カテゴリー「オフコース」の15件の記事

2012年1月31日 (火)

オフコース・カンパニー

 杉田二郎さんのオフィスであるサブミュージックから独立して、オフコースは個人事務所をつくります。名前は、オフコース・カンパニー。1976年8月1日、今から35年も前のことです。

 場所は、東京の神宮前。公団住宅の奥にある小さな公園の前にあるアパート。その頃は、まだオフコースはあまり売れてなくて、学園祭を回ったり、CMの歌を歌ったりしていたそうです。

 もうそこにはオフコースはいないけれど、あの公団住宅も、あの小さな公園も、あの建物もまだあります。

 

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2011年3月 8日 (火)

オフコースファンの方、読むといいですよ。

 ひさしぶりのオフコースカテゴリー。Twitterにも書いたけど、こちらを読んでいただいているオフコースファンの方もいらっしゃると思いますので、こちらでもお知らせしておきますね。

小田和正から鈴木康博への手紙 - アクロス・ザ・ユニバース

 読まれました?

 なんか、いいでしょ。NHK名古屋の鈴木さん出演のラジオ番組で、小田さんからの手紙、というところがなんとも小田ヤスらしいです。ファンとしては、二人の歌と演奏を聴きたいところですが、騒がずあせらず、静かに見守るのが、きっと正解なんでしょうね。

 小田さんから鈴木さんへのお手紙は、こんな言葉で結ばれています。

身体に気をつけて。楽しく歌い続けていかれるよう心から祈ってます。

 そう、楽しく、そして、続けること。それがたいせつなんですよね。なによりも、まず自分がたのしい、と思えること。それが、たいせつ。私は歌は歌わないけれど、ほんとそう思います。なによりも、自分がたのしいと思えなきゃ、ね。そうなんです。なんでもそうですよね。

 あなたがたのしく歌えますように。歌い続けられますように。

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2010年9月25日 (土)

秋の気配

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 とまあ、今の時期にぴったりのタイトルを付けてみたものの、今年は、秋の気配なんかはまったくなく、雷と豪雨の後、いきなり秋がやってきましたね。写真は、大阪のマンションから見た風景です。都島から大阪城方面。左側の高層マンション群は梅田方面。私が子供の頃は、梅田の高層ビル群も見えましたし、双眼鏡で覗くと、マルビルの最上階に備え付けられていたオレンジ色の電光掲示版のニュースが読めたんですよね。今は、マルビルの電光掲示もその役割を終えました。

 このあたりは、最近、マンションがたくさん建って、街の様子がずいぶん変わりました。写真の高層マンション群は、昔はカネボウの本社や工場がありました。当時は、大きな空き地があって、秋になると、そこでバッタをよく穫りました。近辺にあった十条製紙工場跡もマンションになるそうです。一頃は、大阪市内に住むより、少し離れた郊外のベッドタウンに、という感じでしたが、値ごろ感が出て来て、やっぱり市内がいいよね、という流れになってきたようです。

 秋の気配と言えば、オフコースの「秋の気配」ですよね。そうでもないですか。そうですか。ちょっと古いですものね。1977年に発売された、オフコースの11枚目のシングル曲です。アルバムでは「JUNKTION」に収録されています。たくさんのミュージシャンがカバーしていますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 そう言えば、秋の気配を「秋の気配」はどう表現してたっけ、と思って、調べてみると、ほとんど表現していないんですよね。季節感を表現している箇所は、この部分だけ。

たそがれは 風を止めて
ちぎれた雲はまた ひとつになる

 たったこれだけ。つまり、「秋の気配」という歌は、タイトルが所謂、歌詞の要約的なタイトルではなくて、曲の世界観をセットアップする重要な要素なんですね。歌詞を見ただけでは、春ともとれるし、夏とも、冬ともとれます。あの曲がなんとなくせつない気がするのは、タイトルが「秋の気配」だからこそ、なんですよね。詞とメロディとタイトル、どの要素も主でもなく従でもなく、いい緊張感を持って、均衡している。そんなところが、「秋の気配」という歌の魅力だったりもします。

 この歌は、なんども聴いていますが、いまだにはっきりとはわからない部分があります。前述の「たそがれは 風を止めて ちぎれた雲はまた ひとつになる」の後に出てくる歌詞です。

あの歌だけは 他の誰にも
歌わないでね ただそれだけ

 この台詞、男性が言っているのか、それとも女性が言っているのか。歌をなんとなく聴いたところでは、歌の主体である男性が言っているように思えるんですが、でも、よく考えてみると、女性が言っていてもおかしくないように思えます。

 男性が言っているとすると、男性は歌をつくっていて、「あの歌」はその女性のために作った歌だから、「あの歌だけは 他の誰にも 歌わないでね ただそれだけ」と言っている、ということになります。自然な解釈ではありますが、でも、男性は、きっと小田さんを投影しているわけだから、そう考えると、あまりにナイーブすぎるような気もしないでもないです。もしくは、女性がミュージシャンで、男性が「歌わないで」と言っている。そうだとしても、まあナイーブですよね。

