カテゴリー「自作の紹介」の12件の記事

2008年2月24日 (日)

コピーライターは言葉の専門家なのでしょうか。

 私のいる広告業界の現場でよくある風景。

 社内ミーティング。ある仕事で、クリエイティブが徹夜でつくった広告案を見た営業が、腕を組み、押し黙ってしまいました。重い沈黙。その沈黙を切り裂くように、営業が一言。

 「なんて言うか、コピーが違うと思うんだよ。」

 一通りの押し問答のあと、結局、作り直すことに決まり、それぞれが作業に。コピーライターは顔に悔しさをにじませて、ひとり作業室の中で言葉を吐き捨てます。

 「何もわかってないくせに、コピーに口だすなよ。」

 多かれ少なかれ、こういうことは多いと思いますが、そのときのコピーライターの心情は、こういうものだと思います。俺は言葉の専門家であるのに、言葉の専門家でもない人間があれこれ簡単にいいやがって。特に言葉は人を表すというように、言葉を否定されることは、その人を否定されるに等しいような感覚を持ってしまいがちです。

 コピーライターが言葉の専門家であるというのは、半分は真実であると思いますし、コピーライターという職業を選んだ以上、あらゆるタイプの言葉を一通り使いこなせるくらいのスキルはあるべきだと思いますし、文章を使うのに慣れていない人は、コピーライターにはあまり向いていないとは思います。ピアニストはピアノが弾けるのが条件、みたいなものです。

 しかし、コピーライターは言葉の専門家であるというのは、半分は間違っています。欧米の広告理論では、What to sayとHow to sayを明確に分けようとする傾向があり、クリエイティブはHow to sayの専門家みたいなことが日本では言われがちですが、欧米のクリエイターに、そんな認識を持っている人はあまりいないのが事実です。つまり、クリエイティブの半分はWhat to say=何を言うかでできています。

 先の営業は、その何を言うかが違うのではないかということを言いたかったのでしょう。言葉なんて、誰でも使えます。事実、遠い都会に住む子供を思い綴った母親の手紙の言葉が証明しています。その母親は、きっと言葉の専門家ではありません。普通に暮らす普通の人です。けれども、言いたいことがあれば、人はいい言葉を綴ることができます。

 では、誰もがコピーライターになれるのか。答えは否です。コピーライターの半分の仕事は、言いたいこと、言うべきことを見つける仕事です。それは、いい手紙を書いたその母親にはできないことです。所詮は広告は他人の話。その他人が言いたいことを見つける作業ですから、それなりにノウハウがいります。そして、その言いたいことを適切な表現で日本語にするのが、残り半分の仕事。その残り半分の仕事も、じつは結構大切ではあるんですけどね。

 コピーは、極論で言えば、名詞と動詞で書けとよく言われます。犬、走る。人、話す。そんな感じ。これは、何を言い表しているかというと、何を言うかを突き詰めて考えろ、ということなんですよね。日本語の表現技術が高まってくると、日本語の持つ文化的な形態だけで文章にできるようになってきます。言いたいことが特になくても、いい文章が書けてしまうのです。

 言葉というのは不思議なもので、その形式に忠実であるだけで、何となくその言葉の体系が持つ魂みたいなものが、ある一定の意味性を与えてくれるような気がします。特に文章が巧い人なんかは、その罠にはまってしまいがちです。

 言葉の体系が持つ魂みたいなものということを突き詰めると、英語の方が論理を語るには優れる特徴があるとか、日本語は情緒的であるとかに行き着きます。チョムスキーが言う深層構造と生成文法は、言葉にする前の何か、すなわち深層構造がまずあり、人間が言葉を獲得するための持って生まれた能力、生成文法により民族言語の持つ文法構造がつくられていくという理論で、文法が思考を決定するという旧来の言語学に対する批判であったその理論は、逆説的に、言葉とは私であるという結論につながっていきます。

 しかし、名詞と動詞で書けという広告コピーでよく言われる教えは、その生成文法に抗う考えがしなくもなく、漢文が複雑な文法構造を持ってないにもかかわらず、高度な内容をきっちりと伝えられてしまっている事実に似ているような気がします。それはチョムスキーの言う、言葉に表出される前の深層構造の姿に近いような気がするし、であるならば、民族言語の持つ魂みたいなものって、いったいなんなんだろうなんて考えてしまいます。

