カテゴリー「オフコース」の10件の記事

2009年4月 1日 (水)

オフコースが再結成するらしいです

Offcourse_4  広告業界では結構噂になってはいたんですが、まさか本当だとは思いませんでした。プレスリリースが出ているはずだから、このブログでも情報を解禁。

 某自動車会社とか、某化粧品会社とかの間で、タイアップの争奪戦が繰り広げられていた、みたいなことを聞いてましたが、結局それはないみたいです。まあ、そんなきな臭い話にならなくてよかったとは思うけれど、きっと、不況の影響もきっとあったんでしょうね。それはそれでさみしい話でもありますね。

 ファンとしてはなんか複雑な思いがします。私も「オフコースは絶対に再結成しないと思うけど…」みたいなエントリを書いていたりもしますし、この再結成は良いことなんだろうか、みたいなことは思います。でもまあ、小田さん、YASSさん、松尾さん、清水さん、ジローさんの5人が決めたことだから、その事実を受け止めるしかないですね。きっと、彼らにとって意味があるからこその再結成なのでしょうから。なんか素直によろこべばないのも、オフコースファンの特徴ですね。

 再結成ライブの第一弾は、札幌の道新ホールだそうです。かつて、観客が13人しか入らなかった伝説のホールです。第一部が小田、YASSのみの出演で、第二部が5人の二部構成とのこと。最後の4人のオフコース時代の曲が演奏されるのかどうかは今のところ不明。再結成を考えたとき、YASSさんが抜けた4人時代をどう捉えるか、とかあると思うんですが、それは時が解決した部分もあるのでしょう。当事者ではない私にはよくわかりませんが。

 それにしても、ちょっと唐突すぎてうまく言葉にできません。そりゃそうですよね、嘘ですもの。本日は4月1日。エイプリルフールのエントリでした。エイプリルフールネタ初挑戦でしたが、私にはこの手のものの才能ないですね。あまり面白くなりませんでした。それと、一瞬でも真に受けたオフコースファンの方、ごめんなさい。

 それにしても、嘘でもいいから、再結成してくれないかな。そろそろいいんじゃないですか、みたいなことも思わなくもないです。なんか、一度こじれたものはもとに戻らないし、戻せないというのは分かっているけれど、なんかそういう考えが最近きつく感じるんですよね。もうちょっと人生いいかげんでもいいじゃないですか、みたいな。でも、やっぱりしてくれないんでしょうね。特に小田、YASSの二人、頑固だし、再結成をしないことも、彼らの友情の証みたいなものでしょうから。

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 新社会人のみなさん、今日から社会人の仲間入りですね。最初は慣れないと思うけど、ひとつひとつ吸収して自分のものにしていってください。お互い、がんばりましょう。ではでは。

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2008年10月10日 (金)

言葉にできない

 小田和正作詞、作曲。1981年、オフコースのアルバム「over」に収録された曲で、翌年にシングルカットされました。長年のオフコースファンとすれば、アルバムタイトルが「We are」と来て「over」なら、「We are over.」、つまり、ああ解散するんだな、という感じがするアルバムで、その中の最後から二曲目の曲だったので、当時発表されたときは、文字通り、アルバムのひとつの曲にすぎませんでした。

 ラストの曲は「心はなれて」というピアノ曲で、そのラストソングのテーマは、美しいストリングスアンサンブルでアルバムのオープニングにも使われました。長年の相棒である鈴木康博さん脱退という出来事に翻弄されていた、当時の若い小田和正さんにとって、きっと、「心はなれて」のほうが重要な曲だったと思います。だからこそ、オープニングとラストに使用したのだろうし、今聴いても、「心はなれて」という曲は、救いようがないほど美しい曲だと思います。オフコースファンとすれば。

 1982年の「over」コンサートツアーを大阪フェスティバルホールで私は見ました。「言葉にできない」の演奏のときに、大スクリーンにひまわり畑の映像が映し出されました。当時のオフコースのコンサートでは、コンサートの後半で、大スクリーンにイメージ映像はおなじみの演出だったのですね。その映像には、「We are over. Thank you.」とメッセージされました。「小田サーン」という若い女性の声に包まれて、静かに演奏されるのが「心はなれて」。このセットリストを見ても、「言葉にできない」という曲が「心はなれて」の盛り上げ的な役割だったことがみてとれます。

 この「言葉にできない」が演奏されるとき、鈴木康博さんはギターを持たずにコーラスに専念していました。ギターのパートがないんですよね。それは、今までオフコースを見て来た人間にとっては奇異な光景でした。それは、同時にオフコースが小田さんのバンドであることを実感させられる光景でもありました。

 コンサートツアーのラストである東京武道館で、小田和正さんは、「言葉にできない」の時に声をつまらせてしまいます。小田さんは、コンサートでは感極まって泣くことが多かったので、そのこと自体は、ファンにとってはよくあることのひとつにすぎませんでしたが、解散が噂されていたスーパーバンドのリーダーの涙は、マスコミで大々的に報道されました。

 シングルカットされた「言葉にできない」は、「さよなら」や「愛を止めないで」「Yes No」と比較すると、それほどヒットしなかったように思います。それから幾年か経って、この曲がCMで使われました。

あなたに会えて
ほんとによかった
うれしくって
うれしくって
言葉にできない

 「終わるはずのない愛が途絶えた」と始まる歌詞の後半がCMで使われていました。ああ、このCMをつくった人は、オフコースが好きだったんだな、という印象を持ちましたが、だからといって、それがあらためて再発見されて、巷で大ヒットする、というようなありがちな現象は起きなかったような気がします。

