小田和正という音楽家と、鈴木康博という音楽家が出会って、オフコースという音楽が生まれました。やがて、小田の音楽、鈴木の音楽を超えて、それぞれの音楽は、オフコースという音楽を構成する一部になりました。少なくとも『僕の贈りもの』から『FAIRWAY』までは、そういう感覚だったのだと思います。彼らにとって、音楽とは、つまりオフコースのことだったのです。
もう20年以上経ってしまいましたが、あの頃、私が夢中になったオフコースには、他の音楽を拒絶するような純粋性がありました。オフコースのファンは、傾向として、オフコースから他の音楽に興味を持って、音楽の多様性を楽しむ大らかさがあまり見られなかったような気がします。自分も含めて、そのように感じられます。オフコースを聴くことは、音楽を聴くことではなく、オフコースを聴くことだったのです。
なんか、書いているうちに抽象的になってきましたが、自己表現を超越するもの、と言うよりも、自己表現というものが小さなもの、つまらないものに思えてくる、唯一の抽象的な第三項がオフコースだったのだと思います。あの頃の彼らには、きっとそれぞれがソロ活動をするというような考えは、まったく思い描かなかったはずです。なぜなら、彼らは音楽をやっていたのではなく、オフコースをやっていたのだから。
第三項排除という理論があります。暴力論のひとつです。人が構成する社会は、決定的な対立を回避するために、第三項を設定する、という理論です。第三項を設定して、その排除にエネルギーをついやすのです。国家暴力や、身近なところではいじめなどにもよく援用される理論ですが、その排除という言葉が持つネガティブな印象を取り払えば、小田と鈴木は、オフコースという第三項へすべてのエネルギーを注ぎ込んだと言えるかもしれません。
ある種の抽象性を持った美しさは、こうした抽象的な第三項を設定しなければ生まれないのではないかな、と思うことがあります。ジャズで言えば、ビルエバンストリオ。この場合は、小田と鈴木のオフコースとは違い、生身の3人の人間が、三角形を構成しつつ、第三項排除という現実を超える精神の純粋性という感じでしょうか。現実にはあり得ないかもしれない「永遠の三角形」を目指すという、ビルエバンスというピアニストの精神の運動の美しさです。
でも、こういうある抽象概念に対して懸命になるという関係は、奇跡に近いことだと思うのです。話をクリエイティブディレクター論に戻すと、アートディレクターとコピーライターは、広告という抽象概念のもとでは対等であるべきですが、現実は、本当の意味の対等というのは奇跡に近いことです。
広告は、基本要素としては、言葉と絵でできていますので、必要なのはコピーとアートです。でも、現実は対等ではない。実際は、どちらかが主導権を握るのです。そこには、きれいごとではない、ザラザラした現実があります。たぶん、その主導権を持つ者を、広告ではクリエイティブディレクターと言うのだろうと思います。つまらない結論ですが。
いま、広告会社では、クリエイティブディレクターが重視されています。私の会社のクリエイティブ局長も「広告は、基本的なストーリーはクリエイティブディレクターがつくる。そして表現に対する全責任を負う。」と言います。私は、彼のクリエイティブディレクター論に賛成です。そして、世界の広告会社の潮流もクリエイティブディレクター主義だと思います。
でも、それは、人間の対等という理想に敗北した多くの失敗の上につくられた、ひとつの人間の知恵なのでしょうね。チーム主義の理想と、現実の失敗。ならば、その責任は個人が負うべきだという、ある種の潔さでもありますが、それは、言い方を変えれば、吉本隆明の用語を使えば、対幻想の敗北である、とも言えるのです。
やがて、オフコースは、「愛を止めないで」のヒット、「さよなら」の大ヒットを境に、急速に小田のオフコースになっていきます。東芝EMIやプロデューサーの意向もあったのだと思います。『We are』と『over』、武道館コンサート10days。そして、鈴木康博の脱退。もうこのあたりのことは語られすぎなほど、多くのところで語られていますので、ここでは詳しくは触れません。けれども、ただひとつ言えることは、小田にとっては、身が切られるほどの敗北感があったはずです。小田にとって、武道館が終わるその瞬間まで、音楽とはオフコースだったのだから。
鈴木康博は、そういう奇跡の綻びに、小田よりも早く気づいたのだと思います。その点、小田は無邪気だった。鈴木康博脱退からほどなく、小田は「なによりもオフコースというブランドを守らないといけないと思った」という趣旨の発言をしています。当時、もうオフコースに興味が失せていたのもありましたが、その小田の発言がなぜだか薄っぺらく感じました。
けれども、今、小田さんの真意が痛いほど分かります。彼が、オフコースという「ブランド」を守ろうと思った気持ちを。たぶん、小田さんは、オフコースを、他人の力でなく、自分で終わらせたかったんだと思います。自分で、この理想の終わりを見なければ、先へは進めない。そう思ったのだと思うのです。
ゆっくり漕ぎ出したね
ちいさな舟だった
僕らはこの舟を
止めようとしている
もうやり直せない
二度とは戻れない
生きてゆくこと
悲しいね
ああ いつ頃から
急ぎ始めたのだろう
いくつもあった
分かれ道
『愛のゆくえ』鈴木康博作詞・作曲
アルバム『I LOVE YOU』所有
ふたりで追いかけた
青い日々がこぼれていく
やがてひとり
窓の外は冬
心はなれて
あなたのこと
見えなくなる
もうここから
先へは行けないね
『心はなれて』小田和正作詞・作曲
アルバム『over』所有