カテゴリー「ビル・エバンス」の20件の記事

2010年4月28日 (水)

DAVIS-EVANS

 1958年、エバンスはマイルスのバンドに参加して、エバンスのドラッグ癖とかなんだかんだあってバンドを離れ、翌59年に『Kind of Blue』というアルバムをつくるためにマイルスに呼び戻される。そのアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されていて、そのクレジットは「DAVIS-EVANS」となっている。

 共作であるけれど、一般的にはエバンスが作ったと言われている。エバンス本人はライブでマイルスの曲と紹介したりしていて、真偽はわからない。ジャズもショービズの世界ではあるので、いろいろあるのだろうとは思う。もうエバンスもマイルスもこの世にいなくて、「Blue in Green」という、美しい曲はまだこの世にある。事実は、それだけ。

 なぜマイルスがエバンスを呼んだのか。それは、ハードバップ的な古典的なコード進行に基づくジャズから、モード的な旋法中心のジャズをやりたかったから。当時としては革新的だった、新しい音楽を奏でられるピアニストはエバンスしかいなかった。少なくとも、マイルスはそう思った。

 けれども、「Blue in Green」は典型的なモードジャズではない。DドリアンとE♭ドリアンを繰り返す「So What」のような楽曲ではなく、複雑なコード進行がある曲だ。所謂、モード的解釈というやつ。マイルスは、きっとこれがほしかったのだろうと思う。モードだけだと、いつかきっと飽きる。飽きずにいるためには、宗教になるしかない。事実、モードのもとになったものは、宗教音楽。そういう先見性がマイルスにはあったのだろうと思う。

 その後、エバンスとマイルスは二度と共演しなかった。

 マイルスは変わり続けた。民族音楽を取り入れ、エレクトリックに走り、ポピュラーミュージックに近づいた。エレクトリックになってからは、クール時代のアコースティックはやらなかった。それを望むファンはいただろうけれど、かつての自分の再演は、マイルスの美学に反した。生涯、変わり続けることを選んだ。

 一方のエバンスは、変わらなかった。例外は多いものの、ほぼ生涯を通してアコースティックのピアノトリオという形式にこだわり続けた、と言ってもいいと思う。演奏は、スタンダード曲中心で、既存のコード進行の上に、モード的な解釈を取り入れ、三者対等のインタープレイを、死の直前まで追求した。

 どちらの生き方が正しいわけでも賢いわけでもないし、それを必然という言葉で済ませようとも僕は思わない。そこには、変わり続けなければならない、あるいは、変わらなくていい、という意志があるはずだから。

 あらゆるその後の関係を拒絶する意志。それは、「DAVIS-EVANS」という関係によって作られた。その絶対的な関係には、意志が介在する余地がないように見えてしまうのは、なぜだろう。僕にはまだわからない。

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2010年4月24日 (土)

Bill Evans sings?

 これ、ビル・エバンスなんでしょうか。だとしたら、はじめて聴くけど、どうなんでしょうね。動画の元ページにはこうあります。

emiversen  —  2009年12月04日  — Audio only. Came across this old piece of audio tape. Have no idea of where or when this recording was done. Rare occation....enjoy!

 どこでいつレコーディングされたのはわかりません、と。で、コメント欄を見ると、こうありました。

musicissopretty   This was recorded in Stockholm in August of 1964 when Bill was making a recording with Monica Zetterlund for broadcast later in the year on Swedish radio.

 1964年にストックホルムのラジオでモニカ・ゼタールンドと録音、とのこと。モニカさんはスウェーデンの女優さんなので、この情報は、すごく辻褄が合います。1964年は、ビル・エバンスとの共演でアルバム『Waltz for Debby』を出していますので(参照:この映像は後に共演したもので、ベースがエディ・ゴメス)、そのプロモーションとしてビル・エバンスがストックホルムのラジオ番組に出演、というのは自然です。

 また、1964年はビル・エバンスが『Trio '64』を出しています。このアルバム、エバンスの中では地味なんですが、ベースが、若き日のゲイリー・ピーコック、ドラムがポール・モチアン。その中に「Santa Claus Is Coming to Town」の演奏が収録(参照)されていています。サンタが街にやってきた、ですね。

 となると、番組内で「Santa Claus Is Coming to Town」を演奏というのは、これまた自然。ということは、この音源は、まあビル・エバンスのものと考えていいじゃないかな、と思いますが(ベースがゲーリーでドラムがモチアン?)、となると残る問題はこの声の主。

 ところどころの照れ笑いがあって、ビル・エバンスだと思えば、ああなるほどとも思えますが、ほんと、どうなんでしょうね。個人的には、最後に「With Bill Evans!」と言っているように聴こえるので、ちょっと微妙なんですが。でもなあ、声は確かにエバンスなんだよなあ。うーん。仮に歌声が本人だとすると、モニカ登場前に、ちょっと歌ってみるか、ということろなんでしょうか。それにしても、陽気ですねえ。アレンジもバップ調だし。まあ、emiversenさんもenjoy!と書いておられるので、エバンスだと思って楽しむことにしましょうかね。

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Trio64

 ところで、『Trio '64』というアルバム。

 初期トリオのベーシストであるスコット・ラファロを失って、公私ともに落ち込んでいた時期を経て、レーベルをRIVERSIDEからVerveに移籍し、心機一転という感じの頃。1963年には『Conversations With Myself』という、自分のピアノの多重録音という意欲作を発表した後、さあ、そろそろピアノトリオという形式をもう一回はじめてみよう、という時のものです。