 女性が言っているとすると、「あの歌」を女性がつくったか男性がつくったかはわかりませんが、その「あの歌」は大切な歌だから、たぶん小田さんと同じミュージシャンである男性に「あの歌だけは 他の誰にも 歌わないでね ただそれだけ」と言っていることになります。歌の主体から見ると、言われたということになります。

 ほとんどおしゃべりもないのに、やっとしゃべってくれたかと思うと、今、「あの歌」を「歌わないでね」と言われたなあ。出会った頃は、そんなことはなかったのに、僕たちの関係どうなっちゃったんだろう、なんとなく付き合うのがつらくなってきたよなあ、という曲。

 「秋の気配」という曲は、当時は女子高生や女子大生が、恋へのあこがれの気持ちを持って歌った曲ですから、後者だとすると、なんとなくがっかりなんだろうな、とは思いますが、後者だと、歌詞全体の流れが非常にすっきりするんですよね。

 「あの歌だけは 他の誰にも 歌わないでね ただそれだけ」という要求は、さりげないようにみえて、男性にとってはすごく重いはずなんですよね。女性は、「微笑むふり」さえしないつれない感じけれど、男性には、そのそぶりとは裏腹にたいへんな要求をしているわけです。

 つまり、この「秋の気配」は、自分にとって、すごく重くなってしまった恋人に対して、気持ちが離れていくという歌で、わりと普通の、というか、普通なエゴが発露された恋愛感情の歌だったのかもしれません。

 まあ、主体が明示されていないわけですから、どっちにとってもいいんだろうとは思いますし、作り手としては、主語を明示しなかったのは、わざと、だとも思いますので、どっちなんだろうな、と思いながら聴くのが正しいようにも思います。

 きっと、これから暑さがぶり返すことなく、本格的に秋ですから、そんなところに着目しながら「秋の気配」を聴いてみてはいかがでしょうか。ずいぶん昔の曲ですが、けっこうたのしめると思いますよ。

 では、あと一日になってしまいましたが、引き続きよい休日を。

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2010年6月12日 (土)

東京はあまり雨が降らないですが「雨が降る日に」という歌について書きます。

 
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 東京は雨が降らないですが、あじさいは咲いています。昭和っぽい写真ですが、2010年の写真です。Willcom03で昨日の朝に撮影しました。こんな写真は、きっとiPhoneには撮れないですよね。偉いぞ、Willcom03。

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 オフコースに「雨の降る日に」という3分にも満たない短い歌があります。1975年に発表された「ワインの匂い」というアルバムに収録されています。アルバムA面の最初の曲です。レコード針を落とすと、まず雨の日に自動車が道路を走る音が流れ、そのあとに小さなピアノの前奏。オフコースにしては珍しい素直な和音が四分音符に添ってゆっくりと進行していきます。小田和正さんの作詞・作曲です。

赤いパラソルにはあなたが似合う

 そんな歌詞が出てきます。何気ない描写なんですが、妙に心に引っかかるんですよね。30年以上前の歌なのに、この時期になるといつも思い出します。

 あなたには赤いパラソルが似合う、ではなく、赤いパラソルにはあなたが似合う、なんですよね。ああ、赤いパラソルには、なんだよなあ。そんなふうに思うんです。いつも。要するに、この描写をする人の世界は転倒しているんですよね。普通は、こういう描写はしないはずなんです。

 どうしてこう表現するのかな、と考えると、きっと、この世界は自意識の世界なんでしょうね。私がいて、私の意識の中に世界があって、その中に、世界の一部として赤いパラソルがある。

 この曲はこういう言葉ではじまります。

人はみな誰でも流れる時の中で
いくつもの別れに涙する
だけどあなたはひとり

 私を中心とする自意識の世界の中では、たくさんの赤いパラソルがあり、いくつもの別れがあるけれど、そんな中で、唯一の例外として、たったひとりの交換不可能な「あなた」がいて、それは、安定した自意識の王国に侵犯してくるものであって、その自意識が揺れ、王国が壊れそうになる感覚を、小田さんは「愛」と名付けていたような気がします。

 小田さんの歌には「恋」という言葉はあまり出てこないんですよね。少なくとも、オフコース時代は。鈴木康博さんの歌とは対照的です。小田さんの「愛」は、没交渉的なものが多く、内省的。その自意識を中心に閉じられた世界が、この転倒を生んでいるんだろうな、と思います。

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 1977年に発表された「秋の気配」という歌があります。中期のオフコースを代表する曲ですから、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ガットギター、フォークギター、エレクトリックピアノ、ボリュームペダルを使ったエレキギター、ストリングス、エレキベース、ドラム、パーカッション、そして、コーラスが、それぞれ控えめなのに練り込まれ考え抜かれたフレーズが丁寧に重ねられていきます。ベースラインも美しくて、音楽的にもかなり高度。

 歌詞は、広角の世界から、徐々に焦点が絞られて、心的な世界へ至る情景の転換が、まるで映画を見ているような感覚があります。今で言えば、キリンジの「エイリアンズ」の感覚と似ていますね。最近、なぜか「エイリアンズ」をよく聴くのですが、ほんといい曲ですよねえ。公団、ボーイング、バイパス、僻地。私の世代からすると、ちょっとかっこ良すぎるけどね。