 幾人のミュージシャンがカバーしたりもしました。しかし、この曲を、本当の意味で世に知らしめたのは、YouTubeに投稿された「かなしおかしい」映像クリップでした。もしかすると、この曲は、YouTubeの映像クリップを通して、はじめて世に出たような気もするんですよね。言いすぎかもしれませんが。

 YouTubeの映像クリップをつくったたくさんの人たちは、なぜ「言葉にできない」を使おうと思ったのだろうか。確かに、この映像クリップの方法論は、例のCMのパロディからはじまっています。しかし、これだけ多くの人が次に続く魅力が、当時の私にはわかりませんでした。

 それはきっと、他ならぬこの曲で泣いた小田和正さんにも、きっとわからなかった気もします。小田さんとしては、きっと、本命は「心はなれて」のほうだったと思います。聞いたわけじゃないけど。「心はなれて」の最後は、こんな歌詞。

心はなれて
あなたのこと
見えなくなる
もうここから
先へは行けないね

 小田さんも若かったのだろうと思います。そして、YouTubeで有名になった「言葉にできない」よりも「心はなれて」のほうが真実に近いと思っていた私も。小田さんが泣いたのは、ほかならぬ「言葉にできない」だったという事実。そして、あれから20年以上経って、その経緯を知らない若い人がこの曲を選んだという事実。普遍性とは、いったい何だろう。YouTubeの「言葉にできない」の映像クリップを見るたびに、そんなことを考えます。

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2008年7月 1日 (火)

みなさんこんばんは、オフコースです。

 そっと小声で、小田ヤス時代のオフコースファンの方にお知らせします。1978年の某FM局スタジオライブ音源。アルバム「JUNKTION」の頃ですね。YouTubeにアップされた方のご友人所有の音源だそうで、そのご友人、エアチェックしたテープを大切に保管されていたんでしょうね。

 私は、オフコースは、「Song is Love」に始まり「JUNKTION」「FAIRWAY」へと続く、小田ヤス曰く「試行錯誤の三部作」の頃がいちばん好き。フォークともロックともニューミュージック(この言葉、死語ですね)とも違うサウンドで、オフコースの音としかいいようのない感じがいいと思います。いい意味で華がないんですよね。

 この頃のオフコースは、私はオンタイムではなかったので、レコードでは何度も聴いてきましたが、ライブは初めて聴きました。DVDで出た「Off Course 1969-1989 Digital Dictionary」にも収録されていなかったし、ほんと、大げさな表現ではなく、私にとっては、聴きたくて聴きたくてたまらなかった音でした。

 今でこそ、たくさん音楽を聴いてきて、それなりに耳も肥えて、ジャズとは何か、とか、なんだかんだ難しいことを言っていますが、中学生から高校生の頃の私にとって、音楽ってオフコースとイコールだったんですよね。小田和正さんと鈴木康博さんのハーモニー、いいですねえ。「秋の気配」や「めぐる季節」、それに鈴木さん唯一のシングルA面曲「ロンド」もあります。

「のがすなチャンスを」作詞/作曲 鈴木康博
OFF COURSE (studio live 1of8 / sound only)
セカンドアルバム「この道を行けば」に収録されている曲です。ヤスさんならではのロックっぽい曲。でも、オフコースファンはこういうのをロックだと言うから困る、と当時流行っていたヘビメタファンによく言われました。これは、5人のオフコースの最後の武道館ライブでも演奏されました。

「めぐる季節」作詞/作曲 小田和正 
「眠れぬ夜」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 2of8 / sound only)
小田さんは、こういう男の嫉妬を歌わせたら世界一ですね。「めぐる季節」はアルバム「Song is Love」に収録。「眠れぬ夜」はオフコース初のスマッシュヒット。これはアルバム「ワインの匂い」に収録。西城秀樹さんがカバーしました。この曲、最初はバラードだったそうです。プロデューサーの武藤さんがロックチューンに変更させたそうです。小田さんは、最初はそれが不服だったそうです。でも、この頃のオフコースにとっては知ってもらうということが重要だったんですね。

「雨よ激しく」作詞/作曲 鈴木康博 
「ロンド」作詞/作曲 鈴木康博

OFF COURSE (studio live 3of8 / sound only)
「雨よ激しく」はアルバム「ワインの匂い」収録。鈴木さんが「FoWord」でセルフカバーしています。「ロンド」は、このライブでも話していますが、ドラマの主題歌。いい曲ですよね。でも、鈴木さん曰く「これからのオフコースのイメージに合わないということで、忘れ去られた曲」だそうです。この曲はシングルのみに収録されていて、ベスト盤「Selection」にも収録されませんでした。いい曲なのに。

「僕の贈りもの」作詞/作曲 小田和正 
「Graduation Day」(Four Freshmenが歌った有名な曲。作詞/作曲はわかりません。)

OFF COURSE (studio live 4of8 / sound only)
この「僕の贈りもの」は、実質的なデビュー曲ですね。小田さんもセルフカバーしています。アルバム「LIVE」ではリコーダーアンサンブルで演奏されていました。かわいらしい曲ですね。「Graduation Day」もそうですが、この頃のオフコースは、ライブでは自分たちの曲以外の曲も演奏していました。それにたくさんのコマーシャルソングも歌っていました。