 ドラムが、ラファロとともに初期トリオを支えたポール・モチアンで、たぶんモチアンとの共演はこれが最後。当時のエバンスは、ラファロを失った後、相当に荒れた生活を送っていて、モチアンは、エバンスの音楽生活を支援していたとのこと。音楽生活を支援するということは、イコール、生活を支援するということでもあって、「Little LuLu」や「Sleeping Bee」、そして、「Santa Claus Is Coming to Town」なんかのポピュラーソングがたくさんあるのは、その影響なんだろうと思います。

 「Santa Claus Is Coming to Town」(参照)は、リズムも典型的なバップのスィングだし、ベースラインも4ビートのランニング。エンディングにツーファイブの繰り返しがあったり、エバンスの演奏では珍しいテイスト。わかりやすいです。でも、このエバンスという人、こういうレコード会社の方針というか、自分の意に添わない演奏でも素晴らしいプレイをするのですが、よく聴くと、ちゃんと「俺は気に入ってないよ」というサインを必ず残しているんですよね。それは、この演奏では、曲のエンディングの「ゴン!」という低いシングルノート。

 でも、エバンスの録音では、こういうわかりやすいのが後々も聴かれることになるんですよね。お店の有線でも、クリスマスの時期には、このチューンをよく聴きます。エバンス本人が熱心だった、アコースティックピアノと電子ピアノの同時演奏なんかは、エバンスの黒歴史として語られてしまって、今や相当のエバンスマニアでないと聴かないのに、この演奏は全世界で今も愛されているというのは、皮肉というか、不思議というか。でも、音楽ってそういうところがあるんでしょうね。

 ベースのゲーリー・ピーコックは、きっとオーディションで選ばれたんだろうと思いますが、まだ演奏が若いというか、荒いです。走り気味で、饒舌すぎる嫌いがありますね。この後、ゲーリー・ピーコックはフリームーブメントへ合流し、禅に興味を持って京都の東山に住んでいた時期もありました。

 今では、キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットとのSTANDARSで、ジャズ界を代表する巨匠ですが、ディジョネットを含めて、エバンスとは少し苦い出会い(エバンスが苦いというのも含むですが)をしていて、人の出会いというのは面白いものだなあ、と思いますね。エバンスの遺伝子を引き継いでいるのは、まぎれもなくSTANDARDSですから。

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 エバンスが亡くなってから、もうすぐ30年になります。51歳で没。若いですよね。『Torio '64』、そしてこのラジオ録音が35歳。

 ウィキペディアを見ていたら、ビル・エヴァンス (6007 Billevans) という小惑星があるそうです。

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2010年2月 7日 (日)

Kind of Blue

Kindofblue_2

 マイルスのアルバムでは、「Kind of Blue」がいちばん好き。私の場合、つまり、素直にエバンスが好きということになるのかな。

 エバンスは、1958年にマイルスバンドに参加している。まだラファロ、モチアンとのトリオ結成の前だから、若いエバンスにとっては、はじめてつかんだ大舞台だった。ドラッグ問題でマイルスバンドを退団したレッド・ガーランドに代わるピアニストを探していたときに、ジョージ・ラッセルがエバンスを紹介したそうだ。

 「紹介したいピアニストがいるんだけど。」
 「そいつは白人か。」
 「そうだ。」
 「そいつは眼鏡をかけているか。」
 「そうだ。」

 そんなやりとりがあったらしい。つまり、マイルスはエバンスのピアノを聴いて、あらかじめ目をつけていたということ。当時、マイルスが白人のプレイヤーを加入させることはタブーだった。マイルスは黒人の誇りだったし、何よりもジャズは黒人の音楽だった。ライブでも野次られ、エバンスにとっては相当きつい状況だったようだ。

 当時のエバンスは、白人であることに音楽的なコンプレックスもあった。白人にはSwingできない。それがジャズを取り巻く空気だった。

 マイルスは、このとき「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」 という言葉を吐いている。マイルスが期待した、いいプレイ。それは、エバンス独特のハーモニのセンスだった。マイルスにとっては、黒人とか白人とかに関係なく、ラッセルが追求していた、コードからの開放という方向性にある音を出せる奴ということ。マイルスも、ラッセルと同じ方向を向いていた。

 けれども、すぐにマイルスはエバンスを解雇してしまう。理由は、エバンスには知らされなかった。コルトレーンに宛てた手紙によると、エバンスは自分が白人だからだ、と思っていたようだ。エバンスという人は、そんなところがある人。どうしようもなく空気を読めない人だった。音楽では、あれだけ繊細に空気を感じることができるのに、実生活では、生涯を通して破滅的だった。

 原因はドラッグ。極度のヘロイン中毒だった。

 当時、マイルスも、コルトレーンも、ドラッグに関してはシロではなかった。それでもエバンスを解雇せざるを得ないということは、エバンスの依存が相当なものであったことを物語っている。

 解雇から1年後の1959年、マイルスは「Kind of Blue」というアルバムの録音のために、エバンスを呼び戻す。どうしても従来のコードワークから開放された、エバンスのハーモ二センスが必要だったからだ。けれども、マイルスはエバンスをレギュラーメンバーにするつもりは、はじめからなかった。このアルバムの、モードジャズ的なコンセプトからはかなり異質な、ハードバップ的なブルース曲を1曲、レギュラーメンバーであるウィントン・ケリーに弾かせている。

 このアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されている。マイルスの作曲であるとクレジットされているが、批評家の間ではエバンス作だと言われている。聴いてみると、確かにエバンスらしい感覚がある。けれども、これは私見ではあるけれど、旋律がエバンスにしては完成されすぎているのではないかとも思う。エバンスがつくるメロディは、どれもどこかに破綻があるように思えるし、あの美しいメロディは、マイルスの感覚だと思う。作者が誰だとかに関係なく、50年以上、ジャズファンに愛され続けている今となっては、そんなことはどっちでもいいとも言えるけれど。

 マイルスにとって、エバンスはじめからレギュラーを想定していなかった。録音のためのメンバーだった。その後のライブ活動を考えると、それはかなりイレギュラーなこと。マイルスは、このアルバムで、エバンスと決別するつもりだったのではないか。それは、才能あふれる若きピアニストのためのことだったのか、それとも自身の芸術のためのことであったのかはわからないけれど。

 アルバム「Kind of Blue」には、同名の収録曲がない。日本語にすると、「なんとなく憂鬱」という感じになるらしい。アルバムの中には、かなり軽快な曲も含まれていて、かならずしもアルバム全体の雰囲気を示すものではない。それは、もしかすると、マイルス自身の気分を示しているのかもしれない。

 もしも、マイルスにそんな気分がなく、またエバンスをレギュラーメンバーとして迎えようと思ったとしたら、その後のエバンスのピアノトリオにおけるインタープレーもなかったのかもしれない。いや、それはない、とかつての私なら言ったかもしれないけれど、ドラッグのお金がほしくてたまらなかったエバンスにとって、大スターであるマイルスバンドのピアニストという地位は、2010年の極東の一ジャズファンが考えるよりも大きかったに違いない。

 その後、51歳で幕を閉じるまで、エバンスの人生すべてを賭けることになるピアノトリオという形式も、案外、彼自身が望みもしなかったマイルスとの決別、つまり、本人が意図することのない偶然というか、運命の気まぐれが選ばせたものかもしれないな、と「Blue in Green」を聴きながら思った。

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2009年11月 9日 (月)

バランス。あるいは、動きつづけるということ。

 なぜ、いつもバランス論に行き着いてしまうのかな、ということを考えていて、もしかするとものごとを三つの項で考えるからなのかな、なんてことを思いました。三つの項で考える限り、そこには強烈な対立みたいなものは生まれにくく、最終的には、その三つの項のバランスを考えることになります。

 例えば、こういう感じです。はじめに、二項の例。

 プライベート
 ソーシャル

 この2の項は、対立関係にあるので、究極的にはそのどちらかを支持し、残る一方と敵対するということになります。それをバランスということもできるけど、加藤典洋さんの著書に「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」というのがありましたが、つまり、そのバランスには、そんな捻れ感があります。

 けれども、ものごとを二項ではなく三項で整理すると、こうなります。用語としては、もしかすると同列にはならないかもしれませんが、ま、そのへんはご愛嬌で。

 プライベート
 コミュニティ
 ソーシャル

 人の生活を考えたとき、プライベートとソーシャルの対立関係で考えるよりも、プライベート、コミュニティ、ソーシャルの三つのモードを行き来すると考えたほうが、私はよりすっきり世界が認識できるように思います。ネットなんかでも、このバランスの問題がいつも問われますよね。

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 話は少し飛びますが、私がなぜビル・エバンスというジャズピアニストに興味があるかというと、音楽というものを、三つの関係というか、三項の運動としてとらえたアーチストだからだと思います。

 ピアニスト
 ベーシスト
 ドラマー

 私はその三項が対等にインプロビゼーションを交換する円環運動を「永遠の三角形」と勝手に呼んでいるのですが、その円環運動を成立させるには、どこかが頂点になって二等辺三角形を形づくると、すぐさま二項対立関係になってしまうので、ある緊張感を持って、運動しつづけるしかないのですね。私は、ビル・エバンスという人を、その「永遠の三角形」というものを、一生かけて追い続けた芸術家であると考えています。

 この緊張感ある持続運動は、少し言葉のニュアンスが違うけれども、バランスとも言えなくもなく、その意味合いでバランスという言葉をとらえると、バランスというものは、とてつもなく困難な行為であるとも言えるかもしれません。

 で、ビル・エバンスが追い求めた「永遠の三角形」が完成したのかというと、これは私は少し疑問があって、もしかすると「永遠の三角形」というものは理念上のもので、本当は成り立たないのかもしれないな、というのが「永遠の三角形」のモチーフだったりもするのです。人は、第三項排除的なものから自由になれるのか、みたいな。

 だから、絶えず動きつづけることを求められるのですよね。ライブ、ライブ、またライブ。ビル・エバンスという人は、言ってしまえば、そんな人生だったような気がします。

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 ブランドメソッドにも、ブランドトライアングルという手法が多くみられるし、そこでのパワーブランドは、そのトライアングルが強度の高い正三角形であることを求めます。

 ミッション
 ビジョン
 ビリーフ

 ここにも、ある種の完璧さを定着させることへの嫌悪感みたいなものがどうしようもなく起るんですよね。現実に動いているブランドって、そんなに割り切れたものではないよ、というような。つまりは、そこで止まったら、すぐに第三項排除の魔の手がやってくる、みたいな感じがするんですね。

