局員が暴走するのは自明の理だ。
広告は予言する。予言するものは、企業の将来である。企業の将来は社会の将来の一要素でもある。広告批評は、単なる作品批評ではない。
作品批評を超え、社会的表現である広告に埋め込まれた予言を読み解き、予言された企業の将来、社会の将来を示し、考えていくことなのだろう。少なくとも僕はそう考えている。
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月刊経済情報誌『ZAITEN』での過去の連載を収録し、新たな論考を大幅に加えた書籍『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈著(財界展望新社)が発売になりました(書籍の詳しい紹介はこちら)。
褒める批評を封印し、あえて問題広告を対象とすることで、現代日本の広告や社会が持つ課題を根源的かつ鋭角的に提起することが出来たと自負しています。
※このエントリは財界展望新社の承諾を得て、発売中のZAITEN 2019年10月号(詳細はこちら)ZAITEN REPORTより転載しました。