「ランナウェイ」作詞/作曲 鈴木康博
「こころは気紛れ」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 5of8 / sound only)
冒頭に松尾一彦さんの長嶋茂雄さんのものまねがあります。あと、松尾さんの加山雄三さんのものまねと、ヤスさんの沢田研二さんのものまねが、ライブの定番だったそうです。「ランナウェイ」はアルバム「Song is Love」収録。これも、最後までライブで演奏された曲です。「こころは気紛れ」も同じく「Song is Love」収録。シングルは、新録音で発表されました。シングルのほうが少し激しい。私はアルバムバージョンが好き。

「秋の気配」作詞/作曲 小田和正
「青春」作詞/作曲 鈴木康博

OFF COURSE (studio live 6of8 / sound only)
この「秋の気配」はアルバム「JUNKTION」収録。この頃ではいちばん有名な曲なのではないでしょうか。この音源でも小田さんが話していますが、歌詞にある「港が見下ろせる小高い公園」は、横浜の港の見える丘公園ですね。それにしても、ライブでもアルバムと同じようなアレンジで演奏していたんですね。「青春」は「Song is Love」収録。でも、初出は「秋ゆく街で」というライブアルバム。

「老人のつぶやき」作詞/作曲 小田和正

OFF COURSE (studio live 7of8 / sound only)
NHKの「みんなの歌」のために小田さんが書いた美しい曲。でも、没になったそうです。「私の好きだったあの人も今ではもう死んでしまったかしら」という歌詞が原因だそうです。この曲は、アルバム「ワインの匂い」のエンディング曲ですね。

「HERO」作詞/作曲 小田和正・鈴木康博

OFF COURSE (studio live 8of8 / sound only)
アルバム「JUNKTION」のエンディング曲。小田ヤス共作。共作は、あとシングル「愛の中へ」のB面「Christmas Day」だけ。ほんと、いい意味でも悪い意味でもナイーブなんだから、って思います。組曲っぽい長い曲です。

 

オフコース

小田和正(key)
鈴木康博(g)
松尾一彦(g)
清水仁(b)
大間ジロー(d)

(1978年2月放送)

 やっぱりオフコースはいい。オフコース万歳。ちなみに、このフレーズ、分かる人はかなりのオフコースファンですね。往年のオフコースファンのみなさん、いろいろあれなんで、アップされた方とそのご友人に感謝しつつ、それぞれの著作権者のみなさまの寛大なご配慮を期待しつつ(みなさまどうかよろしくお願いします)ひっそり聴きましょうね。ではでは。

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2007年12月26日 (水)

小田さんとプロフェット5

 ちょっとシビアなビジネスの話をした後、自宅へ戻りテレビをつけると小田和正さんが山口百恵さんの「秋桜」を歌っていました。老けたなという思いと、変わらないなという思いが交差しながら、なんだか複雑な気分になってしまいました。私は、小田和正というアーティストをずっと追いかけてきたわけではありません。正直言えば、オフコースが4人になった時点で、私は小田さんの音楽を追いかけることをやめてしまいました。

 さだまさしさんと小田さんがオフコースの話をしています。お互い軟弱って言われてたね、なんて。オフコースは上手かったな、俺たちはしゃべるしかないもんな、というさださんの謙遜。

 アコースティックギターを抱える小田さん。オフコース解散後、小田さんはソロアーティストとして素晴らしい才能を発揮しました。今、さださんと「Wow Wow」という曲を演奏しています。私にとって、もはやこの曲はCMの曲だけど、こうしてあらためて聴くといい曲ですね。なんとなく、コード進行が「NEXTのテーマ」に似ていますね。

 私にとっての小田和正さんは、白髪交じりの物静かな表情で、プロフェット5を弾く小田さん。オフコースの小田和正さんです。アコースティックギターも、アコースティックピアノも、テレキャスターも、自分のために弾く楽器です。けれども、アナログシンセサイザーの名器、プロフェット5は、小田さんにとって、きっと、オフコースというグループのために弾く楽器。

 「ドラム、大間ジロー。ベース、清水仁。ギター、松尾一彦。鈴木康博。小田和正。オフコースでした。どうもありがとう。」あんなにおしゃべりが下手だった小田さんが、今や、当代きってのおしゃべりおじさん。時の流れは、人を変えてしまうのか、それとも、あの頃からそうだったのか。きっと、正解は後者でしょうね。

 そんな小田さんは今も歌います。

 「あなたに会えて、本当に良かった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない。」

 オフコースというグループは、いま思えば変わったグループだったと思います。アルバムのタイトルに「Three and Two」という自分たちにしか関係がない名前をつけるくらいですから。小田とヤスのオフコースから、5人のオフコースへ。それを、「We are」という前に、まず「Three and Two」と宣言することから始めるのですから。そんなもん、知らんがな、です。でも、そんなところがオフコースらしいな、小田さんらしいな、と思います。

 小田さんとプロフェット5。

 あの頃の小田さんにとって、プロフェット5は、個人が個人主義を超えていくための触媒みたいなものだったのでしょうね。世界でいちばんのオフコースファンは、きっと私でもなく、あなたでもなく、小田和正さんだったような気がします。今、その幸せな、そして、悩み多き青の時代を経て、ひとりのソロアーティストとして、音楽仲間とともに歌う小田さん。クリスマスの約束2007。いいテレビ番組ですね。本当にいいテレビ番組だと思います。

 小田さんがもう弾くことがなくなったプロフェット5。私は、あの、ある意味ですごくチープな音だけど、なぜか妙な味のあるアナログシンセサイザーの音が大好きです。

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2007年12月22日 (土)