 すみません。少し話が脱線しました。「秋の気配」という歌の中に、こんな言葉がでてきます。

こんなことは今までなかった
僕があなたから離れていく

 つれない恋人に「嘘でもいいから微笑むふりをして」と願うわりには、あなたが離れていくのではなく、「僕があなたから離れていく」と描写するのですね。変ですよね。あなたが離れる、私は追う、ではなくて、さめていくあなたから目をそらして、港に視点を映して、自意識から見える世界を変えているんですね。それを、「僕があなたから離れていく」と表現しているのだと思います。

 この頃、オフコースファンは女性が多かったそうです。女子校の学生さんが、修学旅行のバスの中で「秋の気配」を合唱したという話も聞いたことがあります。きっと、当時の女子高生たちは、そんな男に憧れたのではなく、この歌が描く自意識の王国に自分の自意識を重ねたのだろう、と想像するのですが、どうでしょう。

 確か小田さんの著書にこの歌詞についての言及があったなと思いましたが、ウィキペディアの同曲の項目(参照)にありました。孫引きですが引用します。

“僕があなたから離れていく”って歌うと、まるでとてもやさしい人で、やむを得ず離れていくような…。“別々の生き方を見つけよう”とかって、よく映画の別れの場面であるじゃない? “いつの間にかすれ違った”、とか。でも、本当に好きだったら、別れないもんね。別れるのは“好き度”が低下したからなんだし、もっといい相手が出てきて “こっちのほうがいいなあ”と思ったからかもしれないんで。そういう傲慢な気持ちを横浜の風景の中に隠したのが、あの曲だったんだ。でも、書いたときは必死だったんだよ、言葉さがして。本当はそんなつもりなかったんだけど、あとで考えたらひどい男だな。
「たしかなこと」小田和正

 小田さんらしいですね。どこか建築的なんですよね。つまり、すべてを力学で見ると言うか。傲慢さは自意識の特徴でもあるし、あながち仮説は間違っていないのかもしれません。

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 この転倒した世界の構図は、今でいうところの「セカイ系」と同種のような気もするけれども、違うところは、「私ーあなた」を世界としていないところでしょうね。まあ、「セカイ系」という概念も定義が揺れているから、一概には言えませんが。

 小田さんの転倒した世界の構図は、つねに「私」なんですよね。小田さんは、きっと近代的自我の人なんだろうと思います。だから、「君のために翼になる 君を守り続ける」と宣言した後に「個人主義」や「相対性の彼方へ」というキーワードが出てくることは合点がいきます。

 小田さんは、早大の建築科大学院時代の修士論文に「建築との訣別」と題したそうです。これは教授に却下され「私的建築論」として受理されるのですが、きっと訣別するほどに「社会」という確実な手応えが、小田さんにはあったのでしょう。

 先ほど言及したキリンジの「エイリアンズ」の世界は、そのような確実な社会が感じられない気がします。あえて言えば、社会というものは「私ーあなた」つまり「エイリアンズ」という小さな世界に溶けています。その小さな世界が、目に見えない大きな社会に対峙するという感じです。

 キリンジの「Drifter」という歌から。

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように襲いかかろうとも
祈りをカラスが引き裂いて
流れ弾の雨が降り注ごうとも
この街の空の下 あなたがいるかぎり

僕はきっとシラフな奴でいたいんだ
子供の泣く声が踊り場に響く夜
冷蔵庫のドアを開いて
ボトルの水飲んで 誓いをたてるよ
欲望が渦を巻く海原さえ
ムーン・リヴァーを渡るようなステップで
踏み越えて行こう あなたと

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 「雨の降る日に」という歌について書きます、と書いたわりには、話が広がって、「自意識」についての考察めいたものになってしまいました。書いているうちに、なんとなくわかったことがありました。それを書いて、このエントリをひとまず終えたいと思います。

 「自意識」とは、キリンジの歌にあるように、きっと「シラフ」のことです。そのシラフの世界は、多くの人の「自意識」が重なって、つねに「酔った」状態として表れる、今ここで動いている社会というものに対しては転倒として表れるのだろうな、と思います。それを、かつて、思想家の吉本隆明さんは「自己幻想は共同幻想と逆立する」と呼んだりしました。

 だからどうなんだ、と言われれば、何もないけれど、私としては何かをつかんだような気もしています。前回のエントリ「「大衆の原像」をどこに置くか」とも関連しますが、もし、そのイメージの根拠を求めるならば、酔った状態である、アクティブな社会現象に求めるのではなく、「シラフ」の状態である「自意識」に求めたほうがいいのだろうな、ということ。

 そのためには、こちら側もさめていることが必要で、そこでは自身の「自意識」を見つめることにもつながっているのでしょう。そのことは個人的には大きな収穫ではありました。なんとなくまとまりのない文章になってしまいましたが、それを生で提示できるのもブログという個人がどうにでもできる自由なメディアのよさなんでしょうね。

 では、よい休日を。今日は、東京は一日晴れのようです。

 
  

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2010年1月25日 (月)

