1958年、エバンスはマイルスのバンドに参加して、エバンスのドラッグ癖とかなんだかんだあってバンドを離れ、翌59年に『Kind of Blue』というアルバムをつくるためにマイルスに呼び戻される。そのアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されていて、そのクレジットは「DAVIS-EVANS」となっている。
共作であるけれど、一般的にはエバンスが作ったと言われている。エバンス本人はライブでマイルスの曲と紹介したりしていて、真偽はわからない。ジャズもショービズの世界ではあるので、いろいろあるのだろうとは思う。もうエバンスもマイルスもこの世にいなくて、「Blue in Green」という、美しい曲はまだこの世にある。事実は、それだけ。
けれども、「Blue in Green」は典型的なモードジャズではない。DドリアンとE♭ドリアンを繰り返す「So What」のような楽曲ではなく、複雑なコード進行がある曲だ。所謂、モード的解釈というやつ。マイルスは、きっとこれがほしかったのだろうと思う。モードだけだと、いつかきっと飽きる。飽きずにいるためには、宗教になるしかない。事実、モードのもとになったものは、宗教音楽。そういう先見性がマイルスにはあったのだろうと思う。
emiversen — 2009年12月04日 — Audio only. Came across this old piece of audio tape. Have no idea of where or when this recording was done. Rare occation....enjoy!
どこでいつレコーディングされたのはわかりません、と。で、コメント欄を見ると、こうありました。
musicissopretty This was recorded in Stockholm in August of 1964 when Bill was making a recording with Monica Zetterlund for broadcast later in the year on Swedish radio.
1964年にストックホルムのラジオでモニカ・ゼタールンドと録音、とのこと。モニカさんはスウェーデンの女優さんなので、この情報は、すごく辻褄が合います。1964年は、ビル・エバンスとの共演でアルバム『Waltz for Debby』を出していますので(参照:この映像は後に共演したもので、ベースがエディ・ゴメス)、そのプロモーションとしてビル・エバンスがストックホルムのラジオ番組に出演、というのは自然です。
また、1964年はビル・エバンスが『Trio '64』を出しています。このアルバム、エバンスの中では地味なんですが、ベースが、若き日のゲイリー・ピーコック、ドラムがポール・モチアン。その中に「Santa Claus Is Coming to Town」の演奏が収録(参照)されていています。サンタが街にやってきた、ですね。
となると、番組内で「Santa Claus Is Coming to Town」を演奏というのは、これまた自然。ということは、この音源は、まあビル・エバンスのものと考えていいじゃないかな、と思いますが(ベースがゲーリーでドラムがモチアン?)、となると残る問題はこの声の主。
ところどころの照れ笑いがあって、ビル・エバンスだと思えば、ああなるほどとも思えますが、ほんと、どうなんでしょうね。個人的には、最後に「With Bill Evans!」と言っているように聴こえるので、ちょっと微妙なんですが。でもなあ、声は確かにエバンスなんだよなあ。うーん。仮に歌声が本人だとすると、モニカ登場前に、ちょっと歌ってみるか、ということろなんでしょうか。それにしても、陽気ですねえ。アレンジもバップ調だし。まあ、emiversenさんもenjoy!と書いておられるので、エバンスだと思って楽しむことにしましょうかね。
初期トリオのベーシストであるスコット・ラファロを失って、公私ともに落ち込んでいた時期を経て、レーベルをRIVERSIDEからVerveに移籍し、心機一転という感じの頃。1963年には『Conversations With Myself』という、自分のピアノの多重録音という意欲作を発表した後、さあ、そろそろピアノトリオという形式をもう一回はじめてみよう、という時のものです。
ドラムが、ラファロとともに初期トリオを支えたポール・モチアンで、たぶんモチアンとの共演はこれが最後。当時のエバンスは、ラファロを失った後、相当に荒れた生活を送っていて、モチアンは、エバンスの音楽生活を支援していたとのこと。音楽生活を支援するということは、イコール、生活を支援するということでもあって、「Little LuLu」や「Sleeping Bee」、そして、「Santa Claus Is Coming to Town」なんかのポピュラーソングがたくさんあるのは、その影響なんだろうと思います。