青空と人生と

 私の歌で何ができただろう

 という歌詞で始まるこの歌を小田和正さんが書いたのが、まだ20代後半。この頃、小田さんはきっとオフコースがあんな人気バンドに成長するだなんて、思いもしなかったはず。

 あなたが思うほど私は強くない

 そう、小田さんはそんな言葉をささやくような声で歌う。その思いは、きっとオフコースが時代を象徴する人気バンドになり、大切な友が去り、それでもなおオフコースというバンドを維持し、そして解散し、ひとりになって、60歳になり、それでもなおラブソングを歌い続ける今も変わらないだろう。

 「青空と人生と」は1976年に発表されたオフコースのアルバム「Song is Love」に収録されている。B面の3曲目。短くて地味な曲。朋友である鈴木康博さんの繊細のギターが、小田さんのか細い歌声に幾重にも重なっていく。見果てぬ夢。それは、きっと友である鈴木さんと一緒に見ていた夢だったんだろうと思う。

 それでも私は歌い続けてゆけるだろう

 青空と人生とあなたを歌っていたいから。短いこの命、終わるときまで。小田さんと鈴木さんの声がユニゾンで響き、この歌は終わる。オフコースはきっと再結成しないだろう。それは、いろいろな意味でさみしいことではあるけれど、それもひとつの人生なのだろう。それでも小田さんが歌い、鈴木さんが歌い続ける。それでいいのだろう、と私は思う。

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2007年12月10日 (月)

オフコースは絶対に再結成しないと思うけど‥

 私はオフコースファンです。これ、私の世代では、男性が言うのは勇気がいることだったんですよね。あんななよなよした音楽が好きだなんて信じられない、と言われた時代がありました。きっと、タモリさんの影響ですよね。とりみきさんの漫画で、こういうのがありました。山下洋輔さんがフリージャズのコンサートで過激な演奏をして、終わって家に戻る。高級ステレオセットの前でブランデーグラスを傾けながら、山下さんが一言。「オフコースっていいなあ‥‥」

 あっ、若い人はわからないかもしれないので、いちおう言っておきますと、オフコースというのは小田和正さんがいてたバンド。いま「生まれくる子供たちのために」がカバーされてますが、あの曲は、もともとオフコースの曲。もともとオフコースというバンドは、小田和正さんと鈴木康博さんが中心になってつくったもので、ずっとずっと2人でやっていたのですが、後半は5人になって、人気絶頂の頃に鈴木さんが脱退。すこし休止して、4人の時代がありました。

 小田さんと鈴木さんは高校時代の同級生で、彼らはPPMとかのモダンフォークの影響を受けて音楽を始めました。モダンフォークというのは、ギターの演奏とハーモニーが緻密なフォークで、なんとなく知的で上品な感じがする音楽です。私は、このモダンフォークの影響が感じられる初期の頃から正式に5人になってロックっぽくなっていくまでのオフコースが好きです。アルバムで言えば「Song is Love」とか「Junktion」とか「FAIRWAY」とかの頃。4人になってからは、正直あまり興味がなくなってしまいました。

 要するに、私にとってのオフコースとは、小田さんと鈴木さんのオフコースなんですよね。鈴木さんはギタリストであり、ボーカリストでもありますが、とりわけ編曲のセンスに優れている気が私はしています。小田さんの曲でも、ソロになってからの編曲と、オフコース時代の編曲を聴き比べてみると、それがよくわかります。

 そんなオフコースですが、なんだかんだあって鈴木さんはオフコースを離れてしまうわけですね。その経緯なんかは、有名な話だし、本人たちはあまりおしゃべりではないから、尾ひれはひれがついて諸説ありますから、それを調べていただくとして、それを考えると、オフコースの再結成はないと思うんですね。別に、あいつとはもうやりたくないという感じではなく、関係の絶対性がそれを許さないというか。

 それはたぶん、私のようなファンには知り得ない感情でしょうし、それはきっと互いの人生の大切な何かが再結成を拒むということでしょうね。でも、なんとなくもう一度、小田さんと鈴木さんのオフコースを見てみたい気がするんです。できれば、2+3の編成で。私は実際に見たことはないけれど、田園コロシアムのコンサートみたいな感じで。もしくは「小さな部屋」みたいな感じでもいいし。でも、実際、もし再結成をするとなると、プロモーション側は、あの武道館の再現になるんでしょうね。そうなると、なんかそれは生っぽいなあ。4人のオフコース時代の曲はどうするんだという問題もあるし。そういうビジネスっぽい生っぽさも再結成を拒むんでしょうね。

 私が見てみたいコンサートのセットリストは、こんな感じです。

1曲目 「やさしさにさようなら」
2曲目 「心は気紛れ」
小田さんMC :こんばんわ、オフコースです。
3曲目 「恋を抱きしめよう」
4曲目 「ランナウェイ」
5曲目 「水曜日の午後」
小田さんMC :ずいぶん昔の曲ですが、やりますか。ヤス、準備OK?
鈴木さん、笑顔でOKサイン。
6曲目 「僕の贈りもの」
7曲目 「でももう花はいらない」
8曲目 「秋の気配」
舞台暗転。スクリーンに映像が映し出される。
9曲目 「思いのままに」
10曲目「SAVE THE LOVE」
11曲目「愛を止めないで」
(アンコール)
鈴木さんMC :じゃあ、最後にこの曲を。
12曲目「ヒーロー」