 一般的には、英語などの外国語に訳しやすいコピーがいいコピーとされていて、私などは、外資系企業でのプレゼンで、翻訳の人に、君のコピーは訳しやすいですね、と言われるとうれしかったりしますが、それはコピーが商業文だからなのかもしれません。しかし、多くのコピーへの共感は、文章が持つリズムや雰囲気に依存していることもまた事実で、このあたりの話は、私にとっては興味が尽きないです。

 ちょっと前は、こういう広告屋の表現論の論議に出てくるのは、ソシュールのシニフィアン、シニフィエだったような気がするのですが、時代が変わったということなんでしょうか。でも、まあ正直言うと、シニフィアン、シニフィエも、生成文法もよくわからないところがあるんですが。ぼちぼち読み直していこうかな、なんて思っています。

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2007年8月15日 (水)

掃除機の新しい考え方。ルンバ

2007y08m07d_203441758 久しぶりの自作の紹介の更新です。  ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、いわゆるロボット掃除機ですね。Roomba(ルンバ)っていいます。で、左の写真、これ、製品の説明のための写真ではなく、パンフレットの表紙です。ヨドバシとかビッグカメラに行くかたは、もしかしたら手にした人もいるかも。正方形のパンフです。

 このルンバっていう掃除機、アメリカでは結構売れているのですが、日本ではあまりよくありませんでした。まあ、いかにもアメリカ人が好きそうな感じがしますよね。で、日本でどういう受け止められ方をしていたかというと、要するに 「ロボット」なんです。「おっ、見て、見て!動く、動く!」みたいな感じです。自動で動くことがいちばんの価値で、お掃除性能はあまり期待しない、と。オモチャの流通ルートに乗せられてたこともありました。

2007y08m07d_203951216_3 このプロジェクトでは、まずは「ルンバ」を掃除機に戻してあげないといけないな、と思いました。そこで、「ルンバ」を定義するコピーをつくりました。新しいルンバのスローガンですね。それは、こういうコピーです。

「掃除機の新しい考え方。ルンバ」

 要するに、掃除機であるんだということです。 ターゲットは、いままでのデジタル家電や面白グッズ好きの人たちではなく、お掃除にこだわりのある人です。左の写真は、パンフの裏表紙なのですが、こういう精密なメカニズムはすべてより完璧なお掃除のためにあるのだというメッセージにしていこうと考えました。そこで重要になってくるのが、考え方なんですね。

2007y08m15d_174139097 一般の掃除機の場合、より完璧なお掃除のために必要なものって、パワーなんですね。ほとんどの掃除機がパワーをうたっています。それに対して、ルンバが提示する新しい考え方は、掃除は時間と回数である、ということなんです。

 その理想のお掃除の必要条件である時間と回数を実現するためのロボットテクノロジーである、というコンテクストに変えていきたい。そのためには、やはり広告は必要なのです。広告をやる必然があるのですね。

 前述のパンフには、その考え方をたっぷり語りました。キャッチコピーをご紹介しますと、

 唯一の欠点。それは、あなたからお掃除の楽しさを奪ってしまうことかもしれません。

 時間をかけて丹念に。それは、お掃除のプロの方法にきわめて近い。

 売れているのはロボットだからではありません。きれいになるからです。

 などなど、一貫して「新しい考え方」をコミュニケーションしていきました。もちろん、テレビショッピングにおいても語り口は違いますが、そのコンテクストは同じです。ある事情があって、立ち上げ1年でこの仕事を去ることになりましたが、やはり、ここまで徹底してやれば結果は出るということが実証できた仕事になりました。

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2007年8月 9日 (木)

お知らせです。

 前のエントリー『新しいiMacが出ましたね。』(参照)を大幅に加筆しました。お知らせだけではなんですから、ちょっとお話を。何度もひつこいですが、暑いですね。で、お得意からの帰り、新橋は暑いけど、汐留は風を感じますよね、と営業が言うので、そんなわけないでしょ、と汐留のビル街を通ると、ほんとに風を感じるんですよね。これが、例のヒートアイランド現象?あのビル群は、東京へ吹く風をさえぎっているんだなあと実感。ではでは。

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2007年7月20日 (金)