生まれ来る子供たちのために

 少し前になりますが、佐野元春さんと小田和正さんの対談をテレビで観ました。NHKの「THE SONGWRITERS」という番組で、私が観たのは再放送らしいです。

 私は、今だに小声で言う感じではありますが、オフコースが好きです。この感覚、もう若い人にはわからないかもしれませんね。オフコースが「さよなら」という曲でブレイクする前は、男性でオフコースファンと公言するのは、少し恥ずかしい感じがありました。よく軟弱と言われていましたね。

 そういう扱いを受けていたのは、アルバムで言えば「Three and Two」以前という感じでしょうか。それまでオフコースは、小田和正さんと鈴木康博さんのデュオなのか、それとも5人編成のバンドなのかは、あいまいな感じで、レコードでは多重録音によるかなり作り込まれていたサウンドでした。ライブはともかくレコードでは、ボーカルは、コーラスのパートを含めて、小田さん、鈴木さんだけではなかったでしょうか。アレンジは、これでもかというくらい緻密で、ファンの多くは、そんな音楽的な緻密さにも魅かれていた感じがありました。

 当時の所属レコード会社である東芝EMI的には、いいグループなんだけど、いまいち華がないし、セールスも振るわない、という感じだったのではないでしょうか。

 もともとオフコースは、PPMなんかのモダンフォークに影響を受けたコーラスグループでした。ライブ活動やレコーディングを重ねるにつれ、バンドサウンドになっていって、いよいよオフコースはバンドなんだと宣言したのが、この「Three and Two」というアルバムなんですね。でも、3人と2人という宣言の仕方は、今思えばなんだか煮え切らない感じもします。そういう「考え過ぎ」な感じはオフコースならではだなあ、と思いますが。

 セールス的には「愛を止めないで」のスマッシュヒットがあり、その後の「さよなら」の大ヒットで、オフコースは押しも押されぬビッグネームになっていきました。空前の大ヒットである「さよなら」の次のシングルが、表題の「生まれ来る子供たちのために」でした。

 この曲、とても美しい曲ですが、シングルカットの曲としてはとても地味です。大ヒットの次なので、レコード会社としては、「さよなら」第二弾的なキャッチーな曲を求めてくると思いますが、そのあたりは、小田さんはかなり意識的に、この地味な曲をシングルにしたと語っておられました。こういう時こそ、オフコースらしい曲を出すべきだ、みたいなことですね。趣旨はWikipediaの「生まれ来る子供たちのために」で引用されている発言とほぼ同じですね。孫引きですが引用しておきます。

「こういう曲をシングルにするっていうのはやっぱり、盛り上がったときにしかできないしょ? 普通のときに出していたら、良い曲だけど地味だ、っていわれるだけ。で、この時期にそういう曲を出して、次の活動につなげていきたいんだよね」

「これはオフコースのテーマ、というか、僕自身のテーマなんだよね。日本はどうなっちゃうんだろう、という危機感て前からあるでしょ? でも結局、公害どうのこうのっていっても、そんな騒ぎはすぐ下火になっちゃう。日本人って、そういう部分で飽きちゃうんだ。それを自分自身でも意識しているべきだと思う。そんな意味で出しかった」

 この曲、今では「言葉にできない」と同じように、今もなお多くの人に愛され続けています。もしかすると、大ヒットした「さよなら」や「Yes No」よりも愛されているかもしれません。たくさんのアーチストがカバーしていますし、それなりにヒットもしていますよね。

 「言葉にできない」の時も、社会現象にもなった「overコンサートツアー」の真っ最中のシングルとしてはとても地味で、そんな地味な2つのシングルが20年以上経った今、オフコースを知らない世代にも聴かれ続けているというのは、あの当時を知っているものとしては、ほんと不思議だなあと思います。

 だけど、小田さんにしてみれば、それは当然という感じでもあるのかもしれませんね。それだけの自信があるからこそ、レコード会社の反対を押し切ってシングルにしたわけですから。(あとは「ひとりで生きてゆければ」がリメイクでヒットすれば完璧なんでしょうけどね。このあたりは、古くからのオフコースファンの方ならわかりますよね。)

 「生まれ来る子供たちのために」は、小田さん流のメッセージソングだということですが、私は、最初の歌詞がずっと頭の中に残っていて、今もときどき、あれはどういう意味なんだろうな、と考えたりします。

多くの過ちを 僕もしたように
愛するこの国も 戻れない もう戻れない

 ここで言う戻れない「この国」っていうのは、どこなんだろう、と。「この国」に戻れない「僕」は小さな舟で大海原へと旅立つんですよね。この曲は、こういう歌詞で結ばれます。

真っ白な帆をあげて 旅立つ舟に乗り
力の続く限り ふたりでも漕いでゆく
その力を与えたまえ 勇気を与えたまえ

 きっと、海原は、今生きている時代であるとか社会でとかであるのだろうな、と思います。それは、先の小田さんの発言から紐解くと「日本」ということにもなるでしょう。であるならば、「この国」っていうのは何だろうな、と思うんです。過去と未来という考え方もできそうな気もしますが、少しつまらない解釈かな、とも思います。