 とまあ、こんな感じです。あの曲はどうなのさ、という声もありそうですが、生っぽいので却下(笑)。最後の「ヒーロー」という曲は、アンコールにふさわしくないかもしれないけど、共作っぽい感じがあって、ほとんど可能性はないけれどたった1度の再結成の最後にはこれしかないと思っています。こう考えると、まるでファンタジーですね。久しぶりに「ヒーロー」を聴いてみたけど、いい意味でも悪い意味でもナイーブだなあと思いました。ほんとに、恐るべきナイーブさです。そんなオフコースには、やっぱり再結成は似合わないかもね。

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2007年8月31日 (金)

『戦争を知らない子供たち』のこととか、オフ・コースのこととか。

 隣に座っている若いコピーライターと、前回の『僕らのことをわかってほしい、バブルを知らない大人たちさ。』(参照)の話をしていて、こっちは当然、杉田二郎さん率いるジローズの名曲『戦争を知らない子供たち』のパロディを前提に話していると、なんだか会話に微妙な違和感が。でもって、「もしかすると、その元ネタ知らないの?」と聞くと、そのコピーライターは当然のように知らないと答えました。そうか、もう知らない世代が社会に出てきてるんだなあ、と感慨に耽っていたのですが、それでもなんかまだ違和感は残るので、あれっ、なんか違うかなと思って、ワンコーラス歌ってみると(業務中何してんだか‥)、歌詞が違ってました。なので、タイトルを変更しましたです。

 そうだよなあ、あのタイトルだと、中の文章が重く思えるよなあ。若いコピーライターに「この人、何をわかってほしいと思ってるんだろう、そのわりに「何を」の部分を書いてないし、なんか行間から汲み取れみたいなことか」みたいな感じの表情をされてしまいました。

 ちなみに、『戦争を知らない子供たち』(参照)は作詞、精神科医でミュージシャンの北山修さん。作曲は杉田二郎さん。1970年に発表されました。日本レコード大賞新人賞を受賞しています。私が67年生まれなので、ある意味ではリアルタイムではないのですが、当時の大阪の小学校は日教組の影響力が強く、ことあるごとに歌わされていた思い出があります。平和の歌だから、みたいなことが理由でしょうが、歌詞の中には「髪の毛が長いと、許されないなら」とか出てきて、そのへんは先生的にはOKだったんでしょうかね。

 今の子供たちは、この曲を聴いてもピンとこないかもしれませんね。テレビやゲームで戦争を見ているし、イラク戦争もあったし、確かに日本は戦争はなかったけれど、戦争を知らない子供です、と子供たちは言わないだろうな。北山修さんは、あれは、どちらかというと戦争を体験してきた大人たちの押し付けに対する反抗の歌なんだ、みたいなことを言ってましたが、今の首相がもう現実の戦争を知らないわけで、作詞家の意図みたいなものは、もはや時代的に通じなくなっていますね。そんな今だからこそ、杉田二郎さんはもう一度歌いたくなったとNHKの特番で言っていましたが。

 ちなみに、杉田二郎さんは当時大スターで、自ら音楽出版事務所『サブミュージック』を設立していました。その所属アーチストが、オフコースだったんですよね。正式には、その頃は「オフ・コース」という「・」入りでした。その頃のオフコースは、あまり売れてなくて、杉田二郎さんのリサイタルの前座をやったり、コーラスをやったりしていたそうです。CM音楽の仕事では、結構名の売れたグループだったらしいです。楽譜が初見で読めて、一発でOKが取れるので、仕事が速く、クオリティも抜群だったそうです。それは、とあるCMプロデューサーから聞いたお話です。

 NHK-FMか、FM大阪か忘れてしまいましたが、野外コンサートの録音番組をやっていて、杉田二郎さんが「スペシャルゲストです。最初は苦労をしましたが、今や日本を代表する、いや、世界のオフコースになってしまいました。オフコースの小田和正です。」って言ってました。確か、一緒にPPMの曲を歌ったような気がします。

 メッセージソングを歌う杉田二郎さんと愛とか恋とかを歌うオフコースは、合ってないような気がしますが、東北大から早稲田の大学院を出た小田さんや、東工大でロボット工学をやっていた鈴木さんのような「インテリ」が、二郎さんの人柄に惹かれていくのは、なんかわかるような気がします。

 もうひとつちなみにですが、「ジ・オフ・コース」時代に一緒にやっていた地主さんは、竹中工務店に進み、知る人ぞ知る設計家で、日本建築学界賞を受賞するなど、建築界で活躍されています。そのへんの人たちの今とこれからを、小田和正さんは朝日新聞に「これからは友達と思い出が勝負」というタイトルで書いていましたが、これはasahi.comにも残ってなかったです。小田さんらしいな、と思いながら読んだ記憶があります。あの人は、音楽以外はちょっと変わったとこがあって、プロゴルファーの青木功さんのキャディーをやったり、いろんなことをやってますね。私は、それほど熱心な小田ファンではありませんが。

 鈴木さんは、自身のウェブサイト(参照)でちょくちょくメッセージを書かれています。『ダレか胃グスリクレ。』というような変なタイトルのアルバムを出してましたね。私、買っちゃいましたが、『醍醐桜』という曲がよかったです。最新アルバムは『いいことあるさ』。このページ(参照)にインタビューがあります。私の持論ですが、鈴木さんは、こういうなんということもない題材を力まずに詩にしたとき、すごくいいんですよね。日常に即した題材というか。オフコースでは『ロンド』とか『夢』とか『ひとりよがり』とか。