ストリート生まれのシューズです。

Kissmarkbfs_2写真は雑誌広告ですが、これは30秒CMもつくりました。勘のいい人は、どんなCMかおわかりでしょう。カメラは定点で、アスファルトの表面を写し続ける。そこに如雨露(ジョーロってこんな漢字書くんだ)かなにかで水をかける。すると、アルファルトが盛り上がり、ひび割れ、シューズが生えてくる。そして、画面がブラックアウトして、センターに白いタイポで「Born from Street.」。それだけです。

シューズのコンセプトは、ストリート生まれのシューズ。kissmarkはX系ブランドなので、当たり前といえば当たり前ですよね。じゃあ、それをメッセージしようぜ、ということでこうなりました。ストリート生まれだったらさあ、ストリートから生まれりゃいいじゃん!シューズが生えてきたら、よくねえ?かっこよくねえ?いけてねえ?いけてるっしょ。むしろ、いけるっしょ。オレたち、天才じゃねえ、ジーニアスじゃねえ、みたいな。もちろん、そんなミーティングもプレゼンもしてませんけれどね。実際は、いたって真面目につくりました。

撮影は、CMはセットをつくりました。ベニヤ板の真ん中に丸い穴をあけて、アスファルトをそこに薄くひいて、その下にはシューズがセットしてあって、それがピアノ線で遠隔操作できるようにしてあって。で、演出が「イチッ!」というと、1番の釣り用のリールをアシスタントが巻いて、「ニッ!」というと、2番のリールを巻くといった人力方法。人力だから、間違えるアシスタントもいるし、シューズがコテッてこけたりね。その約20秒のカットを撮るために、セットの設営にかかる時間が約2時間。それを結局10カット撮ったのかな。朝から深夜までかかりました。

ちなみに、Born from Street.というナレーションは、日本語英語っぽく、しかも体温が低めにしたかったのですが、kissmarkの部分は英語っぽく発音するので、英語がネイティブで話せるナレーターさんをに頼んでたんですが、どうしても「ボーンフロムストリート」みたいな感じにいかなかったので、後で私がやりました。あのときのナレーターさん、ごめんなさい。

という私、他にも公共の電波でナレーターをやってまして。ダイキンさんのラジオCMで、涼しげな音とか、じめじめした音とかを、音効でつくってみる企画だったんですが、落ちが、「では、心地のいい空気の音は?」というもので、その音が「いびき」なんですね。その録音は、別のラジオCMも録っていてナレーターさんがたくさんいたのですが、そのひとりひとりに「いびき」をやってもらったんですね。すると、私のイメージする気持ちのいい「いびき」とどうも違うのです。

どうしても「グーグー」っていう声なんですね。「いびき」はじつは鼻や口から声として音が出ているのではなく、鼻から吸い込んだ空気が鼻腔で響く音なんです。だから、鼻腔が振動している音を出さないといけないんです。で、私が、違うんですよね、こうなんです、もうちょっと鼻の奥の空間をふるわせるように、とやっていると、ナレーターさんに、それ、録音してみません、ということで。

ちょっと話が別の方向に行ってしまいましたが、グラフィックは、アートディレクターが知り合いのアスファルト屋さんからアスファルトの破片をたくさんもらってきて、お台場のはずれで屋外の自然光で撮影しました。早朝に、ドリフトやってるとこですね。これがまた大変でしたね。晴れ待ちというのはよくありますが、この場合は、曇り待ちなんですよね。炎天下で、太陽が雲に隠れるのを、2時間3時間と待ちました。

映像が用意できたらアップしますが、このシューズのCMの他にも、Tシャツ篇もつくりました。このTシャツ篇のキャッチは「Born from Sky.」です。今度は、Tシャツが空から降ってくるんですね。

Tシャツを5枚くらい丸めて、空高く投げるんです。そうすると、パラシュートみたいに、Tシャツが開くんですね。それを下からカメラで撮影する。で、前の部分をカットすると、Tシャツが空から降っているようになるんですな。これは、私、カメラを回しました。あえて家庭用ハンディカムで撮って、チープな空気感を出したかったんですよね。まあ、普通のCMではお奨めしませんが、ハンディカムで撮影すると、なかなかいい味が出るもんですよ。

これは、朝の4時に渋谷に集合して、渋谷、裏原宿、代々木公園、江ノ島、羽田とまわりました。寝転がって撮影するから、体中砂だらけになりました。海外ロケや大がかりなスタジオセットの特撮もいいけど、こういう手作りな感じもいいもんですよ。まあ、普通のCMではお奨めしませんがね。