 なんとなく思うのは、「この国」では共同体と個が溶け合っている場所なんだろうなということです。それは、イメージとしては子供時代と言ってもいいかもしれないし、もっと言えば、社会という言葉に対するコミュニティ的な場所、あるいは阿部謹也さんが言うところの「世間」なのかもしれないな、とも思います。

 その場所で、多くの過ちをするとは、すなわち「個」になることと同義であり、「個」となることは、その場所を出ることを意味し、だからこそ、海原としての「社会」が「その国」と対応するかたちで出てくるのではないだろうか、と。

 小田和正という人は、わりと西洋的な、あるいは近代的な「個」を心の中に持っている人だと思います。「個人主義」というアルバムも出していますし、その人が「相対性の彼方に」なんてへんな名前のアルバムをつくるのも、なんとなく、そういう軸で考えるとわかる気がします。なんとなく今になって、この曲を起点として、小田和正という人の考え方がわかったような気がしました。

 5人のオフコース時代の「Three and Two」という妙なアルバムタイトルの根拠は、きっとこのあたりにあるのかもしれません。そして、「We are」と宣言して、すぐに「over」で終わってしまったのも、鈴木さん脱退という出来事もあるにせよ、小田さんの考え方からすると必然に近いのかもなあ、とも思いました。で、その後、一人称で「I LOVE YOU」というのも、なんとなく納得。

 それで、あれこれ考えていて、この年になってわかることがありました。私は、どうしようもなく小田和正という人の考え方に影響を受けているんだなあ、と。まだ考えはまとまっていないけれど、今、考えている社会とかコミュニティまわりの考えは、よく考えると、小田さん的感覚と似ている気が。なんか、ちょっとなあ、まだ影響下にいるのかよ、とも思ったり。そりゃまあ、中学時代からさんざん聴き倒しているわけだから、しょうがないことでもあるけど。

 そう言えば、番組で曲を先につくり詞は後から、と語っていましたね。それは、言葉を直感で紡がないということでもあるのでしょう。あの、小田さんの歌にある、センチメンタリズムに隠れた、いい意味での論理性や理屈っぽさの理由は、そこらへんにあるんだろうな、と思いました。本人も、直感ではなく、修正を重ねて曲をつくると語っていて、そのあたりも、聴き込んで来た者としては、非常に合点がいきました。ある意味で、建築に似ているんですよね。

 とまあ、オフコースまわりは、いつまででも書いていられそうな感じなので、今日のところはこのへんで。それにしても、オフコースのことを書くの、久しぶり。なんか、書いている本人はすごく楽しいのですが、「生まれ来る子供たちのために」の発売が1980年だから30年以上前の話、今の若い人にはわかりにくいのかもなあ、と思ったり。

 ■「5人のオフコース」時代のCD・DVD

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2009年4月 1日 (水)

オフコースが再結成するらしいです

Offcourse_4  広告業界では結構噂になってはいたんですが、まさか本当だとは思いませんでした。プレスリリースが出ているはずだから、このブログでも情報を解禁。

 某自動車会社とか、某化粧品会社とかの間で、タイアップの争奪戦が繰り広げられていた、みたいなことを聞いてましたが、結局それはないみたいです。まあ、そんなきな臭い話にならなくてよかったとは思うけれど、きっと、不況の影響もきっとあったんでしょうね。それはそれでさみしい話でもありますね。

 ファンとしてはなんか複雑な思いがします。私も「オフコースは絶対に再結成しないと思うけど…」みたいなエントリを書いていたりもしますし、この再結成は良いことなんだろうか、みたいなことは思います。でもまあ、小田さん、YASSさん、松尾さん、清水さん、ジローさんの5人が決めたことだから、その事実を受け止めるしかないですね。きっと、彼らにとって意味があるからこその再結成なのでしょうから。なんか素直によろこべばないのも、オフコースファンの特徴ですね。

 再結成ライブの第一弾は、札幌の道新ホールだそうです。かつて、観客が13人しか入らなかった伝説のホールです。第一部が小田、YASSのみの出演で、第二部が5人の二部構成とのこと。最後の4人のオフコース時代の曲が演奏されるのかどうかは今のところ不明。再結成を考えたとき、YASSさんが抜けた4人時代をどう捉えるか、とかあると思うんですが、それは時が解決した部分もあるのでしょう。当事者ではない私にはよくわかりませんが。

 それにしても、ちょっと唐突すぎてうまく言葉にできません。そりゃそうですよね、嘘ですもの。本日は4月1日。エイプリルフールのエントリでした。エイプリルフールネタ初挑戦でしたが、私にはこの手のものの才能ないですね。あまり面白くなりませんでした。それと、一瞬でも真に受けたオフコースファンの方、ごめんなさい。

 それにしても、嘘でもいいから、再結成してくれないかな。そろそろいいんじゃないですか、みたいなことも思わなくもないです。なんか、一度こじれたものはもとに戻らないし、戻せないというのは分かっているけれど、なんかそういう考えが最近きつく感じるんですよね。もうちょっと人生いいかげんでもいいじゃないですか、みたいな。でも、やっぱりしてくれないんでしょうね。特に小田、YASSの二人、頑固だし、再結成をしないことも、彼らの友情の証みたいなものでしょうから。