「Santa Claus Is Coming to Town」(参照)は、リズムも典型的なバップのスィングだし、ベースラインも4ビートのランニング。エンディングにツーファイブの繰り返しがあったり、エバンスの演奏では珍しいテイスト。わかりやすいです。でも、このエバンスという人、こういうレコード会社の方針というか、自分の意に添わない演奏でも素晴らしいプレイをするのですが、よく聴くと、ちゃんと「俺は気に入ってないよ」というサインを必ず残しているんですよね。それは、この演奏では、曲のエンディングの「ゴン!」という低いシングルノート。
解雇から1年後の1959年、マイルスは「Kind of Blue」というアルバムの録音のために、エバンスを呼び戻す。どうしても従来のコードワークから開放された、エバンスのハーモ二センスが必要だったからだ。けれども、マイルスはエバンスをレギュラーメンバーにするつもりは、はじめからなかった。このアルバムの、モードジャズ的なコンセプトからはかなり異質な、ハードバップ的なブルース曲を1曲、レギュラーメンバーであるウィントン・ケリーに弾かせている。
このアルバムには、「Blue in Green」という美しい曲が収録されている。マイルスの作曲であるとクレジットされているが、批評家の間ではエバンス作だと言われている。聴いてみると、確かにエバンスらしい感覚がある。けれども、これは私見ではあるけれど、旋律がエバンスにしては完成されすぎているのではないかとも思う。エバンスがつくるメロディは、どれもどこかに破綻があるように思えるし、あの美しいメロディは、マイルスの感覚だと思う。作者が誰だとかに関係なく、50年以上、ジャズファンに愛され続けている今となっては、そんなことはどっちでもいいとも言えるけれど。
ジャズファンにはよく知られた話ですが、「Kind of Blue」に収録されている「Blue in Green」という静謐な名曲は、マイルス作曲とクレジットされていますが、エバンス作曲です。これがマイルス作曲とクレジットされているのは、コード進行の着想がマイルスであったことと、このアルバムに収録の曲をマイルスのフルオリジナルとしたいレコード会社の意向(もしかするとマイルス自身の意向)もあったと聞きます。そして、エバンスは、最期まで自身のピアノトリオで、この「Blue in Green」を演奏し続けました。「マイルスがつくった美しい曲です。」と演奏する前に付け加えながら。
I've sure learned a lot from Bill Evans. He plays piano the way it should be played. Miles Davis (ビル・エバンスからは多くのことを学んだよ。彼は、ピアノはこう弾かなければいけない、という弾き方をするんだ。マイルス・デイビス)
ちなみに、このエバンス脱退は、一般的に白人差別に耐えかねてと言われていますが、それは違うと思います。ひとつは、エバンスが語るように、自身の希望。そして、コルトレーンの手紙によると、エバンスの重度のドラッグ癖のため、マイルスがやむを得ず解雇したとのことです。「Kind of Blue」が録音されたのは、エバンス脱退後。そして、当時のマイルス・グループの正式ピアニストはウィントン・ケリーでした。
注:このエントリの中で、あのセッションとか、あのライブ録音とか言っているのは、「Waltz for Debby」と「Sunday at the Village Vanguard」のことです。リンク先で視聴(Real Player)できます。聴いたことがないひとは、だまされたと思って一度聴いてみてくださいな。ロックな人でも案外すんなり聴けると思いますよ。とくに、ジャズを食わず嫌いな人は、この2枚から聴き始めるといいと思います。
There is a Japanese visual art in which the artist is forced to be spontaneous. He must paint on a thin stretched parchment with a spacial brush and black water in such a way that an unnatural or interrupted stroke will destroy the line or break through the parchment. Erasures or changes are impossible. These artists must practice a particular discipline, that of allowing the idea to express itself in communication with their hands in such a direct way that deliberation cannot interfere.