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2007年7月 6日 (金)

空を飛んでみませんか。

Kissmarkbird_1 スノーボードブランド「kissmark」の雑誌広告です。ちょっと変り種なので、ご紹介します。

これは、REAL SNOWBORD GEARというキャンペーンが始まる前の、秋ごろに出稿した広告です。TVCMも含めたキャンペーンの前に、一般向けの雑誌にひっそりと出稿しました。

いつもやっているX-GAME系の世界観ではなく、あくまで一般のスノーボードにあまり興味のない人に向けて、メッセージを投げかけてみました。鳥の写真、凛としてていいと思いませんか。僕は、この写真、大好きです。なんか気高いんですよね。こんなふうに生きたいな、という気にさせるんです。空の表情も良くて、デザインもいい感じ。

自分たちで提案して受け入れられたちいさな仕事でしたけど、キャッチの位置をどうするか、とか、ロゴをどう置くかとか、はたから見たら、そんなんどっちでもええやんか、というような細かいことを、アートディレクターと朝まで論議しました。僕らの仕事も当然利潤を生み出すためにやっているのですが、好きだから、いいものをつくりたいからやる、みたいな気持ちは忘れてはだめだなあ、と思います。

だからと言って、おいしい仕事だけがんばるみたいなことも、なんかやだなとも思うんですね。コピーライターにしても、アートディレクターにしても、自分のために表現するのはよくないと思うんですね。広告って、広告としてリアルでなければ、やっぱり広告としてはよくない。広告をつくるために表現を総動員するわけで、表現のために広告を利用するのは、なんだかな、と思います。そういう堅苦しい考えは、損すること多いけどね。でも、この鳥のように気高くありたいなあ。

これをつくったアートディレクターさんとは、いろんな広告を一緒につくって、今は、別の会社ですごく活躍しています。ここ最近、連絡を取ってないけど、元気にしてる?すごく性格がよい人で、まあ、才能があれば性格がいい必要はまったくないんですが、彼の場合は、その性格のよさがデザインに表現されるんですよねえ。これは、アートディレクターにとってはすごく大きなこと。コピーライターもそうです。いい性格でも、それがデザインやコピーに表現されなければ、ただのいい人ですからね。

このアートディレクターとは、一緒に仕事をして、なんとかいい広告をつくって、賞もバンバンとろうぜ、と毎日夜を徹してがんばっていたんですが、一緒にやった仕事では、ひとつも賞が取れなかったんですよね。彼が別の会社に移り、僕は会社に残り、それぞれの方向でやりだしてから、僕にしても、彼にしても、お互い、賞をちょこちょこともらえるようになったんですよね。不思議なもんだなあ、と思います。

いろいろ考えることろがあるけど、まだはっきり言える感ではないので、ちょっと先になるけど、また酒でも飲もう。そのときは、よろしく。じゃ、お互い仕事がんばろうな。

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2007年7月 4日 (水)

キャラクターは、いいヤツだ。

Img118某お菓子会社の某商品ケータイサイトのキャラクター「ポッキーノ」君です。今も大活躍していますね。じつは、私は生みの親のひとりでもあるんですが、今では親元を離れ、元気にやってるみたいですね。

私は、じつはキャラクターが大好きです。集めるのではなく、つくるほうですが。なにしろ、法外な出演料を要求しないのがいいですねえ。いろいろ細かいマネージャーもいませんし、演技力は抜群だし、どんな役でもNGはないし。

いわゆるタレント広告。私は、それほど否定はしません。外資系広告代理店の人の中には、もう烈火のごとく否定する人もいらっしゃいますけど、私はそうでもないです。しかも、普段はタレント広告を否定している制作者が、撮影のときにうれしそうにしているのをよく見てますから。日本人はタレントが大好きです。

実際に、タレント広告は効きますし、費用対効果の面でも優秀な場合も多々あります。それに、表現やメッセージの観点でも、有名なタレントがそこにいるというだけで、広告が成り立ってしまうだけのパワーがあります。もうひとつは、ブランドのビヘイビア(態度)を表現する際に、生き方に個性があるタレントを起用するという方法は、非常にいい手であることは間違いがありません。