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 新社会人のみなさん、今日から社会人の仲間入りですね。最初は慣れないと思うけど、ひとつひとつ吸収して自分のものにしていってください。お互い、がんばりましょう。ではでは。

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2008年10月10日 (金)

言葉にできない

 小田和正作詞、作曲。1981年、オフコースのアルバム「over」に収録された曲で、翌年にシングルカットされました。長年のオフコースファンとすれば、アルバムタイトルが「We are」と来て「over」なら、「We are over.」、つまり、ああ解散するんだな、という感じがするアルバムで、その中の最後から二曲目の曲だったので、当時発表されたときは、文字通り、アルバムのひとつの曲にすぎませんでした。

 ラストの曲は「心はなれて」というピアノ曲で、そのラストソングのテーマは、美しいストリングスアンサンブルでアルバムのオープニングにも使われました。長年の相棒である鈴木康博さん脱退という出来事に翻弄されていた、当時の若い小田和正さんにとって、きっと、「心はなれて」のほうが重要な曲だったと思います。だからこそ、オープニングとラストに使用したのだろうし、今聴いても、「心はなれて」という曲は、救いようがないほど美しい曲だと思います。オフコースファンとすれば。

 1982年の「over」コンサートツアーを大阪フェスティバルホールで私は見ました。「言葉にできない」の演奏のときに、大スクリーンにひまわり畑の映像が映し出されました。当時のオフコースのコンサートでは、コンサートの後半で、大スクリーンにイメージ映像はおなじみの演出だったのですね。その映像には、「We are over. Thank you.」とメッセージされました。「小田サーン」という若い女性の声に包まれて、静かに演奏されるのが「心はなれて」。このセットリストを見ても、「言葉にできない」という曲が「心はなれて」の盛り上げ的な役割だったことがみてとれます。

「言葉にできない」に続く「心はなれて」が演奏されるとき、鈴木康博さんはギターを持たずにコーラスに専念していました。ギターのパートがないんですよね。それは、今までオフコースを見て来た人間にとっては奇異な光景でした。そして「I LOVE YOU」へ。間奏を除き、ライブ用にピアノ弾き語りアレンジされていました。それは、同時にオフコースが小田さんのバンドであることを実感させられる光景でもありました。

 コンサートツアーのラストである東京武道館で、小田和正さんは、「言葉にできない」の時に声をつまらせてしまいます。小田さんは、コンサートでは感極まって泣くことが多かったので、そのこと自体は、ファンにとってはよくあることのひとつにすぎませんでしたが、解散が噂されていたスーパーバンドのリーダーの涙は、マスコミで大々的に報道されました。

 シングルカットされた「言葉にできない」は、「さよなら」や「愛を止めないで」「Yes No」と比較すると、それほどヒットしなかったように思います。それから幾年か経って、この曲がCMで使われました。

あなたに会えて
ほんとによかった
うれしくって
うれしくって
言葉にできない

 「終わるはずのない愛が途絶えた」と始まる歌詞の後半がCMで使われていました。ああ、このCMをつくった人は、オフコースが好きだったんだな、という印象を持ちましたが、だからといって、それがあらためて再発見されて、巷で大ヒットする、というようなありがちな現象は起きなかったような気がします。

 幾人のミュージシャンがカバーしたりもしました。しかし、この曲を、本当の意味で世に知らしめたのは、YouTubeに投稿された「かなしおかしい」映像クリップでした。もしかすると、この曲は、YouTubeの映像クリップを通して、はじめて世に出たような気もするんですよね。言いすぎかもしれませんが。

 YouTubeの映像クリップをつくったたくさんの人たちは、なぜ「言葉にできない」を使おうと思ったのだろうか。確かに、この映像クリップの方法論は、例のCMのパロディからはじまっています。しかし、これだけ多くの人が次に続く魅力が、当時の私にはわかりませんでした。

 それはきっと、他ならぬこの曲で泣いた小田和正さんにも、きっとわからなかった気もします。小田さんとしては、きっと、本命は「心はなれて」のほうだったと思います。聞いたわけじゃないけど。「心はなれて」の最後は、こんな歌詞。

心はなれて
あなたのこと
見えなくなる
もうここから
先へは行けないね

 小田さんも若かったのだろうと思います。そして、YouTubeで有名になった「言葉にできない」よりも「心はなれて」のほうが真実に近いと思っていた私も。小田さんが泣いたのは、ほかならぬ「言葉にできない」だったという事実。そして、あれから20年以上経って、その経緯を知らない若い人がこの曲を選んだという事実。普遍性とは、いったい何だろう。YouTubeの「言葉にできない」の映像クリップを見るたびに、そんなことを考えます。

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2008年7月 1日 (火)

みなさんこんばんは、オフコースです。

 そっと小声で、小田ヤス時代のオフコースファンの方にお知らせします。1978年の某FM局スタジオライブ音源。アルバム「JUNKTION」の頃ですね。YouTubeにアップされた方のご友人所有の音源だそうで、そのご友人、エアチェックしたテープを大切に保管されていたんでしょうね。