 きっと、それがCIというブランド手法の弱点の部分でもあるのだと思います。なんとなく、そこから離れて、もっと泥臭い広告という分野を選んだのは、今思えば、そんな理由だったのかもな、とも思います。

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2008年3月30日 (日)

Miles Davis said

Milesebans_3  「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色のヤツだって雇うぜ。」と急進的な黒人ジャズファンに語ったマイルス・デイビスですが、マイルス・グループで音楽的な意見対立があったとき、唯一の白人プレイヤーであったビル・エバンスが口を挟むと、「おい、黙ってな。オレたちは、白人の言うことなんてききたくないね。」と言って若いエバンスをからかったそうです。マイルスという人はお茶目だし、一筋縄ではいかない人だから、そんな憎まれ口も、世間に抗って採用した白人ピアニストに対する彼なりの親愛の表現だったのでしょうね。

 マイルスという人は、本当に興味が尽きないです。こういうことを書くと、マイルスは白人差別主義者だと思い込む人もいるかもしれませんが、人間が生きている現実は、もっともっと複雑で、私はむしろ、率先してそういう憎まれ口を叩く、つまり、リーダーである自分が言ってしまうことで、他のメンバーが持つかもしれないそうした思考を自ら封じるというマイルスの振る舞いに、エバンスは救われたのではないかと思うのですね。そして、もちろん、マイルスはエバンスの言うことを聞かなかったわけでもありませんしね。マイルスという人は、クレバーな人ですから。

Kind  マイルスとエバンスの競演は、「1958 Miles」と「Kind of Blue」(写真)の2枚のアルバムで聴くことができます。そして、その2枚を聴くと、いかに世間に抗ってまでも、エバンスというピアニストがマイルスにとって必要だったかが分かります。

 マイルス・デイビス、キャノンボール・アダレー、ジョン・コルトレーン、ポール・チェンバース、ジミー・コブ、そして、ビル・エバンス。蒼々たるスタープレイヤーの中の、若手ピアニスト。マイルスは、コード中心のバップイディオムから旋律中心のモードイディオムへ、アップテンポからミディアムテンポへ、というテーマがありました。マイルスが考える、その新しいコンセプトは、残念ながら、彼が率いる一流プレイヤーたちには十分には理解されていなかったような気がします。但し、新進ピアニストであるエバンスを除いては。

 エバンス加入前に、ピアニストのレッド・ガーランドがマイルス・グループを脱退しています。クスリのせいだとも言われていますが、当時、萌芽としてあったマイルスの新しいコンセプトへの違和感も原因だったのではないかと思います。

 ジャズファンにはよく知られた話ですが、「Kind of Blue」に収録されている「Blue in Green」という静謐な名曲は、マイルス作曲とクレジットされていますが、エバンス作曲です。これがマイルス作曲とクレジットされているのは、コード進行の着想がマイルスであったことと、このアルバムに収録の曲をマイルスのフルオリジナルとしたいレコード会社の意向(もしかするとマイルス自身の意向)もあったと聞きます。そして、エバンスは、最期まで自身のピアノトリオで、この「Blue in Green」を演奏し続けました。「マイルスがつくった美しい曲です。」と演奏する前に付け加えながら。

Every_2  ホーン付きのバンドではなく、自身のピアノを中心とした活動をしたいと申し出て、マイルス・グループを脱退します。マイルス・グループ脱退後に制作されたエバンスのアルバム「Everybody Digs」のジャケットには、マイルスの言葉が署名入りで記されています。

 I've sure learned a lot from Bill Evans. He plays piano the way it should be played.   Miles Davis
(ビル・エバンスからは多くのことを学んだよ。彼は、ピアノはこう弾かなければいけない、という弾き方をするんだ。マイルス・デイビス)

 ちなみに、このエバンス脱退は、一般的に白人差別に耐えかねてと言われていますが、それは違うと思います。ひとつは、エバンスが語るように、自身の希望。そして、コルトレーンの手紙によると、エバンスの重度のドラッグ癖のため、マイルスがやむを得ず解雇したとのことです。「Kind of Blue」が録音されたのは、エバンス脱退後。そして、当時のマイルス・グループの正式ピアニストはウィントン・ケリーでした。

 つまり、エバンスが呼ばれたのはこのアルバムのため。死後発見されたコルトレーンの手紙の内容が真実であるとすると(プライベートな手紙ですからそのまま信じるわけにはいきませんが)、ますます、いかにマイルスがこのアルバムの制作にエバンスが必要だったかが逆説的にわかります。

 そして、マイルスはご存知のように、エレクトリック・ジャズという新しい世界を切り開き、エバンスは伝統的なアコースティック・ジャズを深化させていきました。マイルスのはく言葉には、いつもそこにユーモアがあり、たくさんのトラップが仕掛けられています。そして、いつも多くの共感と誤解がつきまといます。そして、エバンスがはく言葉は、愚直です。そして、それは、真理であるとともに、それゆえの嘘がつきまとっています。

 たった2年ほどですが、この対照的な2人の芸術家が深く関わった偶然は、彼らの後に生まれ、彼らの人生を俯瞰的に見ることができる私の特権からの視線ではあるけれど、歴史は必然なんじゃないかと思わせてしまうのです。私は、歴史は必然の流れだとは思わないけれど。