Bon けれども、やっぱり、タレントパワーに全面的に頼りきってしまうのは、ちょっとさびしいな、とは思います。ひとつのブランドでタレントがクールごとにコロコロ変わるのは、コンビ二のPOSですぐ結果が出る時代を考えると、その発想は痛いほどわかるけど、一消費者としては、やっぱりさびしい。タレントを使うなら、かつてのボンカレーみたいにやってほしいな、と思います。いまは松坂慶子に変わったんでしたっけ。

2007y07m04d_231230112Pityonそういう意味では、キャラクターは広告にとって非常に有効な手段だと思います。なによりもまずブランドに近い。そして、愛されていくことで、そのコントロールさえ間違わなければ、大きく成長してくれる。成功したキャラクターは、それこそ企業の財産になってしまうんです。そういう意味では、NOVAの「NOVAうさぎ」やダイキンの「ぴちょんくん」は本当によくできているなあと思います。ダイキンさんは、「ぴちょんくん」ラインではない企業広告の分野でお手伝いはしていますが、もう見事だなあ、と感心します。

どちらも、ブランドや商品にものすごく近いところで個性をつくっているんですね。上記の私の事例もそうですが、ブランドや商品の特徴や差別性からキャラクターをつくることで、他にはないキャラクターのオリジナリティを生み出すことができます。それは、そのほうが商品のメッセージが伝わりやすい、みたいな単純な話ではなくてね。例えば、「NOVAうさぎ」を見て、誰も、いっぱい聞ける「うさぎの耳」と、いっぱいしゃべれる「鳥のくちばし」からきているなんて伝わらないですよね。でも、そういうブランドの差別性からキャラクター設定をしているからこそ、あの愛らしく他にはない「NOVAうさぎ」の魅力的なキャラクターができるんです。

頭の中でつくられたオリジナルは、所詮は頭の中の話なんです。世の中でたら、模倣を生むし、模倣されても、誰かが考えたオリジナリティーなわけで、その模倣の社会的良し悪しは別にして、ほかの誰かが同じオリジナリティーを思いつく可能性はあるわけです。

しかし、ブランドの差別性を根拠にしている限り、そのオリジナリティは、そのキャラクターだけのオリジナリティなわけですから、ずいぶん強いのです。はっきり言ってしまえば、その差別性が説明的にわかるキャラクターをつくる必要など一切ないけれど、オリジナリティの根拠は、絶対に商品やブランドに求めるべき。そう考えます。

Img119

このキャラクターは「ネムレン」君です。某製薬会社の不眠症関連の広告で活躍しました。これも私は生みの親のひとりです。眠り=羊。すごくベタですが、キャラクターはストレートなほうがいいと思うんですよね。この子は、すごく器用に活躍してくれて、きめ細かく動いてくれました。

いろいろな説明を楽しくしてくれたり、ウェブでは不眠症日記で登場したり、新聞広告から、チラシ、パンフにいたるまで、大活躍でした。こういうきめ細かいこと、なかなかタレントさんでは難しいですよね。

Img121新聞広告などでは、こんな登場をしました。これ、いいと思いませんか。思いませんか。そうですか。でも、個人的には、すごく大好きなアイデアです。眠れなくて、羊が一匹、羊が二匹、とやっている羊。私は、この手のシュールな感じがどうも好みみたいですね。作品を見せると、人に、シュールなやつ好きなの、とよく言われますので。

現在も、某企業のキャンペーンでキャラクターの広告を制作していて、展開中ですが、やっぱりキャラクターっていいですよ。広告を見る人だけでなく、お得意の人からも愛されるし、基本的に性格いいし。それになにより、不祥事とか絶対に起こしませんしね。

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2007年6月29日 (金)

コンピュータ・アソシエイツ(5)

2007y06m29d_204052168先にご紹介したアークサーブというバックアップソフトウェアの新バージョンが出たときの広告キャンペーンです。この製品は、私は3年間ほど担当させていただきましたが、一貫して「現場でがんばっているIT担当者を支援する」という現場主義のコンセプトでいきました。

当然、ボトムアップでソフトウェアの決定がなされていくという日本の企業慣習とかを、マーケティング的に分析してコンセプト設定を行っていますが、まあ理屈はともかく、俺たちは現場を応援しようぜ、という姿勢があったんですよね。私にも、先方にも。最近はようやく変わってきましたが、ITの広告といえば、決まって摩天楼を望むオフィスの役員室の窓際に、イケメン経営者が書類持って、うーむ、みたいな顔で立っているというような広告ばかりで、あんまり面白くなかったんです。