 私は、オフコースは、「Song is Love」に始まり「JUNKTION」「FAIRWAY」へと続く、小田ヤス曰く「試行錯誤の三部作」の頃がいちばん好き。フォークともロックともニューミュージック(この言葉、死語ですね)とも違うサウンドで、オフコースの音としかいいようのない感じがいいと思います。いい意味で華がないんですよね。

 この頃のオフコースは、私はオンタイムではなかったので、レコードでは何度も聴いてきましたが、ライブは初めて聴きました。DVDで出た「Off Course 1969-1989 Digital Dictionary」にも収録されていなかったし、ほんと、大げさな表現ではなく、私にとっては、聴きたくて聴きたくてたまらなかった音でした。

 今でこそ、たくさん音楽を聴いてきて、それなりに耳も肥えて、ジャズとは何か、とか、なんだかんだ難しいことを言っていますが、中学生から高校生の頃の私にとって、音楽ってオフコースとイコールだったんですよね。小田和正さんと鈴木康博さんのハーモニー、いいですねえ。「秋の気配」や「めぐる季節」、それに鈴木さん唯一のシングルA面曲「ロンド」もあります。

「のがすなチャンスを」作詞/作曲 鈴木康博
OFF COURSE (studio live 1of8 / sound only)
セカンドアルバム「この道を行けば」に収録されている曲です。ヤスさんならではのロックっぽい曲。でも、オフコースファンはこういうのをロックだと言うから困る、と当時流行っていたヘビメタファンによく言われました。これは、5人のオフコースの最後の武道館ライブでも演奏されました。

「めぐる季節」作詞/作曲 小田和正 
「眠れぬ夜」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 2of8 / sound only)
小田さんは、こういう男の嫉妬を歌わせたら世界一ですね。「めぐる季節」はアルバム「Song is Love」に収録。「眠れぬ夜」はオフコース初のスマッシュヒット。これはアルバム「ワインの匂い」に収録。西城秀樹さんがカバーしました。この曲、最初はバラードだったそうです。プロデューサーの武藤さんがロックチューンに変更させたそうです。小田さんは、最初はそれが不服だったそうです。でも、この頃のオフコースにとっては知ってもらうということが重要だったんですね。

「雨よ激しく」作詞/作曲 鈴木康博 
「ロンド」作詞/作曲 鈴木康博

OFF COURSE (studio live 3of8 / sound only)
「雨よ激しく」はアルバム「ワインの匂い」収録。鈴木さんが「FoWord」でセルフカバーしています。「ロンド」は、このライブでも話していますが、ドラマの主題歌。いい曲ですよね。でも、鈴木さん曰く「これからのオフコースのイメージに合わないということで、忘れ去られた曲」だそうです。この曲はシングルのみに収録されていて、ベスト盤「Selection」にも収録されませんでした。いい曲なのに。

「僕の贈りもの」作詞/作曲 小田和正 
「Graduation Day」(Four Freshmenが歌った有名な曲。作詞/作曲はわかりません。)

OFF COURSE (studio live 4of8 / sound only)
この「僕の贈りもの」は、実質的なデビュー曲ですね。小田さんもセルフカバーしています。アルバム「LIVE」ではリコーダーアンサンブルで演奏されていました。かわいらしい曲ですね。「Graduation Day」もそうですが、この頃のオフコースは、ライブでは自分たちの曲以外の曲も演奏していました。それにたくさんのコマーシャルソングも歌っていました。

「ランナウェイ」作詞/作曲 鈴木康博
「こころは気紛れ」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 5of8 / sound only)
冒頭に松尾一彦さんの長嶋茂雄さんのものまねがあります。あと、松尾さんの加山雄三さんのものまねと、ヤスさんの沢田研二さんのものまねが、ライブの定番だったそうです。「ランナウェイ」はアルバム「Song is Love」収録。これも、最後までライブで演奏された曲です。「こころは気紛れ」も同じく「Song is Love」収録。シングルは、新録音で発表されました。シングルのほうが少し激しい。私はアルバムバージョンが好き。

「秋の気配」作詞/作曲 小田和正
「青春」作詞/作曲 鈴木康博

OFF COURSE (studio live 6of8 / sound only)
この「秋の気配」はアルバム「JUNKTION」収録。この頃ではいちばん有名な曲なのではないでしょうか。この音源でも小田さんが話していますが、歌詞にある「港が見下ろせる小高い公園」は、横浜の港の見える丘公園ですね。それにしても、ライブでもアルバムと同じようなアレンジで演奏していたんですね。「青春」は「Song is Love」収録。でも、初出は「秋ゆく街で」というライブアルバム。

「老人のつぶやき」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 7of8 / sound only)
NHKの「みんなの歌」のために小田さんが書いた美しい曲。でも、没になったそうです。「私の好きだったあの人も今ではもう死んでしまったかしら」という歌詞が原因だそうです。この曲は、アルバム「ワインの匂い」のエンディング曲ですね。

「HERO」作詞/作曲 小田和正・鈴木康博

OFF COURSE (studio live 8of8 / sound only)
アルバム「JUNKTION」のエンディング曲。小田ヤス共作。共作は、あとシングル「愛の中へ」のB面「Christmas Day」だけ。ほんと、いい意味でも悪い意味でもナイーブなんだから、って思います。組曲っぽい長い曲です。