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2008年3月18日 (火)

もし、ビル・エバンスのあのセッションが月曜日だったら。

 もしかすると、私はビル・エバンスを聴いていなかったかもしれないというお話。蔵書を整理していたら、2001年に出版された「文藝別冊 総特集ビル・エヴァンス」というムック本が出てきました。うれしい。この本の存在を長い間忘れてました。で、つらつら読んでいると、ポール・モチアンのインタビューが。話題はもちろん、かのビレッジ・バンガードのライブについて。あのライブのギャラは1晩で、ひとりあたりたったの10ドルだったそうです。

 「バンガード」ではよく演奏したもんだ。時には人が少なくてめげてしまったこともあるけどね。こんなこともあった。二セット目が終わってもうお客さんがほとんどいなくなってしまった。そこでビルがオーナーのマックス(・ゴードン)に言ったんだ。今日はこれで終わりにしたいんだけど、ってね。そうしたらマックスが、まだ三人いるじゃないか、帰っちゃダメだよ、って慌てていたのがおかしかったね。(聞き手・構成:小川隆夫)

 へえ、そうんなんですね。ポール・モチアンの話し方は、なんとなく落語家っぽいところがあるので、湿りがちのあの頃の話も、ユーモアがあっていいんですよね。スコット・ラファロを失って落ち込むエバンスについて「ぼくとしてはほうっておくしかなかったよ。」と語るポール・モチアン。そのあっけらかんとした明るさの中に、きっと現実というものの本当の姿があるんでしょうね。

 あのライブ録音、ビル・エバンス・トリオのバンガードでの初単独ライブだったそうです。その日が日曜日だったこともあり、オーナーのマックス・ゴードンはしぶしぶ録音を許したそうです。日曜日はお客が少なく、ジャズのライブハウスは暇なんですね。あのCDをよく聴くと、客は聴いてないんですよね。おしゃべりばっかり。へんなタイミングで笑い声が聴こえるし。

 もし、あのライブが月曜日だったら、マックス・ゴードンは録音を許してなかったかもしれない。そう考えると、あのライブ盤はなかったかもしれない。そう思って聴くと、ああ日曜でよかったなあ、としみじみ思います。しかしあれですね、このアルバムは何度聴いてもいいですね。グルーブが瑞々しいんですよね。熱い、でもなく、激しい、でもなく、瑞々しい、という表現がぴったりのような気がします。柔らかくしなやかな筋肉をもった若い人が、気持ちよく走るときの感じ。なんか、もうちょっといい表現はなかったかな、とも思いますが。

 ラファロの死後、抜け殻のようになったエバンスから、モチアンに電話がかかってきます。「チャック・イスラエルって知っているかい。」そして、エバンスは再びモチアンとともに活動を始めます。当時、エバンスは借金まみれになっていたそうです。薬ですね。ジャズマンにはありがちな話です。「こうして、ぼくたちは次の時代に向けて新しい一歩を踏み出したのさ」と話すモチアンって、ほんとにいい感じ。ドラムの音と一緒です。モチアンのドラムって、暖かくて、ふわっとした包容力がありますよね。このおじさん、私は大好きです。

 

注:このエントリの中で、あのセッションとか、あのライブ録音とか言っているのは、「Waltz for Debby」と「Sunday at the Village Vanguard」のことです。リンク先で視聴(Real Player)できます。聴いたことがないひとは、だまされたと思って一度聴いてみてくださいな。ロックな人でも案外すんなり聴けると思いますよ。とくに、ジャズを食わず嫌いな人は、この2枚から聴き始めるといいと思います。


参考:The Village Vanguard Web Site

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2008年2月26日 (火)

私はなぜピアノトリオが好きなんだろう。

 というタイトルを見て、そんなもん知らんがな、と思った方もいらっしゃると思いますが、「私の興味は世界の興味」と勘違いできるところが個人メディアたるブログだと思うので、書いてみたいと思います。って、前段がくどいですね。

 MacBookのiTuneの中にもピアノトリオがたくさん入っています。ビルエバンストリオとか、ビルエバンストリオとか、ビルエバンストリオとか、ビルエバンストリオとか。でも、本当は、キースジャレットや、バドパウエル、セロニアスモンク、ハービーハンコックなど、一応一通り入っていますけどね。最新のものでは上原ひろみも入っています。

 なぜか今日は、昼飯を食べながら、歩きながら、電車に乗りながら、仕事をしながら、なぜピアノトリオが好きなのかばかり考えていました。思いつく理由としては、ベースが活躍しているから、というのがあります。私は、大学のときにベースを弾いていて、普通のコンボだと律儀に4ビートを刻んで、スィンギーなリズムをつくるのに専念するベースが、ピアノトリオだと、とたんに自由になるんですね。同じ楽器なの、というくらい生き生きとします。

 私は、ジャズにおいて、ベースをリズム楽器という呪縛から解放したのは、ピアニストであるビルエバンスではないかな、と思っていて、確かにスコットラファロはエバンストリオで自由奔放に弾いていましたが、それはリーダーであるエバンスあってのことだろうなと思うんですね。ラファロは、エバンスと出会う前は、わりとオーソドックスなランニングベースを弾くベーシストだったそうです。

 でも、この理由はいまいち違うなと思うところもあります。ベースが活躍するという意味ではポールチェンバースのリーダー作「BASS ON TOP」なんかがありますが、あのアルバムは見事だなあと思うものの、それほど大好きという感じではないのですね。