 本日は、たぶん遅くなりそうなので、夜中の更新はありません。そういうことですので、では、みなさま、少し涼しくなってきましたが、よい週末をお過ごしください。

追記(08年1月17日):YouTubeより「杉田二郎とオフコース

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2007年6月19日 (火)

NHK若い広場「オフコースの世界」を久しぶりに見てみました。

Offcourseオフコースについてのエントリーを書いたこともあって、久しぶりにVHSテープに録画してあるNHK若い広場「オフコースの世界」を見直してみました。小田さん、鈴木さんも若いですねえ。清水さん、松尾さん、大間さんなんて、20代なんじゃないかな。いや、清水さんは30代か。そうなんですよね。みんな今の私より年下なんですよね。

今の自分と比べて、ほんと、やになるなあ、なんて定番の落ちではなく、小田ヤスが30代後半ということを考えると、このときの精神状態を想像するに、壮絶なものがあったんだなあ、とあらためて思います。

この「オフコースの世界」というのは、当時、オフコースが「さよなら」でヒットを飛ばし、武道館などで開催されるコンサートは即日完売で、「Yes No」が流行し、アルバム「We are」が売れに売れ、今だと考えられないですが、そんなに人気のグループが一切テレビに出ず、そのためか、オフコースが神格化してたころ、NHKが、アルバム「over」の制作現場に密着し、彼らの真実に迫る、みたいな番組でした。何度も何度も再放送されていますし、DVDもたしか発売されているから、ご覧になっている方も多いのではないでしょうか。

小田さんも、鈴木さんも、インタビューを見てみると、年相応の幼さが見えますね。まあ、当時は、食い入るように見ていて、そんな実年齢と相応のニュアンスなど読みとることができませんでしたが。

あの頃の鈴木康博は、なんか一手にオフコースの男の部分、ロックな部分を引き受けさせられていて、なんとなく痛々しく感じます。これは、歴史を俯瞰する目で見てるからかもしれませんが。私は、当時から、あの「over」や「We are」の、鈴木作のロックチューンはなんか苦手でした。「一億の夜を超えて」とか「メインストリートを突っ走れ」とか無理ありますよね。コンサートでは盛り上がりましたが。

そうそう、あの伝説の武道館コンサート、小田さんが最後に泣いたので有名な「over」ツアー、大阪堂島のフェスティバルホールで体験しているんですよね。「心はなれて」のストリングスが流れた後、突如、ステージが真っ白な光に満ちて、「愛の中へ」のツインギターが響き渡る、そのオープニングが脳裏に焼き付いています。

私が好きな鈴木康博の曲は、たとえばアルバム「FAIR WAY」の中にある小曲「夢」だったり、母親について歌った、オフコースでは珍しいモチーフの佳作「ロンド」だったり、アルバム「SONG IS LOVE」の中のワルツ「恋はさりげなく」だったり、ゆるい雰囲気が気持ちいい「ひとりよがり」だったりします。ああいう、普通の人の普通の日常の切れ間に思う感情を表現した曲、ヤスさんらしくっていいですね。ちょっと優等生的ですが、優等生だって、いろいろ思うわけでさ。

あと、小田ヤス共作だろうと思うけど、「SONG IS LOVE」の最初と「JUNKTION」の最初に入ってる、「時の流れを止めたいわ。退屈な日々。ささやくあなたの耳元で。」というごく短い曲が入っているのですが、あの曲、大好きです。ほんとセンスいいですよねえ。あの感じが、私にとってのザッツ・オフコースなんです。

そんな鈴木康博さんが、ちょっと前に、「ForWard」というオフコース時代のリメイクアルバムを出しましたが、その中の「いくつもの星の下で」という初出が「We are」のバラード、あれはあれでいいんですが、やはりね、あの頃のオフコースファンとしては、小田さんのピアノの前奏があって、ヤスさんがギターのボディに手を当てて、歌い始める、みたいなのが、あの「いくつもの星の下で」なんですよね。もうね、ヤスの声を聴きながらピアノ弾く小田さん、一生見ることないんでしょうね。切ないですね。

それと同じような感じでは、「汐風の中に」もありますね。シングル「さよなら」のB面です。今風に言えばカップリングです。あれも、ピアノの伴奏でヤスのボーカルなんです。あの曲、コンサートでは小田さんが「ヤスがつくった美しい曲です。聴いてください。」と言って、ピアノ弾き始めるんですね。

最近、ヤスさん、コンサートで「さよなら」を歌うそうですね。賛否両論ありそうですが、なんとなくわかるんですよね、その気持ち。たぶん、「愛を止めないで」から「さよなら」、そして、かろうじて「Yes No」くらいまで、ヤスさんにとって、自分の曲でも、小田さんの曲でも、オフコースの曲だったんでしょうね。アレンジが、ギター発想な感じがするんです。それこそ、ヤスさんは、コンサートで、それらの曲のギターソロ、何百回と弾き倒したでしょうし。

なんか長くなってしまいましたから、昨日と同じ、歌詞落ちで終わりにします。この曲は、5人のオフコースの最後のアルバム「I LOVE YOU」に入っている小田さんの曲です。このアルバムは、小田さんの曲はヤスが参加せず、ヤスさんの曲には小田さんが参加していないという曰く付きのアルバムですが、唯一この小田さんの曲だけはヤスさんがギターを弾いているそうです。当初は小田さんが自分で弾こうと思っていたそうです。でも、自分の思った音ではないと思い、ヤスさんにお願いしたそうですね。わりと有名な話ですが。