それと、私としては「がんばれ」という言葉をもう一度復権させたかったのもありました。臨床心理学の知識が大衆化して、うつ状態の人に「がんばれ」と言い過ぎると良くない、ということが言われはじめ、「がんばれ」という言葉が、広告コピーの中でタブー化してしまっているように思ったんですね。

先の臨床心理学の話は、一般的な社会の中では、すごく落ち込んでいる人に対して、状況にもよりますが、普通にああこの人にはこの状況で「がんばれ」って言うのは意味ないな、とか、今はずっと話を聞いてあげようとか、そばにいててあげよう、とか、逆に、いつでも話せるようになったら電話してよ、とか判断できる話ですよね。

「がんばれ」という言葉には罪はないと思うんです。だから、大きな声で「がんばれ」と言おうと思ったんです。「がんばれ」という言葉に、がんばれ、コピー、読みにくいと思いますので書いておきます。

完璧にできても、誰もほめてくれない。

だけど、あなたの確実なバックアップ/リストアの仕事が、

今日も日本のビジネスを動かしている。

日本で最も多くの人に試され、鍛えられている

バックアップソフトウェアであるアークサーブは、

これからもあなたのがんばりを支え続けたい。

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コンピュータ・アソシエイツ(4)

Caconsert_1 コンピュータ・アソシエイツ(現日本CA)が協賛しているクラシックコンサートのパンフレットに出稿した広告です。自作のなかでは、個人的に好きな広告ですので、ご紹介します。

神奈川県の葉山市の私邸で行う小さなコンサートですので、当然予算もなく、これまでは現行の広告の焼き直しで済ませていたのですが、コンサートに来る人は、あまりコンピュータ・ソフトウェアと関係もない普通の音楽愛好家ばかりなんですね。だから、広告屋としてはさびしいなと思い、提案しました。

コピーの「人を幸せにするために音楽が生まれた。」というのは、レトリックとしては平凡なんですが、あえて平凡なレトリックで、当たり前のことを、当たり前のこととして、もう一度問いかけたかったんですね。

ソフトウェアだって、コンピュータだって、広告だって、ブログだって、人を幸せにするために生まれたんですよね。最近の企業の不祥事とかを見ていると、そうじゃない感じもするんです。何のためにその商品やサービスってあるの、と問いかけたくなるようなこと、多いですよね。ウィルスやスパイウェアみたいな、人を不幸にしてしまうソフトウェアもありますし。

2007y06m29d_202610182この広告とともに、小さなカードもつくりました。当時の社長もはじめ、みなさんこのメッセージを気に入っていただいて、2つ折のカードで、表紙が「人を幸せにするために音楽が生まれた。」と入っていて、開くと、左の写真にあるイラストが出てくる、というだけのシンプルなカードです。それを、ちいさなお饅頭の箱に添えてお客様にお配りしました。

ロゴの部分に見えにくいかもしれませんが「ソフトウェアも、きっと同じです。」というコピーが入っています。広告人として、いつも「広告も、きっと同じです。」といつも目線をそらさずに言える仕事をしたいな、と思っています。ときどき、目線をそらしそうになるけどね。

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2007年6月27日 (水)

労働党は働いていない。

_799084_saatchi3001_1 Saatchi & Saatchiが1971年につくった、英国保守党のポスターです。日本語で訳すと「労働者はまだ働いていない。」となりますし、Labourという言葉は、Labour's Party、すなわち労働党を表しますので、ダブルミーニングで「労働党は働いていない。」ともなります。この広告は世界中で名作だと言われていて、Saatchi & Saatchiはこの広告キャンペーンで一躍有名広告会社になりました。欧米の広告業界は、こういう一発の成功で、業界地図が一気に変わるんですよね。いいですね、こういう感じ。日本は、基本的には、広告代理店という名前が示すとおり、メディア扱い代理店として業界がつくられていった歴史があるので、なかなかそういうことは難しいですね。

海外広告のお手本として有名なのは、DDBがつくったフォルクスワーゲンの一連の広告ですが、私の場合は、この広告にすごく影響を受けました。この広告のベースになっている考え方として、SMP=Single Minded Propositionというものがあります。簡単に言えば、ある状況があって、その状況を変えたい、つまり、ある目的を果たしたいというときに、広告は究極どんなメッセージを投げかければいいのか、それをとことん追い詰めていこうじゃないか、という考え方なのですね。