 ピアノが好きだから、という理由は少しあるかもしれません。私はピアノは挫折していますので、ちょっと複雑な気持ちを持っています。ピアノが上手に弾けるというだけで尊敬してしまうような卑屈さもあって、ああ、なんか情けないよなあ、俺、なんて思うこともあります。でも、だからといって、ピアノソロはそれほど聴く訳でもないしなあ、なんて思ったりもしました。

 でたどり着いた結論。

 やっぱり、ピアノトリオという形式には、すごく余白があるから。

 とりわけ、ビルエバンスのようなインタープレーを重んじるピアノトリオの場合は、間合いというか、音と音のあいだの空間が聴こえてくるんですね。沈黙も聴こえると言いますか、ああ、今この空間で、ピアニストとベーシストとドラマーが会話しているんだな、というのが分かるんですね。それも、3人というのがちょうどよくて、2人だと、どうしても恋愛とか尊敬とか敬愛とかが前に出過ぎて、それはそれでスリリングではあるんですが、ピアノトリオの持つあの感じとはちょっと違う何かになります。4人だと、バンドっぽくてこれもちょっと違う感じです。

 すこし前に、ある輸入車のラジオCMで、ピアノトリオにフリージャズっぽい演奏をしてもらって、それを別々のチャンネルで録音して、それを順番に流して、最後に合体させるという企画をやったことがあります。それぞれのプレイヤーには個別に部屋に入ってもらって、ヘッドホンでお互いの音を聴いてもらうという感じで録音しました。

 そのとき感じたのは、会話しているんだなあ、ということでした。あわせて聴くときちんとした音楽になっているのですが、それぞれのパートを別々に聴くと、音にところどころ沈黙があって、不思議な感じがするんです。まるで、相手の息づかいを確かめているかのような緊張感がありました。企画のときにも、それは頭の中では想像していたんですが、やはり聴いてみると沈黙の持つ迫力が違いました。

 その沈黙の美しさを聴くためには、できればいい再生機で聴く方がいいのでしょうね。普段はMacBookにBOSEのPCスピーカーをつないで聴いていますが、いつの日かこんないい音響で「Bill Evans at the Montreux Jazz Festival」を聴いてみたものだなあと思っています。

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2007年12月16日 (日)

かつて、ビル・エバンスがアメリカの片隅で日本の芸術のことを書いたように。

 ビル・エバンスは、自身がピアニストとして参加したマイルス・デイビスのリーダーアルバム『カインド・オブ・ブルー』(1959年)のライナーノーツに文章を書いています。このアルバムは、ハードバップ全盛時代に、モード手法といった新しい音楽理論のジャズへの適用など、新しいチャレンジに満ちた、現代ジャズを考えるとき、決して外すことができない、とても重要な記念碑的な名盤。すごくクールで美しい音楽に満ちています。ぜひ、聴いてみてください。ジャズを知らない人でも、聴きやすいと思います。エバンスの書いた文章の出だしの部分を引用します。

Improvisation In Jazz by Bill Evans
 
There is a Japanese visual art in which the artist is forced to be spontaneous. He must paint on a thin stretched parchment with a spacial brush and black water in such a way that an unnatural or interrupted stroke will destroy the line or break through the parchment. Erasures or changes are impossible. These artists must practice a particular discipline, that of allowing the idea to express itself in communication with their hands in such a direct way that deliberation cannot interfere.

 
(私訳)ここにひとつの日本絵画がある。その絵画において、描き手は、無意識であること、自然であることを強いられる。ごく薄くのばされた紙に、特別な筆と黒い水を使って描いていくその絵画では、筆運びが少しでも不自然だったり失敗したりすれば、たちどころに線は乱れ、紙は破れてしまう。そこでは、もはや消去や修正は不可能なのだ。描き手は、特別な鍛錬を積まねばならない。自らの手と交感しながら、頭の中に生まれた着想を瞬時に紙の上に定着するために必要な特別な鍛錬を。

 この日本絵画とのアナロジーから、若き白人ジャズマンであるビル・エバンスは、ジャズにおけるインプロビゼーション(即興)の概念を語っていきます。西洋音楽の素養を持つエバンスはきっと、西洋音楽の建築的な構築性のアンチテーゼとしてのジャズのインプロビゼーションを、西洋絵画の建築的な構築性のアンチテーゼとしての日本絵画に、その構造的な同一性を見いだしたのでしょう。エバンスの音楽に魅せられる日本人としては、この文章は誇らしくもあり、日本人がジャズを語る(あるいは演奏する)意味みたいなものを与えてくれます。一気に、エバンスに親近感が沸くというか。なんか、単純にうれしいですよね。

 エバンスが、当時のキャリアと照らしあわせてみて、少しばかり背伸びした文章を書いた背景には、当時のジャズという音楽を取り巻く空気があったとのことです。それは、ジャズは黒人だけの文化であり、芸術であるという空気です。(詳しくはこちらのエントリーをご参照くださいませ。)要するに、白人であるエバンスは、ジャズを音楽性や芸術性のコンテクストに引き戻したかった、みたいなことです。