昨日のことは誰も聞かない
変わっていくのは心も同じ
走り続けて振り返れば
何もない今は誰もいない今は
僕はここにいて何も飾り気のない
明日を待っている
始まることと終わることは
きっと同じだね
きっと同じだね

『きっと同じ』小田和正作詞・作曲 
アルバム『I LOVE YOU』所有

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2007年6月18日 (月)

クリエイティブディレクター論の名を借りたオフコース論(2)

小田和正という音楽家と、鈴木康博という音楽家が出会って、オフコースという音楽が生まれました。やがて、小田の音楽、鈴木の音楽を超えて、それぞれの音楽は、オフコースという音楽を構成する一部になりました。少なくとも『僕の贈りもの』から『FAIRWAY』までは、そういう感覚だったのだと思います。彼らにとって、音楽とは、つまりオフコースのことだったのです。

もう20年以上経ってしまいましたが、あの頃、私が夢中になったオフコースには、他の音楽を拒絶するような純粋性がありました。オフコースのファンは、傾向として、オフコースから他の音楽に興味を持って、音楽の多様性を楽しむ大らかさがあまり見られなかったような気がします。自分も含めて、そのように感じられます。オフコースを聴くことは、音楽を聴くことではなく、オフコースを聴くことだったのです。

なんか、書いているうちに抽象的になってきましたが、自己表現を超越するもの、と言うよりも、自己表現というものが小さなもの、つまらないものに思えてくる、唯一の抽象的な第三項がオフコースだったのだと思います。あの頃の彼らには、きっとそれぞれがソロ活動をするというような考えは、まったく思い描かなかったはずです。なぜなら、彼らは音楽をやっていたのではなく、オフコースをやっていたのだから。

第三項排除という理論があります。暴力論のひとつです。人が構成する社会は、決定的な対立を回避するために、第三項を設定する、という理論です。第三項を設定して、その排除にエネルギーをついやすのです。国家暴力や、身近なところではいじめなどにもよく援用される理論ですが、その排除という言葉が持つネガティブな印象を取り払えば、小田と鈴木は、オフコースという第三項へすべてのエネルギーを注ぎ込んだと言えるかもしれません。

ある種の抽象性を持った美しさは、こうした抽象的な第三項を設定しなければ生まれないのではないかな、と思うことがあります。ジャズで言えば、ビルエバンストリオ。この場合は、小田と鈴木のオフコースとは違い、生身の3人の人間が、三角形を構成しつつ、第三項排除という現実を超える精神の純粋性という感じでしょうか。現実にはあり得ないかもしれない「永遠の三角形」を目指すという、ビルエバンスというピアニストの精神の運動の美しさです。

でも、こういうある抽象概念に対して懸命になるという関係は、奇跡に近いことだと思うのです。話をクリエイティブディレクター論に戻すと、アートディレクターとコピーライターは、広告という抽象概念のもとでは対等であるべきですが、現実は、本当の意味の対等というのは奇跡に近いことです。

広告は、基本要素としては、言葉と絵でできていますので、必要なのはコピーとアートです。でも、現実は対等ではない。実際は、どちらかが主導権を握るのです。そこには、きれいごとではない、ザラザラした現実があります。たぶん、その主導権を持つ者を、広告ではクリエイティブディレクターと言うのだろうと思います。つまらない結論ですが。

いま、広告会社では、クリエイティブディレクターが重視されています。私の会社のクリエイティブ局長も「広告は、基本的なストーリーはクリエイティブディレクターがつくる。そして表現に対する全責任を負う。」と言います。私は、彼のクリエイティブディレクター論に賛成です。そして、世界の広告会社の潮流もクリエイティブディレクター主義だと思います。

でも、それは、人間の対等という理想に敗北した多くの失敗の上につくられた、ひとつの人間の知恵なのでしょうね。チーム主義の理想と、現実の失敗。ならば、その責任は個人が負うべきだという、ある種の潔さでもありますが、それは、言い方を変えれば、吉本隆明の用語を使えば、対幻想の敗北である、とも言えるのです。

Over_1やがて、オフコースは、「愛を止めないで」のヒット、「さよなら」の大ヒットを境に、急速に小田のオフコースになっていきます。東芝EMIやプロデューサーの意向もあったのだと思います。『We are』と『over』、武道館コンサート10days。そして、鈴木康博の脱退。もうこのあたりのことは語られすぎなほど、多くのところで語られていますので、ここでは詳しくは触れません。けれども、ただひとつ言えることは、小田にとっては、身が切られるほどの敗北感があったはずです。小田にとって、武道館が終わるその瞬間まで、音楽とはオフコースだったのだから。

鈴木康博は、そういう奇跡の綻びに、小田よりも早く気づいたのだと思います。その点、小田は無邪気だった。鈴木康博脱退からほどなく、小田は「なによりもオフコースというブランドを守らないといけないと思った」という趣旨の発言をしています。当時、もうオフコースに興味が失せていたのもありましたが、その小田の発言がなぜだか薄っぺらく感じました。

けれども、今、小田さんの真意が痛いほど分かります。彼が、オフコースという「ブランド」を守ろうと思った気持ちを。たぶん、小田さんは、オフコースを、他人の力でなく、自分で終わらせたかったんだと思います。自分で、この理想の終わりを見なければ、先へは進めない。そう思ったのだと思うのです。