この広告の場合、状況としては、労働党政権下で英国経済がボロボロになったということがあります。で、保守党は何を言えばいいのか。それが、この「労働党は、働く政党という名前なのに、名前倒れで、何も働いていないじゃないか。」というものだったのです。DDBのフォルクスワーゲンから脈々と流れるベネフィットをいかにすぐれたアイデアで表現するか、という伝統的な表現手法から自由になって、ベネフィットとかブランドコンセプトではなく、そこから自由になって、もう一度、本当に何を言えばいいのかを考える、という態度が、当時、私が仕事で直面していた問題を解決する鍵を与えてくれたんです。

ビジュアルもいいですよね。当時の英国の状況そのものを、「労働者は働いていない。」というコピーとともに見せてしまったんですね。労働党は労働者のためというけれど、違うじゃないか、と。英国の人たちは、この広告を見て、そうか、その通りだと、目を覚ましたんですね。そして、保守党は大勝利するのです。

Forpeace左の写真は、たぶんSaatchiがつくったと思うのですが、その広告のパロディです。「労働者は働いていない。」というコピーに、同じ構図のミサイル。そして、左隅に「平和のために。」というコピーがレイアウトされています。いわゆる反戦広告です。これを見ても、あの保守党の広告キャンペーンが、英国の人たちの脳裏に焼きついているかが分かりますよね。

SMPという考え方は、私の広告表現作法のひとつのバックボーンになっています。What to sayとHow to say。その中のWhat to sayを追い詰めて、追い詰めて、追い詰めることで、How to sayに辿り着く。そんな感覚でしょうか。要するに、この状況で究極、何を言えばいいの?とりあえずは、ベネフィットとかコンセプトとか、そういう広告の定石を、一度置いておいて、自由に考えたとき、何があるの?そう考えていくと、もしかすると、それは何でもない平凡な一言かもしれない。競合性も差別性もない、平凡な一言が、世界を大きく変えてしまうかもしれない。

Photo自分なりに、そういう考えでつくった広告を2つばかり。またまたコンピュータ・アソシエイツですが、「マネジメントを変えよう。」です。赤字で「ソフトウェアを」とあります。日経新聞やビジネス誌に出稿しました。また、こういう企業にしては珍しく、地下鉄の車内ステッカーも出したりもしました。マネジメントというのは経営者という意味もありますよね。そんなに時間が経っていないので、状況は変わっていないと思いますが、リストラ、リストラで、業績が悪いといえば、現場でがんばっている人が犠牲になってしまう、いやな世の中ですよね。だからこそ、現場からの声として、「経営者を変えちまおうぜ。」と言おう。それが、ビジネスの様々な領域の業務を支援するマネジメント・ソフトウェアをつくっている会社のメッセージではないか。そんなふうに考えました。

Photo_2続いては、Windows Server 2003がデビューした日に掲載した広告です。プロポジションは「CAのソフトウェアは、Windows Server 2003での動作テストをすべてクリアしています。」というものです。このタイミングでは、これ以上でも以下でもない。そう考えました。そこにどのような形容も、修飾も、基本的には必要がない。このメッセージが、伝わればいい、そう考えたとき、そのメッセージを伝えるツールは「言葉」ではなかったのです。それは、動作テスト済みを表すステッカーだったのです。この広告は、人によっては、USP=Unipue Salling PropositionとかSalling Pointと見るかもしれませんね。SMPは、私の解釈だと、USPも含む、もっと大きな考え方で、ただひとつのメッセージがUSPだったとしても、それはそれでいいじゃない、みたいな自由な精神がいいなと思っています。もちろん、ベネフィットでも、ブランドコンセプトでもいいわけです。そんな自由な感じ、好きですね。

でも、べつに私、SMP信者ってわけでもなく、SMPも万能ではないと思っています。大雑把には、世界の広告には、その時々の流行思想があって、ちょっと前までは、Brand Attitudeが流行っていましたよね。ブランド特有の態度の表明みたいなことですね。SMPの前は、Benefitの時代でしたし、DDBなんかはDifferent Pointとでも言うのでしょうか。日本の広告マンは、ことあるごとに、コピーもアートもCMプランナーも差別化、差別化っていいますよね。これは、DDBの広告作法が、日本人にすごく浸透している証拠でもありますね。でも、これについては矛盾もありますよね。日本人は差別性のない共感も好きだったりしますから。まあ、私の態度としては、何でもありで、ケースバイケースということで、お願いしたいな、という感じです。