 マイルスにとって、エバンスという白人ピアニストを起用するのは勇気のいることでした。それにエバンスは、若いときは無口で少し暗めで繊細な「硝子の少年」だったそうです。録音の時も、少し毒舌気味のマイルスは、そういうエバンスの緊張をほぐすために、よくからかっていたそうです。そんなエバンス青年の少し背伸びした、そして当時の空気を考えると少し勇気のいったに違いないこの文章を自らのリーダーアルバムに掲載するマイルスもなかなかなもんだなあ、と思います。マイルスが、この文章を読んで「エバンスらしいよなあ」と頬を緩ませている姿が目に浮かびます。

 少し話は脱線しますが、エバンスは、通説によれば、急進的な黒人運動家たちのバッシングにあって、マイルスバンドを脱退します。エバンスとマイルスは、その後、演奏家としては交わることはありませんでした。エバンスは、アコースティックジャズを貫き(中期にはローズを使った妙なアルバムもありますが)、マイルスはエレクトリックジャズの先駆者になりました。お互いに才能と個性のあるジャズマンですから、啓して遠ざかるという感じなんだろうなと思います。

 でも、ああいう陽性な性格のマイルスですから、いろいろやんちゃなエピソードもあったようで、例えば、『モントルージャズフェスティバルのビル・エバンス』で共演したドラマーのジャック・ディジョネットは、このライブの直後にマイルスに引き抜かれます。マイルスらしいなあ、と思います。マイルスは子供っぽい無垢さがある人ですからね。エバンスはああいう性格ですから「まあ、マイルス兄さんが引き抜かはったんやからしゃあないわなあ」みたいな感じだったんではないかと想像します。でも、エバンスファンとしては、あと3枚くらいはゴメス、ディジョネットのエバンストリオを聴きたかったなあ、と思うんですがね。歴史にたらればはないですけど。

 それにしても、訳してみて思ったのは(本当は全文を訳してみようと思ったんですが、力尽きました。いい文章なので、それは追々やっていきます。)、彼が残した書き言葉には、やはり孤独なひとりの人間としてのビル・エバンスが見えますね。特に、それが書かれた状況や背景に思いを馳ながら読むと。インタビューにはない書き言葉の特徴ですね。

 思考(=書き言葉として現れるもの)というものは、本質的に孤独なものなんだろうと思います。そんなことはこの英語の原文には少しも書かれていなかったのであれですが(笑)、なんとなくそんなことを読みとってしまいました。私にとって、ブログを書くことは、ログを重ねるという時間の連続性の中で、孤独な思考を書き綴って、自分自身の成長の糧にするというか、そんな感じです。48年前のビル・エバンス青年の孤独な思考に、48年後の日本の片隅でブログに書き言葉を綴る私は、ほんの少しだけ勇気づけられた気がします。

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2007年11月15日 (木)

疲れたココロに効く音楽。

 12月立ち上がりキャンペーンの制作で、ここ最近にはないほど忙しい日々をすごしています。まあいろいろとうまくいかないものですね。制作物がどっとあって、ひとつひとつが手を抜けないものだらけで、おまけに納期まで時間がない。いやあ、参りました。いろいろ愚痴りたいこともあるけれど、やっぱりブログじゃそれは無理。タイトルに偽りあり、ですね。でもねえ、やっぱり愚痴の醍醐味はリアルですよ。やきとんをつまみながら、ホッピーで、愚痴って、愚痴って、愚痴りまくる。ナカミ(ホッピーに継ぎ足す焼酎のこと)もう一杯ね、なんて時間もないんですな、これが。

 まあ、そんなときは、お気に入りの音楽を聴くのがいちばんです。好きな音楽を聴きながら、ほけーとすると、まあ、明日もなんとかなるかな、なんて気になるから不思議です。

 この前、マイルスの言葉をタイトルにしたエントリを書いたけど、そのとき「はてブ」のコメントを見てたら、マイルスなのにビル・エバンスカテゴリーって、みたいなコメントがあって、思わず笑ってしまいました。今回のエントリも、エバンスの話じゃないけど、エバンスカテゴリーにしときます。それに、薄くですけど、エバンスに関係ありますしね(笑)。それと、これを機会に、エバンスカテゴリーのエントリでも読んでみてくださいませ。いいですよ、ビル・エバンス。

 で、疲れたココロに効く音楽。私の場合、ミッシェル・ペトルチアーニの「Looking up!」という曲なんですね。ミッシェル・ペトルチアーニというジャズピアニストは、エバンスの影響を色濃く映すフランスのピアニストで、音楽性はエバンスほどは思索的ではなく、どこか明るくカラッとした感じがありますね。日向の明るさというか。でも、ラテン的な感じでもなく、あくまでエバンス派の音です。明るいエバンスと言ったらいいんでしょうかね。1999年にお亡くなりになっています。享年36歳でした。

 この方は、先天性の障害を持っている方で、身長が1mほどしかなく、20歳くらいしか生きられないと医者からは言われていたそうです。あと、フランス人ではじめてブルーノートレーベルと契約した人でもあります。フレンチジャズというとイージーリスニングっぽいジャズが多いのですが、ペトルチアーニの場合、まったく違います。人によっては、エバンスの後継者と呼ぶ人もいます。エバンスもそうですが、やはり繊細な音を奏でるピアニストは日本では人気が高く、来日も多かったそうです。

 「Looking up!」という曲はオリジナルで、すごくやさしいメロディで誰にでも親しめる曲です。いつも私が書いているエバンス論で取り上げる難解な曲ではなく、ほんと簡単で単純。どんな人もきっと好きになると思います。なんの理屈もないし、ただただ元気になるんですね。いい曲だなあ、と思います。