 

オフコース

小田和正(key)
鈴木康博(g)
松尾一彦(g)
清水仁(b)
大間ジロー(d)

(1978年2月放送)

 やっぱりオフコースはいい。オフコース万歳。ちなみに、このフレーズ、分かる人はかなりのオフコースファンですね。往年のオフコースファンのみなさん、いろいろあれなんで、アップされた方とそのご友人に感謝しつつ、それぞれの著作権者のみなさまの寛大なご配慮を期待しつつ(みなさまどうかよろしくお願いします)ひっそり聴きましょうね。ではでは。

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2007年12月26日 (水)

小田さんとプロフェット5

 ちょっとシビアなビジネスの話をした後、自宅へ戻りテレビをつけると小田和正さんが山口百恵さんの「秋桜」を歌っていました。老けたなという思いと、変わらないなという思いが交差しながら、なんだか複雑な気分になってしまいました。私は、小田和正というアーティストをずっと追いかけてきたわけではありません。正直言えば、オフコースが4人になった時点で、私は小田さんの音楽を追いかけることをやめてしまいました。

 さだまさしさんと小田さんがオフコースの話をしています。お互い軟弱って言われてたね、なんて。オフコースは上手かったな、俺たちはしゃべるしかないもんな、というさださんの謙遜。

 アコースティックギターを抱える小田さん。オフコース解散後、小田さんはソロアーティストとして素晴らしい才能を発揮しました。今、さださんと「Wow Wow」という曲を演奏しています。私にとって、もはやこの曲はCMの曲だけど、こうしてあらためて聴くといい曲ですね。なんとなく、コード進行が「NEXTのテーマ」に似ていますね。

 私にとっての小田和正さんは、白髪交じりの物静かな表情で、プロフェット5を弾く小田さん。オフコースの小田和正さんです。アコースティックギターも、アコースティックピアノも、テレキャスターも、自分のために弾く楽器です。けれども、アナログシンセサイザーの名器、プロフェット5は、小田さんにとって、きっと、オフコースというグループのために弾く楽器。

 「ドラム、大間ジロー。ベース、清水仁。ギター、松尾一彦。鈴木康博。小田和正。オフコースでした。どうもありがとう。」あんなにおしゃべりが下手だった小田さんが、今や、当代きってのおしゃべりおじさん。時の流れは、人を変えてしまうのか、それとも、あの頃からそうだったのか。きっと、正解は後者でしょうね。

 そんな小田さんは今も歌います。

 「あなたに会えて、本当に良かった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない。」

 オフコースというグループは、いま思えば変わったグループだったと思います。アルバムのタイトルに「Three and Two」という自分たちにしか関係がない名前をつけるくらいですから。小田とヤスのオフコースから、5人のオフコースへ。それを、「We are」という前に、まず「Three and Two」と宣言することから始めるのですから。そんなもん、知らんがな、です。でも、そんなところがオフコースらしいな、小田さんらしいな、と思います。

 小田さんとプロフェット5。

 あの頃の小田さんにとって、プロフェット5は、個人が個人主義を超えていくための触媒みたいなものだったのでしょうね。世界でいちばんのオフコースファンは、きっと私でもなく、あなたでもなく、小田和正さんだったような気がします。今、その幸せな、そして、悩み多き青の時代を経て、ひとりのソロアーティストとして、音楽仲間とともに歌う小田さん。クリスマスの約束2007。いいテレビ番組ですね。本当にいいテレビ番組だと思います。

 小田さんがもう弾くことがなくなったプロフェット5。私は、あの、ある意味ですごくチープな音だけど、なぜか妙な味のあるアナログシンセサイザーの音が大好きです。

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2007年12月22日 (土)

青空と人生と

 私の歌で何ができただろう

 という歌詞で始まるこの歌を小田和正さんが書いたのが、まだ20代後半。この頃、小田さんはきっとオフコースがあんな人気バンドに成長するだなんて、思いもしなかったはず。

 あなたが思うほど私は強くない

 そう、小田さんはそんな言葉をささやくような声で歌う。その思いは、きっとオフコースが時代を象徴する人気バンドになり、大切な友が去り、それでもなおオフコースというバンドを維持し、そして解散し、ひとりになって、60歳になり、それでもなおラブソングを歌い続ける今も変わらないだろう。

 「青空と人生と」は1976年に発表されたオフコースのアルバム「Song is Love」に収録されている。B面の3曲目。短くて地味な曲。朋友である鈴木康博さんの繊細のギターが、小田さんのか細い歌声に幾重にも重なっていく。見果てぬ夢。それは、きっと友である鈴木さんと一緒に見ていた夢だったんだろうと思う。

 それでも私は歌い続けてゆけるだろう

 青空と人生とあなたを歌っていたいから。短いこの命、終わるときまで。小田さんと鈴木さんの声がユニゾンで響き、この歌は終わる。オフコースはきっと再結成しないだろう。それは、いろいろな意味でさみしいことではあるけれど、それもひとつの人生なのだろう。それでも小田さんが歌い、鈴木さんが歌い続ける。それでいいのだろう、と私は思う。

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