追記:じつは英国保守党のポスター「Labours don't work.」というコピーで記憶していたのですが、ネットには画像の「Labour isn't working.」もしくは「Labour still isn't working.」しかありませんでした。もしかすると、あの画像は、最近、昔の保守党のポスターがリメイクされて出たものである可能性もあるな、なんて思いました。真相がわかり次第、あらためてご報告します。

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2007年6月 8日 (金)

コンピュータ・アソシエイツ(2)

Arcserve2コンピュータ・アソシエイツの製品広告です。企業のIT部門に勤められている方はご存知かもしれませんが、「アークサーブ」というバックアップソフトウェアがありまして、その最新版が出たときに出稿した広告ですね。これはいわゆるB to B広告といわれる種類の広告で、簡単に言えば、業界向け広告というやつですね。日経コンピュータとか、日経リナックスとか、そういう専門家が読む雑誌に載るものです。

広告制作に携わる方だと分かるかと思いますが、この分野の広告は表現に自由度がなくて、しかも、覚えなきゃいけないことが多くて、勉強もたくさんしないといけないし、できれば避けたいなとか、僕、できないっす、と上司に言っちゃう人とか多いと思うんですね。まあ、自省も込めて告白すると、私自身もかつてはそういう制作君でもあり、いまだにそういう気もないとは言えない感じなのも事実ではあるんです。でも、B to Bと言えども、所詮は広告であって、広告である限り、広告の基本原理は同じなんです。いろいろと、そうとも言えないよね、という意見もあるでしょうが、広告はココロに響いてなんぼのもので、ココロに響かないものは、やっぱり駄目なんです。つまり、広告効果が低いんです。

で、B to B広告で、ほんとに広告効果が高い、ココロに響く広告をつくろうと思うと、どうすればいいのか。トートロジーっぽいですが、読む人のココロに響く広告をつくればいいんです。でもここで間違えちゃいけないことがあります。よくこういう人のココロに響かないものは、だめなんだよ、という人が、自分のオカンにもわかる広告をつくれと言いますよね。それは違うんです。読む人は、ITの専門用語を日常用語のように使いこなす人なんですよね。自分のオカンにわからせる必要はまったくないんです。

難解なIT用語を使っているから、難しい堅めの広告しかできないよね?いえいえ、そんなことはないでしょう。これを読んでくれてる人、広告関係が多いと思うんですが、同僚と飲みに行って愚痴ってるときの会話、思い出してみてください。結構、専門用語を使って、他の人にはわからない内容の話を、うだうだと話してたりしませんか。そのとき、堅苦しい感じですか。そうじゃないですよね。あいつの出してくるコンセプトって、あれじゃまったくワークしないんだよ、でさあ、そんな感じなのに、エクスキューションに口出してさあ、てな雰囲気で話してませんか。他人から見たら、わけわからんでしょ。だけど、本人たちは、安酒飲みながら、モロキューつまみながら、話してますよね。

この広告、オカンに見せてもよくわからないと言われ、制作の同僚に見せても、いまいちピンとこないなあ、とよく言われる広告ですが、読んでくれたIT部門の担当者からは、ホント、これわかるなあ、と言われる広告ではあったのです。ネットを見てたら、たまたま、この広告のコピーを、ていねいに日記に全文再録してくれたIT担当者の方と出くわしたり、お得意様から、某企業の若い女性IT担当者がこの広告を机に貼ってるという話を聞いたりして、ほんといろいろな人に愛された幸せな広告でした。

それまで、業界の目とかを気にして表現をつくるようなセコイ部分もあったのですが(これ読んでるあなたもあるでしょ、そんな部分)、この広告でちょっとだけ吹っ切れたような気がします。この広告は、広告業界でほめられなくたって、何の賞も取れなくたって、コマフォトやブレーンに載らなかったって、上司に製品の内容を説明しても一向に理解してくれなくたって、読んでくれた人にほめられる広告をつくれたら、それがいちばん、なんて正論を、涙目じゃなく、ぬけぬけと後輩コピーライターに語れる図太い私にしてくれました。

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