 ペトルチアーニの中では、彼のメジャーなヒット曲という感じで、4ビートではなく16ビート。いわゆる、みんなが楽しみにしている十八番というとこですね。カシオペアなら「ASAYAKE」、スクエアなら「トゥルース」みたいな感じの曲ですね。ウェザーリポートなら「バードランド」。ナニワエクスプレスなら「ビリービン」。プリズムなら「カルマ」。ジョージベンソンなら「ブリージン」。渡辺香津美なら「ユニコーン」。日野皓正なら「ピラミッド」。渡辺貞夫なら「オレンジエキスプレス」。ハービーハンコックなら「ウォーターメロンマン」。チックコリアなら「スペイン」。もう、いいですか、そうですか。

 この曲、スタジオ録音バージョンは、フュージョン風で、ストリングスとかが入っています。でも、私のおすすめなのは、アコースティックのトリオバージョン。YouTubeにいい感じのライブ映像がありましたので、ご紹介しておきます。

Michel Petrucciani - Looking Up - live JazzBaltica

 ね、ほんとに親しみやすいメロディでしょ。難しいことを何にも考える必要がない。

 ああ、今日は天気がいいなあ。ほら見てみてよ、あの雲。パンみたいなカタチしてるよね。おいしそうだね。あっ、そうだ、そろそろお昼にしない。あの雲見てたら、お腹すいてきちゃった、みたいな。いいなあ、こういう理屈抜きのしあわせ感。

YouTubeのリンクについての追記:
私はYouTubeでいろいろな音楽を楽しんだり、紹介したりするかわりに、気に入ったものは、著作権者のメリットになるように、なるだけ買うようにしています。このへんのグレーゾーンって難しいですね。たぶん、これからネットは「等価交換」という概念が重要になってくるような気がします。それは、またのちほど。

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2007年11月 9日 (金)

「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」 by Miles Davis

 ビル・エバンスというピアニストの生涯を振り返ると、マイルス・デイビスというトランペッターは非常に重要な人物として登場します。エバンスとマイルスが出会わなければ、ジャズにモードというムーブメントは起きなかったかもしれません。エバンスは、マイルスからモードを吸収し、マイルスはエバンスからモードの発展の契機をもらいました。

 1959年、マイルスは若き白人ピアニスト、ビル・エバンスを起用し、名盤「カインド・オブ・ブルー」を発表します。その音楽性の高さは、またいつか論じてみたいですが、ここで触れるのは違う話題です。当時、ジャズは黒人の魂だと思われていました。とりわけ、アフリカ系アメリカ人にとっては、その気持ちは強かったのです。それは、今もそうですね。当然、若き白人ピアニストであるビル・エバンスを起用したマイルスには、激しい批判が浴びせられます。どうして、黒人の魂であるジャズに白人を起用するのか。マイルスよ、おまえは白人なのか。俺たちは、おまえを誇りに思っていたのに失望したぜ。そのとき、マイルスは毅然と言ったのです。

 「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇うぜ」

 私は、この言葉が大好きです。もちろん、差別される側が差別するという複雑な状況におけるマイルスの毅然とした態度に対する敬意もありますが、もうひとつ、私はこの言葉からすぐれた音楽をつくるという「目的」に対する純粋な態度を読み取るのです。

 私たちは、知らないうちにある行為に対して、その行為の目的以外の目的を持ってしまうことがあります。私にとって身近な例をあげると、いい広告をつくるという目的が、いつのまにか制作者にとっていい広告「作品」をつくるという目的に変わってしまったり。かわいい些細な例では、いい仕事をする目的のために打ち合わせたり話し合ったりすることが、打ち合わせたり話し合ったりすることを楽しむことが目的になってしまっていたり。

 不愉快な状況に対する違和感は、それを分析してみると、結構、「あっ、こいつ目的が違うな」ということから起因することが多く、私自身の失敗や醜い行為の原因を探ってみると、そうかあのとき私は目的を違うのもにしていた、と気付くことが多いのです。虚栄心だったり、顕示欲だったり、取り繕いだったり。

 マイルスは、すぐれた音楽をつくるという目的を、黒人の地位向上という目的に摩り替えませんでした。そして、彼は、音楽家であるひとりの人間として黒人の地位向上に貢献したのです。エバンスがグラミー賞を獲ったとき、マイルスは怒りくるって会場を後にしたという噂話をジャーナリスト達は書き綴りました。黒人と白人という文脈で面白おかしく。そのとき、エバンスは、そのことについて尋ねたインタビュアーに対して、私とマイルスの音楽的交流を知っている人なら、そんなことがあるはずはないとわかるだろう、と答えています。

 私が好きな音楽家は、すべて音楽をつくるという目的を、音楽以外の目的にすり替えることをしなかった音楽家です。私が好きな人間も、ある行為の目的を、違う目的に頑ななまでにすり替えない人です。私は、そこまで完璧に生きている自信はありませんが、彼らのように生きたいと思います。たとえそのすり替えられた目的が正義であろうと、基本的に目的のすり替えは、駄目なことであると思うのです。明確な理由は分からないけれど、少なくとも、私には、不快で薄汚く感じるのです。目的に対して純粋であり、忠実であること。それが人間の価値を決めると私は信じています。

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