ゆっくり漕ぎ出したね
ちいさな舟だった
僕らはこの舟を
止めようとしている

もうやり直せない
二度とは戻れない
生きてゆくこと
悲しいね

ああ いつ頃から
急ぎ始めたのだろう
いくつもあった
分かれ道

『愛のゆくえ』鈴木康博作詞・作曲
アルバム『I LOVE YOU』所有

ふたりで追いかけた 
青い日々がこぼれていく
やがてひとり 
窓の外は冬

心はなれて 
あなたのこと 
見えなくなる
もうここから 
先へは行けないね

『心はなれて』小田和正作詞・作曲 
アルバム『over』所有

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2007年6月17日 (日)

クリエイティブディレクター論の名を借りたオフコース論(1)

当ブログのサブタイトルにも書いている「クリエイティブディレクター」という言葉。あえて、コピーライターやCMプランナーと書かずにクリエイティブディレクターと書いたのは、ある程度、ブログと言えども立ち位置をはっきりさせておこうとの意図からです。

おまえ誰なんや、という問いに対しては、最低限の自己紹介としては、私の場合、広告会社のクリエイティブディレクターというものでした。まあ、そんなに厳密に考える必要もないかな、という気もしないでもないですが、これからのクリエイティブを考えたとき、クリエイティブディレクターというものをもう一度、きっちりと考えておく必要があるかな、とも思います。

少し前まで、まだまだ広告がおおらかだった頃、広告制作者は、コピーライターかアートディレクター、もしくはデザイナーと言えばなんとかなったんですね。その頃にも、クリエイティブディレクターというものはありましたが、大ざっぱには、会社の偉い人くらいの意味でした。つまり、現場の第一線からは退いて、相談役に回るといった感じですね。

かつての西武百貨店の広告。誰がつくったかと言えば、コピーライターの糸井さんと、アートディレクターの浅葉さんですよね。そこに、クリエイティブディレクターという役割は必要がありませんでした。

オフコースという日本のバンド知ってますよね。小田和正さんがかつてやっていたバンドです。と、書いて、ちょっと待てよ、とつっこみを入れたくなる人、ディープなオフコースファンですね。そうですよね、オフコースは小田さんのバンドじゃなくて、小田とYASSのバンドなんです。あっ、YASSっていうのは鈴木康博さんのことね。

オフコースというグループは、詳しいことはウィキペディアとかにまかせるとして、もともと小田と鈴木の二人の音楽ユニットだったんです。PPMに影響を受け、和声やコード進行が複雑な曲を繊細なアレンジで演奏する、日本ではかなり音楽性が高いと言われ続け、それ故に、長い間ヒットに恵まれなかった、そんな音楽ユニットでした。

その頃のアルバムは、それこそ、原則的に、小田作詞作曲と鈴木作詞作曲が半々。で、そのすべての曲に、多重録音による精緻きわまるアレンジが施されていて、それこそオフコース脱退後の鈴木の「俺の曲であっても、小田の曲であってもね、それはつまりオフコースの曲だったんだよ」という発言そのものでした。

Toct25638アルバムで言えば『FAIRWAY』というアルバムまでは、確実にオフコースは小田と鈴木のオフコースでした。といっても、いわゆるフォークデュオとは一線を画すサウンドで、音は、当時流行のクロスオーバーそのもののバンドサウンドだったんですね。小田と鈴木が対等でひとつのものを作り出していく。そんなグループだったのです。

私見ですが、小田和正という人は、天性のメロディ感覚を持つ作曲家であり、過ぎ去った時間へ切なさに執着した優れた詞を創作する作詞家のという感じで、鈴木康博は、ギターという楽器への造詣の深さをバックボーンにした精緻なアレンジ能力を持つ編曲家であり、頭の中の音楽のイメージを表出することができる優れたギターテクニックを持つギタリストという感じです。

「たぶんYASSは、ギターを弾きながら歌う日本のミュージシャンの中では、最も上手な人」であると小田さんが評していますが、私もある意味そう思います。ギターが上手いという意味合いはいろいろあると思いますが、CHARや石田長正、有山じゅんじ、いろいろスーパーギタリストはいますが、そういう上手さではなくて、いい意味でも、悪い意味でも、知的というか、器用というか、そういう感じの上手さだと思います。

つまり、ロックとか、ブルースとか、ジャズとか、そういう音楽ジャンルが持つ最高のグルーブなり、恍惚感なりを演奏できる、ということではなく、いまここにある作品という課題に対して、どのような仮説を持ってくれば、その課題の最高の質にたどり着けるのかについて、様々な可能性を提出できる、すなわち音として表出できる、ということだと思います。オフコースの鈴木康博は、そういう音楽家だったと思います。

そういう鈴木康博という音楽家を、オフコースの小田和正は、ほとんど自分の一部のような感覚であったのだと思うのです。小田和正が後に語る「YASSが辞めるということは、すなわち俺が音楽を辞めるということと同じだった。YASSのいないオフコースは考えられなかった」という発言は、そうした感覚から来るものだったのだと思います。その頃の小田和正にとって、音楽はオフコースのことで、オフコースとは、小田のものではなく、小田にとっては、オフコースとは小田と鈴木のものだったのだと思います。5人のオフコースになった時でも、推測でしかありませんが、きっと、小田にとっては、オフコースは小田と鈴木のオフコースの発展形にすぎなかったのではないでしょうか。

クリエイティブディレクター論の名を借りたオフコース論(2)に続きます

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